キリマンジャロ登山記
1992.8.12〜18


頂上氷河と雲海(43KB)

  8月12日
 8:30、ナイロビ・ヒルトンホテル前から、タンザニア行きのシャトルバスが出る。これは、ナイロビの旅行会社(ササモト)が手配したものである。 タンザニアのアルーシャまで行く。ナイロビ在住の弟と2人である。 バスは、日本のどこかで使われていたマイクロバスで、入口に「自動扉」と書かれたままである。もっとも、読める人間はほとんど乗らないのだが。 他のタンザニア行きの交通機関は、長距離バス、プジョーまたはマタツー(乗合小型バス)がある。(料金は、一人往復1000Kshであった)
 バスは8:40に、向いのアンバサダーホテル前で客を乗せ、ドライバーと乗客(白人7人黒人1人そして我々の)10名で出発。 朝のラッシュのナイロビ市内を出て、ケニヤッタ国際空港の脇を通るモンバサ・ロードを経て、タンザニアとの国境の町マナンガへと走る。 サバンナバスからジラフ(20KB)バスからジラフ2(30kb)の中をまっすぐに延びる道路を100q/h 以上の猛スピードで走る。ところどころ、舗装がはがれていても、ビュンビュン走る。 万事”ポレポレ”(スワヒリ語でゆっくり)のこの国で、自動車だけは、恐ろしく早く走る。途中、トムソンガゼルなどの姿が見えるところが、アフリカらしい。 また、この道沿いはマサイの人々が住んでいる地域で赤いチェックの衣を身にまとったマサイの人々が牛や羊、ロバを追いながらサバンナの中を行く。 アカシヤやバオバブの木がある。草は、乾期のせいか緑色をしていない。
 11:05出発後2時間少しで国境の町マナンガに着く。ケニヤ側で出国手続きをするが、イミグレーション付近は、マサイのみやげ物売りがバスに群がり、 タンザニアシリングと両替をしないかというヤミ両替屋のチェンジマネーの兄ちゃん達がたむろしている。とにかく、何でも声をかけてくる。 また、食べ物やみやげ物を売る小さな店がずらっとならんでいる。出国カードを埋め、パスポートとともに見せると、顔も見ないでスタンプを押し、終わる。 記載不完全なものはいろいろいわれている。また、字を書けないアフリカ人のものは、問答し書き込み、サインだけさせている。 乗客が揃ったところで、バスはゲートをくぐり、タンザニア側に入る。ケニヤ側と比べて、もの売りもいず、静かである。似たような国でありながら、差は激しい。 こちらも、手続きは、簡単に終わる。しゃべることは、「8days.Sightseeing」だけである。なお、通貨申請制度は、この4月から廃止されたそうである。
12:00国境通過。タンザニアの道を走り始める。途中キリンが何頭か道路沿いにいて、一時停車し、写真を撮る。サバンナの中の道をどんどん進む。バスからメルー(20KB)バスからメルーとマサイ(30kb)
12:20メルー山とキリマンジャロが遠くに見える。キリマンジャロは頂上の雪が白くうっすらと見えている。こちらでもマサイが牛を追っている。 時々道路に牛がいて、それを避けるために一時停車する以外は、びゅんびゅん走る。
1:10マントメルーホテルに着く。ここは、タンザニア第2の町アルーシャのはずれにある。 正面にメルー山(Mt.Meru 4556m)を望む、静かな、立派なホテルである。 メルー山は山頂部が大きく崩れた火山で、もし崩れてなければ、キリマンジャロより高いかもしれない位の大きな山である。ホテルで昼食を取る。 この食事は、スープ、チキンと野菜で、10$。ビールは2$で、日本円にすると1500円くらいだが、地元の人たちにとってはものすごく高い昼食である。 鶏肉が日本に比べとてもおいしい。そういえば、どこでも村には鶏が放し飼いにされている。日本人の団体が食堂に入ってくる。
 2:20 旅行会社で手配された自動車(プジョー)でモシに向かう。1時間ほどでモシに着く。 YMCAの前に来ると、登山ツアーの客引きが来て、安くツアーをアレンジするという。話を聞くとまともそうなので、事務所に行く。 キリマンジャロ・トラベル・サービスという立派な名だが、事務所は普通のせまい民家で、日本の旅行会社のイメージとは程遠い。 結局、ガイド、ポーター、食事、入山料、宿泊料、レスキュー費用、移動の手配など全部で一人当り300$で契約する。契約書も手書きであった。 この他にも、小さなツアー会社がモシにはいくつかある。今日泊まるホテルを斡旋するというので行ってみたが騒がしそうなのでやめて、YMCAに泊まる。 YMCAは二人部屋で13$であった。モシのYMCA(37kb)モシから(35kb)モシのロータリー(37kb)
 YMCAの前は、ロータリーになっていて、真ん中にちょっとした公園のようなものがある。公園の真ん中には、銃を持った兵士の像がある。 ここから、キリマンジャロは正面によく見える。
 荷を置いて町に行く。両替しようと銀行に行ったが、閉まっていた。街頭では、ヤミ両替屋が、チェンジマネーとうるさく声をかけて来る。 はずれて元々、当たれば大儲け、という感じなのだろうか?ヤミ両替屋については、いい話を余り聞かない。 だいたい、汗も流さず、金を取り替えるだけで大儲け、と言うのは、まともな商売ではなさそうだ。 銀行は閉まっているので町で一番大きいモシホテルのフロントで、両替する。 はじめレートを聞くと、いかめしい革ばりのノートを見せて公式レート1$=320TSH(タンザニアシリング)という。 「本当?」というと、紙に350,375と書いて、上げてくる。375で、手を打つ事にしたが、現在、1$=400SH位が実勢のようだ。 TSH<KSH<US$の順で通貨が強くなっており、ドルやケニヤシリングをほしがっている。高額紙幣が500SHなので50$も替えると、札束になってしまう。 キリマンジャロがよく見えている。どっかりと、大きく、上の方は白い。文字どおり snow capped である。モシの町のどこからでも見える。モシからキリマンジャロ
キボホテルで夕食にする。古いエレベーターで、自分で入口のフェンスを閉める方式だ。 ガタンゴトンと3階まで上がると、ガランとしたところに、テーブル、椅子がおかれ、テレビが音楽番組をやっている。 ミックスグリルとビールとサモサ(カレー味の揚げ餃子のようなもの)2人分で計2410TSH(約800円)。これでも地元の人には高い夕食である。 日が没み、キリマンジャロが夕暮れの中に見える。YMCAに戻る。シャワーは水しか出ない。蚊がいるので、蚊とり線香をたいて寝る。 南側の部屋は、道路のランドアバウトに面していて車で騒がしい。夜中に何度か目が覚めた。


 8月13日

 6:30起きる。気温20゜C朝食は7:15から始まる。薄いコーヒー、パン、卵2個分のスクランブルエッグである。 荷をまとめてチェックアウトし玄関で迎えの車を待つ。約束の8時30分を過ぎても来ない。 20分ほど待って、ついにキリマンジャロトラベルサービス(KTS)の事務所に行く。抗議するとあわてて車を回し、荷物を積み込み、事務所の前に戻る。 事情の説明はない。ボロボロのベンツに乗り込む。ガイドとポーター1人、客2人、ドライバーの5人で、9:20出発。 ベンツとはいっても、何年前のかわからないほど程度の悪い車である。フロントガラスはひびが入り、苦しそうに走る。いつ止まってもおかしくない。 「腐っても鯛、腐ってもベンツだけど、これは・・・・」モシから約1時間、麓のマラングに着くころは坂は急になり、あえぎながらベンツは進んでいる。
10:25マラングゲート到着。ゲートには、職を求めるポーター達がたくさんいる。雨が降り始める。入山届を書き、パーミッション(許可書)をもらう。 これに、宿泊許可など書き込まれている。
11時手続き終了。昼食を取る。この食事から、ツアーに含まれる。袋に入っていたのは、サモサ、オムレツバーガー、バナナ、オレンジである。
 12:00出発。このころ雨が上がる。木の繁るジャングルの中を道は延びている。大きな木には、宿り木のようなものが巻き付いている。 はじめは、車が通れる広い道である。ゆるやかに登って行く。大きな荷はポーターに任せ、サブザック一つの、「大名登山」である。途中、猿を見る。 1:45小川を渡る橋。川沿いのルートとの合流点である。ここより、山道となる。 このころガスが出て来る。ひと登りして、2:30に本日の宿泊地マンダラハットに着く。気温12゚C。標高2700m。
 マンダラハット(MandaraHuts)は、樹林の中に、三角屋根の小さな建物(ハット)13個と大きな三角屋根の食堂、炊事小屋、水洗トイレ、古い小屋などがある。 レセプション(受付)でパーミッションを見せると、ハットが割り当てられる。我々は7号室(M7)であった。 この小屋は一棟に2部屋あって、各部屋には4つのベッドがある。我々は、東京からきた夫婦(名は失念した)と同じ部屋であった。 奥さんの方が上のホロンボハットで気分が悪くなり降りてきたそうである。 東京のアルパインツアーサービスという会社のキリマンジャロ登山ツアーで来たとの事であった。少しぶらぶらして、近くのマウンジクレーターまで行くことにした。
15分ほど登ると、クレーターに着いた。直径100m程の、小さな火口である。ガスがかかり、遠くは見えない。ぐるりと一周して20分くらい。 10分程下ると、マンダラハットに戻る。戻ると、ポーターのドナティがティーの準備ができているというので、ティーにする。 紅茶に砂糖とミルクをいれ、ビスケットをつまんで飲む。それからしばらくして、6:50から夕食。食堂では、様々な言葉が飛び交っている。 英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語その他。
メニューは肉のスープ(コンソメ風、うまい)次に、焼肉・じゃがいも・キャベツとにんじんを炒めたものの大皿が出る。それぞれ、取って食べる。 じゃがいもが少し固い。次に、ティー。この夕食から、スイスのジュネーブからきた学生ドミニックと我々の3人パーティーであることがわかる。 食事後8:00に寝る。上段のベッドに寝たので、少し短く、足が伸ばせない。


 8月14日
 登山第2日である。6:00ころ、まわりが騒がしくなり、6:30起床。7:00朝食。 メニューは、アボガド半個、ティー、パン、マーマレード、メイズのオートミール、焼肉・トマト・卵焼きの皿、である。 とうもろこしのオートミールは、いただけない。一応コースなのだが、忘れたころ次を持って来る。ランチの袋を受け取り、荷をかたづけて、8:40出発。 今日は、マンダラからホロンボまで11キロの道である。標高差1000m。
 樹林の中を行く道と、クレーターの近くを通る道があり、前者は少し急だが短い。こちらの道をとる。9:10歩き始めて30分で二つの道は合流する。 この辺りで樹林は終わり、草原になる。少し行くと、ひらけてきて、キボ峰とマウエンジ峰の頭が見えて来る。時々雲がかかるが、よく見える。
10:00過ぎ、少し休む。道はゆるやかに、ゆっくり登っている。そろそろ高度障害のことを考えなくてはならないので、必要以上にゆっくりと登ることを考える。 汗をかかず、息が苦しくならず、疲れない、というのを絶対の原則として、ゆっくり登る。どうせ今日はホロンボハットまで行くことしかすることはない。 日暮れまでに着けばいい。スワヒリ語の「ポレポレ」(ゆっくり)である。
10:45ポイント3182m。北岳と同じ高度である。 11:30昼食。朝もらったランチは、ピーナツバターのサンドイッチ、ゆで卵1個、オレンジ1個、バナナ1本である。15分で食べ終え、出発。 12:55 KAMBI YA TAABE 3485m1:15に水場を通り、2:00ホロンボハットに着く。靴の調子が悪く、左のかかとが当たっている。心配だ。
 ホロンボハット(Horombo Huts)は 標高3785m。富士山とほぼ同じ高さである。 ケニヤ山での高所経験のトレーニングのせいか、意識してゆっくり行動してきたせいか、全く高度障害を感じない。 ホロンボハットは、登り・下りに使う山小屋で、マンダラハットの2倍位広い。が、今日は客が多く、テントで寝る者も出る様子である。 レセプションにパーミッションを見せ、部屋の割当を受ける。27号室(H27)である。 この建物は、外観は同じ三角屋根だが、古い形で、1棟に中央の通路をはさんで12個のベッドがある。鍵をもらって荷を置く。 後から、南アフリカから来た男2女1の白人3人、イタリア人らしい男4人が入る。このハットからは、キボ峰・マウエンジ峰が見え、反対側は、雲海が見える。 4:20ティー。夕暮れの景色を見ているうちに5:00に夕食。メニューは、野菜スープ、次に鶏肉・じゃがいも・パスタ・にんじんとキャベツの炒めものが出る。 こちらにきて思うのは、鶏肉がとてもおいしいことである。デザートはオレンジ、最後にティーが出る。食事後、外に出る。夕暮れの雲海が美しい。 日没、6:30。すぐ寝る。夜中に、空いているベッドに3人来る。気分が悪くて、キボハットから降りてきたとのこと。せっかく寝入ったところを起こされる。 その後、何度か目を覚ましながらも、眠る。明け方寒くなる。


 8月15日
 6:30起きる。水道が凍結して、水が出ない。7:30朝食。 パン・チーズ・マーマレード・ピーナツバター・ティー・オートミール・ゆで卵だが、オートミールは3人共にパス。 富士山とだいたい同じ標高だが、気温は日向で7゚C。ホロンボハットには、小さいねずみが住み着いており、チョロチョロいきかっている。 また、食べ物を狙って小さな鳥もいる。
 8:50出発。今日も、標高差1000m約11キロの道のりを一日かけて歩く。すでに富士山と同じ高さだから、ゆっくり、汗をかかず、息が苦しくならない早さを意識して歩く。道は、上の道と下の道に別れてい るが、上の道とはマウエンジの方を回ってキボハットに行く道のようだ。下の道を通る。
天気は快晴で、雪のキボ峰がずっと見えている。 昨日の日焼けで首筋と顔がひりひりしている。この辺りは、ジャイアントヒースという草とロベリア・ディッケニという小さいシュロの様な木が茂っている。 9時35分にはMAUWA RIVER(「花の川」の意3940m)川には氷が張っている。10時40分ラストウオーターポイント(Last Water Point4190m)に着く。 最後の水場であるが、水はあまりきれいではない。ここは、多くの人が一服している。20分ほど休む。ガスが出始める。
 11:25マウエンジ・リッジ(Mauenge Lidge4210m)この先は、植物は無く、砂漠になる。 砂漠と言っても、砂の砂漠ではなく、土の上にところどころ石がごろごろしている。ミドルレッドヒルを右手に見ながら、砂漠の中を歩く。 道の両側に、石を並べて何か書いている。
 12:00サドル(鞍部)の標識に着く。キボ峰とマウエンジ峰のまん中の地点になる。分水嶺だ。
ここで昼食。サンドイッチとゆで卵、バナナ、オレンジ。 20分ほどで出発。また歩き続ける。日ざしは強く、砂漠を歩くとはこんなものかと思いながら、ゆっくり歩く。道はゆるやかな登り。
 1:20JIWE LA UKOYO(4394m)に着く。ここから、急な上りになる。もうすぐキボハットだ。 約400mの上りを1時間くらいかけ、2:15にキボハットに着く。
 キボハットは前2つのキャンプ地と違い、建物は3棟だけである。 大きな棟は、石とコンクリートで作られていて、中には5つの部屋と食堂があり、58人分の二段ベッドがおかれている。 また、小さな棟は、レセプションとポーターの宿舎になっており、それに、小さい炊事小屋である。 水も木もないので、炊事用の薪・水は、ポーターが全部下から担ぎ上げている。天気がよいので、岩の上で休む。
 ここは標高4700mもあるが、高度順化を意識して行ってきたので頭痛、吐き気、眠気など全くない。快調である。3時からティーになる。 甘くした紅茶がおいしい。3:30から4:30まで昼寝。明日は早いので少しでも寝ておきたい。5:00から夕食。心配していたが、食欲はある。 今日は、コラシ(korasi)というちょうど肉じゃが風の肉とにんじんとじゃがいもの煮物でおいしく食べれる。 さらに、パン、バナナ、オレンジそしてティーで終わりになる。  明日の予定をガイドのエマニュエルが告げる。0:30起床1:00出発。外では、中国留学中の東京の女の子が、気分が悪そうにしていた。 この高度では、何か起こる方が当り前である。
7:00に寝る。10人分ベッドがあるこの部屋に、今日は3人だけである。何度か目を覚ましたり、うとうとしたりの繰り返し。 時々息苦しくなり、大きく深呼吸する。


8月16日
 0:05目が覚める。うつらうつらしていると、0:30ガイドが起こしにくる。着るものを着て、準備。 前回のケニヤ山の教訓から靴下を2重に、手袋を2重に着用する。ぼーっとしているうちに朝食。ティー、ビスケット、ピーナツ、オレンジを食べる。
 1:10出発。快晴。月明りがあり星も見える。はじめランプをつけるが、すぐに消す。月齢18くらいの明るい月で、ランプはいらない。 小屋を出たところから、急な登りにかかる。他のパーティーは歩き始めている。少しペースが早いのでゆっくり歩くよう何度か言う。 ぜひウフルまで行きたいので、ゆっくり、高度障害にかからぬように必要以上にペースを落とすが、他の2人と合わない。 少し早いペースで、他のパーティーを抜いて行った。
 3:55ハンスメイヤーケーブ(5151m)に到着。半分来たと言うことだ。これより、砂がザクザクの急斜面をジグザグに登って行く。 月明りで、稜線の岩の形は見えるが、なかなか近づかない。気温はかなり低く、手と足が冷たい。特に、左足の中指と薬指はしびれて感覚がなくなっている。 また、左手の子指の古傷が痛む。革靴を履き、オーバー手袋をつけてもこの寒さであるから、軽登山靴や綿の手袋では大変だろう。 一足毎にあえぎ、ほんの少ししか進まない。が、一歩づつ進むしかない。なかなか時間が経たない。空気は薄い。かなりの傾斜の斜面である。 時々「何で俺はこんなところを歩いているんだろう」などと考える。眠気も時々押し寄せる。
それでも時は刻々と過ぎ、6時少し前、地平線が一筋の糸のように淡く紫色に色づき、次第に光は幅が広くなり、赤く、またオレンジ色に、そしてバラ色に輝く。 日の出だ。明るくなる。
 6:10やっと岩石地帯に出る。もう少しだ。疲れが半分消えたような気がする。岩の上を登って行く。 最後の所で、ガイドのエマニュエルは止まって待っている。
 6:30ギルマンズポイント(5685m)に着く。
キリマンジャロの火口が見え、右方には、東部の階段氷河が見える。青黒い空に、銀色の氷河がまぶしい。
左方には、火口壁の向こうにピークが見えている。また、振り返ると、朝日の当たる、広々とした雲海の中にマウエンジ峰は黒く島のようにみえている。

ギルマンズポイントの標識が見える。快晴。かなり寒い。気温は零下10度。手足は特に冷たい。握手して、写真を撮る。 ガイドが”キリマンジャロ、キリマンジャロ、・・・・”と歌を歌っている。ノートにサインをする。景色を眺める。 などやっているうちに、ガイドにウフルまで行けるか、と聞く。ガイドは、遅いし、疲れているようだし、氷の状態も悪くなっている、というような返事であった。 ウフルピークは富士山で言うと剣が峰に当たるキリマンジャロの火口の最高峰(5864m)である。 ギルマンズポイントも頂上の一部ではあるが、ウフルまで行くかどうかを3人で話すこともなく、30分ほど経ち、 気がつくと、スイス人のドミニックとガイド、弟が下山を始めている。
ギルマンズポイントで休んだので、体調もよく、時間も体力もだいじょうぶだと思ったが、皆、降りはじめているので、とっさに下った。 ここまで来て・・・、と心の残る下山であったが、意志、装備、そして言葉と、海外登山におけるパーティーの組み方の難しさを感じた。7:00であった。
 下りは早かった。あれほどあえいだ斜面も、ちょうど富士山の砂走りのようになっており、それこそ「飛ぶように」降りて行く。 せっかくここまで来て、こんなに早く、もったいない、と思ったが、寒さに耐え、稜線を歩く喜び、ピークで、向こう側の新しい景色を見る喜び、 座り込んで景色と対話する幸せなどと言うのは、一部の登山愛好者のものだけかもしれないと思いつつ、足を運んだ。 5時間かかった上りだが、1時間少しで下ってしまった。8時過ぎ、キボハットに戻った。ポーター達が紅茶を作っていて、もらって飲んだ。 ポカポカと日ざしも暖かい。9:00持ってきた餅で、雑煮を作って食べた。
 9:25キボハットを出発。ホロンボハットに向け、昨日登った道を下って行く。 砂漠地帯の緩やかな道を下りながら、ポーターのドナティにスワヒリ語を教えてもらう。足取りは軽い。 10:55にラストウォーターポイントに着く。水で、顔を洗う。日に焼けてひりひりして痛いが気持ちがいい。さらに歩いて、12:05ホロンボハットに到着した。 振り返ってみると、余りにあっけない下山であった。不完全燃焼。
 ホロンボハットでビールを飲む。1本700TSH(約230円)ガイドのエマニュエルに1本勧める。飲みながら、いろいろな話をする。 回りの木や花の名前を教えてもらう。ちなみに、黄色いASKIO、白いMASSの花。そして、松のようなLEBELLIONの木・・・・。
5時夕食。メニューはソーセージとピーマンのスープ。パン。 皿には鶏肉・じゃがいも・パスタ・人参・キャベツの炒めもの、そしてティーというおなじみのものであった。

夕食後、ガイドが来て、チップをなにがしか欲しいという。 スイス人の学生ドミニックと相談の上3人からポーターに一人当り15$、ガイドには35$渡すことにする。 聞くところでは、エージェントからガイド・ポーターにはまことにわずかしかいってないらしく、このチップを相当に期待しているようだ。 15$といっても、5日間だから1日3$(400円)という金であるが、タンザニアの人々にとっては大きなお金である。
 雲海に日は沈み、外は月明り、満天の星である。こんなにも星があるのか、と思うほどすごい。そして、天の川がくっきりと見える。 ちょうど天球を真二つに切るように流れている。昔の人が、これをこぼしたミルクの川と感じたのもわかる。しばし眺めていたが、寒くなったので、ベッドに戻る。 7:30就寝。


8月17日
 6:30雲海から太陽が登って来る。光が次第に強くなり、雲海の上を照らすと、立体感と躍動感がでてくる。雲の海にぐるりと水平線。 アフリカの大地の上にかぶさっている。麓からみると、山は雲の中、ということになる。
 7:00朝食。マンゴー、パン、ティー、卵、肉、トマトと、おなじみのメニューである。
7:50ホロンボハットを出発する。出発の際に、ドナティが”ニナルディゲート”と話しかけてくる。 昨日教えてもらったスワヒリ語の続きで、Ninarudi Gate.(私はゲートへ帰る)という意味。ホロンボハットを出て、どんどん下る。
しばらく行くと、雲の中に突入。 ガスの中になる。マンダラハットのすぐ上で、クレーター側を通る細い方の道をとる。あまり人が通っていないので、山道、という感じがする。 この頃から雨になる。
 10:10マンダラハット着、気温7°C、雨具を着て歩く。雨は少しづつ降り、道はぬかっている。小川を渡り、広い道にでる。途中、4匹の猿を見る。 この猿は、背中が灰色をしていて、キーッと鋭い声で鳴く。鳥の声のようだ。途中、登って来るパーティーとすれ違う。 白人ばかりだが、年齢は、若い人から年輩の人まで、さまざま。時に、自分で大きな荷物を背負っている若者達に会う。 自分ではもうこんな事はできないな、と思いつつも、若いうちにこの山へ来れることはうらやましい。
 12:15マラングゲートに着く。”ニナルディゲート!”。下山の書類に記入する。売店でTシャツなどを買って待つ。 そのうち、ガイドのエマニエルが降りてきて、「登頂証明書」を作ってくれる。3人と、ガイドとポーター5人でビールを飲む。 迎えの車が来ており、荷物を積む。プジョーのバンに座席を増やし、8人乗りにしているところに、9人乗り込み1:30猛スピードで発進。 ゲートから少し下ったマラング村で、ガイドのエマニエル他2人下車。そのまま、すごいスピードでモシに向かう。
2:20モシのKTS(キリマンジャロツーリストサービス)の事務所の前に着く。 今日は、モシに泊まる予定であったが、大きな町アリューシャまで行くことにして、エクオトリアル・サファリ社に連絡をして、 明日のモシからアリューシャのプジョーをキャンセルし、そのままプジョーに乗って、アリューシャに向かう。スイス人のドミニックも同行。
 途中、レストランで昼食をとる。地元の人の行くレストランでチキンとチップス(鶏の焼いたものとポテトフライ)をとる。 チキンには、フル・ハーフ・クオーター・スリークオーター(3/4)などがあるが、ハーフは本当に鶏の半匹分が出る。 我々は、クオーターだが、プジョーのドライバーはハーフを食べていた。クオーターとチップスで400シリング(130円)であった。 肉はシャキシャキしてとてもおいしい。
 アリューシャでは、「アリューシャツーリストイン」というホテルに泊まる。ツイン1部屋で、35$。荷物を置いて、町に出てみる。 木彫りなどは、とても安く、ナイロビの半額くらいか?ニューアリューシャホテルで夕食ののち、戻る。6日ぶりにぬるいが、シャワーにありつく。


8月18日
 朝食の後、チェックアウト。昼まで荷を預かってもらう。町を散歩。マーケットや郵便局で木彫り・布・切手などを見て回る。
 昼、マントメルーホテルからナイロビ行きのシャトルバスに乗る。バスは、国境めざしタンザニアの道を時速100キロ以上のスピードで走る。 途中、マサイの放牧する牛やロバを避けるため止まったり徐行するのがユーモラスである。それ以外は、悪路でも何でもスピードを落とさない。
 天気がよく、マントメルーを回りこんだ所から、キリマンジャロの姿が見える。雪の冠を戴いて、そびえている。昔のアフリカ人は雪というものを知らず、あの山は銀でできていると考えていたという。が、あまりにも高く、取りに行けなかったという。 初登頂は、1875年ドイツ人のハンス・メイヤーにより成された。それから117年が過ぎる。 アウストラロピテクスの化石が発見された、人類発祥の地アフリカ。そのアフリカで太古よりその姿を人類の前にあらわしてきたキリマンジャロ。 そんなことを考えているうちに、車はタンザニア・ケニアの国境マナンガに着く。
4:40国境を越え、大都会ナイロビに戻ったのは、日も暮れた7:05であった。


1992年9月記  (C) URAKAWA Akihiko

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