ケニア山登山記 1992.8.6〜8
8月6日
ナイロビ発9:00 ケニヤ在住の弟と、A2号線を北に2時間、ナロモルに至る。ここから20km北には、赤道が通っている。
ナロモル付近は、ケニア山の広大な裾野になっている。水が少ないらしく、緑が少ない、赤茶けた台地である。
ナロモル(Naro Moru)は、小さな町である。平屋の家が数百戸集まっただけで、広場が中心らしい。ポストオフィスはある。
車で少し行くと、左にナロモルリバーロッジの標識。リバーロッジは木造の大きな食堂などの建物他、小さなロッジが数多く川に添って配置されている。
スタンダードのフルボード(三食付き)で2人で2150KSH(ケニアシリング約7000円)
であった。この日は電気の故障だとかで、客室は電気がつかない。
昼食はプールのそばのレストランでとる。午後はロッジを散歩したり、昼寝をしたりする。熱帯らしい花がさいている。
宿泊客は、ドイツ人・イギリス人など白人ばかりである。 現地のケニヤの人々は、従業員である。植民地時代もこうであったのだろうか、と思わせる景色である。
ケニヤ山登山に関し、ロッジのツアーがあるが、とても値段が高い。係の男(黒人)は、ツアーでなく個別にアレンジしてやるという。
ガイド・ポーターのみ頼み、入山費用は別に払うことになった。 なお、ロッジからメッツステーションまでロッジのジープで送迎すると、一人片道2000KSH
!ということだ。これはケニアではすごいお金である。 我々は、乗ってきたランドクルーザーでメッツステーションまで行くことにする。
8月7日
8:30ロッジ出発。気温15°C,曇りところどころ晴間という天気であった。ナロモルからアブソロムというガイドが来た。
ナロモルの町でポーターを拾うような話だったが、誰も乗らない。 町から、ナショナルパークの標識に従い、車は進む。牛の放牧地の真中を太い道路が延びている。まん中が盛り上がり、でこぼこの道である。
しばらく行くと左手にYH。学校の校舎みたいな建物だ。放牧地、針葉樹の林の中を通り道は延びる。 9:30にナショナルパークゲートに着く。
入り口で記帳。幅の広いノートに書く。入園料2人+ガイド分、車入園料、ドライバー、以上、レジデント料金で460KSH(外国人料金だと10倍近くである。
観光立国である)
9:55にメッツステーションに着く。「Meteorogical
Station」(気象ステーション)の名の通り、気象観測装置がある。太陽電池で発電している。
ナロモルリバーロッジの経営のメッツロッジがある。木に囲まれた、落ち着いたいいところだ。
車が何台か止まっている。登山の準備をする。アブソロムはポーターを兼ねるといって、一人で荷を担いだ。約25kgか?
昨日ポーター2人とガイドを、とたのんでいたのだが、一人でやる、その代りガイド料とポーター料を欲しいという。
聞けば、ガイドの仕事もあまりないそうである。
10:25出発。樹林の中を、車が通れる道を歩いて行く。自動車道は、約30分ほどでアンテナのある「ラジオステーション」(Police
Sigunal Station)まで続く。 この後、山道になる。しばし行くと森林限界。これより、広い尾根道、ヒースとロベリア・ディケニルという奇妙な植物、そして、下は泥だらけの道になる。
深いところはくるぶしまで沈む。ガスが出始める。地図にはVertical Bog(垂直の沼地)と書いてあるところである。
この道をさらに進むとPicknick Rocks(3750m)に着く。下は少し堅くなり歩きやすくなってくる。Picknick
Rocksは岩小屋風の岩で、下を登山道が通る。 ガイドは、ちょうど半分(Halfway
)くらいだという。標高差では半分以上登ってきている。
さらに進むとヒースがなくなり、サボテンに似た植物セネシオ・ジョンストーニ(Senecio
Jhonstoni)が生息した、奇妙な風景になる。足元は堅い。 このころガスの中で、パラパラと降ってくる。沼地からここまで、広い尾根を歩くので、ガスに巻かれると道を失う。
赤白のポールがあるにはあるが、どこでも歩けるため、恐いところだ。先月、2人が道に迷い死亡したということである。
このあたりで3800m、富士山を越える標高になる。息苦しさはひどくなっていく。が、道はゆるやかになり、2:25に4000m地点を越える。
時折ガスが晴れ、テレキバレーが見えてくる。対岸を行く下の道も見える。我々は上の道(尾根道)を進んでいる。川沿いのゆるやかに上下する道を進む。
歩きやすい道である。やがて、テレキバレーを流れる北ナロモル川を渡り、4:00マッキンダース・キャンプ(4200m)に着く。
ここは、ケニヤ山の初登頂者マッキンダー卿にちなんだ地名である。(初登頂は1899年)。
広々とした草原に、大きなねずみに似たマウンテンハイラックスがいる。人間を恐がらない。
ロッジまでは、もう一山越えなくてはならず、つらい最後の山越えだ。
4:20テレキ・ロッジ(Teleki
Lodge)に着く。思ったより人が少ない。30人くらいか?外はテントが数張り。
宿泊料はレジデント250KSH ノンレジデント290KSH (または $9.20)小屋に荷物を入れ、ひと休みしてからあたりを散歩。
このころ、ケニヤ山の最高点バチアン・ネリアンのピークまで晴れ上がり、見え始める。薄茶色の、針のように鋭く尖った岩山だ。
山体に白い氷河がまぶしい。右側は、ポイント・ジョンの岩峰だ。
5:30夕食(といっても、インスタントラーメン)を食べる。明日の予定(午前3時出発)を確認し、6:20就寝。高度障害のせいであろうか、なんとなく頭が重い。
アスピリン2錠飲む。何回か目を覚ましたが、うつらうつらしながらも、寝る。
8月8日
2:40 起床。ガイドのアブソロム起こしにくる。起きて、シュラフをたたみ、荷物をまとめて、アスピリン2錠飲み、3:00 出発。
気温0°C真っ暗の中をランプの光で進む。快晴。満点の星。星明かりで、稜線がくっきり見える。しばしボーッと眺める。
そのうち秋の星座とわかる。カシオペアのW形を認める。体調は、というと寝不足のような、ボーッとした感じ。ひどく息苦しい。
ロッジを出てしばらくはゆっくりと川に沿った道を行く。高低差あまりなし。そして、細い流れを渡ると、ガラガラの登りにかかる。
ザクザクの急斜面、足元は歩きやすい。が、少しでも急ぐと、すぐに息が切れる。30p位の歩幅で、頭の中で数を数えながら歩く。百になって大きく深呼吸。
ストックにつかまり、肩で大きく息をする。標高4500m位の空気は薄い。ときどき座って休む。体が冷えないように2分〜5分くらい。気温は低い。
手と足が冷たくなっている。空を見ると、オリオンが正面から上がっている。シリウスも見える。なんと、南の魚座のフォーマルハウトも輝いている。
この星は、中学校のころから見たかった30年来の「夢の星」であった。日本からは、緯度が高すぎて見えない星である。
星明かりで、だいぶ登ってきたのがわかる。が、時計を見ながら、ただただ足を出すのみ、長い長い時間であった。そのうち傾斜がゆるくなる。
もうすぐ、オーストリアン・ハットだ。岩がゴロゴロした道に変わる。
5:50 オーストリアン・ハット(トップ・ハット)に着く。小さな小屋である。小屋内で休む。15分。気温−5°C.手足は冷たくなっている。
ここから、ピークのレナナ・ポイントまであと高度差で100m。ガイドは45分だという。はじめてとった長い休みで、少し回復した。
6:05出発。夜明けが始まった。地平線に茜色の光の帯、金色に輝いてきて、銀色に、そして白くと、変わってゆく。
ゆっくりと見たいが、とにかくレナナへと歩く。岩の道である。この頃、ガスが上がり始め、明るくなってきて、ライトをしまう。
目の前にレナナ・ポイント、岩のかたまりのピークである。左をルイス氷河が走っている。
ルートは始め尾根添いについているが、途中から左側のルイス氷河の上部を横切る。そして、頂きに至っている。岩の道を越え、氷河上部に至る。
氷河の氷は固い。傾斜も相当ある。表面にやわらかい雪が乗っている。途中で、降りてきたパーティーとのすれちがいが面倒だ。
氷が出ているところもある。息を切らせながら、ゆっくりゆっくりと最後の登り。
ついにピークに着く。頂上は広さ30畳ほどのゆるく傾いた斜面で、最高点には十字架と金属板がある。
7:00 レナナ・ポイントのピーク。4985m。ヨーロッパアルプスのモンブランより高く、ほぼ5000mである。
まわりの岩は、霧氷でエビのしっぽができかけている。天気は良い。が、ガスが流れる。時折、ネリアン・バチアン(重なって見える)を隠す。
反対側は、広大な大陸。はるか下に小さな山が見えるだけ。ずーっと広がっている。かなり寒い。気温−7°C。風は少しある。
手と足は、冷たくなっている。ときどき指をたたく。10分間景色を見て、写真を撮り、下山にかかる。
氷河の上部をトラバースし、岩の道になる。7:40 オーストリアン・ハット。あっけないほど簡単だ。小屋で休む。羊羹を食べる。今日初めての食べ物だ。
頭は重い、息が切れる、空気が薄い、は依然として変わらないが、登りに比べて、全く楽だ。5分ほどで出発。岩の道から、ザクザクの斜面に出る。
登りでは、まだ夜明け前であったが、下りでは、まわりの景色がくっきりと見える。
バチアン・ネリアンのピーク、ルイス氷河、カーリング池、ルイス池、など手に取るように見える。ザラザラの斜面を降りる。激しく動くとすぐ息が切れる。
が、肩で息をしながら登った同じ道とは思えない。まわりの景色をゆっくり観賞しながらの下りである。東側の斜面にも湖がある。
右手(北側)は氷河のU字谷(テレキ谷)と、ティンダル氷河とダーウィン氷河が懸谷になっている。アメリカンキャンプにはテントが5つほど見えた。
ザクザク斜面が終ると、小川を渡り、9:10テレキロッジに戻る。
11時出発とする。疲れてはいるが、気分はよい。20分ほど横になった後、食事。といってもまたインスタントラーメン。あとで、蜂蜜をお湯に溶かして飲む。
11:00 出発。朝からすでに6時間の行動の後であるので疲労はたまっている。
下りたとはいえ、まだ標高4200mだから、登り道になると、息苦しさを感じる。谷の別れ道くらいになるとガスが出てくる。
昨日と同じ天候である。夜、冷えてガスが下に降り山頂部は快晴となり、下は雲海となる。下では雲の中で全く見えない。
昼に熱せられるとガスが上がってゆく。麓から見ると中腹から上は雲となっている。一日中どこかに雲がかかっている。
キリマンジャロと違い、ケニヤ山には、遠くから見た写真を見かけなかった。こういう天気の繰り返しが、中腹に雨を降らせ、沼地が作られるものと思われる。
1:00ころ ピクニックロックを通過。1:30ころ沼地を通るが途中で飛行機の墜落現場へ寄ってみる。
セスナのような軽飛行機が4つの部分に分かれ散乱している。最近落ちたとのことであるが、残骸が放置されたままになっている。
1:50 森林限界に来る。更に下り、2:10ポリスシグナルステーション、ここから道は広くなり2:30ついにメッツステーションに戻る。
本日の行動時間は9時間30分。
ガイドに700KSH支払う。(ガイド料だけだと300〜400KSHが相場の様だ)
車で山道を下り、ナショナルパークのゲートを通過する。樹林帯を抜け、牛の放牧地を通り、3:30ナロモルに着く。
そこでガイドを下ろし、A2号線を南に下る。ケニヤ山は、雲の中で、山麓しか見えない。
6:30ナイロビに着く。それから飲んだケニヤ産のビールはとてもうまかった。
追記:アフリカを離れたのは、これから約2週間後の8月21日であった。
飛行機は、ナイロビのケニヤッタインターナショナル空港を離陸し、アフリカの赤茶けた大地が小さくなっていった。
その時である。右前方に、雲から頭を出すように、ケニヤ山の頂きが見えてきた。
ちょうど、西側から見える山の姿は、マッキンダースキャンプから仰ぎ見た頂上のピーク達であった。今度はそれをはるか上空から眺めることができた。
最後の予期せぬみやげだった。
1992年9月記す (C)URAKAWA Akihiko
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