8月12日
8:30、ナイロビ・ヒルトンホテル前から、タンザニア行きのシャトルバスが出る。これは、ナイロビの旅行会社(ササモト)が手配したものである。
タンザニアのアルーシャまで行く。ナイロビ在住の弟と2人である。 バスは、日本のどこかで使われていたマイクロバスで、入口に「自動扉」と書かれたままである。もっとも、読める人間はほとんど乗らないのだが。
他のタンザニア行きの交通機関は、長距離バス、プジョーまたはマタツー(乗合小型バス)がある。(料金は、一人往復1000Kshであった)
バスは8:40に、向いのアンバサダーホテル前で客を乗せ、ドライバーと乗客(白人7人黒人1人そして我々の)10名で出発。
朝のラッシュのナイロビ市内を出て、ケニヤッタ国際空港の脇を通るモンバサ・ロードを経て、タンザニアとの国境の町マナンガへと走る。
サバンナの中をまっすぐに延びる道路を100q/h
以上の猛スピードで走る。ところどころ、舗装がはがれていても、ビュンビュン走る。
万事”ポレポレ”(スワヒリ語でゆっくり)のこの国で、自動車だけは、恐ろしく早く走る。途中、トムソンガゼルなどの姿が見えるところが、アフリカらしい。
また、この道沿いはマサイの人々が住んでいる地域で赤いチェックの衣を身にまとったマサイの人々が牛や羊、ロバを追いながらサバンナの中を行く。
アカシヤやバオバブの木がある。草は、乾期のせいか緑色をしていない。
11:05出発後2時間少しで国境の町マナンガに着く。ケニヤ側で出国手続きをするが、イミグレーション付近は、マサイのみやげ物売りがバスに群がり、
タンザニアシリングと両替をしないかというヤミ両替屋のチェンジマネーの兄ちゃん達がたむろしている。とにかく、何でも声をかけてくる。
また、食べ物やみやげ物を売る小さな店がずらっとならんでいる。出国カードを埋め、パスポートとともに見せると、顔も見ないでスタンプを押し、終わる。
記載不完全なものはいろいろいわれている。また、字を書けないアフリカ人のものは、問答し書き込み、サインだけさせている。
乗客が揃ったところで、バスはゲートをくぐり、タンザニア側に入る。ケニヤ側と比べて、もの売りもいず、静かである。似たような国でありながら、差は激しい。
こちらも、手続きは、簡単に終わる。しゃべることは、「8days.Sightseeing」だけである。なお、通貨申請制度は、この4月から廃止されたそうである。
12:00国境通過。タンザニアの道を走り始める。途中キリンが何頭か道路沿いにいて、一時停車し、写真を撮る。サバンナの中の道をどんどん進む。
12:20メルー山とキリマンジャロが遠くに見える。キリマンジャロは頂上の雪が白くうっすらと見えている。こちらでもマサイが牛を追っている。
時々道路に牛がいて、それを避けるために一時停車する以外は、びゅんびゅん走る。
1:10マントメルーホテルに着く。ここは、タンザニア第2の町アルーシャのはずれにある。
正面にメルー山(Mt.Meru 4556m)を望む、静かな、立派なホテルである。
メルー山は山頂部が大きく崩れた火山で、もし崩れてなければ、キリマンジャロより高いかもしれない位の大きな山である。ホテルで昼食を取る。
この食事は、スープ、チキンと野菜で、10$。ビールは2$で、日本円にすると1500円くらいだが、地元の人たちにとってはものすごく高い昼食である。
鶏肉が日本に比べとてもおいしい。そういえば、どこでも村には鶏が放し飼いにされている。日本人の団体が食堂に入ってくる。
2:20 旅行会社で手配された自動車(プジョー)でモシに向かう。1時間ほどでモシに着く。
YMCAの前に来ると、登山ツアーの客引きが来て、安くツアーをアレンジするという。話を聞くとまともそうなので、事務所に行く。
キリマンジャロ・トラベル・サービスという立派な名だが、事務所は普通のせまい民家で、日本の旅行会社のイメージとは程遠い。
結局、ガイド、ポーター、食事、入山料、宿泊料、レスキュー費用、移動の手配など全部で一人当り300$で契約する。契約書も手書きであった。
この他にも、小さなツアー会社がモシにはいくつかある。今日泊まるホテルを斡旋するというので行ってみたが騒がしそうなのでやめて、YMCAに泊まる。
YMCAは二人部屋で13$であった。
YMCAの前は、ロータリーになっていて、真ん中にちょっとした公園のようなものがある。公園の真ん中には、銃を持った兵士の像がある。
ここから、キリマンジャロは正面によく見える。
荷を置いて町に行く。両替しようと銀行に行ったが、閉まっていた。街頭では、ヤミ両替屋が、チェンジマネーとうるさく声をかけて来る。
はずれて元々、当たれば大儲け、という感じなのだろうか?ヤミ両替屋については、いい話を余り聞かない。
だいたい、汗も流さず、金を取り替えるだけで大儲け、と言うのは、まともな商売ではなさそうだ。
銀行は閉まっているので町で一番大きいモシホテルのフロントで、両替する。
はじめレートを聞くと、いかめしい革ばりのノートを見せて公式レート1$=320TSH(タンザニアシリング)という。
「本当?」というと、紙に350,375と書いて、上げてくる。375で、手を打つ事にしたが、現在、1$=400SH位が実勢のようだ。
TSH<KSH<US$の順で通貨が強くなっており、ドルやケニヤシリングをほしがっている。高額紙幣が500SHなので50$も替えると、札束になってしまう。
キリマンジャロがよく見えている。どっかりと、大きく、上の方は白い。文字どおり
snow capped である。モシの町のどこからでも見える。
キボホテルで夕食にする。古いエレベーターで、自分で入口のフェンスを閉める方式だ。
ガタンゴトンと3階まで上がると、ガランとしたところに、テーブル、椅子がおかれ、テレビが音楽番組をやっている。
ミックスグリルとビールとサモサ(カレー味の揚げ餃子のようなもの)2人分で計2410TSH(約800円)。これでも地元の人には高い夕食である。
日が没み、キリマンジャロが夕暮れの中に見える。YMCAに戻る。シャワーは水しか出ない。蚊がいるので、蚊とり線香をたいて寝る。
南側の部屋は、道路のランドアバウトに面していて車で騒がしい。夜中に何度か目が覚めた。
6:30起きる。気温20゜C朝食は7:15から始まる。薄いコーヒー、パン、卵2個分のスクランブルエッグである。
荷をまとめてチェックアウトし玄関で迎えの車を待つ。約束の8時30分を過ぎても来ない。
20分ほど待って、ついにキリマンジャロトラベルサービス(KTS)の事務所に行く。抗議するとあわてて車を回し、荷物を積み込み、事務所の前に戻る。
事情の説明はない。ボロボロのベンツに乗り込む。ガイドとポーター1人、客2人、ドライバーの5人で、9:20出発。
ベンツとはいっても、何年前のかわからないほど程度の悪い車である。フロントガラスはひびが入り、苦しそうに走る。いつ止まってもおかしくない。
「腐っても鯛、腐ってもベンツだけど、これは・・・・」モシから約1時間、麓のマラングに着くころは坂は急になり、あえぎながらベンツは進んでいる。
10:25マラングゲート到着。ゲートには、職を求めるポーター達がたくさんいる。雨が降り始める。入山届を書き、パーミッション(許可書)をもらう。
これに、宿泊許可など書き込まれている。
11時手続き終了。昼食を取る。この食事から、ツアーに含まれる。袋に入っていたのは、サモサ、オムレツバーガー、バナナ、オレンジである。
12:00出発。このころ雨が上がる。木の繁るジャングルの中を道は延びている。大きな木には、宿り木のようなものが巻き付いている。
はじめは、車が通れる広い道である。ゆるやかに登って行く。大きな荷はポーターに任せ、サブザック一つの、「大名登山」である。途中、猿を見る。
1:45小川を渡る橋。川沿いのルートとの合流点である。ここより、山道となる。
このころガスが出て来る。ひと登りして、2:30に本日の宿泊地マンダラハットに着く。気温12゚C。標高2700m。
マンダラハット(MandaraHuts)は、樹林の中に、三角屋根の小さな建物(ハット)13個と大きな三角屋根の食堂、炊事小屋、水洗トイレ、古い小屋などがある。
レセプション(受付)でパーミッションを見せると、ハットが割り当てられる。我々は7号室(M7)であった。
この小屋は一棟に2部屋あって、各部屋には4つのベッドがある。我々は、東京からきた夫婦(名は失念した)と同じ部屋であった。
奥さんの方が上のホロンボハットで気分が悪くなり降りてきたそうである。 東京のアルパインツアーサービスという会社のキリマンジャロ登山ツアーで来たとの事であった。少しぶらぶらして、近くのマウンジクレーターまで行くことにした。
15分ほど登ると、クレーターに着いた。直径100m程の、小さな火口である。ガスがかかり、遠くは見えない。ぐるりと一周して20分くらい。
10分程下ると、マンダラハットに戻る。戻ると、ポーターのドナティがティーの準備ができているというので、ティーにする。
紅茶に砂糖とミルクをいれ、ビスケットをつまんで飲む。それからしばらくして、6:50から夕食。食堂では、様々な言葉が飛び交っている。
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語その他。
メニューは肉のスープ(コンソメ風、うまい)次に、焼肉・じゃがいも・キャベツとにんじんを炒めたものの大皿が出る。それぞれ、取って食べる。
じゃがいもが少し固い。次に、ティー。この夕食から、スイスのジュネーブからきた学生ドミニックと我々の3人パーティーであることがわかる。
食事後8:00に寝る。上段のベッドに寝たので、少し短く、足が伸ばせない。
ギルマンズポイントの標識が見える。快晴。かなり寒い。気温は零下10度。手足は特に冷たい。握手して、写真を撮る。
ガイドが”キリマンジャロ、キリマンジャロ、・・・・”と歌を歌っている。ノートにサインをする。景色を眺める。
などやっているうちに、ガイドにウフルまで行けるか、と聞く。ガイドは、遅いし、疲れているようだし、氷の状態も悪くなっている、というような返事であった。
ウフルピークは富士山で言うと剣が峰に当たるキリマンジャロの火口の最高峰(5864m)である。
ギルマンズポイントも頂上の一部ではあるが、ウフルまで行くかどうかを3人で話すこともなく、30分ほど経ち、
気がつくと、スイス人のドミニックとガイド、弟が下山を始めている。
ギルマンズポイントで休んだので、体調もよく、時間も体力もだいじょうぶだと思ったが、皆、降りはじめているので、とっさに下った。
ここまで来て・・・、と心の残る下山であったが、意志、装備、そして言葉と、海外登山におけるパーティーの組み方の難しさを感じた。7:00であった。
下りは早かった。あれほどあえいだ斜面も、ちょうど富士山の砂走りのようになっており、それこそ「飛ぶように」降りて行く。
せっかくここまで来て、こんなに早く、もったいない、と思ったが、寒さに耐え、稜線を歩く喜び、ピークで、向こう側の新しい景色を見る喜び、
座り込んで景色と対話する幸せなどと言うのは、一部の登山愛好者のものだけかもしれないと思いつつ、足を運んだ。
5時間かかった上りだが、1時間少しで下ってしまった。8時過ぎ、キボハットに戻った。ポーター達が紅茶を作っていて、もらって飲んだ。
ポカポカと日ざしも暖かい。9:00持ってきた餅で、雑煮を作って食べた。
9:25キボハットを出発。ホロンボハットに向け、昨日登った道を下って行く。
砂漠地帯の緩やかな道を下りながら、ポーターのドナティにスワヒリ語を教えてもらう。足取りは軽い。
10:55にラストウォーターポイントに着く。水で、顔を洗う。日に焼けてひりひりして痛いが気持ちがいい。さらに歩いて、12:05ホロンボハットに到着した。
振り返ってみると、余りにあっけない下山であった。不完全燃焼。
ホロンボハットでビールを飲む。1本700TSH(約230円)ガイドのエマニュエルに1本勧める。飲みながら、いろいろな話をする。
回りの木や花の名前を教えてもらう。ちなみに、黄色いASKIO、白いMASSの花。そして、松のようなLEBELLIONの木・・・・。
5時夕食。メニューはソーセージとピーマンのスープ。パン。 皿には鶏肉・じゃがいも・パスタ・人参・キャベツの炒めもの、そしてティーというおなじみのものであった。
夕食後、ガイドが来て、チップをなにがしか欲しいという。 スイス人の学生ドミニックと相談の上3人からポーターに一人当り15$、ガイドには35$渡すことにする。
聞くところでは、エージェントからガイド・ポーターにはまことにわずかしかいってないらしく、このチップを相当に期待しているようだ。
15$といっても、5日間だから1日3$(400円)という金であるが、タンザニアの人々にとっては大きなお金である。
雲海に日は沈み、外は月明り、満天の星である。こんなにも星があるのか、と思うほどすごい。そして、天の川がくっきりと見える。
ちょうど天球を真二つに切るように流れている。昔の人が、これをこぼしたミルクの川と感じたのもわかる。しばし眺めていたが、寒くなったので、ベッドに戻る。
7:30就寝。