雪かき           2018年1月24日



 2日続けての雪です。家の周りを雪かきしました。駐車場と町道までの80mです。除雪機を使いました。2時間ほどかけて、車が通れる状態にはなりました。




千年杉トレッキングコース再び       2018年1月23日



 昨夜から雪が降りました。久しぶりの雪です。新雪の千年杉トレッキングコースを歩きました。ふかふかの雪が積もっています。前回できなかった、沢に降りる位置にマーキングテープを張り、沢に降りるルートを探しました。途中、熊の爪痕だらけのブナを見ました。




プラハ(7)アムステルダム経由で帰国     2018年1月20日



 1月19日、朝食のあと、宿を出て空港へ。これで予定通り帰国だと思ったら、空港の係員から、パリ経由でなくアムステルダム経由になったとのこと、エールフランスとKLMは系列会社だからこういうこともあるようです。飛行時間は少し短くなりますが、成田到着は20分ほど遅くなります。プライオリティの荷物にはタグをつけてくれました。それと40コルナ分のミールクーポン。アムステルダムまでは、ビジネスクラスの席でした。

 アムステルダムからは普通の席。20日朝9時45分成田着。成田で荷物が早く出てきました。京成のスカイライナーで上野、ここから新幹線で白石蔵王に戻り、帰宅しました。あっという間のプラハ滞在でした。


プラハ(6)リディツェを訪ねる        2018年1月18日



 プラハ滞在も最終日になりました。明日は朝から空港へ出かけ、帰国の途に就きます。

 今日は、プラハの隣の村リディツェ(Lidice)を訪ねました。この村は、プラハ駅から18㎞のところにあり、地下鉄に乗り、バスに乗り換えて約1時間ほどで行ける村です。

 なぜこのリディツェ村か、というと、この村は、昨日書いた、1942年のハインリッヒ暗殺の後、ナチス親衛隊が、村ごと抹殺したことで知られています。

 1942年にハインリッヒが死んだあと、ナチスは激しい報復に出ます。暗殺者と関係のないこの村が文字通り抹殺されます。記録によると、村の173人の男はその場で銃殺され、185人の女は強制収容所に移され、104人の子供は選別され各地に送られました。そしてすべての建物は破壊され、木も切られ、更地にされたようです。

 バスを降りると、モニュメントの建物が見えます。そちらに行くと、博物館があります。現在は、国が管理運営をしているようです。ここには、多くの映像資料でこの事件について解説されています。亡くなった方々の写真や名前もあります。痛ましいのは学校の集合写真です。この写真を撮った2週間後に虐殺は起きています。

 博物館を出て、広々としたゴルフ場のような所がかつての村の跡です。モニュメントがところどころにありますが、何もありません。説明板によると、ここに建物が並んでいたようですが、破壊しつくし更地にしたようです。

 そのモニュメントのひとつに、子供たちの群像があります。この像の由来について、早乙女勝元氏の本によると、女性彫刻家のマリー・ウチチローバさんがその生涯をなげうち子供一人一人の彫刻を残すために石膏で作成したとのことです。ところが銅像にする資金がなかったために一部しか銅像にできなかったとのこと、そのうち彼女はなくなり、石膏のままでは壊れてしまう、という事態の中で、世界各地から支援がされすべてが銅像になり今展示されているそうです。これには、日本の秋田県の方もかかわったそうで、銅像の足元のパネルに書かれています。

 このようないきさつがある村ですが、まだまだ日本では知られていません。今回も、たまたま去年の夏見た映画と、プラハでゆっくり旅をする機会があったので行くことができました。

 うっすらと雪の残るリディツェを後にし、プラハに戻ってきました。昼食はプラハに1件だけあるというラーメン屋でとりました。イタリア人の経営する店だそうですが、しょうゆラーメン、とんこつラーメンと満足する味でした。半熟の煮卵や紅ショウガなど、行き届いています。お値段は、少し高く1杯1500円ですが、材料調達などを考えるとこんなものでしょう。

 それから、ブルタバ川のほとりのスメタナ博物館を訪ね、わが祖国第1章を聞いてきました。対岸に渡り、ケーブルカーで山に登り景色を楽しみました。その後、プラハ本駅に戻り買い物をして宿に帰り、帰国の準備をしました。

 明日は、朝から空港へ行き、パリで乗り継ぎ、土曜日の朝、成田に到着の予定です。






プラハ(5)プラハ市街を歩く           2018年1月17日



 プラハ滞在も5日目になりました。今日は、この間尋ねていない場所をいくつか回りました。

 まず最初は、いくつかに分かれている国立美術館のひとつ、ヴェレトルジェニー宮殿。19~20世紀の美術を扱っていますが、この中に、ミュシャもありますが、印象派の絵画群があります。少し早く着いたので近くにあるラビダリウムという、同じ国立美術館ですが石の彫刻を収めたこじんまりとした建物を見てきました。中に入る時間はありませんでしたが、美しい美術館ということで有名なのだそうです。

 さて、ヴェレトルジェニーのほうですが、宮殿という名とは違い、近代的な建物です。かつては貿易見本市として、またオフィスビルとして使われていた建物で、すっきりとしています。チェコの19~20世紀の作品のほか、印象派やピカソ、クリムトなどの作品を見ることができました。ここには、ミュシャのスラブ叙事詩があるはずなのですが、残念ながら「巡業中」らしくありませんでした。東京の人ごみの中ではなく、本来あるところでゆっくり見たいと思いました。

 歩いてブルタバ川を渡り、次に行ったのは、ユダヤ人地区。かつてのユダヤ人のゲットー(居住地)であった地域で、ナチスドイツの支配時代には強制収容所へ送られ迫害を受けた地域です。シナゴーグ(教会)がいくつも残っていて、それらを見てきました。6つほど建物を回りましたが、印象的だったのは壁一面に小さな文字が書かれたシナゴーグ。一つ一つは信者名、誕生・没月日が書かれています。1942~45没が圧倒的。スペインシナゴーグ横には、奇怪なデザインのフランツカフカの銅像。カフカは昔読んで、その不思議な世界に驚きましたが、ルーツはここだったのです。

 それから旧市街の中心広場に行き、ティーン教会に行きましたが残念ながら休み。

 そのあと新市街地の、聖キリル・メトディウス教会に行きました。ここは、ナチスドイツに対するチェコのレジスタンスの隠れ家として名を知られています。

 この夏、仙台の映画館でたまたま「ハイドリッヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」という映画を見たのです。その時には、この話がここの教会での出来事だとは全く知らず、またプラハに来るとは思ってもいなかったのですが、旅行に来ることになって調べてみるとまさにここのことでした。

 1942年にナチスドイツ親衛隊のトップでホロコースト推進者のラインハルト・ハイドリッヒを暗殺したレジスタンス活動家が、ナチス親衛隊により殺害されたのがこの教会の地下礼拝堂であったのです。現場は今「ハイドリッヒ暗殺の英雄国立記念館」となっており、訪れてみると、最後まで抵抗して死んだ7人のレジスタンス兵士の記念館になっています。その弾痕の残る礼拝堂もそのまま保存されています。SS(親衛隊)はさらにその報復として活動家の拠点とみなしたリディツェ村の男性の住民を虐殺し女子供を強制収容所に送った、という話が続くのですが、それはまた。

 この日の最後に時間ギリギリに、ドボルザーク博物館を訪れました。小さな建物ですが、楽譜や楽器が展示され、数分ですが、オーディオスペースで新世界第4楽章の澄んだ歌声をを静かに聞くことができました。

 かくして今日の行動は終わり。駅で買い物の後、宿の近くで夕食をとり、宿に戻りました。長いように思えたプラハ滞在も明日が最後となってしまいました。






プラハ(4)古都ドレスデンを訪ねる           2018年1月16日



 プラハ滞在4日目は、うっすらと雪。プラハから約200㎞離れた、ドイツのドレスデンへの小旅行。プラハからユーロシティの特急で2時間15分、往復7500円くらいかかります。列車は、エルベ川に沿って、下っていきます。途中、寄生木だらけの木も。

 このドレスデンという街は、ザクセン王国の首都として昔から栄えたところですが、その後プロイセンの一部となり、ドイツになります。第1次大戦後のナチスの台頭、そして敗戦、特に1945年のドレスデン空爆によって徹底的に破壊されます。その後は、東ドイツに組み入れられ、1990年のベルリンの壁崩壊後、現在に至ります。

 旧市街には、その後再建された建物があります。フラウエン教会も最近再建されたもので、古い材料と新しい材料の対比がくっきりとしています。

 この日火曜日は、ドレスデン城はお休み、ツヴィンガー宮殿のアルテマイスター美術館も1週間の冬の休業、数学物理学博物館も同じで、残念でした。特に、ここには数少ないフェルメールがあったのですが・・・。

 雨模様の中を旧市街を歩きます。有名な、君主の行列という壁画は破壊を免れたものだとか。ツヴィンガー宮殿では、陶器美術館だけが営業していました。ここは、陶芸で有名なマイセンに近く、その陶器製造のもとになった、中国や日本の陶器コレクションが数多く展示されています。[IMARI]という有田焼もたくさんありました。名も知らぬ陶工たちの作った東洋の陶器が西洋陶器に影響を与えた、という歴史を思うと、感じるものがあります。

 新市街と旧市街を結ぶエルベ川にかかるアウグストゥス橋は改装中ですが、橋の上からの旧市街は「百塔の街」と呼ばれたドレスデンの姿をほうふつとさせます。

 広々した新市街で昼食後、ザクセン民芸博物館で昔の生活に触れ、ノイシュテッターマルクトハレという市場を見物しました。2階建ての建物に、いろいろな店が集まっています。

 その後トラムで旧市街に戻り、市立博物館でドレスデンの歴史などを見ると、夕方5時。列車でプラハに戻りました。






プラハ(3)テレジンの町を訪ねる         2018年1月15日



 プラハ滞在3日目は、プラハから約60㎞離れた、テレジンという町を訪ねました。この町は、第2次世界大戦中にドイツのユダヤ人強制収容所があった町で、日本でも少しは知られてきました。

 チェコスロバキアは、大戦の始めにドイツに併合され、ナチスドイツの政策であったユダヤ人の隔離・虐殺の舞台ともなりました。最終収容所としてのポーランドにあるアウシュビッツは世界に知られていますが、このアウシュビッツに至る中継収容所の一つがこのテレジン収容所であったのです。ここでは、数万人のユダヤ人が収容され、その多くがこの地で命を失い、またアウシュビッツへ送られていきました。そういう歴史の舞台であった場所です。

 プラハのホロショビッツ駅のバスターミナルから約1時間で、テレジンに着きます。ここには、大要塞と小要塞と呼ばれる2つの要塞跡があります。この要塞は、ハプスブルグ帝国時代にオーストリア兵が作った要塞で、そのあと、要塞に住んでいたチェコ人を追い出しユダヤ人収容所に変えたようです。小要塞は刑務所として、チェコ人政治犯(ナチスに反対する人々)やユダヤ人を収容し、大要塞は、ユダヤ人のゲットー(居住地)として各地のユダヤ人を連れてきました。

 もともと6000人が生活していた町へ9万人のユダヤ人が連れ込まれ、劣悪な条件の生活のもとで数万人が亡くなり、また数万人がアウシュビッツに送られ命を落としたとのことです。

 それらを物語る施設が今もなお保存されており、先の戦争とは何だったのか、そしてそのあとを引きずるように持っている世界の問題について考えさせられます。

 ここには、小要塞跡のゲシュタポ刑務所跡の建物が保存されています。その入口には、国営墓地が営まれています。有名な「Albeite Macht Frei」と書かれた門もあります。

 また大要塞の跡は現在3000人が暮らす街になっているようですが、現在、ゲットー資料館とマグデブルグバラックでその当時の資料を見ることができます。

 実は、18年前の夏にプラハを訪れたときにここを訪ねているのですが、それから約20年風化させないという思いが伝わってきました。ここを訪れている若者たちの姿を多く見かけました。

 バスでプラハに帰り、時間があったのでドボルザーク博物館に行きましたが、残念ながら月曜日で休み。近くの有名なビアホール、ウ・カリハでビールを飲んで戻りました。






プラハ(2)プラハ城と市民会館見物         2018年1月14日



 プラハ滞在2日目は、丘の上にあるプラハ城とガイドツアーでしか見られない市民会館の見物です。

 今日は、地下鉄とトラムを使って移動します。プラハでは、地下鉄、トラム、バス、ケーブルカーが共通チケットで乗れます。日本の大都市、東京や大阪では、いろいろな会社が入り乱れ、外国人にとっては大変だったでしょうか、最近はスイカやパスモにより、少しは改善されたと思いますが、都市交通は基本的にこうありたいものだと思います。ただ、切符の買い方については、この街の自動販売機はコインしか受け付けないようで、この点不便です。中央駅の窓口ではカードも使えるので、少し割高になりますが、1日券110コルナを買いました。5回乗れば元をとれますが、切符を買う手間を考えると、こちらの方が便利です。

 さて、中央駅から地下鉄に乗り、次のミュージアムで乗り換えです。乗換駅に行ってみると、行きたい方のプラットホームは工事中でありません。この区間だけ単線運用しているのかな?でもな・・・と考えているうち、反対方向の電車が来ました。見送って次の電車を待つとまた同じです。

 ホームを歩いていると、看板があり、疑問は氷解。ひとつ前の駅に戻り、そこで乗り換えろ、と書いているのです。いろんな都市で地下鉄に乗りましたが、こんなのは初めて。でも、皆さんわかっているようで、反対行の電車で一つ戻り、そこから目的方向の電車に乗り換えています。乗換駅は通過です。東京でこんなことをしたら大混乱になりますが、ここでは、普通になっています。

 何はともあれ、プラハ城宮近くの駅に着き、カレル橋の袂から坂を登って丘の上をめざします。丘の上にあり、眼下にプラハの街並みが広がります。ちょうど10時の衛兵交代に間に合いました。数分眺めた後、中に入ります。まずセキュリティチェック。そのあと入場券を買います。入れる施設の数によってA,B,Cと3種類の券があります。ただ、去年5月に出た地球の歩き方の説明と違っています。説明板にも最近いくつか変えたようで施設名の上に紙を貼っています。B券を買いました。65歳以上はシニア割引きがあります。

 日曜日なので、聖ヴィート教会は12時から。他は、聖イジー教会と黄金の小道に入れます。聖イジー教会は、10世紀ごろの建物だそうで、古さを感じます。また、黄金の小道は昔の職人たちの住まいだったようで、小さな家が連なっています。入口は小さく低く、半分はお土産屋さん(現代の職人たちの店)残りは、かつての姿が見られるようになっています。ここには、カフカの仕事場があったそうです。

 2時間ほどぶらぶらし、12時になったので、聖ヴィート教会に入ります。外観のすごさもそうですが、中に入ると、とても大きな教会です。有名なミューシャのステンドグラスは入って3番目。周辺を青で暗くし中央が明るいステンドグラスです。

 その後トラムの駅まで歩き、トラムで丘を下り地下鉄駅で乗り換えます。乗換駅で昼食。牛肉のグラーシュとビール。これで1500円くらいです。

 地下鉄を乗り換えて、市民会館へ向かいました。ここは、中に有名なスメタナホールがある施設です。ガイドツアーに参加するしかないところで、2時半のチェコ語のツアーに参加。もちろんチェコ語は全く分かりませんが、日本語のパンフレットを貸してくれるので、それぞれの部屋の見るべきところはわかります。別に写真撮影の許可が55コルナ、275円。  スメタナホールは、まさにびっくりのホールです。天井に明り取りの楕円の窓があり曲線で構成されています。正面のオルガンは巨大で、スメタナが飾られています。周辺の装飾も彫刻、絵画とも立派です。木の椅子が整然と並んでいるのも印象的でした。

 そのあと、ホールの周辺に配置された部屋を見ていきますが、どの部屋も、素晴らしい装飾がされています。かつてナチスの占領下にあったときは、あまりの華麗さ故、冷遇されたそうです。

 最後の市長の間がミューシャにより装飾された部屋で、8角形の柱にある8人の人物が、この国の精神を代表するものとして描かれています。周りの装飾も見事です。いろいろとびっくりした1時間余りのツアーでした。

 終わると4時近く。もうすぐ日が暮れる時間です。中央駅に行き、買い物をして宿に戻りました。夕食は、買ったサンドイッチとビールとワイン。スーパーでビールを買うと500mlの缶が10~30コルナ(50~150円)でかえますし、チェコ産のワインは100コルナ少し(550円)で買うことができます。ビールは、酵母の香りが豊かです。また、町のレストランでも50コルナ(250円)くらいで飲め、コカ・コーラやミネラルウォーターより安いくらいです。






プラハ(1)旧市街見物           2018年1月13日



 チェコ共和国プラハに来ています。

 昨日、12日の昼頃、成田空港をエールフランス機で飛び立ち、パリ経由でプラハ空港に着いたのが昨夜8時、この日は、時差8時間のためホテルに入ると、バタンキューと寝てしまいました。

 今朝、ホテルの豪華な朝食。今回は、珍しく、プラハ駅からすぐそばの4つ星ホテルです。交通の便もよく、部屋も広く、朝食も豪華、というところに泊まれるのも、今のシーズンならではのこと。

 プラハには18年前の1990年に来たことがありますが、当時は「ビロード革命」の翌年で町にみなぎるものが感じられました。アルプスの山登りの後、ドイツのニュルンベルクから夜行列車で入りました。国境には、銃を持った兵士がいて、夜中の寝台列車の乗客を一人づつチェックしていました。その当時は、ビザが必要で、東京のチェコスロバキア大使館でビザを申請しました。パスポートにスタンプを押してもらい、書類と一緒に渡されました。渡された書類を申請用の書類と思い、家に置いてきてしまったのですが、その書類こそ、ビザだったのです。国境で降ろされる、と覚悟をしていたのですが、パスポートを見せ、東京で申請した、と英語で話すと、しばらくして、白紙の用紙を持ってきて「書け!」ホッとしましたが、その緊張感は忘れることができません。民主化以前なら、このようなことはなかったと思います。今では、フランスで乗り換えるときに、EUの入国審査があり、何も聞かれずスタンプを押されて終わり、プラハの空港では何もありません。これがこの20年間の変化です。

 今日は、歩いて旧市街を回りました。前回は、3泊したのみであわただしい旅でしたが、旧市街は回っていましたので、あまり変わっていない姿に懐かしさを感じました。

 宿を出て、3分ほどでプラハ中央駅。そこには、スーパーをはじめいろいろな店がありました。続いて、国立博物館へ。途中のオペラハウスは改装中のようでした。博物館は、新しい建物ができており、これまでの建物は修理中でした。博物館の前がバーツラフ広場です。ここは、「ビロード革命」でも重要な役割を演じた広場で、前回来た時には、多くの花束がささげられていた記憶があります。今では、商業施設が軒を並べる、プラハの繁華街といった趣です。

 広いこの通りをまっすぐに抜けると道が狭くなり、旧市街の広場に着きます。こちらは昔の姿と変わらないのですが、名物の天文時計がある市庁舎が改修中で、時計も動いていません。

 塔にも足場が組まれていますが、中に入ることはできて、2人で500コルナ払い塔に登ります。前回は、塔には登らなかったのですが、行って見ると塔の中には近代的なエレベーターが設置され、あっという間に上まで連れて行ってくれます。塔の上からは、プラハの町が見渡せます。圧倒的なのは、オレンジ色の瓦の屋根と、あちこちに見られついろいろな形の塔です。尖ったのあり、膨らんだのあり、作られた時代を代表する形の塔であり、この街が「百塔の街」といわれる所以です。驚いたことに、上に登ると、そこにいた係の女性に日本から来たのかと聞かれ、そうだと答えると、「日本のどこからですか」と日本語で話しかけられました。伺ってみると彼女は、大学で日本語を学んだそうで、日本には来たことがないそうです。あとで調べてみると、プラハのカレル大学には、日本語学科があり、数十人が日本語を学んでいるようで、この国における唯一の日本語教育機関だそうです。彼女には、「ぜひ日本に来てください。」といって別れましたが、もっと積極的な働きかけもあったのかもしれません。

 そのあと、カレル橋まで歩き、ヴルダヴァ川(ドイツ語でモルダウ川)を渡りましたが、さすがに川風の冷たいのを感じました。観光客の多さは、夏ほどではありませんでしたが…。王宮は明日行くことにして、旧市街に戻り、お土産を買いながらいったん宿に帰り一休み。その後、昼食。レストランでは、ボリュームたっぷりのシュニッツェルと安いビールに驚きました。

 午後はミューシャ(チェコではムハ)美術館、市民会館、国立博物館を回りました。ムハ(ミューシャ)が晩年を過ごしたこの街での作品、スラブ叙事詩の連作を、昨年夏東京で見ましたが、ゆっくりプラハで見たいと思いましたが、建物の建て替えのため、「巡業」に出ているようで、こちらでは見られないようです。数年後来ることができたら…という夢になりました。

 国立博物館は、新館のモダンな建物ができていますが、展示は一部だけのようです。せっかくの大きな建物も、見られるのは一部分のようで、不完全燃焼です。

 その後、プラハ駅で買い物をして、本日の行動を終えました。ビールやワインのことは後日書くつもりです。






千年杉トレッキングコース             2018年1月9日



 強風の中、千年杉トレッキングコースを歩きました。えぼしスキー場では、虹がかかっています。雪は、年末降ったきりで、ずいぶん少なくなっています。ブナ林に入ると、風は嘘のようになくなります。

 雪の上にはブナの実が落ちています。去年の秋は、あまり見かけませんでしたが、やはり少しは実ったようです。くっきりとヤマドリの足跡も残っていました。




バードケーキ               2018年1月5日



 冬は、野鳥たちにとっては、雪におおわれて食べ物探しが大変な季節です。我が家のえさ台のヒマワリの種は。シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラなどが食べに来ますが、今年は、バードケーキを作ってみました。

 バードケーキは、小麦粉とその半分の砂糖をラードで練り合わせて作ります。それを、松ぼっくりに中に入れてつるしました。初めの2日間は食べませんでしたが、1羽のシジュウカラがつつき始めました。そうすると、次々とやってきて、1日でほとんど全部食べてしまいました。不思議なことに、一緒にヒマワリを食べているヤマガラは食べません。また、アカゲラなども食べるはずですが、姿を見せていません。

 もう少し気長に作って観察しようと思います。




正月 ヤマドリとアカゲラ            2018年1月1日



 また新しい年を迎えました。2018年です。今年は、年末から、娘一家が滞在しているので、蔵王の家で年末年始を過ごします。

 新年初日は、朝から庭に珍しいお客さん。ヤマドリ夫婦とアカゲラです。どちらも、太陽を正面に見ての逆光の位置で撮ったので、あまりいい出来ではありませんが、来訪者の姿は捉えています。(ヤマドリは1羽のみ)

 後でヤマドリのいたところへ行ってみると、足跡が残っていました。アカゲラは何本かの木で、何やらエサ探しでした。常連のシジュウカラ・ヤマガラももちろん来ています。年末に作った、「バードケーキ」も少しづつかじった跡があります。

 朝食ののち、刈田峰神社に歩いてお参りしました。山形側から雪雲が押し寄せていますが、こちらは晴れ間もある、穏やかな天気です。








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