ポーランドの山 Rysyに登る


 2006.8

 カルパチア山脈の東部ハイ・タトラ山地にある、Rysy(リシ、リシィ、リスィ)2499mに登った。
 「カルパチア山脈」といってもなじみがない地名であろう。映画「タイタニック」で、救援に来た客船が「カルパチア号」という名であったのだが。ヨーロッパアルプスの東の延長がカルパチア山脈である。
 その中で、スロバキアとポーランドの国境に沿って東西に延びる山地が「ハイ・タトラ山地」(高・タトラ ポーランド語ではTatry)と呼ばれている。最高峰ゲルラホフカが2654m、標高2500mくらいの山が連なっている。南のスロバキア側では、2634mのロムニツァ(Lomnica)までのロープウェイがあるなどの山岳リゾート地であるが、この山々の中で、ポーランド側の最高峰が、リシィ2499.6mである。
 ポーランドの南部にある古都クラクフから、約100kmのところに山岳観光地ザコパネ(Zakopane)がある。この町が登山のベースになる。クラクフからバスで2時間半〜3時間で到着する。

ザコパネ

 8月16日午後、ザコパネに到着。バスターミナルから10分少し歩いたところに中心街があり、インターネットで探しておいたホテルGromadaに入る。シャワー共同、1泊106ウズウォティ(以下zl~と表す)の気持ちの良い部屋である。(1zl~≒35円)。地図は前もってワルシャワに住む知り合いに頼んで入手していたので、ザコパネからバスに乗り、そこから歩くことはわかっていた。バスの時間を聞くと、始発が6:30であったが、朝食の後のバスが7:30にあるという。そうかと、軽い気持ちで聞いていたのだが、後で後悔することになる。
ザコパネは、考えていた以上のリゾート地で、中心の通りは夏の軽井沢のようなにぎわいである。夕食をすませ、翌日の昼の食料を買い、宿に戻り地図を見てから寝る。

ザコパネの中心街

ザコパネからタトラ山地

ザコパネからカスプロヴィ山Kasprowy

登山口まで

 翌17日、5時過ぎに起きると、天気は良好。支度をすませ荷物をもって7時に食堂に行くが開いていない。フロントで何とかしろというが、係の女の子は「連絡しても誰も出ない」・・・そうこうしている内に10数分経過。ようやく開く。バスが出るまで15分しかない。しかたなく、ジュースでパンとハムを流し込み、大あわてで出発。食べた気がしない。ホテルの前に運良くタクシーがいたので、バスターミナルまで乗ってようやく間に合う。6zl~。バス停で乗るバスを探すのだが、Polana Polenica に行くバスがわからない。手帳に書いた文字を見せると、道路の反対側にあるマイクロバスを教えてくれ、ようやく乗り込む。地図にはバス終点の場所に、Polenica Bialczanska(lにはノ、nには'がついている)と書いてある。朝食からバス出発まで30分は短すぎで、本当なら、宿の朝食はパスして、6:30のバスに乗り込むべきであった、と後悔する。
バスは、満席で出発。途中、中心街のそばのバス停で何人かが乗り込む。40分ほどで終点。7zl~を払い下車。広い駐車場に売店が有り、テーブル・椅子を置いてコーヒーなど飲んでいる。オレンジジュースを3zl~で購入。帰りのバスを確認。15.00;15.40;16.20;17.00;17.40;18.20;19.00。最終は19時ちょうど。それまでに戻ってこなくてはいけない。コースタイムが片道5時間だから、往復すると余裕はない。ここでも、始発にすればよかったと後悔。が、しかたがない。8:20に歩き始める。入口にゲートがあり、入園料だかをとっている。4zl~払う。100人ちかくのこどもの団体と一緒になる。中学生くらい。引率する教員らしきおとなもいる。ゲートを過ぎたところに、観光用の2頭立ての馬車がいる。だらだら道を約10km歩くのでここで少し稼がなければ、と脇目もふらず歩き始める。舗装された広い道を歩いていく。子供の団体を抜こうと少し急ぐ。両側は高い木の林だ。約30分で滝のところに来る。大勢が休んでいる。移動式のトイレがずらりと並んでいる。横目で見て、通過。途中で馬車に追い越される。当然のことだが、人が急いで歩いても、馬車の方が早い。時間の短縮と、体力の温存を図る目的に利用するのもいいかもしれない。

ザコパネからリシ方面

バス終点Polana Polenica

馬車

リシィへ

 ひたすら舗装道路を歩き、10時に湖の畔に着く。Morskie Oko(モルスキ・オコ)という名の湖だが、氷河のカールの底がモレーンでふさがれて水がたまった、丸い形の湖だ。モルスキは湖、オコは瞳だそうで、青い瞳のような澄んだ水が印象的だ。(英文パンフレットではLake of Eyes)。畔には建物がある。これは、レストランのようだ。ここで10分休憩。湖岸には一周する道が付いている。ちょうど対岸あたりに上に登る道が見える。左の道を選ぶ。30分は湖に沿った平らな道。そこから上の湖まで標高差200mを30分で登る。上の湖も丸い形のカール底にできたもので、Czarny Staw pod Rysami(チャルニ・スタブ・ポトゥ・リサミ)「リシの下の黒い湖」だそうだ。透明な青い水をたたえている。ここまでが、観光客が来るところだ。ここから山頂まで約1000mの急な登り。3時間かかる。

 さて、この湖を半周するとカール壁を登る道が始まる。高度差約500mのカール壁をジグザグに登っていく。大きな石で道はしっかりつけられている。ところどころに花が咲いている。下に2つに湖がくっきりと見えている。とても美しい。尾根の先端の広い岩場でカール壁は終わり。
 ここから岩稜に取り付く。標高差500mくらいの岩稜につけられた鎖場の連続である。岩自体はしっかりしているので落石などはあまり心配しないでよいがトラバースなどで高度感がある。天気がよいので、2つの湖が足下に見えている。下山中のグループと鎖場ですれ違うために、時間のロスが非常に多い。ダダーッと登り、待ち時間。この繰り返しなので、登高のリズムも崩れるが、ただひたすらに高度を稼ぐ。交わされる声は「ジンドゥブリィ」というポーランド語のこんにちは、が多いが、中には英語で「ここは初めてか」と聞かれ、そうだと応えると、「上はすごい景色だ。」と励ましてくれる人もいる。途中2回の休みをはさんで、上の湖から3時間。主稜線に出る。ここからRysyの頂上は目の前だ。30人くらいの人が山頂部にいるのが見える。やせた稜線を鎖をたよりにトラバースする。足下はスパッと切れ落ちている。下まで数百mはあるだろう。10分ほどで待望の頂上。時に2時5分。予定通りの時刻に到着した。これより遅れると、最終バスに乗れなくなってしまう。

山頂

 頂上部は狭く、人がひしめき合っている。これまで登ってきた北側(ポーランド側)の他、南側(スロバキア側)の山々が見えている。いずれも鋭い岩峰である。Rysyの標高は2499mで、同じような高さの山々が見えている。頂上には、ポーランドの看板(Rysy)とスロバキアの看板がつけられ、国境の山であることがわかる。天気は晴れ。見通しよく、スロバキア側の登山道が、2つの山上湖の脇を通っているのが見えている。西側にも、東側にも峰々が続いている。このあたりは東経20°05′北緯49°11′と緯度が高いのでこの高度でもはるかに植生限界をこえているから、どれも浸食された岩山で、日本でいえば、北アルプスの穂高連峰のような岩山である。

下山

 山頂で写真を撮ったり、一休みして、15分後に下山開始。19時の最終バスを意識しての事である。登りに5時間半かかっているから、4時間半で下山しなければならない。こういうところにも朝の1時間の影響が出ている。トラバースをし、登ってくる人たちとすれ違いながら、岩稜を鎖を頼りにどんどん下っていく。登りであれほどあえぎながら通ったのが嘘のようだ。20数分で相当下まで降りてしまった。山頂が遙かかなたに見える。登山者の数は相当少なくなり、待ち合わせの時間が少なくなっている。1時間で尾根の下の広場に出る。鎖場はここで終わり。少し休んでから下山を続ける。急なカール壁にジグザグにつけられた道を降りていく。途中、2人の修道女があのロングスカートの裾をはしょりながら歩いて降りていたのにびっくり。40分で上の湖「黒い湖」に着く。

 ポーランド語でこんにちはは、「ジンドゥブリ」、ありがとうは、「ジンクィエ」というようで、何度か耳にしたが、挨拶しない登山者の数が多いように感じた。また、「上り優先」「早い人に道を譲る」はあまりやられていない。後で地元の人に聞くと、リシィはあまり山に登っていない人も来ている(日本の富士山のようなもの)からそうなっているのでは、と言っていた。

 5時にモルスキーオコ。レストランでトイレを借りたら、「日本から?」と聞かれ、「コニチハ。アリガト」と挨拶された。今回は見なかったが、日本人もここまでは来ているらしい。最終バスまで2時間しかない。そこから少し降りたところで、馬車乗り場に着く。待っている人が100人近くいて、どうしようかと迷う。乗れれば、楽に早く着くが、こんなに待っているので、乗るのが遅くなるとアウト。今なら急げば歩いて間に合う。しばしの思案の結果、安全策で歩くことにした。緩やかな下りの舗装道路を11kmを2時間で歩く。早足で歩いていると、次から次へと馬車が来る。空身で登り客を乗せて下るから、早い早い。しまった、と思ったが後の祭り。ひたすら歩いてバス停に着いたのは6時30分。30分早く着いたが、臨時バスなのか、町へ行くバスが待っていた。乗るとすぐ出発。ザコパネの町に着いたのは7時30分。出発からちょうど12時間。
 好天のもと、ハイタトラ山地のRysyに登った1日であった。暮れ始めた街角で飲んだビールがうまかった。
 その日は、ザコパネの宿に連泊し、翌日、クラコフに戻った。  
アウシュビッツの入口 ビルケナウの広大な収容所 ワルシャワ蜂起記念碑
ワルシャワ旧市街で バリケードの跡・戦車のキャタピラ パヴィアック収容所

ポーランドの旅

 その後、オシフィエンチムとビルケナウにある、ドイツのアウシュビッツ強制収容所跡を訪ね、広大な跡地を夏の日ざしに照らされながら歩いた。100万人の人間を殺害するために、人間はこんな事もできるのかと考えながら。ワルシャワに出て知人を訪ね、ワルシャワの街を歩いた。街には、第2次世界大戦のワルシャワ蜂起記念碑はじめ戦争の跡が至るところにあり、パヴィアック(Pawiak)の収容所の跡の記念館も訪ねた。戦争の爪痕を目の当たりにし、当たり前であるが、平和な時代であってこそ登山ができるのだと改めて実感するとともに、それを次の世代に伝える努力をしている街と、全くと言っていいほどやっていない日本の現実を考えさせられた。
いい旅であった。

http://www.z-ne.pl/templates/mapa/mapa13.htm

地図
TATRY ZAKOPANE i OKOLICE ,1:27000 ,ExpressMap Polska, ISBN 83-881112-35-x  15 zl~
TATRY POLSKIE I SL~OWACKIE mapa turystyczna ,1:50000, EKO-GRAF , ISBN 83-85545-05-9 7 zl~


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