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オトキュー切符の旅 日本海4 2024年9月30日東北地方日本海側の旅の4日目となりました。昨夜は、鶴岡に泊まりましたが、今日は新潟県の村上市に行きます。 当初、鶴岡をゆっくり出る予定でしたが、大雨のため羽越線が一部不通となっており、その区間は間島~村上。特急はすべて運休。各駅は北が間島駅まで、村上から先は動いています。この区間一駅分に臨時バスが出ているのですが、「通勤通学用」という不可解なダイヤです。間島発は、7時台、9時台、11時台の次は18時台。7時間も空いています。その間に間島に着く電車は何本かあるのに…。災害で不通、は仕方のないところですが、その対応としては、「何考えているの?」というレベル。本当に鉄道会社なの?と言いたくなります。 そこで、急遽予定を変更して、鶴岡を7時過ぎに出ることにしました。そうすると、次の電車でも連絡バスに間に合います。 なぜこんなことになっているかというと、笹川流れの遊覧船に乗り、海から見たい、という理由です。鶴岡から南下すると、鼠ヶ関で新潟県に入ります。入ってすぐが、笹川流れです。かつて、源頼朝に追われた義経一行が鼠ヶ関に行こうとしたがさ険峻な地形に越えられず、漁船で渡ったといわれるところです。現在は道路も羽越線も通っていますが、これができる前は、船しかないところでした。 笹川流れは、地質的には花崗岩が侵食されてできた急峻な崖が海に入っています。鉄道で何回か通って来ましたが、ぜひこの機会に海から、ということで遊覧船に乗ることにしました。ですから、鶴岡を早く出て、臨時バスに間に合う次の便にしたわけです。 遊覧船は、桑川という駅の近くから出ています。所要時間は約40分、1500円也です。9時40分発の便でした。海は静かで、天気も良く海からの景色を楽しめました。 ところが、この遊覧船、カモメにエサやりをしているのです。その地点に行くと、カモメが集まっています。100円でエサを打っていて、乗客が買い求め、そのエサに群がっていました。鳥も知っているのでしょうか。いろいろなところでエサやりをやめた、という話を聞いたことがありますが、どうなんでしょう。パンフレットにも「潮風とカモメに出会える旅」と書いてはいます。 港に戻り、駅まで帰ると待ち時間がたっぷり。それでも何とか次の列車で間島駅、そして臨時バスで村上に着きました。 村上では、列車の切符の手配、昼食のあと、鮭の博物館「イヨボヤ会館」へ。村上は鮭の町。鮭の自然ふ化増殖に世界で初めて成功した地なのだそうです。ここは昔一度来たことがありましたが、すっかり忘れていました。川底の様子が見えるということで少し思い出しました。三面川の分流を作ることによい産卵場所を作ったようです。 歩いて駅に戻ったのですが、街中には古い建物が多数保存されていました。 泊ったのは瀬波温泉。ここは初めてです。上越に2年住んでいろいろ行きましたが、さすがに県北のここまで行けませんでした。この3日間の「貧乏旅行」から一転、温泉旅館に泊まりました.たまにはいいでしょう。 明日は、交通進化の恩恵を受け、新潟から仙台へ一気に帰ります。 オトキュー切符の旅 日本海3 2024年9月29日東北地方日本海側の旅の3日目です。昨夜は秋田に泊まりました。この秋田には、岩石鉱物愛好家なら見逃せないところがあるのです。かつて秋田大学には、「鉱山学部」というユニークな学部がありました。今は「国際資源学研究科」という大学院になっています。その前身は、秋田鉱山専門学校。国内唯一の鉱山の専門家を養成する学校でした。その付属鉱業博物館があるのです。 ここには数年前に来たことがあるのですが、せっかく秋田にいるのに見逃す手はない、ということで訪れました。博物館は、何回言っても、違った発見があるところです。 忙しいのですが、日曜も9時からやっているということで、宿から車で10分ほどの博物館を訪れました。次の予定があるので、10時43分秋田発の列車に乗るまでの短い時間です。 1階の鉱物の標本のおびただしい数に圧倒されます。また、2階の岩石標本も同じです。国内のみならず世界中の標本があります。びっくりしたのは、エベレスト山頂の石灰岩。これも標本に入っていました。3階は鉱業にかかわる展示です。驚いたのは、日本をめぐる4つのプレートの立体CG。自由に方向や角度を変えられるので、プレートの潜り込みが手に取るようにわかります。こういうこともできるのですね。 あわただしく展示物を見て回った後、「図録」ともいうべき「鑛(こう)のきらめき」という本。「秋田大学鉱業博物館解説書」と書かれています。鉱業博物館100周年記念、100年のコレクションの集大成だそうです。これを購入しました、1500円也。後で読み返すのが楽しみです。 あわただしく秋田を後にして、次に訪れたのが、象潟の九十九島。陸の松島ともいわれているところです。象潟は何度も通過しているのですが、降りたことがありません。今回初めて行きました。ここは、鳥海山の山体崩壊(他の説も?)により押し出された土砂が海に至り作られた地形といわれています。松尾芭蕉も奥の細道に旅で訪れたほど、文人にとって有名であったようです。その後、1804年の地震による隆起で陸地化した、珍しいところです。その当時からあった 蚶満寺という古寺がまだあります。いろいろな方が訪れたようです。 蚶満寺の境内に「象潟島」という碑があるますが、ここは島だったのです。その隣には,船をつなぐための石があります。 この寺の奥にある、九十九島のうち一番近い、駒留島に行ってみると、丘の上に「駒留島」の碑があります。ここも島だったのです。鳥海山は山頂が雲に覆われていましたが、こんなところまで土砂を流して島を作る自然のものすごさを感じました。またこの前の能登半島地震で土地が隆起した、とありましたが、この地でも200余年前に起こっていたのです。 象潟を後にして、酒田を通り鶴岡へ。少し早く着いたので、バスで鶴岡公園の藤沢周平記念館を見てきました。 明日は村上に行く予定ですが、その手前で大雨による不通区間ができており、特急は全部運休、各駅も、連絡バスが一部走っているようですがどうなることか。トラベルはトラブルです。 オトキュー切符の旅 日本海2 2024年9月28日東北地方日本海側の旅は2日目に入りました。昨日止まった大舘では、泊まるホテルの予約を間違えてしまい、駅から余計な時間を使い往復してしまいました。「トラベルはトラブル」という見本のようですが、まあこんなものでしょう。 朝7時5分の列車に乗るため、朝食を6時30分から10分で食べて、タクシーで大舘駅に向かいました。本当は、駅から徒歩数分の宿であったはずですが・・・・・。 今日は土曜日ですが、高校生らしき姿が目立ちます。公共交通機関の運営が劣化した今、ローカル鉄道を支えているのは高校生だという話も、地方のローカル線に乗ると、実感できます。交通権は基本的人権であり、国は利益を求める企業に売り渡してはならない、というのを感じます。そういう点では、「国鉄解体」が何だったのかということが解ってきました。特に、昨日新幹線で読んだJRE銀行の記事、驚きました。あなたたちは、交通権を守ることを委託されてできた会社だったのではないですか? それはさておき、今日は、大舘を出て、男鹿半島をめぐります。ここは今を去る50年位前に、男鹿出身の大学の先輩の招きで、訪ねたところです。それ以来、八郎潟は埋め立てられ、大きく形を変えました。また、男鹿半島は、地質学的に、昔から今までいろいろな年代の歴史の証言者として地質学的遺産が残っているということで、ジオパークとなっています。 今回の旅で、男鹿半島を半世紀ぶりに訪れることにしました、そんなに大きい半島ではないのですが、いろいろな所に行くには、公共交通機関では頼りなく、レンタカーを借りて回ることにしました。男鹿線の終点に2軒レンタカー屋さんがあるとのことですが、どちらも利用できなさそうなので、手前の100円レンタカーというところで軽自動車を調達しました。4時間くらいの契約です。 男鹿の手前、船越の駅から近くで車を借り、まず向かったのは、八望台。ここは、一ノ目潟、ニノ目潟などの展望台です。この一ノ目潟などは、「マール」という日本では珍しい地形です。さらに一ノ目潟では、地表から深くにある岩石カンランガンが地表に出た地点です。 総じて男鹿は、この日本のいろいろな時代の地質遺産が残り、重要なジオパークだと感じました。 次に行ったのが入道崎。ここは、北緯40度の緯線が通過する所ですが、それにちなんだモニュメントがありました。白黒の縞模様の灯台も、テッペンまで登ってきました。上まで登れる灯台も今では十数個だそうです。 ちょうど昼になったので、海鮮ラーメンの昼食。 それから向かったのが寒風山。山頂直下の急坂は軽自動車にはきつかったですが、何とか登り展望台へ。ここはかすかに大昔の記憶にあるところです。 この山が火山の噴火口でつくられていることがよくわかります。回転展望台まで上がって景色を見渡します。 下山し、男鹿市ジオパーク学習センターを尋ねました。ここは、かつての役場の建物を利用した施設のようです。男鹿市役所若美庁舎の2階のとても広い施設です。中に入ると、教育施設のようで触って学べるものが多数用意されています。土曜日で行政が休みでも2階の学習センターは開かれています。担当される方が一人おりました。 そなこんなで男鹿半島の一部を回りましたが、時間になりましたので車を返しました。距離は85kmガソリン代は1000円弱の男鹿ツアーでした。 男鹿線で秋田に入り、今日はここで宿をとります。 オトキュー切符の旅 日本海1 2024年9月27日このところ、いろいろと用件が入り少し長い旅に出られなかったのですが、オトキュウ切符を使って、5日間の旅に出かけました。今回のテーマは、東北地方の日本海岸を南下する旅。 青森から秋田、山形、新潟とこれまで行かなかったところを拾いながらの、鉄道での旅です。 とりあえず仙台からはやぶさに乗り新青森へ、ここから、弘前を目指します。弘前は、これまで何度も来ているのですが、多くが山に登ったついでの旅。大昔に弘前城の天守を見た記憶がありますが、それ以降行っていません。桜の花のころ横浜からバンクーバーへの船旅の途中、寄る計画がありましたが予定変更で、キャンセル。桜のころは混み具合がすごそうで恐れ多くてなかなか行けません。 弘前駅に着いて観光案内所で弘前公園のことを聞きますと、2㎞以上あります、100円バスが走っています、とその路線をマークした地図をいただき出発。きわめて有効でした。若い係員でしたがその対応は見事!荷物を預けバスに乗りました。 町中を通り、市役所前に到着。弘前公園は広い!そして今日は暑い。橋の架け替えや積み石の工事などを経て、今に城を維持し続けているとのことでした。 天守の部分は有料で、310円也。昔感じていたように、思ったより小さな天守でした。 堀に架かる橋を通り、旧家の残る地区がありました。 津軽藩ねぷた村は、弘前ねぷたの展示場兼伝統工芸展示場。入館料600円也でしたが、ねぷたの展示や津軽三味線の生演奏など、盛りだくさんです。お値打ち以上を感じました。 100円バスで駅に戻り、秋田県の大舘へ。ここが本日の宿ですが、なんと、想定してないホテルを頼んでいたことに昨日気が付きました。駅から遠いのです。もう一日早く気づけばキャンセルできたのですが・・・・。仕方がない、影響は翌朝に及びます。コロナの3年で「旅する力」が衰えていたのでしょうか? 明日は、秋田県の日本海側を南下します。 熊野岳 2024年9月24日久々にかよう会の皆さんと馬の背稜線を歩きました。この9月は天候不順で、夏の暑さが続いています。ところが、いよいよ山は秋、ということを実感させらました。 長袖シャツの上に雨具を着て歩きます。東風が吹き、太平洋からの湿った空気が霧になり馬の背稜線を覆っています。視界20mくらいでしょうか。御釜は全く見えません。 コマクサ群生地を経由して、避難小屋で休止。台湾からのゲストを交えて休憩。霧の中です。 熊野岳山頂近くで、青空が見えました。一瞬地蔵岳も。また視界を閉ざされ、蔵王山神社の避難小屋で昼食。 下山路には、シラタマノキが白い実をつけています。地蔵まで行っても何も見えないと、霧の中を馬の背経由で下山。 リフト乗り場の近くで、今日一番のお土産。今シーズン最後のコマクサです。12時半過ぎに駐車場に下り、本日の山行を終えました。 震災遺構巡り 2024年9月10日客人は夕方の仙台空港発の便なので、空港に近い地域を回りました。沿岸の山元町の中浜小学校と仙台市の荒浜小学校です。 中浜小学校は、海から400m、2階建ての建物で、津波の際、屋上に逃れて全員が助かったという遺構です、もちろん校舎はすべて津波にのまれ、壊れていました。幾つもの「偶然」で難を逃れた施設です。その後きちんと遺構として整備され、入場料を取り、人を配置し震災の恐ろしさを教えてくれる施設です。 見学後、鳥之海に行き昼食。海鮮丼をいただきました。 その後、北上し仙台市宮城野区にある荒浜小学校へ。こちはもともと4階建ての建物だったので、津波は2階まで来たようですが、海に面した側のテラスの手すりが壊されていました。こども・教師とここに避難した地域の方は助かりましたが、そうでないこの地域のかたは、百数十人の方が犠牲になったそうです。1階と2階の様子がそのまま展示されていました。さすが仙台市の施設だけあり、英語・中国語・タイ語・朝鮮語の解説テキストがありました。 この2か所にかかわらず、宮城県・岩手県の多くの震災遺構が残されていますが、それをどう維持するか、どう使うかが課題だと感じました。 客人と刈田岳・材木岩・滑津滝 2024年9月9日客人が来たので、この近所の観光。刈田岳に登るも、わずかの差でホワイトアウト。東風に乗り、太平洋からのガスが上昇し、真っ白の景色の刈田岳山頂でした。コマクサが2輪ほど咲いておりました。 ガスの中を下山し、白石の材木岩へ。ここでそばを食べましたが、なんと食べ放題の天ぷらそば。1枚お代わりしました。材木岩は、水平に積もった水成岩をマグマが貫き、固まったようです。岩石は紫蘇輝石石英安山岩とのこと。氷室に入ると、外気温が27℃なのに岩の間から出る例冷風で15℃、ひんやりします。ちょうどヤマボウシの実が熟し始めていました。 次に行ったのは七ヶ宿の滑津大滝。白石川が、削り残されたところでナメタキになっています。テレビで、水遊びの場になったことを見ました。 ようやく秋めいてきたこの頃です。 東北歴史博物館の「和食」 2024年9月5日仙台に出かけてきました。本当は、仙台市博物館のマルコポーロ展を見たかったのですが、8月末で終わっていました。残念。 それで、東北歴史博物館で開かれている「和食」を見に行きました。博物館が手掛けるテーマとしては面白いのですが、展示全体はインパクトがないような・・・ それぞれの展示には、新しいことを知ることができました。例えば、初めの展示にあるような、地質と水、軟水硬水の関係。これも知らないことばかりで興味深いものでした。流路と硬度の関係など新しいことでした。特に日本の硬水地帯がここにある理由など面白いものでした。 また、日本の野菜の大部分がいろいろな時代に輸入されてきたものだ、というのは目から鱗の展示でした。宗教的な歴史から、肉でなく魚の食文化というのもわかりました。 江戸の屋台の展示は興味深いものでした。食文化が大衆化したものを目の当たりにしたような気がします。料理番付なども、初めて現物を見ました。 日本の各地の雑煮、調理器具なども面白いものでした。 初めて館内のレストランで、ランチを食べました。 個々には面白かったのですが、今一つ、全体にインパクトにがないように思いました。 初秋の芝草平 2024年9月3日暦は9月になりました。残暑が厳しいこの頃ですが、かよう会の皆さんと、南蔵王稜線の芝草平へ出かけました。 刈田峠の入口には、2社の看板が立っています。芝草平の木道工事をやっているのが村山建設、登山道整備をやっているのが佐藤技研です、ヘリコプターの話も出ていました。 秋の色が濃くなっています。登山口から下ると、ツバメオモトが青い実をつけています。 ナナカマドの実も色づき始めています。 前山まで行くと、登山道整備用のヘリの荷物。登山道では、タカネニンジンの花と実。ウメバチソウの白い花、ミヤマシャジンの青い花。 杉ヶ峰に着きました。道標が新しくなっています。雲の上に出て、宮城川、山形側に雲海。 さらに進むとタケシマランには大きな赤い実。花の小ささと対象的です。その他、ゴゼンタチバナが見えます。 芝草平が見渡せるようになると、湿原の植物が豊富です。工事現場となっているベンチを過ぎて昼食。湿原の植物があります。咲き残ったキンコウカ、ルビー色の種のを抱いたイワショウブ、イワイチョウトモエシオガマの花も見えます。の花も見えます。杉ヶ峰に近づくと、ウスユキソウ、下っていくと、カエンダケなどが見えました。アキノキリンソウはどこにでも。 クロウスゴの実やイタドリの花(メイゲツソウ?)などを見ながら5時間の稜線散歩を楽しみました。 このページのトップへ 前月の記事へ あなたは、人目のお客様です。 20210508リスタート
(C)Akihiko URAKAWA
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