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長老湖 2015年10月26日いよいよ、紅葉も里に下りてきたようです。 七ヶ宿にある、不忘山の麓の長老湖に行ってきました。 ボートのある湖畔からは、不忘山の姿がくっきり。水辺にあるモミジ類の紅葉が美しい。カモやカワウの姿も見えました。 続いて行ったのが、ヤマビコ吊り橋。対岸も紅葉しています。橋の上から見ると、横川の堰堤の上に不忘山が見えています。この橋、大きいですが吊り橋なので、揺れます。 最後に回ったのが、最近できた、不忘平和記念公園。第二次世界大戦末期、不忘山に墜落した3機のB29の乗組員34名が死亡したとのこと。「戦争のため異境の山中に果てたアメリカ空軍将兵の霊を慰め、あわせて人類永遠の平和を祈ります。」と書かれていました。「不忘の碑」は不忘山の肩に設置されており、そのレプリカです。 ちょうどこの事件のあった日は、東京大空襲の日。世界に平和を、と言う趣旨は賛成ですが、東京大空襲で犠牲となった10万人の民間人や、この前行った沖縄戦での犠牲者のことを考えると、複雑な思いがします。また、先の国会で、戦争法成立に加わった国会議員の記念植樹を見るにつけ、割り切れないものも感じました。 何はともあれ、もうすぐ11月。雪の季節は近いのです。 深まりゆく秋 2015年10月25日10月も後半に入り、日々に秋の深まりを感じます。紅葉は進み、我が家のまわりにも、赤や黄色が多くなってきました。夜は、澄んだ空に月が浮かんでいます。 また、初めて、キジバトがやってきて、ミズキの実を食べていました。 沖縄の旅4 2015年10月15日いよいよ、最後の日になりました。昼過ぎの飛行機なので、遠くへは行けません。那覇にある、県立博物館と美術館を見学しました。 博物館美術館は、町中にあり、入口には、民家が移築されています。 中に入ると、沖縄の歴史を中心に展示され、それに、自然史、考古、民俗、美術、工芸などの展示室が配置されていました。歴史の展示は、いろいろなものを組み合わせて見せるようになっていました。また、特別展として、葬儀の歴史と現在をテーマにして行われていました。 美術館の方は、石田尚志という作家の映像の展示、また、沖縄の画家たちの作品が展示されていました。 この後、旧海軍司令部壕を見学に行きました。ここは、小録の高台にあって、海がよく見えるところです。昔は、那覇港に入港する船を見張る場所として使われていたようです。戦争中は、海軍の司令部が置かれ、戦況が悪化すると、地下に壕を掘り最後まで戦った場所とのこと。壕に入ると、当時のまま残されていました。これらの壕は、ツルハシやクワなどで掘ったそうで、石灰岩の中をトンネルが延びていました。自決の手榴弾の爆発の跡が壁に残っていたり、部屋もそのまま残っていました。資料室では、恒久平和を祈念すると、諸資料が展示されていました。 ここで、帰途につく時間になり、4日間の沖縄の旅を終えました。沖縄の自然、とりわけ海の美しさと、戦争の悲惨さ、愚かさを感じた4日間でした。 沖縄の旅3 2015年10月14日今日は、南部に行き、史跡や戦跡を巡ります。 はじめに、最南端の喜屋武岬をめざします。岬近くにある、具志川城(ぐすく)跡は、海に面して作られています。崖の上に建つ城跡からは、はるかに東シナ海が見渡せます。 次に向かったのが、ひめゆりの塔。ここは、陸軍病院第三外科壕跡で、沖縄師範学校女子部、第一高女生徒のひめゆり部隊が看護活動を行っていた場所。最後に戦場に放り出され、123名が命を落としました。慰霊碑とともに、平和祈念資料館があります。高校生の修学旅行の団体がいくつも入館していました。資料館には、様々な資料が展示され、映像もありました。見学して感じる事は、「教育の恐ろしさ」です。戦闘員でもない彼女たちを「捕虜になる」ことを選ばず、死に至らしめたものが、当時行われた教育の結果であった、ということを痛切に感じます。 その後、摩文仁(まぶに)の丘にある、平和祈念公園に行きました。平和の礎は、沖縄戦で命を失った全ての人々の名が刻まれたおびただしい数の碑が並んでいます。沖縄県平和祈念資料館は、沖縄戦について学ぶことができるような展示がされています。是非、若い人達にじっくり見てもらいたいところです。これまで、東南アジアのいろいろな国の博物館で、第二次大戦中の日本軍が何をしたのか、という展示物を見てきました。しかし、日本の国内にはそれがない、と言うことを感じてきましたが、ここにはありました。特に昨今の政府の動向を見ていると、その必要を感じます。 摩文仁の丘には、各県の慰霊碑が建ち並んでいます。展望台に近いところには、陸軍の将校たちが自決した壕もあります。海側は、崖になっています。 平和祈念公園を後にして、奥武島(おーじま)に行き、ここで、グラスボートに乗りました。沖に出ると、海には珊瑚とそこに住む魚が見えます。沖縄の海の美しさ見ることができました。 さらに東に進み、斎場御嶽(せーふぁーうたき)に行きました。ここは、琉球王国の最高位の聖地とされてきたところです。亜熱帯の木々が茂る道を高台に上っていくと、岩の聖壇があります。入口で、3分間のビデオを見て下さいと案内されました。が、見ない人もいました。世界遺産に登録され、観光客が増えたようで、この場所の意味をきちんと知ってから見る、ということをしないで、ぞろぞろ、あるいてくるだけ、ということになるのでは、嘆かわしいものです。 、と言うことを実感した一日でした。 沖縄の旅2 2015年10月13日2日目は、北部へ足を伸ばします。 那覇から、高速道路が名護まで延びています。この道路で、100km弱走り、宜野座ICで下り、現在問題になっている、辺野古を訪れました。 キャンプシュワブという基地の前には、テントを立てて、辺野古の基地反対の座り込みが続けられています。おりしも、翁長知事が、埋め立て承認の取り消しを行い、テント村では小さな集会が行われていました。道路を挟んだ、基地のゲート前には、警備員とおぼしき集団が待機しています。 埋め立ての現場を見渡せる大浦湾の方に行きました。実にきれいな海の沖の方に、海上保安庁の船が停泊し、海上には、オレンジ色のロープが延々と張られています。道路脇には看板も立てられています。ジュゴンの住む海、といわれていますが、ここを埋め立てて、自然を破壊し、米軍が他国を攻撃するための軍事基地に変えてしまうことは、許されることではないとの思いを強くしました。 その後、本部町にある海洋博公園に行き、沖縄美ら海水族館、海洋文化館、おきなわ郷土村を見てきました。 美ら海水族館では、珊瑚に代表される沖縄の海を見ることができました。中でも、ジンベーザメの回遊する大水槽は迫力満点です。これと、先ほど見た、辺野古の埋め立てを重ねてみると、なんと愚かなことをしているのだろうと感じます。 おきなわ郷土村には、沖縄の民家が移築されて下り、この島での生活の一端を知ることができました。とくに、この島にある材料でつくられた、古い家は、感心するばかりです。 海洋文化館は、巨大な空間に、海を渡る人々の技が展示されていました。それにしても、このような小さな船で、計器もない時代に、交易をしていたことには、驚くばかりです。 ハイビスカスなどが咲き、広い敷地から海を見ると、きれいな海の向こうに伊江島が見えています。 帰りは、西海岸に沿って南下し、途中、荒波に浸食された万座毛の海岸、北谷(ちゃたん)のサンセットビーチなどに寄りながら、那覇に戻りました。それにしても、嘉手納の基地の広さはびっくりするばかりで、家々が立て込んでいる道路の西側に対し、東側は、広々とした芝生にゆったりした住宅、基地の建物、滑走路などがあり、その落差に驚かされます。これが、70年間も続いているのです。 那覇に戻り、賑やかな国際通りで、沖縄料理の夕飯を頂きました。 沖縄の旅1 2015年10月12日秋の4日間、沖縄へ旅行に出かけました。そのうち行こう、と思いつつなかなか機会を作れなかったのですが、4日間ぽっかり日程が空き、気候も涼しくなってきたので、ということで、旅立ちました。 実は、沖縄本島へは、1971年に旅行して以来です。このときは1972年の返還前で、「アメリカ統治」の沖縄でした。旅行には、「パスポート」が必要でしたし、通貨はドルを使い、車は右側通行でした。それ以来、途中、那覇空港に乗換で立ち寄ったことがありますが、なんと45年たちました。 天気はまあまあで、仙台空港を飛び立った飛行機は、3時間のフライトで那覇空港に着きます。途中、雲の切れ間から、山が見えました。赤城山だろう山を過ぎると、頂きに冠雪した山が見えました。近くに甲斐駒ヶ岳の白い山頂が見えましたので、この山は、北岳と間ノ岳の白根三山でした。富士山が初冠雪、と言っていたのですが、南アルプスの高峰もついに雪の季節に入ったのです。 3時間のフライトで、奄美大島などの島々を経て、3時半過ぎに那覇空港に到着。気温は28度とのことで、2ヶ月ばかり逆戻りした感じです。この日は、あまり時間がないので、首里城に出かけました。 沖縄戦で全てが破壊された跡に、首里城が再建されていました。かつての琉球王国の姿を偲ぶことができました。昔の石垣の上に再建された部分が示されていました。 月山 2015年10月8日天気が良いとの予報なので、月山に行きました。台風の影響で、日本海から西風が吹き付け、月山は風と雲と雨。我が家から、高速を使うと1時間半、志津を通り、登山口まで行きました。紅葉は真っ盛りなのですが、冷たい雨と強風。 山形県立自然博物館を見学して、天気の回復を待ちましたが、風はさらに強くなり、リフトも運休。みぞれ混じりの雨になってしまいましたので、登山は中止。 野営場入り口の沼では、晴れ間に写真が撮れました。赤や黄色の紅葉真っ盛りの山麓でした。 時間があるので、帰りはエコーラインを通って、刈田岳に登ってきました。こちらはさらに強い風。まっすぐ歩けないほどの強風でした。何とかお釜の展望台まで行って、戻りました。 どうだんの森 2015年10月7日野営場の近くにある、どうだんの森に行きました。雲がありますが、ときおり日が差して、不忘山や水引入道など、山が染まっています。どうだんの森も、標高が600m近いせいで、紅葉が始まっています。 入口からの道には、いろいろな草木が実をつけています。青いサワフタギ、ピンクのマユミなど、秋らしい景色です。 また、ブナ林には、ブナの実がたくさん落ちています。 山漆やドウダンツツジなどが赤く紅葉しています。また、実をつけており、秋らしい景色でした。 国営みちのく公園 2015年10月5日隣町、川崎には、「国営みちのく公園」という、国営の公園があります。いろいろな施設を含む公園で、エコキャンプ場には宿泊したことがありますが、公園脇を通る道は何度も通っているのですが、これまで入ったことはありませんでした。 天気がよいので、行ってきました。駐車料金310円と入場料410円を払うのですが、仙台のような大都市でもないのに、駐車料金はちょっと?です。 公園は、南地区・北地区・里山地区と分かれています。南地区が、一番いろいろな施設が集まっているところ。ふるさと村、という古民家のブロックや、子供の遊具があるブロック、庭園風のブロック、花畑、広場などかなり広いです。 古民家を移築したふるさと村は、東北6県の代表的な豪農の民家が移築されています。興味深いのは、雪深いところでは、馬小屋は建物と一体化している点。南部の曲家がその典型です。各建物ごとにテーマを持った展示がされており、見る人に関心を抱かせるようになっています。公園の中は広く、花畑や庭園には花が咲いています。特に、黄色いコスモスは圧巻です。 ここは、天気が良ければ、昼食を持ち込みピクニックをするといいところで、2カ所ある食事を取れる店は、軽食中心で、今ひとつ。 北地区までは、車で数分。入口で、駐車券と入場券を見せると、入れます。こちらにあるのは、風の草原というスポーツ広場、自然共生情報館という里山生活を再現する施設、エコキャンプの3つです。 そのうちの自然共生情報館は、里山の自然を残しつつ、その中で営まれた農村生活を再現しています。野鳥の姿を見ながら、野原を歩きます。オミナエシの花がきれいでした。遠く、蔵王連峰も眺められます。また、知恵体験館というところでは、いろいろな作物を昔のままの方法で育て、来園者で収穫しているようでした。いろいろな野菜や稲、ソバなどが植えられていました。また、炭焼きなども行っているようです。 また、自然共生情報館では、宮城県には珍しい、ペレットボイラーを使って、暖房しています。係の人に、ボイラー室を見せて頂きました。 我が家からだと、20分弱で行くことができます。いろいろな季節に訪ねてみようかと思いました。 錦秋の水引入道に登る 2015年10月3日爆弾低気圧通過の翌日、ガイド協会のみなさんと、水引入道に登ってきました。ちょうど紅葉の真っ盛り。 コースは、白石スキー場から、コガ沢経由の急登から水引入道に登り、ブナ林の中をジャンボリーコースを降りる、というもの。 朝8時、スキー場からコガ沢に沿って登り、コガ沢渡渉点から350mの急登。水引入道の肩に出て、紅葉を楽しみました。山頂からは一面の紅葉でしたが、残念にも、昨日の爆弾低気圧の影響でかなり強い西風が吹き、山形方面から山脈を越える雲がかかり、晴れ間が時々しか出なかったこと。やはり紅葉は、太陽の光が当たらないと、色がさえません。 しばらく滞在し、太平洋まで見える景色の中で紅葉を楽しみ、下山しました。 収穫は、コシアブラの種を初めて見たこと、一方、レキのポールをなくしてしまいました。 ちなみに、ここの山の名は、水引岳でも水引山でもなく、「水引入道」。これは、田植えの時に現れる雪形、水引入道(種まき坊主)に由来するとのことです。この雪形を来年こそ見たいと思います。 このページのトップへ 前月の記事へ
(C)Akihiko URAKAWA
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