ジオサイト青麻山
青麻山形成史
青麻山は、約40万年前に形成された小規模な成層火山
10万年間という期間で活動が終息
前期
円錐形の山体の形成
粘り気の弱い玄武岩質溶岩流の後、熱い安山岩質溶岩が流出、火砕流発生
火砕流堆積物の一部は、下位の湖底堆積物と互層をなしている。
青麻火山形成以前には、周囲に大型のカルデラ湖 白石カルデラ
カルデラ形成期
山頂カルデラの形成 直径約2.5㎞
爆発的な噴火による火砕流の流出に伴い、山頂にカルデラが形成、この南部が崩壊し岩なだれが起こった。
後期
溶岩ドーム群の形成
粘り気の多いデイサイト質マグマが上昇、地表を破って上がり、ドーム状の小山体を形成。青麻山、あけら山、遠森山がそれにあたる。
青麻山と人々の暮らし
青麻山東麓には、縄文時代の遺跡がいくつか見つかっている。
青麻山のふもとには扇状地のなだらかな地形、その表層には蔵王火山からの火山灰の堆積と植物の繁茂腐敗を経て、良質な「黒ボク土」形成
冬の蔵王颪(おろし)の強風に対し、青麻山が壁になり、東麓部を守った。人が住みやすい環境が作られた。
信仰の山青麻山
平安時代以前、蔵王山は「刈田嶺」と呼ばれ、山そのものが神として信仰の対象になっていた。神体である刈田嶺に対し青麻山は神を奉る拝殿の役割を果たした。ここに刈田嶺神社が建てられた。これは平安時代の古文書「延喜式神名帳」にも記されている。
その後、奈良吉野で発生した修験道の修験者(山伏)たちが修行を行うようになった。彼らが刈田嶺の山頂に祀ったのが「蔵王大権現」であり、今の蔵王の名はここからきている。
その後修験者たちは青麻山のふもとに「願行寺」という寺を営み、奥州藤原氏が後ろ盾となり願行寺四十八坊と呼ばれるくらい繁栄したが、その後衰退した。
その僧坊は宮の蓮蔵寺、遠刈田刈田嶺神社と変遷し、今もその姿を伝えている。