ジオサイト刈田岳
火山活動と人々の信仰
噴火を繰り返す火山や雄大な山容は、人々に畏怖の念を抱かせます。蔵王山は、平安時代以前には山そのものが神(ご神体)と崇められ、平安時代以降には、繰り返す噴火と共に修験道や御山詣り、そして観光の場として人々の暮らしと密接に関わってきました。
二つの蔵王刈田嶺神社
刈田岳山頂に鎮座する蔵王刈田嶺神社奥宮は、かつて奈良県吉野地方で発祥した修験道の主尊「蔵王大権現」を祀る「蔵王大権現社奥宮」でした。
明治時代の神仏分離の影響により、天之水分神(あまのみくりのかみ)、国之水分神(くにのみくりのかみ)を祀る神社となりました。
江戸時代中期となり庶民の間でも各地への霊場に参詣旅行が盛んになると、参詣の目的地として、多くの参拝者が蔵王参詣表口を通り蔵王大権現社奥宮を訪れました。この行程は「蔵王御山詣り」と呼ばれ、かつての修験道の道跡の一部が元になっています。
現在、遠刈田温泉地内にある蔵王刈田嶺神社里宮は、江戸時代以前、「蔵王大権現社旅宮(おかりのみや)」と呼ばれ、蔵王大権現の冬の遷座所となりました。この遷座は、神事として現在に残されています。
伊達宗高公命願の碑
江戸自体の初期(1623~1624年)に寛永の大噴火により蔵王山麓の村々は、当時多大な被害を受けていました。
父である仙台藩主伊達政宗の命を受けた村田城主で政宗の七男である伊達宗高公は、山頂に祭壇を設けて、噴火の鎮静を祈りました。
ほどなくして、火山活動は沈静化しましたが、その2年後に宗高公は息を引き取りました。自らの命を賭して火山の噴火を収めたことに、人々は大変感謝しました。
刈田岳山頂には、その功績を讃える石碑がいくつか建立されています。
馬の背カルデラ
熊野岳と刈田岳を結ぶ稜線は、地域の人々や登山愛好家から「馬の背」と呼ばれたいます。
馬の背の東方には、約3万5千年前に形成された凹地、「馬の背カルデラ」があります。このカルデラも直径は約1.7㎞あり、3万5千年前以降の蔵王火山の活動は、ほぼこの中から起こっています。カルデラ内には、最新の火山帯である五色岳も存在します。
今後の活動も、カルデラ内で発生する可能性が高いと考えられています。
刈田岳
刈田岳山頂部は、蔵王火山の約22万年前の活動で刑された溶岩ドームからなります。
表層部には、馬の背カルデラ内で起こった約3万5年前以降の火山活動による噴出物が堆積しています。
熊野岳
(約13~14万年前に形成された火山体)
五色岳
(約2千年前から成長を続けている火山体)
ロバの耳岩
(約100万年前に形成された火山体の一部)
五色岳東部
(約2千年前以降の崩壊跡)
刈田岳
(約25~20万年前に形成された山体)