好天が続いています。今日は、水引入道の紅葉がきれいだという話を聞いて、行ってきました。今年は、紅葉は早いそうです。 「水引入道」これは山の名前です。山も岳もついていませんが、れっきとした、1656mのピークです。南蔵王連峰主稜線から外れた所にあります。何でも、春に、水引入道の雪形が出るので、この名になったとか。 宮城蔵王白石スキー場をスタート。8:15。神嶺新道を1.6km進んだところに、ジャンボリーコースの入口があります。 ブナ林の中をゆっくりと登っていきます。高くなると、赤や黄色の木々が見え始めます。最後の上り下りの細い道を抜けると、コガ沢からの道の合流地点。このあたりは、木はなく、岩と礫の道です。 素晴らしい!紅葉です。水引入道の頂の周辺は、赤やオレンジ、黄色の絨毯のようです。頂に立つと、1656mの表示板。そして、南蔵王連峰の紅葉した山々。不忘山・南屏風・北屏風、おとなりの馬ノ神山。まさに、錦秋の文字がぴったり。 2人組が、岩の上で食事中なのを除き、登山者に会いませんでした。 昼食の後、コガ沢コースで下山。はじめは、標高差300mほどの急な下り道。よくぞこんな所に道をつけたと、感心。コガ沢に降りるところが、急なクサリ場になっています。第一の沢は水量も少なく、飛び越えます。ここから第2の沢までが、ヘツリ。クサリを頼りに第2の沢へ。こちらも水量は多くなく、簡単に越えますが、雨の後などの増水時は大変だろうと思います。 その後、川沿いの高巻き道を進みますが、ここは疲れる道。小さな上り下りを繰り返し降りていきます。地形図には、川に平行に歩道が引かれていますが、結構高く巻いたり、川岸に降りたりと大変です。特に、崖の上の幅の狭い道は、滑るところもあり、神経を使います。 ようやく川から遠ざかると、スキー場のゲレンデに出て、ロッジまで草の道。 スキー場の駐車場に戻るまで、ちょうど6時間の青空の下、錦秋の山行でした。 帯状高気圧により、好天が続いています。今日は、山形県にある、月山に登りました。20年ほど昔、湯殿山から縦走し羽黒山に抜けて以来です。 我が家から高速道路を使うと2時間弱で登山道入口。パーキングエリアから、山頂が見えていました。姥沢登山道入口に車を駐めて登山開始。入口で「環境美化協力金」200円を支払いました。今日は、リフトを使いました。 リフト終点の逍遙所からスタート。このあたりは、紅葉が美しい時期になっています。湿原は草紅葉ですが、今時、チングルマの花が咲いていました。また、この時期まで残雪があり、豪雪地帯だとわかります。道はとてもよく整備されています。 牛首にかかる頃、日本海側からの風で、稜線は、雲に覆われてしまいました。せっかくの紅葉も、残念ながら霧の中。 2時間弱で、標高1984mの山頂の月山神社です。展望はありません。立派なトイレと頂上小屋があります。 下山は、コースを変えて姥ヶ岳経由。途中、一瞬展望が開けて見事な紅葉が姿を見せます。頂上を越えて下山途中、リフト終点付近の紅葉が見えています。今、真っ盛りです。リフトで降りて、昼食に「冷たい肉そば」を食べ、駐車場へ。 帰りに、寒河江に寄って、冬の燃料である木質ペレットを300kg購入し、帰宅しました。さすがに、300kgの荷物を積むと、笹谷峠までの登りは、車が重いです。 丸森町にある舘矢間ひまわり畑の「ひまわりまつり」を見に行きました。 この日は、朝からいい天気で、こけし橋からも、くっきり蔵王が見えています。 我が家から1時間弱。丸森町の舘矢間(たてやま)のひまわり畑は、今満開。広々とした畑にひまわりが植えられています。 テントの中には農産物直売所があり、また、簡単な展望台も設置され、畑を見下ろすことができます。ここは、宮城蔵王三十六景の一つにも挙げられています。この時間、蔵王には雲がかかり、山なみは姿を見せませんでした。 ここのひまわり畑の特徴は、一人100円で「ひまわり摘み放題」。はさみを借りるともう100円かかります。代金は、竹筒に入れるようになっています。摘み取ったひまわりは、新聞紙で包んでくれました。 せっかく丸森まで来たので、齋理屋敷に行きました。昼食は、観光案内所の向かいの和食屋さんで、時期限定のはらこ飯。 齋理屋敷は、7代続いたこの土地の豪商の蔵屋敷で、町に寄贈されたものを、公開しています。広い屋敷には、たくさんの蔵があり、それぞれに昔の文物が展示されています。押し花教室をやっていまして、おみやげに、しおりを買いました。なんと、3枚で100円。今日は、百円玉でリッチな気分になりました。 熊野岳、刈田岳あたりを中央蔵王、と呼んでいますが、ここより北側の稜線が北蔵王です。名号峰・八方平・雁戸山を経て、笹谷峠に至る、約14kmの道のりです。 スタートとゴールが離れているので、サポートなしに一人では歩くことができないコースです。宮城蔵王ガイド協会主催の催しがあったので、参加しました。 遠刈田公民館集合で、バスで刈田駐車場へ。ここから、馬ノ背に出て、熊野岳。馬ノ背には2羽のイワヒバリがいました。そこから降り始め、自然園を経て名号峰をめざします。途中、峨峨温泉へ降りるコースの分岐があります。コマクサが残っていましたが、全体に秋の訪れを感じます。 名号峰では、名号と言う言葉の意味の解説、花崗岩で作られている地質の解説がありました。 名号峰を出ると、八方平までの上り下り。八方平には川崎町の作った立派な避難小屋があり、ここで昼食。 ここから、雁戸山までの200mの急な登り。南雁戸山頂を経て、岩が出た急な降り、そして、急な登りで雁戸山頂に着くスリリングなルートです。 ここから、ゴールの笹谷峠までは、約4kmの長い下り。 一日中天気がよく、ずっと展望を楽しめました。朝8時に歩き出し、到着は午後3時15分。しっかり歩いた一日でした。 「ことりはうす」は正式名称を「宮城県野鳥の森自然観察センター」といいます。ここで主催する、秋の蔵王トレッキング「三宝荒神山を歩く」が実施され、一緒に歩き手伝いをしてきました。 コースは、刈田駐車場のリフト乗り場前から、馬ノ背に登り、熊野岳、地蔵山を経て、三宝荒神山(1704m)を往復します。 天気予報では、好天となっていましたが、歩き始めると、雲の中。雨が降ってきて、風も出ました。どうも、北の方から流入した寒気の影響のようです。 ところどころで、植物の解説を聞きながら歩きました。馬ノ背に出ても展望はなく、熊野岳もガスの中。地蔵岳も展望なし。三宝荒神山でも、雲の中でした。 蔵王ロープウェー地蔵山頂駅をお借りして昼食。 帰り道を歩き出すと、なんと天気が快方に向かってきました。北蔵王の山々が見え、仙台平野や山形方面、そして熊野岳も見えてきました。 熊野岳を越えると、そこからは、お釜のエメラルドグリーンの姿も。ゴールするころは快晴でした。 「終わりよければすべてよし」を絵に描いたようなトレッキングでした。それにしても、山の天気は変わりやすい!が、身に染みた山行でした。 蔵王の名所、お釜。火口に水が溜まり、神秘的な色をした湖です。今日は、地元の人達と、お釜の縁まで降りてみました。 刈田岳と熊野岳を結ぶ稜線から、尾根伝いに降りていきます。標高差にすると150m。崩れやすい道を降り、湖岸まで行くと、五色岳の斜面がそそり立ち、迫力があります。上から見下ろすのと違って、間近で見るエメラルドグリーンの湖面の広がりに、圧倒されます。 途中、今シーズン最後のコマクサが咲いていました。また、リンドウは、なぜだか色も形もさえません。シラタマが実をつけていました。ここはもう秋です。 その後、山形側から雲が押し寄せ、天候は悪く、視界がなくなりそうなので、本日はここで撤退しました。途中、イワヒバリ(?)の巣を見ました。丸くていねいに藁を敷きつめていました。 今日は、天気がよいとの予報に、かもしか温泉を訪れてみました。 かもしか温泉は、賽ノ磧から1時間あまり、または、峨峨温泉から1時間あまりの山道を行ったところにあります。白雲山荘という山小屋が、1980年に泡雪崩で崩れてしまったまま、今日に至っているそうです。泉源は、少し上にあって、現在地形図で「新噴気口」と書かれたところにあり、湯が涌いています。 賽ノ磧駐車場に車を止めて、鋪装された自然観察路を進みます。色づき始めた葉もちらほら、秋の気配です。舗装路がつきると、そこに、かつて使われていたリフトのケーブルがあります。道標は、熊野岳に至る、となっています。 ここから、濁川の川原まで、標高差約160mの下り。急な斜面につけられた道を下ります。川原まで降りて、橋を渡り、登り返します。一つ沢を越えると、東北大左エ門小屋に行く道との分岐点。今年この小屋の改築が行われたとかで、ここまでの道はきれいに刈り払われています。ロバの耳方面に進むと、かなり藪がひどいところもあります。すぐに次の追分方面との分岐点。小さな沢を渡って進みます。途中、石の基礎の隣に「羚羊温泉」と書かれた石碑。ここが山荘のあったところです。 途中、ヤマブドウがたくさんありました。が、熟すまでには、もう少しかかりそうです。また、秋を感じさせるものもいろいろありました。 目の前に、噴煙が見えてきます。そこまで行くと、斜面に小さな湯舟が作られていました。目の前は大展望。湯舟が小さいのが難ですが、素晴らしいロケージョンです。大自然の中の湯を満喫しました。 帰りは、予報と違い、雨が落ちてきましたが、濁川を渡り、160mの坂を登り返した頃、上がりました。 春は雪が溶けるまで行けず、夏は虫が多いので不可、秋のこの時期のみ楽しめる、「幻の」温泉です。ここも、あと2ヶ月もすると冬、雪の中に埋もれます。 前から気になっていた、白石市の「不抜の森」に行ってきました。場所は、川原子ダムのほとりです。我が家から車で30分弱の所にあります。 不抜の森の名は、昭和の初めに造林された官行造林地が伐採されようとしたとき、緑を残すため買い取ったことに由来します。また、川原子ダムは、終戦後、食糧増産のための農業用水を貯めるために作られたそうです。 川原子ダムサイトにあり、正面に不忘山を望みます。中には車道と遊歩道が整備され、ちょっとした気分転換に良さそうです。今は、秋の初めで、ススキの穂、萩の花、赤とんぼ、アザミの花など、季節感のあるものがありました。 帰りに、鎌先温泉近くの弥治郎のこけし村に寄ってきました。 昨日、刈田駐車場に行ったついでに、御田ノ神湿原まで足を伸ばしてきました。そこは、すっかり秋の景色。 湿原は、草紅葉になっています。ツツジやナナカマドなどは、紅葉し始め。花は、リンドウ、アキノキリンソウ、そして、名を知らないルビー色の花。チングルマはまだのようでした。 駐車場から湿原に行く、登山道の脇に、朽ち果てたリフトがあります。その建物の壁には、「県境裁判を忘れるな!!」と書かれています。リフトの支柱が、稜線まで続いています。いったい何だろうか、と不思議でした。 家に戻り調べてみると、これは、昭和38年に起こった、宮城県の七ガ宿町と山形県の上山市の境界(=宮城山形県境)を巡る事件でした。いくつか解説がされていますが、私が一番わかりやすかったのは、この裁判の弁護士であった、山形の佐藤欣哉弁護士のインタビューです。いろいろな資料を見ると、「金もうけのためなら、県境までも動かしてしまう」という当時の行政を巻き込んだ事件です。国会でも取り上げられたようです。 提訴以来31年目に山形地裁の原告敗訴判決を取り消して、1995年仙台高裁が原告勝訴の判決を言い渡し、国が控訴せず確定しました。しかし、原告の建設したリフトは、廃線になっています。 その結果を見ると、かつて、南側の登山道にあった県境が、廃線となったリフト側に動いています。「蔵王の黒い霧」という表現もありましたが、行政がらみで事件が起きると、こういうこともあるのですね。 今日は、刈田リフトの駐車場から、馬ノ背稜線を経て、熊野岳・地蔵山・三宝荒神山と、山形蔵王の山々を歩いてきました。 刈田リフトのある広大な刈田駐車場に車を置き、そこから、リフトに乗らずに、リフト右側の登山道で馬ノ背稜線まで、約20分。北側に見える熊野岳ですが、周りは、秋の始まりの気配。リンドウが咲き、早い木々は紅葉・黄葉を始めています。リフト終点から稜線までは、立派すぎるコンクリート道。高曇りで、お釜がエメラルドグリーンの姿を見せていました。 右手にお釜を見ながら、熊野岳避難小屋へ。熊野十字路を越えて、ワサ小屋跡に進みます。 ワサ小屋跡は、熊野岳と地蔵山の鞍部。昔、ワサという名の老女が小屋を守り、熊野神社に詣でる人に水などを売っていたそうです。ここは、別名、姥神・通称ヤマンバ様の石像があります。3年前まで、積まれた石の下に首のない状態で埋もれていたそうですが、それを頭をつけて再生し開眼したとのことでした。おっかない顔をしています。 そこから一登りすると、地蔵山。山頂から、三宝荒神山とロープウェー山頂駅、お地蔵様が見えます。下っていくと、大きなお地蔵様。これは、今を去る40数年前の大学生の頃、山形蔵王に生まれて初めてスキーに来た時に雪に埋もれている姿を見ました。一登りで三宝荒神山です。駐車場を出てから、1時間40分。 一休みしてから、戻ります。帰りは、地蔵山の捲き道を通り、熊野岳に直登する道を取ります。最後の100mは結構な急斜面です。登り切ると、鳥居と神社。熊野岳山頂です。 ここから、馬ノ背稜線を経て、駐車場に下ります。3時間半、心配だった天候も、何とか持ち、初秋の気配の山行でした。 8月19日に書いた、蔵王古道の復活となる「古道を行く蔵王御山参り2014」という催しが行われました。 朝5時に、麓の遠刈田温泉刈田嶺神社里宮(標高約300m)を出発し、刈田岳山頂の刈田嶺神社奥宮(標高1758m)までの約17km、標高差1450mの道を歩く、という催しです。 30名の参加者がスタッフとともに、4時30分に集合しました。天気は、雨。暗いうちに、刈田嶺神社里宮にお参りし、出発。ゴールの刈田岳がはるか彼方に見えていました。 テレビ局の記者もまじえて、歩きます。一部はエコーラインを歩きますが、大半は山道。時折、旧跡の解説があったり、休憩しながら、標高を上げていきます。 復元された古道を通り、約5時間で、昼食地点のみやぎ蔵王高原ホテル。途中から雨は上がり、暑くない登山日和になりました。ここで、20人の参加者を加え、50人とスタッフで、11時に出発。 雲海を見ながら、刈田岳・五色岳に向かって、賽ノ磧を進み、三途の川を越え、大黒天に到着。途中には熊さんの落とし物までありました。 最後の刈田岳の登りは、最も急な道ですが、途中、咲いていたコマクサなどに励まされ、刈田岳に2時過ぎに到着。参加した皆さんは、充実感と達成感で、大満足の様子でした。頂上ではお釜も美しい色を見せてくれました。50年前に途切れた御山参り復活の日でした。 地図はこちら 遠刈田温泉のイベント広場で、蔵王権現火祭り大護摩供養が行われました。 蔵王町の名は、蔵王連峰にちなんでつけられたようですが、その蔵王、は、白鳳8年(679年)、大和国・吉野山から役小角が蔵王権現を祀り、修験道の修行の場として「蔵王山」と名付けたようです。 したがって、吉野とは古い縁があり、このたび行われた、大護摩供養も、吉野から招いた山伏たちにより執り行われました。 様々な儀式の後に、火がつけられました。 何百枚の願いが書かれた護摩木が最後にくべられ、大きな火となりました このページのトップへ 前月の記事へ
(C)Akihiko URAKAWA
|