これは、蔵王町の、役場から遠刈田に行く県道の途中、疣岩(いぼいわ)の近くにある、農業用の灌漑施設の名前です。
蔵王町のホームページでは次のように説明されています。

「疣岩分水工は円田字棚村地内の県道沿いにあり、現在の農業振興の基盤として重要な施設で、県内では一番最初に出来た分水工と言われています。
遠刈田発電所で発電用に使った澄川の水の一部をこの分水工に放流し、7割が澄川用水路に、3割が黒沢尻用水路の方に分水され、850haの水田に活用されています。」

  水源は、澄川・濁川合流点にある、澄川からの取水施設です。

  松川の対岸にある、遠刈田発電所で発電に利用した水を、川の底をサイフォンの原理で渡し、円筒の中央から出てきた水を円筒形の分水工で、澄川用水(左)と黒沢尻用水(右)に7:3の割合で分けて送っています。円周をこの割合で切っていますから、どんな時でも正確に7:3に分かれ、水争いの原因にならないようにしています。

この分水工の歴史について

 また、蔵王町観光物産協会のWebでは、

「時代をさかのぼること約百年前、大正初期のこの時代は毎年干ばつに見舞われ、旧円田村、村田町などの地域は、農作物を栽培するための水不足に悩まされてきました。『我らに水を与えよ。しからざれば死を与えよ。』と村人たちが嘆くほど干害による被害が続きました。村人たちは新たな水源として澄川に水を求め、分水施工から完了まで2年を要したこの施設は、80年経った今もなお使われています。」

「この分水工、昭和6年から運用され、今も現役で使われています。
平成23年、公益社団法人土木学会により、選奨土木遺産(昭和初期までの時期に建設された近代的な土木構造物で、当時の技術や地域の近代化のようすを今に伝えることができるものに対して土木学会が認定するもの)に認定されました。」

と書かれていました。

動画を見るにはこちら

先人の知恵と苦労が詰まった施設です。

ガイド資料

疣岩分水工・県内では、一番初めにできた分水工である。
・昭和4年に施行を開始し、昭和6年に完成した。
・当時、毎年干ばつに見舞われ村田町や円田村ではほとんど農作物が育たなかったが、当時の状況を示す『我らに水を与えよ、しからざれば死を与えよ。』の言葉が残っている。
・平成23年に(公社)土木学会により、日本土木遺産(奨励土木遺産に認定されている)
澄川の利用遠刈田発電所(出力2,400kw)で水力発電に使用された後の水の一部を水稲の用水として利用している。(参考:曲竹発電所は890kw)
・火山の成分を色濃く含む濁川の水が混ざる前の澄川より良質な水を取水。
・疣岩分水工により7割を澄川用水、3割を黒沢尻用水へ分水している。
・澄川用水は、円田?平沢を経て村田町へ、黒沢尻用水は、永野~矢附~宮を経て大河原へ
・みんな野の源流米もこの用水(澄川用水)の水を使用している。
その他この疣岩分水工を建設するにあたって、この町の代表を務めていたのが、今の村上英人町長のお爺さん、村上勇吉氏。
⇒その功績が認められて、円田地区公民館前に銅像が建立されている。