2004.8 浦川明彦
ピレネ(Pyrenees、Pirineos)山脈は、フランスとスペインの国境で、大西洋から地中海まで続く山脈である。その最高峰は、アネト(3404m)であり、緯度は日本と似かよっている。
2004年夏、この山脈の一部であるが訪れた。次は、その経過と印象である。
この山脈の中に、独立国アンドラがある。この国は、縦横20kmほどの大きさで、人口6万余人、山の中の小国である。この国は、観光と商業で立国している、ということであるが、行ってみるとまさに「免税品店国家」という雰囲気。一方の観光のほうは、それはよく整っているらしいことが、ツーリストインフォメーションに行くだけで感じられる。バルセロナからバスに3時間ほど乗ればアンドラの首都?アンドラ・ラ・ヴェリャに着く。公用語は、カタルーニャ語だそうで、スペイン語とフランス語も使われているらしい。
さて、夕方アンドラ・ヴェリャに着くと、ツーリストインフォメーションでホテルリスト、ハイキングの資料、バスの時刻表をもらい、アンドラ政府発行の2万5千分の一地形図(全国が1枚に収録、9ユーロ)とハイキング用の地図(1.5ユーロ)を購入。5万分の一地形図(5ユーロ)も売っている。宿を決め、町を散歩。
翌日は、この国の最高峰Coma Pedrosa(2946m)をめざす。登山口Arinsalへ7:30発の朝一番のバスで向かい、8時頃に歩き始める。GR11の赤と白の標識を見つけ、たどってゆく。バス停から雪崩よけのトンネルをくぐり、右に道は伸びてゆく。車が通れる道を30分行くと分岐点。左側の山道を進む。沢を2回渡り、林の中を進む。日本の山とよく似た雰囲気である。いろいろな色の花がたくさん咲いている。途中、開けた谷からの沢の流れがある場所に行くと、ワタスゲに似た白い花が咲いている。
3時間で峠、突然展望が開け、Coma Pedrosaが右側に聳え立ち、山脈が左にぐるりと続いている。目前には、広い谷が広がっており、Coma
Pedrosa小屋は、左に少し上ったところに立っている。小屋の標高は2260mで登山口から800m登ったことになる。山頂へは標高であと700m余残している。ここからさらに3時間かかることになり、そこから下山すると、最終バスが6時だからまったく余裕がない。考えてみると、標高差1400mを10時間で往復するというのは、かなりきついことなのだ。旅行中で疲労もたまっており、山頂はあきらめ、小屋から少し上がった広々とした草原で昼寝。天気はよく、青空に雲が浮かんでいる。周りはぐるりと山である。日本の山と形が違って、「山」らしいというか、どっしりとしたものがたくさんある。標高2500mくらいまで植生があり、放牧地となっている。小一時間ほどのんびりしてから、下山を開始。途中、黄、白、赤、紫などさまざまな色の花を眺めながら2時間弱で降りた。バス停前のホテルのBARでビールを飲みながらバスを待ち、3時のバスで町に戻った。
Coma Pedrosaに登るには、Coma Pedrosa小屋に泊まるか、タクシーかなにか交通機関を調達し行動時間を延ばすことが必要である。また、町を起点にした日帰りのハイキングコースは、たくさん整備されており、こうした楽しみ方もできる。
こうして訪れたアンドラではピレネの山の雰囲気を感じることが出来た。このアンドラを後にして,フランス側のガヴァルニーへ向かう。当然のことながら,山脈の反対側に出るわけであるから,交通機関はあまりよくない。アンドラから日に2便のバスを使い鉄道駅のオスピタルに出て,そこからトゥールーズ、ルルドを経て,又バスでピレネの山懐に抱かれたガヴァルニーをめざす。アンドラからの1本目のバスは,朝5時45分発であった。
トゥールーズに9:43に着いた列車を乗り換えて10:04発のバイヨンヌ行きに乗り、ルルド着は12:05、ここからSNCFのバスに乗りリューズ・サン・ソベに行き,1日2便のバスに乗り換え,ガヴァルニーに着く。ルルドからは、6便あり駅前から出ている。便によっては直通でリューズに行くが、途中のピエレフィッテで乗り換える便もある。ルルドを1:41発の便は直通で、リューズに3時前についた。ガヴァルニーに行くバスは,5時半。それまでにお金を下ろし,地図を買う。ガヴァルニーに着いたのが6時過ぎと,この日は一日移動のために費やした。バス停にツーリストインフォメーションがあり,宿のリストを貰って、1番近いところに決める。ここは,ホテルというより,『貸し部屋』の様子だ。荷物を置いた後,夕食をかねて,『村』の探索に散歩に出る。ここは,さすがに山懐の村だけあって,すぐ後ろに山々が聳え立っている。遠くには、「ガヴァルニーのサーク」という,カールが見えている。鴨肉の夕食を済ませ,明日からの山行の準備。登山に必要な道具とそうでないものを分ける。はじめ,スペイン側からの縦走を考えていたが,荷物が重すぎるので断念する。不要な荷物は,宿に預けて、山行に必要な物だけを持ってゆく。
目標は、「最も易しい3000m峰」Petit
Vignemale(3032m)とPic de Taillon(3144m)
翌8月17日7:00に起きると雷が鳴り雨が降っている。朝食の後様子を見る。宿の人の話だと,今日は天気は悪い。どうしようかと思っていたが,小降りになってきたので、意を決して9:20出発する。今日はRefuge
Bayssellance(ベイセランス小屋2631m)まで行く。約1300mの登りだ。GR10は通らずに、近道の自動車道路を通り、11:30にCavane
D'ossoue(ドゥオッスウ避難小屋1807m)に着く。ここで雨具を着て本格的な雨中登山。
しばらく平らな河原を行くと、急な斜面が見える。右の沢は大きな滝となって流れ落ちている。滝を巻くように左の斜面をジグザグに上ってゆく。やがて滝の上に出ると、カールのモレーンに出る。2つの雪渓があり、横断する。カールの右端のさらに急な斜面をジグザグに登り、越えると次も大きなカールに出る。岩を砕いて作った道は、右側が数十m切れ落ちている。それから、カールの底にゆっくりと下ってゆきカール壁から流れ落ちる小川を2
回渡る。大きなカールである。右の壁をジグザグに登り、乗り越える。雨は降り続け、風も結構ある。足元には、高山植物が次々と表れ、目を楽しませてくれる。途中で、先行する3人パーティーを追い越す。下りのパーティーもいくつかすれ違う。標高2500mくらいまでは、視界が利いていたが、それより上は雲の中。連続する急坂を登って、途中、洞窟が3つ並んでおり、泊った跡がある。坂を登り切ったところで、突然遠くに小屋が見える。標高2500mくらいまで来た。そこから20分ほどで、思ったより早くベイセランス小屋(Refuge Bayssellance)に着いた。CAF(フランス山岳会)の経営する小屋である。濡れた雨具を脱ぎ、荷物を入り口のどまで出入りしたのち、受付に行くと、予約はしたか?Noと言うと、今日は満員だ、との事、床にマットをひいて寝ることになるがそれでもいいか、というので、良いと答える。聞いてみると、ピレネの小屋では、基本的に予約が必要なシステムになっているとの事。CAFでもモンブランのエギユグーテ小屋やツブカル小屋ではそういわれなかったが、ピレネは違うようだ。合理的だといえばその通りであるが、日本と事情が違うのでこういう事が出来る。あとで、この日は、キャンセルがたくさん出て、ベッドで寝られることになるのだが。宿泊料と夕食・朝食で35.22ユーロと、かなり安い。夕食は7時で朝食は6時とのこと。
外は相変わらず強い風が吹いており、目前に見えるはずのPetit
Vignemaleはガスで全く見えない。とても登れる状態ではない。
「定員制」の小屋はさすがにゆったりしていて、ちゃんとテーブルと椅子が全員にいきわたっている。こういう制度もいいのかもしれない。自炊用の部屋もちゃんとあり、ラーメンをつくって食べた。ただ、「乾燥室」というのはないので、濡れた物は「体温で乾かす」しかない。トイレは「手動式」推薦(アラビア式?)シャワーは故障中であった。そうこうしているうちに、夕食。ポタージュスープ、牛肉煮込みバターライス添え、チーズ、そしてケーキと一応のコースの料理。終わると8時、外はまだ明るい。強風がやみ、一瞬ではあるがPetit
Vignemaleの頂上が見えた。明日もこの天気なら登れる、と思った。寝室は2段ベッドで1人づつに幅80cmくらいのマット、枕と毛布2枚。9時には寝てしまった。夜明け前に目をさまし、外を見ると、オリオン座が登ってきている。すごい星空であった。風は強い。
明けて8月18日、7時朝食(変更になった)、カフェオレとパンの簡単なもの。外は雲がちょうどこの高さまであり、晴れたり曇ったり。風は強い。雨が降ってないので、行ってみるかと、8時10分出発。出かける前に、麓のガヴァルニーにあるCAFのオレ小屋(Grange
de Holle)の予約を取ってもらった。
峠になっているHourguette d'Ossoue(2734m)まで20分。ここから左のPetit
Vignemale峰をめざす。踏み跡がいくつもついている。右側にカールの切りたった崖の向うにGrand
Vignemalの下部が雪を抱いて聳え立っているのが見える。道標は全くないが、所々にケルンが積まれている。5分も行くとまたガスの中。8:50に背の高いケルンを通過。踏み跡がいくつもついている。晴れていればなんでもない道だが、下りに道を間違えると、とんでもない方向へ降りてしまうので、方向を確かめながら、目印を覚えながらの登りである。ひたすら登っていくとついに最後になる。岩の向うに細く切れた道があり、そこを通ると、山頂であった。到着9:15.岩陰に3人のスペイン人がうずくまって風をよけている。山頂には何もなくケルンがあるだけ。風は強くガスの中、気温は2℃だから体感温度は零下である。写真を撮ってもらい、9:25下山開始。視界は数m。方向を間違えないよう神経を使いながら降りる。途中見覚えのあるケルンにたどり着いて一安心、峠までどんどん降りる。6人パーティが登ってくるのとすれ違う。9;50峠に着く。峠からは視界があり、安心して下る。
10:10ベイセランス小屋の前を通りそのまま降りる。標高2700m以下は、晴れている。昨日の雨の中のつらい登りもすっかり忘れて、氷河の大地形の中を下る。カールの壁をジグザグに降り、10:52カール底の渡渉地点を通過。花の写真をとりながらゆっくり下ってゆく。とにかく花はいろいろとある。途中雪渓を2つわたり、急坂を降りる。平らな河原にでて、Cavane d'Ossoue(ドッソウ避難小屋1807m)に着いたのが12:05。ここで昼食にするが、昨日から調子の悪かったガスコンロがついに燃えなくなる。せっかくバルセロナで手に入れたボンベなのに・・・・。仕方なく、リンゴとクラッカーにする。よくみると、靴に穴が開いている。それで靴下が濡れたのか・・・と納得&がっかり。天気は相変わらずで2500mより上には西から雲が次々に流れてゆく。きっと、上はガスのなかで強風が吹いている。
今日はHolle小屋を予約しているので降りるだけだ。自動車道はやめて、GR10を通ってゆく。斜面をしばらく登ってゆくと、道はほぼ水平につけられている。谷をトラバスしながら、牛の放牧地の中を道は通る。牛が至るところに放牧されている。2つの小屋を過ぎ途中でマーモットを見たり、フランボワーズをつんで食べたりしながら、Holle小屋に着いたのが、3:40.1泊2食シャワーつきワインつきで27.5ユーロの快適な小屋の生活であった。(夕食11E、宿泊10E、朝食4E、ワイン2.2E、絵葉書0.3E)ここでは、4人1室の快適なベッド。夕食も野菜スープ、タブリ(粒粒小麦、レーズン、たまねぎなどを炒め味付けした料理)鶏肉煮物、インゲン煮物、パスタ、デザートの果物とワイン0.5リットルと充実したものであった。
翌8月19日は天気がよければ、Sarradet小屋に行きもう1つの3000m峰Pic
de Taillonに登る計画だったが、あいにくの天気が続き、山の上は激しく流れる雲に覆われたままであったので、ガヴァルニーのサーク(カール)を見物したのち、今回の登山活動を終了した。
その後、「ばら色の町」トゥールーズ、「ワインの町」ボルドー、そしてパリを経て、帰国の途についた。
ピレネ山脈は、大西洋から地中海まで、フランス・スペイン国境にある、約430kmの山脈である。山歩き、という点から重要なのは、この山脈に沿って走るフランス側ではGR10、スペイン側ではGR11という、長大な歩道である。(GR10:Grande
Randnee【仏】、GR11:Gran Recorrido【西】)これらの歩道は、整備され、共通のマークがつけられている。そのほかに、HRPという歩道がある。(Haute
Randnee Pyreneenne:"the classic high-level coast to coast
route"Trekking in the Pyreneesによる)。これらの道は、山麓の町(村)から町(村)へと結ばれている。次の印がGRのマークで、順に、コースを示すもの、行ってはいけないことを示すもの、コースが曲がる事を示すもの2つであり、岩や道路などにかかれている。
町(村)にはホテル他の宿泊施設があるし、山中には、有人・無人の山小屋(REFUGE)、Cabaneという小屋(避難小屋に近い)もある。有人の山小屋では、寝具・食事が利用できる。ただし、予約が必要とのことである。フランスの2万5千分の一地形図のREFUGEのところにRadioとあるのは、無線電話があるということで、小屋に直接つながる電話のようである。フランス山岳会の山小屋については、同会のウェブページにデータが掲載されている。また、フランス山岳会の会員には半額割引、他にも割引のシステムがあるようだ。テント場も用意されている。
地図は、フランス側は、IGN(フランスの「国立地理研究所」)の2万5千分の一地形図、5万分の一地形図。アンドラには、アンドラ政府発行の25000、50000の地形図があった。今回は買わなかったが、スペイン側には、GR11の地図、Editorial
Alpina社の地図、スペインの軍用地図、カタルニア地理研究所の5万分の一地図などがあるらしい。
ルートの取り方だが、基本的にはGR10なりGR11、HRPを歩き、そこから山頂への道をたどることになるようだが、プランの立て方としては、ある町からある町へGRをたどる計画がよさそうだ。ただし、日本から行くと、旅行の荷物がじゃまになるため、入り口の町(今回で言うとルルド)に、余計な荷物を預け、登山用具だけもち縦走しながら山に登り、入り口の町に戻るのがよさそうだ。もちろん、ガヴァルニーやコトレなどに泊まって、日帰りハイキングを楽しむのもよいが。スペイン側からフランス側(その逆)は交通が不便で結構難しそうだ。ただ、レンタカーなどの足を調達できた場合は別であるが・・)
装備については、真夏は、普通の夏山装備でよさそうだが、残念なことに今回は、氷河を通過することをしなかったため、このための装備がどうかはわからない。ただ、ピッケルを持つ登山者も多数いたし、アイゼンを持っているグループもいた。山小屋で食事つきなら、炊事道具も寝具も不要である。
ガイドブックとしては、日本語では、見つけることができなかった。次の2冊の本は、英語であるが非常に有用であった。
1)TREKKING IN THE PYRENEES,2nd:Douglas STREATFEILD=JAMES,Guide
Trailblazer ISBN 1 873756 50 X Price USA$18.95
2)WALKS AND CLIMES IN THE PYRENEES:Kev REYNOLDS,A CICERONE
GUIGDE ISBN1-85284-328-4 USA$19.95
1)は概観の他、各コースの手書き概念図が添えられ、きわめて読みやすく、使いやすい本であった。必要なページをコピーし行動に使うと具合がよい。ただ、この本は、GR10、GR11そしてそれを結ぶ道のトレッキングルートの記述をしている。
2)はそれぞれのピークについての記述がある。それぞれのピークがどういういうものであるかを知るのには必要であった。
上記2冊は、米amazonで入手したが、日本のアマゾンからでも入手できるようで、この方が早く安い。
また、「世界の山やま」古今書院「地理10月増刊」1995にも記述がある。
WEBサイトでは、次の2つが有用であった。
1)アンドラ政府観光局(英文)
http://www.turisme.ad/
2)フランス山岳会(仏文)
http://www.clubalpin.com/fr/index.html
1)は、アンドラの概要、地図、バス路線、ハイキングコースなどの情報が豊富であった。
2)は山小屋(refuge)などの情報がある。
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