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みちのく潮風トレイル 亘理 2023年1月31日今日は、かよう会の皆さんと、みちのく潮風トレイルの亘理の残りを歩きました。 阿武隈 土塁山脈を愛宕沢で降りたあと、潮風トレイルは亘理の町を歩いて、岩沼・名取にとつながります。 今日は平地歩きが主です。亘理町中央公民館がスタート。国道6号線を渡り、銀杏の実幼稚園を過ぎトレイルを歩きます。鹿島天足和気神社という延喜式の由緒ある神社の前を通り亘理公園。ここでは、元はりんご園であったオリーブの林、ロウバイの花、生きているリース仕立てのモチノキを見てすすみます。 竹の花横穴古墳に立ち寄ります。削られた洞窟が見えます。思っていたよりずっと大きいです。今から1200年前の平安時代の古墳の後だとか。 進むと、無花粉の杉の苗木の栽培地。椿貝塚。ここは縄文海進出で海辺だったようです。石間稲荷神社も波打ち際だったようです。 常磐線逢隈駅で一休みしてから、阿武隈川土手にある田沢摩崖仏へ。強い西風が吹いています。土手に着くと、摩崖仏。地蔵さんが4体ありました。ここはかつて渡し舟があったようです。 ここから阿武隈川の土手上の広々とした、舗装された道を歩きます。常磐線を越え、阿武隈大堰を越え小一時間で国道6号線の阿武隈橋。デポした車に乗り込みました。4時間11㎞の行程でした。 1時過ぎ、レストラン田園で昼食。三味丼というホッキ飯、カキ飯、海鮮丼のセットで季節を満喫しました。 久々の晴天 2023年1月30日冬の期間、一か月に1,2度の快晴の日がやってきました。ただ当日は予定が入っており、麓から眺めるだけでした。 松川橋からの写真ですが、屏風岳や熊野岳は真っ白です。望遠レンズで取っているので 後烏帽子の山頂や熊野岳から自然園辺りには、樹氷が発達しているのが見えます。 青空の元の冬の蔵王連峰でした。本日は、昼に来月のイベントの下見にお不藤さんの森に積雪の状況を見に行きました。昨年より少なめとはいえ、イベント可能なだけしっかり積もっていました。 雪の上の足跡 2023年1月26日寒気が流入し、この数日寒い日となりました。雪も降り、家の周りは真っ白です。 上の周りを歩いてみると、いくつか足跡がありました。最初の葉、たぶんヤマドリでしょう。2つ目は鳥なのですが、正体不明です。シジュウカラなどより大きいので、ひょっとしたら、ちらっと見かけたガビチョウかもしれません。 庭の真ん中を歩いて来たのは、キツネのようです。 雪がないと全くわからないのですが、いろいろと周りで歩き回っています。 四方山 2023年1月24日かよう会の皆さんと亘理町にある四方山から北上し愛宕沢までの稜線を縦走しました。 ここは何年か前、逆コースを歩いています。 今回は、車が入れる四方山山頂から下りのコースです。この山は戦前からいろいろな用途で山頂まで自動車道路がつけられたようです。下山予定地に車を置いて山頂に向かいます。あずまやなどが整備された山頂からスタート。 途中の黒森山には一等三角点。角田市では八方山と呼ぶそうです。見晴らしがよいことからつけられた名前でしょう。 稜線を進んでいくと、閑居山。ここまでは気持ちの良い尾根道ですが、これからは悪路になります。右側は、一昨年の台風で崩れ落ちて崖になっています。また、さらに進むと左側(角田市側)が採石場になっていて、人口の崖になっています。先の地震の後、埋め立てるのにつかわれた土砂だそうです。急な尾根にロープが張られています。ここを越して、愛宕沢への下りになると、今日のコースは終了。 新地駅前にできたホテルの温泉施設の食堂で昼食になりました。 月山志津温泉 2023年1月20日山形の月山志津温泉に出かけてきました。ここは、毎年のように月山に来ているのですが、通り過ぎるだけ。初めて泊まりました。 日帰りできるところなので、朝はゆっくり出て、山形で昼食に蕎麦。天気が良く、周りの山々もくっきり見えています。何度も脇を通ていた旧山形県庁・文翔館に初めて入りました。大火のあと建てられたとかで、御影石とレンガ造りの3階建ての建物です。さすがにインテリアも大したものでした。 それから月山に向かいましたが、早く着きすぎるので。ちょっと寄り道。大井沢にある大井沢自然と匠の伝承館・自然博物館というところに寄ってみました。 山形市内とは違って、こちらは大雪。雪の中に作られた道を進みます。入口も屋根からかけた隙間のようなところにあります。入ってみると、お客はいません。案内していただけるというので、回ってみました。 初めに見たのはヤマブドウの蔓で編んだ籠。手仕事です。高価なはずです。次が、メノウのアクセサリー。地元の川で取れるメノウを使っての加工です。朝日連峰の山中からメノウが出るそうです。メノウは堅いので加工は大変そうですが、美しい光沢を放っていました。 次に見たのは月山和紙。コウゾの皮から繊維を取り出し、和紙になるまでの手仕事を見学しました。400年の歴史があるそうです。その他、何種類かの体験ができるそうです。 博物館は、元は小中学生の研究から始まったそうで、動物植物岩石などが展示されていました。地元のもので、見ごたえがありました。 そのあと志津温泉へ。ことらも雪が深くなり、雪の壁になっていました。他の客もなく、のんびり過ごしました。 翌日は、ゆっくり出て、道の駅に寄り、最後にペレットを購入し帰宅しました。木材の価格高騰とかで一袋50円値上がりで500円になっていました。また、品薄だとかで数の制限もされていました。木材価格の高騰がこんなところにも影響しているのだと、妙に納得しました。 花巻・宮澤賢治記念館 2023年1月17日こまちで秋田から盛岡に戻り、やまびこで次の新花巻で下車。ここに宮澤賢治記念館があります。 こまちから、雪の山並みを越えると、頭を雲に隠した岩手山が左手に見えると、すぐに盛岡です。ここでやまびこに乗り換え10分ほどで新花巻。 駅には、大々的にあの大谷翔平コーナー、さすがです。 ついたところでバス時刻表を見ると数分前に出たばかり。次のバスまで1時間以上あります。白石蔵王のバスもそうですが、旅人にとっては「いやがらせ」としか感じない設定です。1時間に1本の新幹線なのに・・・。 歩いていくことにしました。距離1.9㎞。ところがこの道、最後に標高差50m以上の急な登りになるのです。途中、あと何キロという案内板が何か所もあります。最後のところで急坂の登りです。階段があることはあとで知りました。 登ってみると、山頂付近に宮澤賢治記念館。開館40周年だそうです。麓にある博物館と共通券が550円でした。 広い館内は科学・芸術・宇宙・宗教・農というキーワードで展示物とスクリーン。見ごたえがあります。そもそもこの5つのキーワードこそが、宮澤賢治の多面性を語るもので、享年たった37歳のぎっしり詰まった人生を物語っています。 科学のところには、岩石・鉱物標本がありました。また、北上川の河岸にイギリス海岸と名付けたことなど地学の知識を持っていたことがうかがえます。地学・化学・農学を盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部の前身)でおさめたことがその後多面的な活動のの基礎になっているように思えます。 芸術分野では、有名な詩「雨にも負けず・・・」の詩や銀河鉄道の夜などの童話、絵も描いていたようです。イーハトーブが岩手(いはて)からの造語らしいことやエスペラント語の影響があるのは初めて知りました。 詩の中に感じられる宗教的な要素の根源には、法華経があることも初めて知りました。 農業については、農学校教師として教育に当たったようで、その中で様々なことを行ったようです。 記念館は、宮澤賢治の活動の多面性を見事に表現したものとして楽しく見ることができました。 昼時になり、同じ敷地の山猫亭でそばを食べ、3百数十段の階段を下りました。 帰り道にある花巻市博物館は、「山の暮らし」特別展。山仕事の道具や北上川の5つのダムなどが展示されていました。また、縄文文化の遺跡からの発掘物があり、この辺りが南と北の文化の影響を受けた、とありました。その後、南部氏の南の伊達への防御拠点として城が作られ町が作られたことなどの展示がありました。 それから、駅に戻りましたが、駅前広場に「新花巻駅」ができるまでの地元の奮闘をつづった碑を読むと、地元の方々の情熱が感じられました。 新幹線で仙台へ。それからバスで帰宅しました。1637.4㎞の鉄道の旅でした。 秋田・秋田大学鉱業博物館 2023年1月16日糸魚川を出て、今日は同じ日本海側の秋田を訪ねます。行き先は、秋田大学大学院国際資源学研究科付属鉱業博物館。この大学は、かつて日本で唯一の鉱山学部があった大学。高校を卒業するとき、この大学の学部があることを知りましたが、縁もなくすましてしまいました。蔵王に来て、この学校を卒業した方と知り合いになり、関心を持ちました。 1910年の秋田鉱山専門学校の創設から100年以上地質・鉱山の専門研究をしてきた学校です。その博物館も、2万点を越える貴重な標本(パンフレットによる)を持つそうで、地質・鉱物・岩石に特化した博物館です。これまで、行ってみたいと思っていましたが、この度ついに実現しました。 糸魚川から始発の新幹線はくたか、大宮でこまちに乗り継ぎ、920㎞の距離を走り、12時半に秋田に到着します。オトキュウ切符ならではのぜいたくです。ただし、糸魚川~妙高高原はJR西なので切符が必要です。 糸魚川を出ると周りは雪景色。それが関東平野に近づくと雪はありません。盛岡付近で雪。山を越えて秋田に行くところでは大雪と、日本の冬の天気を実感します。秋田駅は、竿灯となまはげ、秋田犬がお出迎え。 駅からバスで10分ほどで鉱業博物館入口。秋田大学の、少し坂を上った見晴らしのいいところに博物館があります。3階建の丸い建物。庭に鉱業関係の展示物や岩石標本があります。入場料は100円。荷物を預かってもらって、見学開始。 1階は鉱物。知っているものが少ないくらい、大量のいろいろな標本があります。鉱物を金属と結合した物で分類することを知りました。大半は日本産の標本ですが、外国のものもあります。色といい形といい、見あきません。蛍光鉱物や条痕色、硬度標本、結晶見本などの展示。サヌカイトの木琴(?)もありました。一等重力点という基準点も初めて見ました。 2階は、岩石や化石や生命史。岩石標本が大きく迫力があります。化石も多数あります。秋田の成り立ちの展示は大陸からの分離から始まる秋田の鉱物の歴史でした。CTによる岩石・化石の3D画像は初めて見ました。 3階は鉱山についての展示。実際の鉱山で使われていたものが展示されていました。また、坑内の模型もありましたが珍しいものだそうです。元素の周期律表の金属元素が実物展示されているのも初めてです。 あっという間に2時間ほどが過ぎ、退出しました。基礎知識があればもっと楽しめたと思いますが十分満足しました。少し知識をつけて再訪したいと思います。 秋田駅まで戻り、宿に入りました。秋田駅は、何度も来ているのですが、どんどん近代化されていて目を見張る限りです。 糸魚川・フォッサマグナミュージアム 2023年1月15日今日は、上越線小出に出て六日町、ほくほく線で直江津、そして糸魚川へ移動し、ここのジオパークの中心施設、フォッサマグナミュージアムの見学です。 雪がどっさり積もっている神湯温泉の宿から小出駅まで送ってもらい、上越線上りで六日町。ここで待ち時間。雁木づくりの町の方まで行っても、店は開いていません。駅前に立派な南魚沼市の図書館がありました。 ここから久しぶりのほくほく線。開通25年と書いていました。ちょうど上越市に住んでいたあと開通したと思いますから、四半世紀経ったことになります。列車は、超快速という聞いたこともない列車で、途中駅はとばし4つ目が直江津でした。ここでも待ち時間。 糸魚川までのかつての北陸線のこの区間は、JRでさえもなくなって、トキ鉄(えちごトキめき鉄道)という会社線に。切符を買うことになりました。列車は、荒れる日本海を右に見ながら進みます。 糸魚川に着いてびっくり、新幹線駅ができたので、駅舎が大きく変わっていました。南のアルプス口には、旧機関車の車庫だったレンガの門が移設され、これはこれでいいものでした。 バスでフォッサマグナミュージアムへ。100円也。土日は1時間に1本くらい出ています。天気も悪く、小雨模様。 博物館に着いて、建物にびっくり。隣の遺跡と共通券で割引で500円。入ってみると、中はとても広く、5つの展示室に分かれていました。初めは、なんといってもヒスイ。様々な原石が展示され、説明があり、ヒスイだけでこんなに…、と思いました。初めて知ったのは、縄文時代からここのヒスイは全国に広がっていたのですが、その後ヒスイ産地として途絶え、昭和に入り再発見したことです。その時に東北大学の地質学者が一役買ったそうです。 さらに岩石、地球の成り立ち、鉱物等々続きます。展示も、いろいろな方法を使って、興味を引くようになっています。フォッサマグナの名付け親、ナウマンに関する展示も見逃せません。日本滞在10年で20代の若き地質学者が成し遂げた仕事の大きさには驚嘆です。 感心したのは、見学者がいろいろなものに参加できること。例えば、サヌカイトを使った音楽演奏装置、岩石の比重を実際に持ち上げてみる、これで、橄欖岩が花崗岩より重いのを実感できます。また、特殊な液体の中で沈む岩石と浮く岩石の実験装置、展示の中身を確認するゲームのような回転ずしのイメージのクイズなど、初めて見るようなものも多数ありました。鉱物名になった日本人の展示では、60人近い人が展示され、初めて知りました。こんにゃく石の実物も見ることができました。 さすが世界ジオパークです。糸魚川市と関係者が相当な決意と予算と知恵を使って作られたのだ、と実感。2時間弱見て回り、隣の遺跡展示館にも足を延ばして、ここでヒスイははじめアクセサリーではなく、ハンマーとして使われていたことを知りました。2時間後、帰りのバスに乗りました。すごい!さすが!天気が悪く、海岸での石拾いができなかったのは残念。 糸魚川駅に戻り宿に入り一休み。そのあと駅まで買い物に行き、夕食は宿の隣のスーパーの食品で済ませ、この日を終えました。 只見線 2023年1月14日今年も、大人の休日切符が売り出されました。今回は、日程の都合で北海道にはいかず、本州を回ることにしました。第1日目は、2か月少し前に全線運転再開となった只見線。 昨年からJR各社が「赤字路線」を強調し、ローカル線廃線への布石を打っているように思えてなりません。そんな折、災害で不通となった只見線が全面復旧したというのはこの後の鉄道の行方に何かの影響を与えそうです。 大したことはできませんが、ちょっとでも実情を知りたいと、全線乗ってみることにしたのです。 遠刈田を始発のバスで出て、白石蔵王から郡山まで新幹線、その後磐越東線で会津若松に移動し只見線の始まりです。 会津若松には思い出す限り何十年も観光に行っていないので、少し早めに行って2時間半ほど歩くことにしました。駅から鶴ヶ城まで街をぶらぶらしながら歩きます。結構遠いです。途中には漆器屋さんや威厳のある市役所があります。 城に着いてみると、天守閣はリニューアル中。4月にOPENとのことで、入場券は売ってはいたのですが天守閣には行けず、途中の映像ショーを見るだけでした。茶室は見ることができましたが、そこで時間。駅に戻り、あわただしく立ち食いソバの昼食。13:05発の只見線小出行きの列車に乗り込みました。結構混んでいて何とか席に座れました。ここから小出までは4時間半の旅です。 若松を出ると雪が深くなりました。途中、只見川にかかる橋梁を越えながらいくつかのダムを見て、雪の山を下っていきます。途中、何度かの休憩をはさみながら福島県から新潟県へ。 途中、只見線応援団というグループの人たちが乗り込み、「おもてなし企画」。絶景ポイントで速度を落とし解説、音声ガイド、特産品の販売など、おそろいの法被を着て土日にはサービスに出ていました。地元の熱い心を感じます。会津柳津名物のアワまんじゅうを購入しました。 今回は、泊まる宿の都合で小出の2つ前の魚沼田中という駅で下車し、神湯温泉という温泉に泊まりました。いい温泉でした。 五社山 2023年1月10日かよう会の皆さんと、名取市の最高峰を抱える、五社山を歩きました。何年か前に歩いているのですが、その時は、別な登山口から往復したので、新しい道の体験でした。 愛島(めでしま)団地の西にたたずむ山塊が、いわゆる五社山です。団地の整備が再開されて、工事現場の奥に登山口がありますが、「知る人ぞ知る」という場所。工事に伴い臨時に設置された駐車場のようです。 標高150mからスタート。急坂を100m余り登り、三方塚方面の標識で左に、600mで名取・岩沼・村田の3市町境界「三方塚」です。ちなみに、「岩沼市最高地点」標高330mの標識もありました。 風と雪が強くなりあたりは真っ白です。来た道を戻り、外山に向かいます。こちらは「名取市最高峰」の標識。324.6mです。ベンチの脇に三角点がありますが、この点名が外山ではなく「袖山三等三角点」313.63mだそうですが、明治のころの三角点設置のころの行き違いの名残と思われます。ここから五社山までは、急な階段のある坂の上り下りを3回繰り返します。 急坂なのですが、風と雪のおかげで汗もかかずに通過しました。通過した後「九難の道」の標識。笑ってしまいました。帰りに数えてみると、一番深い谷の登り階段が97段あったのです。 遊歩道を行くと五社山4等三角点。標石の角が欠けています。 五社山展望台には6つのお社があり、ここから東に名取の町と太平洋が望めます。ここではちょうど雲は晴れ風はやみ海が望めました。そこから引き返し、途中風の穏やかなところで昼食。その後「九難の道」を引き返し、下山しました。 WordPress始めました 2023年1月9日Webページ作成用のツール、WordPressを始めました。 全体像がつかめず苦戦していましたが、何とか、試作のサイトを作りました。 WordPressは,phpという言語を使って、HTMLページを生成する、ということが分かりました。そして、この目的のための、数多くの「型紙」や「道具」が作られています。 これらを組み合わせて作っていく、というところまでたどり着きましたが、細かなところはまだまだ不明。 見通しの立たない森の中をさまよっている、という感じです。もう少し経験を積めば、ものになるかも・・・・というのが今の状態です。工事中で,みっともないので、お恥ずかしい限りですが、作りかけのサイトは次のURLで見ることができます。 https://urakawa3.net/wp/ https://urakawa3.net/wp2/ ロボット!! 2023年1月6日用があり大河原の町に行き昼食をファミリーレストランで取りました。 タブレットによる注文は一度経験していましたが、そのあと注文したものがロボットによって届けられたのにはびっくり!! いよいよ時代はこういう風になっているのだ!と実感しました。このロボットは、店の地図を知っていて、目の前の障害物を避けるようにプログラムされているのは頭の中ではわかっていましたが、さすがに、注文したハンバーグディッシュを届けられて、時代はここまで来ているのか!とびっくりしました。 新年の刈田嶺神社 2023年1月1日新しい年になりました。天気もまずまずなので、近くの刈田嶺神社里宮に行ってきました。 いつもと違った、松飾りが飾られていました。静かに始まった2023年ですが、どんな年になるでしょうか。 このページのトップへ 前月の記事へ あなたは、人目のお客様です。 20210508リスタート
(C)Akihiko URAKAWA
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