2月2日(木)
DAY28
ケープ岬・ドレーク海峡クルーズ
≪荒れるホーン岬≫
南極を後にして、ドレーク海峡(Drake Passage)を一路北に、ホーン岬・南アメリカに向かって航海。ここは、昔からの航海の難所で、配布された「Cape Horn Certificate」(ホーン岬証明書)によると、”particularly hazardous, owing to strong winds, large waves, strong current and icebergs; these dangers have made it notorious as a sailors’ graveyard.” と書かれている。
「特に危険な、強い風、高い波、強い海流、そして氷山。これらの危険により、『船乗りの墓場』として悪名高い場所である」
この名の通り、明け方から船は揺れはじめ、ピッチング(縦揺れ)やローリング(横揺れ)が始まった。低い雲が立ちこめ、ときおり強い雨も混じる。
6時50分に起き、日課のウォーキング。ただし、プロムナードデッキは立ち入り禁止。2度ほどスポーツデッキ、スカイデッキを通ったが、ものすごい風(51ノット)。実は、aft(船尾)側の出入口にも外に出るなと書かれてあった。3度目からは、外に出るのはあきらめて船内をforward(船首)側の階段をデッキ1からデッキ9まで登り、通路を通り、aft側の階段をデッキ1まで降りるという「indoor」のコースで歩いた。
ちなみに、船の用語をいくつか。船首・舳先はbow、船首はforeまたはforward、船尾はaft、船尾・ともはstern、左舷はport、右舷はstarboardという名がついている。昔、荷の上げ下ろしは左舷で行い、舵を取る(star)板(board)は、昔の帆船は右舷に突き出たオールで舵を取ったかららしい。
ウォーキング後、シャワーと朝食、その後第3回の洗濯。汗をかくたびに風呂で洗って干していたので必要もないが、洗剤で洗うのもたまにはいいかと。2$を8枚の25セント硬貨に両替してもらい、ランドリールームで洗い、乾燥。この前の伝染性胃腸炎GIの時期には一時期、ランドリーも停止されていた。船という閉ざされた環境での伝染性疾患の流行に対しては、徹底的に対処したその一つだ。今は、前と同じ状態に戻っているが。
昼になり、ホーン岬に近づくにつれ、揺れは一層ひどくなってきた。食堂では、傾いて皿が落ちて割れたりしている。
これまで、南米と南極の間はなんとなくマゼラン海峡が分けていると思っていたが、ここに来て、こういう関係になっているとうことがわかった。
南米大陸−(マゼラン海峡)−フエゴ島−(ビーグル水道)−ナバリノ島オステ島ウラストン諸島ホーン島【ホーン岬】−(ドレーク海峡800km)−南極
地図で見ると、マゼラン海峡は細い水路で、途中にプンタアレナス(チリ)がある。また、ビーグル水道の途中にはウシュアイア(アルゼンチン)がある。ホーン岬は、遙か800km先に南極がある。パナマ運河開通前は、このいずれかの海路が交易のためのルートだった。どこを通ることができるのかは、船乗りにとって死活問題だったのだろう。
午後になり、ホーン岬を回ると、波は次第に収まってゆき、リッチモンド水道に入ると、風は多少あるものの、船は全く揺れなくなった。ここを通り、ビーグル水道(Canal Beagle, Beagle channel)に入る。両側の陸地も近づき、穏やかな海を進んでゆく。この水道は、アルゼンチンとチリの国境になっている。
夕食時には、静かな海を見ながらの食事であった。スモークサーモンの前菜、ターキーのスープ、鱈のソテー。
このまま船は進み、明朝、世界で最も南にある町、ウシュアイアに接岸する。
13543歩