4月7日(土)
DAY92
スエズ運河通過
≪いよいよ地中海へ≫
今日はスエズ運河通過。
6時起床。体調まずまず。1日休みが効いたか。大事を取って、階段歩きトレーニングはやめ、プロムナードデッキをゆっくり歩くことに。
船の方は、6時から、スエズ運河の航行開始。日はすでに昇っている。
スエズ運河については、小学生の頃、フランス人のレセップスが作ったという伝記を読んだことがある。遠い世界の話だと思っていたのだが、目の前にあるのがそれだ。イギリスが管理したりエジプトが独立したり、中東戦争で何年か通行不能になったりと、国際紛争の影響に翻弄され、現在では、アラブ原理主義のテロという問題を抱えている地域である。運河沿いに、警備の兵士がいる。
南側のスエズの街から約160km先の地中海側ポートサイドまでを結んでいる。スエズ運河は、10数隻でコンボイ(船団)を作り航行する事になっているとかで、本船はこのコンボイの先頭で一方通行の運河を進んでゆく。速度は7ノット(13km/h)のゆっくりした速さだ。
すぐ後ろには、(1マイル離れているそうだが)日本郵船(NYK)の貨物船。その後にはコンテナ船と続いている。運河の幅は160〜200mだそうで、この船が通ると、岸がすぐそばに見える。
船には、パイロット(水先案内人)が乗船し、また待ち合わせで係留する必要があるときのために、ボートが2艘(6人のボートマン)がつり下げられている。ボートマンたちは、本業があろうとなかろうと乗船し、「副業」に土産物を船内で売っている。パイロットも、スエズ港、運河南半分、北半分、ポートサイド港と担当する4組が順に乗るそうである。
運河をしばらく進むと、湖に出る。この運河は3つの湖をつなぎ作られており、この湖と、途中一カ所のバイパスを使って北行きと南行きの船がすれ違うようになっているとか。
運河の西側(アフリカ大陸側)には、町があり、緑が多い。椰子の木が茂り、畑も見受けられる。また、送電線の鉄塔や、鉄道線路もある。それに対して、東側(シナイ半島側)はほとんど荒れ地(砂漠)で、建物もほとんどない。時々見張り場所の小さな建物がある程度。運河によって東西は分断された格好。水がないとこの地域では住むことができない。灌漑設備の差でこのようなことになっているそうだ。
昼前、湖に着く。南行きの船が待っているのにすれ違う。中に、ピースボートの白い船も。また、湖には、魚取りの小舟が浮かんでいる。
所々に、渡し船の波止場があり、船が通過した後、さっと渡している。
イスマイリア(Ismaillia)を過ぎた頃、大きな橋が見えてくる。橋の真ん中に、赤色は薄れてはいるがエジプトと日本の旗が描かれ「「Mubarak Peace Bridge」(ムバーラク平和大橋)その下に「Japan - Egypt Friendship Bridge」と書かれている。現エジプト大統領ムバーラクから名づけられ、主橋梁部は日本政府の無償援助で建設されたのでこの名がついたそうである。
船は時速13kmのゆっくりした速度で進み、9時間後の午後3時に、ようやく地中海側ポートサイドの街が見えてくる。
パイロットを収容した船がパイロットの船溜まりに戻ると、いよいよ地中海。
船は、17ノットに速度を上げ、ギリシャのピレウスへ。
今日はフォーマル。アラビアンナイトと称したテーマで、アラビア服の紳士淑女多数。
食べたものは、エスカルゴ、ミネステローネ、ロブスター。
13377歩