はじめに
2018年春に、ポルトガル各地、そして地中海クルーズを行いました。やっとリスボンに到着 <ポルトガル旅行記1> 2018年3月28日
春のポルトガルの旅に来ています。ユーラシア大陸の一番西の国だけあって、遠いです。
28日13:15定刻に成田を出発したアリタリア航空のAZ785便は、12時間後にローマに到着。現地時間19時。1時間15分後にリスボン行きが出る筈が、2時間遅れになっていました。もともと、22:30に着くことになっていたのが2時間遅れて24:30着。
リスボンに何とかたどり着いて、タクシーで宿に向かいました。着いたのが1時半。長い一日でした。ポルトガルは遠い。
リスボン街歩き <ポルトガル旅行記2> 2018年3月29日
朝はまず宿の周りのチェック。スーパーマーケット(ここでは、メルカド)やレストランなどを見つけました。宿は中心部に近く、メインストリートまで歩いて10分ほど。展望台(サン・ペトロ・デ・アルカンタと、長い地名です)から街のメインストリートのリベルターデ通りを眺め、ケーブルカーに沿って下ります。
リスボンの街は、坂だらけ。何か所もケーブルカーがあり、主要な交通機関の一部になっています。「坂の街」「7つの丘の街」ともいわれます。
途中で、石畳を直していました。この街の石畳の模様は美しく、見飽きません。
ロシオ駅に行き、交通に使うカードを購入。プリペイド形式の紙のカードで、チャージできます。カード代は0.5ユーロです。これで、地下鉄、バス、トラム、ケーブルカーに乗れます。紙のカードでチャージできる歩いうのは初めての体験です。
町の中心街を歩きます。シアード地区、海に面したコメルシオ広場、アウグスタ通り。ここで昼食。
そのあと、トラムの28番で観光しようとしますが、これが大変。反対側の電車は次々と来るのに、行きたい方には来ません。どうなっているのでしょうか。トラムは、とても小さな車体です。ようやく来たバスに乗りポスタデルソル広場に行きます。ここから海が見えます。
そこから教会を一つ見て、サンジョルジュ城に行こうとしますが、なかなか着きません。ようやくたどり着くと、入場券の長蛇の列。
この城は、リスボンの港と町を一望でき、古くはローマ帝国、アラビア人、スペイン、そしてポルトガルと、支配者が変わるたびに使われたとのことでした。確かにいい位置にあります。建物の色タイルの壁が美しい。
途中見たのは、ほころび始めた桜。こちらでもこういう季節になっています。
夕方になったので宿に戻ろうと、トラム乗り場に行くと、人人人。超満員の車内では、3人組のスリにも遭遇。被害はありませんでしたが、いい(いやな?)経験になりました。
宿に戻り一休みしてから夕食。近くのレストランに行きました。
街歩きの途中、ふと見た、ごみ取集ボックス。ガラス瓶の絵の上に、「ビードロ」と書いています。ポルトガルと日本の古いつながりを見たような気がしました。
リスボン一日目は、渋滞と行列。さて、これからどうなることやら・・・。
シントラとロカ岬・渋滞と行列<ポルトガル旅行記3> 2018年3月30日
シントラは、世界遺産にもなっている観光地。ここと、ユーラシア大陸最西端のロカ岬を巡るのが今日の予定です。
朝、ロシオ駅まで歩いて、ここからの列車で出発です。9時発のシントラ行きですが、次第に人が乗り込み、座席は満席で立つ人もちらほら。途中からも乗り込んで、シントラ到着時には、狭い改札口に長蛇の列。
さらに、その多くが路線バスに。「平日なのに何か変だな」と思いつつ、行列に並ぶしかない状態。やっと来た3台目のバスで出発。しかし、片道一方通行の曲がりくねった山道は少し進んでは止まり、の繰り返しでノロノロ運転。ようやく、ペーナ宮殿まで来ました。そうするとこんどは入場券売り場が長い行列。
ようやく庭園に入ったのが11時過ぎ。さらに庭園を登っていくと、今度は、宮殿に入る行列。宮殿内にようやく入場したのが11時過ぎ。見学コースに入っても行列は続き、12時過ぎに宮殿の外に出ました。
空腹で、レストランで昼食。その後、山を下りてバス停に戻ると、またまた長蛇の列。5台目に乗ってようやくシントラの駅に戻ってきました。ここは、普通なら3つの観光地を半日で回れるところ。それが、1つ回って午後2時過ぎになっています。
調べてみると、今日は聖金曜日で休日。復活祭(イースター)の連休だったのです。ヨーロッパ中が連休になり、店は休み、観光地に行く、という日だったのです。イースターは、年によって日が異なっていますが、今年は、4月1日の日曜日がそれにあたり、その前から4連休なのだそうです。
シントラはこれで切り上げ、ロカ岬に行くバスに乗り込みました。こちらも混んでいて、道路も渋滞がいくつもありましたが、ロカ岬に到着。目の前に大西洋が広がっています。モニュメントと灯台、観光案内所、カフェがそれぞれあるだけです。岬の景色を眺めた後、カスカイス行きのバスに乗り、カスカイスで国鉄に乗り換え、リスボンのカイス・ド・ソドレ駅に戻りました。
駅から、改装されたリベイラ市場に行きました。中は巨大なフードコート。それから、ケーブルカーのビカ線に乗り宿に帰りました。ビカ線は海の見える名物路線で、途中大勢の観光客が写真を撮っていました。
スーパーで買い物をして、宿に戻り、今日は外出せず、部屋食を済ませて一日を終えました。
イースターとはつゆ知らずヨーロッパに来るとこんな目に合う、という今日の一日でした。あすあさってはどうなるのでしょうか。
コインブラへ移動 <ポルトガル旅行記4> 2018年3月31日
この日は、中部の都市コインブラへ移動する日。
朝、今の宿を出て、大きな荷物をリスボンに戻る日に泊まるホテルへ預けて、身軽になって旅行します。荷物を預けてから地下鉄に乗り、コインブラなど北部方面の列車が出るサンタ・アポローニャ駅に移動。
切符売り場で次のコインブラまで、というと、「2時間後」。事前の調査では1時間に1〜2本あったはずなのですが・・・。 仕方ないので、近くで時間つぶし。駅のすぐ隣に、「戦争博物館」というのがあるので、ゆっくり見物することにしました。
中世の騎士の用いた武器や近代の戦争兵器が広い館内にびっしり展示していました。中には、日本の侍の刀などもありました。中庭や広いホールには、かつて使われた大砲がゴロゴロと置かれ、中庭の壁にはこの何百年の戦争の様子を描いたタイル絵がぐるり。
時間になったので、ホームに行くと、IC(インターシティー)の長い列車が着いていました。切符を買った時にレシートをくれたので自由席かと思っていたら、違いました。そのレシートが乗車券で、座席番号が書かれていたのです。これまでヨーロッパで鉄道には何度も乗りましたが、きちんとしたカードの切符に、列車名・時刻・車両名・座席番号が書かれていましたので、初めての経験でした。どうも、ポルトガル国鉄はわかりません。時刻表も貼っていません。請求してもくれません。これまでのヨーロッパの鉄道の経験にないことばかりです。時刻表のない列車の旅は不安です。
始発の次のオリエンテ駅で、座席はほとんど埋まってしまいました。運行数が少ないので客が集中しているようです。
2時間ほどでコインブラBという駅に着きます。ここはコインブラではなく、もう一駅、連絡列車に乗るのですが、その列車も時刻表がありません。ようやく聞いてホームに行くと、2時5分発と電光掲示板に。35分後の接続です。しかも乗客は6人。事情を知っている人はこんなに待ってられず、バスか何かで行ったと思われます。この駅では大勢下りましたから。
ということで、なんとかコインブラ駅に着黄、宿に行くと、2時半過ぎ。荷物を置いて町に出て、ツーリストインフォメーションで「トーレ」(ポルトガルの最高地点)に行く方法を聞くと、的確に教えてくれました。これは素晴らしいこと(あたりまえか?)です。とうことで旅行の先の予定が決まりましたが、もう夕方。明日街を回ることにして、宿で一休み。その後夕食に出ました。
イースターの休みで、店も閉まっています。レストランなどもです。スーパーは2軒開いていました。町の中心部のレストランは開いていましたので、そのうち1軒に入ってみました。これが、大当たり。庶民風のレストランで、MENU(本日の定食)が、スープ・メイン料理のほかドリンク付きで10ユーロ。ワインを頼むと、500mlのデカンタがついていました。メインは、肉魚6種類から選べます。ただ、達筆のポルトガル語で書かれているので、旅行者には読めませんが、元気のよいおばさんがしきりに勧めてくれましたので、わかりました。ポルトガルは食べ物が安いですから、旅行者にとってはありがたい。
夕食を済ませると、もう暗くなっていました。金星を見ながら宿に向いました。
イースターの影響はいろいろとあるようで、クリスマスなどと同じように、旅行者には大変な季節です。
コインブラ 大学の街 <ポルトガル旅行記5> 2018年4月1日
コインブラは、ポルトガル中部にある、第3の人口を持つ街で、ヨーロッパでも古い大学、コインブラ大学が有名です。そのはじめは1308年というので、800年以上の歴史があります。
旧大学が公開されています。大学は山の上にあるのですが、そこに登るエレベーターがあります。垂直に登るのと斜面に沿って登る2台で大学のある山の上に着きます。1.6ユーロ。エレベーターも公共交通機関なのです。
大学のチケットセンターで入場券を購入し、「鉄の門」を入ると時計塔のある広場。まず、時間を指定された世界一古い図書館ジョアニア図書館から。アカデミック監獄、閲覧室、黄金の蔵書室と3階建ての図書館です。定員制。
そこを出て、礼拝堂カペラ。さらにラテン回廊、帽子の間と呼ばれる豪華な部屋があります。
そのほか、広い植物園の前には、水道橋があります。そして科学博物館には、古い自然科学に関する展示や博物標本などがあります。
そのほか、医学部や文学部、理学部などの新大学の建物のほか、新旧のカテドラルや美術館などが山上にあります。
山を下って、繁華街に出て昼食。そのあと、モンデコ川にかかるサンタクララ橋を渡り対岸へ。ミニポルトガルという子供向けのテーマパークを見た後、サンタクララ修道院へ行くと、閉まっていました。今は廃墟になった旧サンタクララ修道院は外から見ることができます。
コインブラのマスコットとなっている、黒いマントの学生。この街が大学の街である象徴です。いまだにこの大学を中心とした街の雰囲気を感じ取れます。
ポルトガル最高峰は雲の中 <ポルトガル旅行記6> 2018年4月2日
コインブラも街路樹にはオレンジが植えられています。それが今、たわわに実をつけています。地元の人は、取らないのでしょうか?こういう街路樹もいいですね。
さて、今日は、バスセンターからセイア(Seia)という街へ移動します。ポルトガルの最高峰、Torreに行くためです。この最高峰は、エストレーラ山脈(Serra da Estrela)にあり、標高1993m。その昔、国王が、7mの塔を建てたので、Torre(塔)という名前が最高地点の名になったようです。
バスは2時間ほどで、セイアに着きました。ここは地球の歩き方にも載っていないところです。ただ、国立の「パン博物館」があるようで、それに関する記事がネットで探せます。博物館のWebによると、月曜は休館のようで、今日がその月曜日。
バスターミナルから300mというホテルをめざしますが、これがすごい急坂。10分ほどかけて着きましたが、この街もすごい坂のある街です。
昼食は6.5ユーロのmenu。お得です。スープ、メイン、ドリンク付きです。
その後タクシーで20数キロ離れた最高地点に向かいます。標高が1300mあたりから雪が出てきます。標高が1500mを過ぎると雲の中、両側は雪の原です。途中で子ども連れの人たちがそり遊びをしています。
標高1900mを過ぎた地点では、塔に至る道はまだ除雪されておらず、ここが終点。1時間ほどかかりました。4月とはいえ、2000m級の山ですから、当然と言えます。機会があれば、雪がないときに来たいと思います。
町に戻り、パン博物館で降ろしてもらいました。実は、月曜日は休みなのですが、イースターの休みで臨時営業とか。いろいろイースターのおかげで不自由しましたが、これだけはラッキー。
博物館は小ぶりな建物ですが、パンの歴史、ポルトガルのいろいろな地方のパン。パンと政治。そして秀逸なのは、子ども向けの、人形のジオラマです。子どもたちにパンつくりの工房もあります。バーからの景色は、広々としています。売店もいろいろなものを売っていますが、パンはs単位で値段がついている大きなもの。そのほか、レストランで昼にランチが出るようですが、予約が大変とか。
面白いパン博物館でした。街に戻るため坂を下りていきます。お土産屋でコルクのバッグを買いました。ポルトガルはコルクの産地ですが、コルクがこういうように使われているのはびっくり。
夕食は、英語の通じないレストランで、いろいろやり取りしながら、スナックという小皿料理を5品食べました。アイフォンの通訳機能まで使って・・・。
街には水仙が咲いていました。春のポルトガル旅行は続きます。明日はポルト。3時間のバス旅です。
北部の街・ポルトに到着 <ポルトガル旅行記7> 2018年4月3日
セイアのバスターミナルを7:45に出たバスに乗り、ポルトに移動しました。途中5か所ほどを回りながら、最後はA1という、リスボンとポルトを結ぶ高速道路を通ります。この一部は有料になっているようで、バスは、日本のetcと同じようなシステムでしょうか、料金所を通り抜けました。
ポルトは、リスボンに次ぐ第2の都市で、ポルトガルの地名のもとになった、歴史のある街です。ポルトに入ると、ドウロ川を渡り市街に進みます。途中、雨脚が強くなったり晴れたりと目まぐるしく変わる天気だったのですが、バスを降りると雨は上がり、宿に着きました。荷物を預けて、街をぶらぶら歩きます。市役所から川の方がこの町の観光の中心。宿から地下鉄トリンダーデ駅、市役所、ツーリストインフォメーション、ボリャオン市場、壁の装飾がとても美しいサン・ベント駅と進み、途中で昼食。そのまま古い街並みを下って、ドウロ川まで下ります。対岸には、ポルトワインの醸造所がずらりと並んでいます。
また宿に戻りますが、この街も、結構な坂道だらけです。
途中、国鉄サン・ベント駅に寄り、案内所でポルトからリスボンの時刻表をくれというと、印刷物を取り出して渡されました。時刻表はあるのです。ただし、ものすごく細かい字で書かれていて、読むのが大変。特に、ポルトでは、サンベント駅からはリスボン行きは出なく、一駅先のカンパニャン駅から出ていること、電車は1時間に1〜2本はあること、αという特急とICインターシティとあること、などがわかりました。ちなみに、来るときの2時間待ちは、アポロニアを通らない列車があるので2時間あくこと、などがわかりました。これを、リスボンで手に入れていたら、無駄はしないで済んだのです。ちなみに、こちらのツーリストインフォメーションに行き、列車の時間を・・というと、国鉄駅に行け、と地図に駅をマークしてくれました。いったどうなっているのでしょう?
明日は、スペインのサンチャゴ・コンポステーラに行くツアーに参加します。調べてみると、ポルトガルからスペイン国境を越えていくのは、非常に面倒で、時間的にもツアーの方がよさそうだからです。ただ、昨日セイアにいるときに、ネットで申し込みをしたのですが、「バウチャーを印刷して渡せ」となっており、旅行中の身にはプリンターなどありませんから、ホテルのフロントに頼み印刷してもらいました。ホテルあてに、メールにアタッチメントファイルをつけて送りました。
そんなこんなで、旅を続けています。
信仰の街・サンティアゴ・デ・コンポステーラ <ポルトガル旅行記8>2018年4月4日
ポルトから北へ200数十キロ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラは、キリスト教のエルサレム、ローマに次ぐ第3の聖地だそうで、フランスのカレーから800q余に及ぶ巡礼の道、カミノ・デ・サンティアゴの終点として有名です。ここは、なかなか行く機会がないところなので、今回のポルトガル旅行の際に行こうと思っていました。
が、ポルトから200q以上あり、鉄道で行くにしてもバスで行くにしても、大変なのです。その理由の一つに、国境を越えることがあります。ポルトガル国鉄とスペイン国鉄の接続が良くないのです。そこで、ポルト発のツアーを使うことにしました。これなら日帰りで行くことができます。しかし、東京から福島を日帰りで往復する距離です。
7:45に宿にピックアップの車が来るようになっていましたので、待っていると、赤のベンツの車が来ました。すでに5人の客を乗せて、我々2人を加えて運転手を入れて8人で出発です。
車は、朝の通勤時間にポルトめざして流入する反対車線の混雑をしり目に、高速道路時速120qを超えるスピードで進んでいきます。高速道路は120q/hが制限速度です。信仰の街ブラガを越え、国境のミーニョ川を越えて、Vigoの近くのサービスエリアまで2時間、ここで30分ほど休憩し、3時間でサンティアゴに着きました。カテドラルの近くで解散、自由時間です。
カテドラルの周りを歩き、「銀細工の門」と呼ばれる入口から中に入ると、正午からの巡礼者のためのミサの最中。中央祭壇を中心に、三方向の座席にはたくさんの人が座っています。しばらくミサの様子を見て外へ。キンターナ広場、サン・マルティン・ビナリオ修道院を通り、集合場所のオブラドイロ広場へ。ここには、巡礼者が最後の一歩を踏むための場所が用意されています。ちなみに、貝の印は巡礼のシンボルのようです。オブラロイドの門は現在改修中で入れなくなっていました。
7人のツアーの集合場所はこの広場の真ん中。ここから、ガイドに連れられて「ランチ」のレストランに移動。ところが着いてみると3人いません。待つことしばし、ガイドが探しに行ってきました。
昼食は、タパス料理。ワインがドーンと置かれ、スープに続いて、トルティージャ(スペイン風オムレス)、クロケット(コロッケ)、ムール貝、チキンと次々と出てきて、ワインの追加もあり、2時間!のランチをしました。
その後、少し自由時間。アラメダ公園と旧市街を歩きましたが、荷物を担いだ巡礼の人たちにあちこちで会いました。アラメダ公園では、シャクナゲ、椿の花が咲いていました。
時間になったので、帰路につきます。帰りは、国境の街、バレンサにある要塞跡で休憩 。ここは、ポルトガルがスペインからの国境防衛のために作った要塞のようです。川を挟んで強固な要塞が作られ、今では、要塞の中は観光施設になっています。要塞の細い道を自動車が走り、お土産屋が多数あります。黒マントの大学生もいました。
高速道路をひたすら走り、6時半にホテル前につきツアーを終了しました。ちなみに、ツアー料金は、ディスカウントで103ユーロ。グレーラインという会社のliving toursというツアーでした。同乗の5人は、ブラジルから来た人だったようで、ポルトガル語。ガイドのミゲルは、ポルトガル語と英語をひたすらしゃべっていました。
宿に戻り、一休みののち、夕食。近くにFujiという日本料理を見つけ、寿司と焼きソバの夕食にしました。おいしかったです。どうも経営者は日本人のようです。お客は結構入っていました。カメラを持って行かなかったので、画像はありませんが。
かくして、聖地サンチアゴへのツアーの一日は終わりました。
宿で面白いものを目にしました。分別用のごみ箱です。黄色は燃えるゴミ、緑はビン、青は紙ごみのようですが、灰色は?
ポルト散策 <ポルトガル旅行記9> 2018年4月5日
今日は、ポルトの街を散策。2泊したトリンダーデにあるStayhotelから、より中心部に近い、Quality Inn という英国系のホテルに移ります。街になじみになると、どこに泊まるのが良いのかわかってきて、ホテルを移ることにより、行動が変わります。2人で泊まって1泊81ユーロですから日本でいうと、1泊5000円のビジネスホテルくらい。日本は一人当たりいくらですが、ヨーロッパでは1室あたりいくらなんで、2人で泊まると安く済みます。
宿の隣は国立劇場、少し歩くとカテドラルに着きます。そこから急な階段をひたすら降りると、ドウロ川に出ます。ヘンリケ航海王子の銅像の隣は、ボルサ宮殿。ガイドツアーが組まれていで、これに参加しないと入れません。ここは証券取引所であったところで、裁判所であった部屋もあります。豪華な黄金の間、アラブの間という美しい装飾の部屋があります。
珍しいハロー現象(日暈)の中心を飛行機雲が2つに切っている光景を見ました。
見終わると12時半。昼食は川沿いの古い街並みにあるレストランORA VIVA。工事現場で働いていた人たちが入ったのでついてはいると、これが当たり。シーフードを安い値段で楽しみました。
その後、ドウロ川クルーズ。一人15ユーロで、1時間ほど近くの川をクルーズします。うたい文句は6つの橋のクルーズ。川から見たポルトの街もまたいろいろなものが見えてきます。対岸には、ポルトワインの醸造所がずらりと並んでいます。川が深くえったので、両岸は崖になっています。そこに道路や歩道、鉄道の橋が高い架かっているのです。町のはずれには、要塞の壁があったようです。
宿に戻る前に、にぎやかなサンタカタリーナ通りを歩きました。Magesticという有名なカフェ、飾りが美しいアルマス礼拝堂、ボリャン市場などを見て回りました。
旅もそろそろ10日、疲れが出てきたので、明日はゆったり日程にします。
ポルト散策つづき <ポルトガル旅行記10> 2018年4月5日
今日は朝から雨。今回の旅で初めてのことです。今日は、10:30とゆっくり目のスタート。
まずはじめに、坂を下りて、サン・ベント駅に行き、切符売り場で明日のリスボン行きの切符を買います。今回は、ICではなくαを使うことに。シャンパーニャ駅を9:47に出て。リスボンのオリエンテに12:22に着くという、2時間半のポルトガル鉄道の最速列車。楽しみです。ただいただけないのは、サンベント駅を出る接続列車が9:10発。たった一駅なので、数分で着くはずなので、接続の待ち時間がたぶん30分以上あることになりそうで、もったいない。
次に、ルイ1世橋を渡り、対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに移動。渡ってからロープウェーに乗ることに。一人6ユーロ。ワイナリーの無料入場券付き。ロープウェーでゆるやかに降りていきます。降りてから、ワイナリーに行くと展示とともに試飲もやっていました。入場券を渡すと、少量のテイスティングワイン。
その後、ルイ1世橋の下の橋を渡り対岸へ。
ここから、国立ソアレス・デ・ドイス博物館まで歩きます。雨は依然降り続いています。博物館の入口で、年齢を聞かれます。65と64だと答えると、両方65で半額。5×2で10ユーロ。博物館は、もとは宮殿だったそうで、1階が、16世紀から20世紀までの絵画と彫刻。2階がいろいろな国の収蔵品。ここに、南蛮屏風がありました。説明文の中に、NANBAN-JIN という言葉。そのほか、琉球の漆器、有田の陶器もありました。かつてポルトガルが大航海時代の先駆けに世界に進出していった時代のものです。
ミュージアムを出てから、カフェで軽食。タクシーでボリャオン市場に行き、お土産を買い、宿に戻り一休み。
夜、近くの大衆食堂で2人で15.50ユーロの夕食をとりました。
再びリスボンへ <ポルトガル旅行記11> 2018年4月7日
ポルトから、リスボンへ特急列車αで移動しました。昨日、特急の切符について書きましたが、少し早く余裕を持って出かけます。案の定、サンベント駅発の時刻を聞いたら9:10と「書いて」くれたのに、実際は、9:05発で、カンパーニャ駅着が9:10なのです。だいたい、乗客が知りたいのはその駅を何時何分に出るのか、ということであるのに・・・。危ないところでした。
30分ほど待って列車入線。αは思ったより古い列車でした。が、早いことは早い。途中停車駅が少ないからです。定刻より10分遅れでリスボンオリエンテ駅に到着。
ここから地下鉄で、宿のあるサンセバスチャン駅に移動。荷物を置いて、地下鉄でカンポスグランデに出かけます。市立博物館に入館。地上階は閉まっていて、1階だけでしたが、いろいろなものが表示されていました。特に印象的なのは、1755年に起こったリスボン大地震。廃墟と化した街の様子が展示されたいました。もとは宮殿だったそうで、庭も広く、庭園に置かれた陶器の動物も不気味です。雨は降ったりやんだりの天気です。
駅で軽い昼食。カステラも食べました。カステラは、ポルトガルのお菓子を日本風にアレンジしたものだそうです。本家の方は、パンデローとかいうそうな。
サンセバスチャン駅に戻り、駅のそばにあるグルベンキアン美術館へ。ここは、アルメリア人の石油王が材をなし、その遺産と美術品を国に寄付して作られたそうで、町の真ん中に広い庭園を持つ広い美術館でした。入場料は、大人10ユーロ、65歳以上は5ユーロです。
初めに入ったのが、現代美術館。広い館内に彫刻、絵画、雑誌などが展示されています。庭を通って本館に移動。こちらの方は、エジプトから始まりイスラムの品々、東洋のものでは中国の陶器、日本の漆器も展示されていました。根付も解説付きで展示。ヨーロッパの絵画もあります。
たっぷり見て回り、宿に戻ります。夕食は、ホテルのブッフェ。飲み物込みで一人15ユーロ。
明日から2日間、リスボン散策です。
曇りのち晴れ、最後は嵐のリスボンの天気 <ポルトガル旅行記12> 2018年4月8日
今日は、ベレン地区にあるいくつかの観光に。朝は曇り気味でしたが、そのうち晴れてきました。
地下鉄を乗り継ぎ、国鉄を使って、ベレンに行きます。ここでの第一の見ものは、ジェロニモス修道院。ポルトガルが世界の海に覇権を唱えた時代に作られた、いわば、世界の富を集めて建てられた建物だそうです。外から見ると、とても立派な建物です。しかし、今日は日曜日。休みの日に当たってしまいました。
着いてみると、長い行列。入口には2列あり、左は修道院、右は教会となっています。修道院の入るチケットを買う行列です。なんでも、キオスクでも売っているようなのですが、日曜日で閉まっています。隣の、考古学博物館との共通チケットも売っているのです。仕方ないので列に並ぶこと1時間弱。ようやく入れました。その間にも、チケットを持っている人はさっさと入っていきます。実は列は3つあるのです。
ようやく中に入れました。回廊は立派な装飾を施された建物です。それにいくつかの部屋がついています。アズレージョで囲まれた食堂。奥には、世界とポルトガルの歴史の展示があり、北斎の浮世絵や原爆などが描かれていました。
その後隣の、考古学博物館を見学。ここで、先にこちらで共通券を買い見学し、それから修道院に行けば待ち時間を節約できる!ということに気が付きましたが後の祭り。列の長さが全然違います。こちらには、ローマ時代の遺物やら、アラブ時代のものなどいろいろありましたが、「宝物館」の金銀宝石には驚きました(撮影禁止)。ここのいいところは、「触ってください」という展示がたくさんあること。ただ眺めるのとは全然違います。
カフェで昼食ののち、ベレンの塔に行きました。ここが、かつて、灯台や税関として港を管理していた施設。ここでも行列です。ところは、こちらの行列は、全然進まないのです。海の上にある通路ですから吹きっさらし。1時間以上待ちました。どうも、定員120名で、入れ替えのようなことをやっています。おまけに、チケットを持っている人はさっさと入っているようなので、チケットを購入する行列は進まないのです。一人出れば一人入れるようなものですが、そうはいきません。
入ってみて分かったことですが、塔に登る廊下が狭く、登りの時間、下りの時間、その間の退避の時間を作り客をコントロールしているのですが、その意図が伝わっていず、おまけに上り下りの標識が故障しているところもあり、うまく機能していないのです。それで、入った120人が出るまで、とても時間がかかり、列が進まない、ということでした。
我々がやっと中に入ったとき、にわかに天気が悪くなり、雨風が強くなりました。屋上は吹きっさらしです。外を見ると、あきらめたのが行列も減っていました。
大急ぎで見学を済ませ、外に出ると、まさに嵐。衣服も濡れて、雨宿りできるところまで移動し、小やみになったときに、発見の塔を見て、国鉄駅に急ぎ、宿に帰りました。鉄道の車内の温度計によると10°C。ちなみに、発見と塔によると、ポルトガル人が日本を発見したのは1541年だそうです。
まさに曇りのち晴れ、最後は嵐、の一日でした。いくつか見逃したものはありましたが、次回に期待、でした。
行列と嵐の、ひどい一日になりましたが、これも旅というものでしょう。
ポルトガル旅行最後の日 <ポルトガル旅行記13> 2018年4月9日
今日はポルトガル旅行最後の日。カミさんは休養とかで、一人で街をゆっくり歩きました。今日は月曜日なので、美術館・博物館はほとんど休み。あまり見るところはありません。
地下鉄・バスの切符についてコメントを。今リスボン・ポルトの地下鉄・バス・国鉄近郊線・ケーブルカーの切符は、すべてICチップを内臓した紙カードになっています。カード代0.5ユーロ(65円)、何回でもチャージできます。原理は日本のスイカなどと同じですが、紙なのでカードの値段を安く抑えることができ、それによって、すべてをカードで処理する、という方式になっています。いろいろな種類の切符が存在し読み取り機も複雑、という日本に比べ、メリットを感じます。
カードは濡らしても、ボロボロになっても、ちゃんと使えます。私も、ズボンに入れたまま洗ってしまいましたが、使えました。生活に溶け込んでしまっています。おかげで、改札機が全駅に設置され、入るとき、出るときに検札が行われるようになっています。オランダもこのようになっていました。
10数年前に、この技術が作られたとき、これは世の中のシステムを変えることができると思いましたが、ICタグが世の中を変えた例です。観光客にとって、使い残しが返金されないのは残念ですが、今回は0.3ユーロと1.9ユーロでした。
さて、宿から歩いて近くのエドゥアルト7世公園からスタート。ここから、一直線にリベルダーデ通り、レスタウラドーレス広場、ロシオ広場、コメルシオ広場を見通し、海が見えます。今日もいい天気でしたので、すっきりと海が見通せました。
ここからボンバル侯爵広場。1755年のリスボン大地震からの再建、近代化の礎を築いた政治家だとか。周りは大きなロータリー。
リバルダーデ(自由)通りを進むと、白い塔があるレスタウラドーレス広場。1640年スペインからの再独立を勝ち取った記念のオベリスクだそうです。レスタウラドーレスとは、「復興者たち」の意味だとか。途中で、カフェに寄り朝食。
ロシオ駅を過ぎ、タイル模様のきれいなロシオ広場を過ぎると、碁盤目のような街並みを経て、コメルシオ広場、そしてテージョ川。これがリスボンの目抜き通りです。ゆっくり歩いて1時間少し。
そのあと、港を歩いて凱旋門、アウグスト通りを戻り、サンシェストのエレベーターの脇を通り、カルモ教会。ここは月曜でも開いていると聞いていたがまだ時間前。
カイス・ド・ソドレ駅に進み、近くのリベイラ市場に行くも、まだ早すぎ。そこから、国会議事堂のあるサンベント市場をめざします。ここでは、茶の専門店コンパーニア・ポルトゲーザ・ド・シャーという店で、アソーレス諸島にあるヨーロッパ最古の茶園のお茶を買いました。
リベイラ市場に戻るとちょうど昼食時間、何十とある食べ物屋の中で、ちょうど日替わり定食がタコのグリル9.90ユーロを見つけ、いただきました。大きなタコの足1本にマッシュポテトとほうれん草。ポルトガルのタコはおいしいです。リベイラ市場は半分をフードコートに切り替えにぎわっています。ポルトガル料理始め、様々な料理店があります。古い市場の再生策ともいえます。
昼食後、宿に戻りひと休み。その後、いくつかの買い物に出かけます。セーラ・メル(serra mel)の「クルミ入りはちみつ」は近くの大きなスーパーで見つけました。また、パンの店Tartineでは、大きなパンを買いました。4ユーロ少し。
近くのカルモ教会は開いていました。考古学と廃墟、という名の展示です。地震によって廃墟となった教会を保存し続けてきたのは学ぶべき姿です。
その他、ポルトガル製のチョコレート等です。
近くの小さなスーパーで買ったビールとワインはどちらも「オーガニック」。少し高いと思いましたが、宿で見ると、ラベルにみんなオーガニックと書いています。そのスーパーは、オーガニック食品の専門店なのかもしれません。客は入っていましたが…。
明日は、朝7:35のフライトなので、朝5時半には宿を出て空港に移動し、ポルトガルを離れます。これで、ポルトガル旅行は終わり、カミさんは帰国の途に、私はもう一つの旅・地中海クルーズスタートの地ローマ郊外のチビタベッキアへ移動します。いろいろあったポルトガル旅行でした。なぜか、ポルトガルには、親近感を感じました。
ポルトガルからイタリアへ <ポルトガル旅行記14> 2018年4月10日
宿を5時半に出て、タクシーでリスボン空港へ。空港が近いので、ホテルで作ってもらったバウチャーは15ユーロでした。こんな風にバウチャーにしているのは初めての経験。運転手に渡して終わりです。少し割高(?)でも、前日予約をしていたので安心ともいえます。
それからが長い時間。そんなに巨大な空港ではないので、手続きはさっと済みます。カミさんの乗るミラノ行きが遅れたので1時間ほど余計に待ちお別れ。それから3時間後のローマ行きを待ちます。本を持ってこようと思いトランクに入れてしまったので、結構長い時間でした。
ローマ行きが来ましたが、接続の関係かで少し遅れて出発。3時間のフライトです。時差があるので、4時間かかるようになっています。乗ると猛烈に眠気が襲ってきてしばしうとうとしました。
ローマに着くと午後遅くです。空港から、特急のレオナルド(1等車のみ、14ユーロ)に乗ったのが5時23分。起きてから12時間がたっています。ノンストップ32分でテルミニ駅。ここはまさに終着駅で、イタリア最大の駅。がらがらのレオナルドは駅に入りました。ちょっと高いが(2等車なら8ユーロ)、タクシーやバスに比べ快適です。特に、駅近くに宿をとっているので。
宿は、駅から数分の「駅前旅館」。一応、☆☆です。移動のことを考えると、居心地よりも、立地をとります。夕食はタコ入りパスタ。やはりタコはポルトガルです。
かくして、ポルトガル旅行は終わり、明日から、春の地中海クルーズです。
チビタベッキアから乗船 <地中海クルーズ1> 2018年4月11日
ローマテルミニ駅近くの宿を出て、クルーズの乗船の港チビタベッキアに移動します。約60q先の町です。時刻表は昨日もらっていたのですが、30分おきに電車が出ています。駅に行くと、自動販売機がずらりと並んでいます。さてどうするか、と考えていると、国鉄の職員が来ましたので、チビタベッキアに行きたいというと、操作してくれました。行きたい駅のアルファベットを入れるようです。5ユーロ。
ホームは、少し離れた28番。改札機で刻印するのを忘れずに。長い列車が止まっていました。時刻表を見ると、かかる時間は1時間から1時間半。乗った列車は遅い列車です。どこが違うんだろう?みな同じR(リージョナル)なのに。30分後に出るのと到着時間が10分しか違いません。
テルミニを出て、途中ローマ市内でいくつかの駅に停まります。サンピエトロは2つ目。左に海が見えると、終点は近いのです。チビタベッキアは、何年か前のクルーズで2度来たことがあり、町の様子はわかっています。そんなに距離があるわけではないので、トランクを押して歩くことにしました。
港には2艘のクルーズ船が停泊していて、一つはホランドアメリカのコーニングダム、他はカリビアンの船でした。
荷物をドロップオフして、チェックイン。スムースに運び、12時には乗船しました。部屋に荷物を置きレストランで昼食。
それから街に出て散策。まず、支倉常長像にご挨拶。港の入口にある古いゲートのすぐ裏にあり、上陸したことがよくわかる場所です。このゲートが、彼が400年前に上陸したときもあったでしょう。
次に、考古学博物館。小さい建物ですが、ここにはローマ時代のものや、その前のものが展示されています。次に、日本人殉教者の教会に行きますが、残念ながら閉まっていました。このころ、小雨が降りだしました。
カフェーでビールを飲んで。WiFiにつなぎます。これまで泊まったホテルではWiFiがありましたが、船の上はこれだけが不便です。高いのです。あさって行くアルヘラシスの情報を集めて保存。その後、船に戻ります。ありあわせの材料と道具で、3日前に壊れた傘の修理。
3:45から避難訓練。これまでのと違って、集合の仕方ややり方が「楽に」なっています。集合場所はボートの前でなくて、船内。カードでチェックした後はダイニングで椅子に座って待ち、放送で船長の話を聞き終わり。かつてやっていた、ボートの前で集まり名前を呼ばれて点呼、という方が臨場感があります。
そうこうしていると夕食。これまで7時過ぎにとっていたので5:30はいかにも早い。食堂に行ってみると、一人席。退屈です。食事中に動き出しました。食事を終えデッキで出港を眺めて、7時からアルヘラシスとジブラルタルの観光案内を聞きに行き、なんだか疲れたので、その後寝てしまいました。
終日航海 <地中海クルーズ2> 2018年4月12日
今日は、終日航海。昨夜イタリアのチビタベッキアを出た船は、ひたすら西に向かって地中海を進んでいます。夜のうちに、コルシカ島とサルディーニャ島の間の海峡を通過し、朝起きると、うねりが高く船が揺れていました。地中海でもこういうことがあるのですね。
強風のために、プロムナードデッキや、スカイデッキなどは立ち入り規制。周りに何も見えない海を進んでいきます。
午後になり風も少し納まり立ち入り規制は解かれました。青い地中海を進みます。そのころから進行方向左に島影が見えてきました。スペインのバイアレス諸島です。ちょうど、バルセロナの南を走っています。
今日は、ガラの日で、夕食は、スーツネクタイで行きました。ただ、この船は、さほど徹底されていなくて、普通の格好の人もだいぶいます。せっかく持ってきたので、スーツを着ましたが、リドレストランで食事をする方が気楽です。夜、8時過ぎてようやく暗くなりました。
明日はスペインのカルタヘナに上陸します。ここは初めてなので、楽しみです。
この船会社のどの船でもやっている「タオル動物」始まりました。
カタルヘナ 史跡と海軍の町 <地中海クルーズ3> 2018年4月13日
地中海を西に進んだ船は、今日朝スペインのカタルヘナに入港しました。船が横付けされたのは街の真ん中で、こんなに便利なところも数少ないと思います。
少しゆっくりと、9時少し前に上陸したのですが、どこも10時から。仕方ないので、一番高いコンセプシオン城まで歩いて登りました。ここは、エレベーターがあり、これに乗ればすぐに行けるのですが、100mくらいの山登りです。
10時少し遅れてオープン。カタルヘナの観光するところはたくさんありますが、まとめて買ったお得な切符がありました。全部を回ると22ユーロ。4か所・5か所・6か所回るチケットもあり、6か所を買いました。シニア切符もあり、13.5ユーロでした。 まずは、中世の城コンセプシオン城から。町の高台にあり、とてもいい景色です。建物の中では、ビデオをやっていました。
エレベーターの切符もついているので、下りに乗ってみました。結構スリルがあります。降りたところに市民戦争シェルター博物館。入口はエレベーターの2階。フランコの独裁政権と戦ったスペイン市民戦争の際使われたシェルターに展示があります。結局敗北したのですが、カタルヘナには市民軍の海軍基地があったそうです。フランコ軍による無差別爆撃で大きな被害が出たようです。この戦争については、ヘミングウェイの本が有名ですが、帰国したらこの辺りをもう少し調べてみたいと思います。
次に行ったのがローマの劇場の博物館。30年ほど前に発見されたという遺跡ですが、保存の状態が良く、当時の様子を想像できます。付属の博物館の方は、立派な建物ですが内容が少し貧弱に感じました。
さらに数分歩いて、フォロ・ロマーノ。ローマ時代の遺跡群です。ここで生活していた跡がいろいろと残されています。それからまた数分歩いて、プニカの壁。これもローマ時代の遺跡で、ハンニバルがローマに進行するときに、ここから立ち上がったとのこと。地下聖堂の跡には、たくさんの骨が残っています。
まだいくつかありましたが、回り切れませんでした。最後に、港のすぐそばの、国立海事考古学博物館に行きました。シニアだというと、なんと入場無料!ここでは、海に沈んだ遺跡や遺物に会する調査、展示をしています。さすが地中海、歴史の海には、数々のものが眠っているようです。展示の中で、「ロープを結んでみましょう」というのがありました。やはり、見る聞くだけでなく、何か参加するものが博物館には必要なようです。
町には、海軍に関係ある建物も多く、海軍博物館もありましたが行けずじまいでした。このように、カタルヘナは、史跡と海軍の町、そんなに広い町ではありませんが、地中海の歴史の中で重要な場所にあったところです。フェニキア人が作り、ローマが発展させ、その後はイスラムの支配下にあり、中世にカスティリャ王国に属し、今スペインの港町。そんな町でした。
今日は、4時半乗船。5時に出港し、ジブラルタルに向かいます。
ジブラルタル 要塞と免税品の町 <地中海クルーズ4> 2018年4月14日
今日は、昼頃にジブラルタルに到着します。ここまで西に来ると、同じ時間帯であっても、日の出も日没も遅くなります。朝、船尾から登る朝日を撮りに行きました。といっても、朝8時です。今日は、水平線に多少雲がかかっていたのですが、雲から出る朝日が撮れました。海は荒れていませんので、太陽が並んで見えます。スペイン側には、白い雪をかぶった山が見えます。シェラネバダ山脈です。その海岸に、マラガやマルベラなどの町が見えます。
11時過ぎに、ジブラルタル半島が見えてきました。はじめは、東面の白い切り立った岩だらけの半島のように見えます。南に回り込むと、切れ落ちているのは東面で、西面は緑に覆われた比較的傾斜が緩い半島だとわかります。
町はその岩(The Rock)の西側にあり、港も同じです。回り込むときに、スペインのアルヘラシスなどの町や、対岸にアフリカのモロッコのタンジールやアトラス山脈が見えます。このヨーロッパとアフリカ間は、ジブラルタル海峡です。何年か昔、アトラス山脈の最高峰ツブカルに登りに行ったときに、船で渡った海峡です。大昔のことのように思えます。
12時半ころジブラルタルに接岸。1時から上陸です。今日は、1時から夜11時30分までの上陸という時間設定になっていますが、夜の部分は、上陸する気にもなりません。夕方、船に帰るのに余裕がある、という程度です。
上陸後、歩いて15分の町の中心地に向かいます。そこから、まずは、THE ROCKに登るケーブルカーに向かいます。最高地点が426mで、上まで自動車も通れる道もあるので、歩いて登ることは不可能ではありませんが、何せ午後1時のスタートです。午前から時間があれば可能でしょうが…。
ケーブルカー乗り場に着くと、人でごった返しています。ちょうど土曜日の上に、巨大なクルーズ船が着いたことが重なったと思われます。1時間15分並び切符を購入。シニア料金で往復13ポンドでした。
ここは、イギリスの植民地なので通貨はイギリスポンドと同じ通貨体系のジブラルタルポンドです。イギリス本国のポンドと連動し、紙幣もコインも同じ大きさのものを使います。ただ、ジブラルタルポンドは、イギリス本国では使えないのです。その逆は可能です。ちょうど、6年前フォークランド諸島に行ったときの通貨体系と同じです。出がけにこのことを知ってはいたのですが、うっかりしてイギリスポンドのキャッシュを持ち忘れてしまいましたのでどうなることかと心配していました。ところが実際には、何の問題もありませんでした。クレジットカードは使えるし、カフェやパブの支払いは、ポンドでなくユーロでもできるのです。かくして、ジブラルタルポンドは一度も触ることなく一日過ごしました。
ちょうど3時過ぎにロープウェーで山頂に着きました。乗った時間は6分。快晴の山頂からは、スペインの陸地、海峡、そして左奥にアフリカ大陸の姿がくっきり見渡せました。半分切り立った稜線に、いろいろな建物が作られていますが、ずいぶん高度感があります。
往復切符が、WiFi込みになっているという変わったものなので、山頂のカフェに陣取り、この間のWebのアップをしてしまいました。町に出てフリーWiFiを探す手間が省けました。
1時間ほどの滞在ののち、下ります。ここは途中まで歩くと、野生の猿の生息で有名なのですが、1匹だけ近くで見かけました。野生のサルは、私の住む蔵王町や隣町で、個人的にはあまり珍しくもないのです。ということで、山頂からまっすぐ下りてきました。
もう一つ訪ねたいと思っていたのがジブラルタル博物館。ここにはジブラルタルの歴史が展示されてるということでした。ところが訪ねてみると、土曜日は、午後2時で終了。日曜日は休み。月〜金は夕方18時まで、という、ちょっと変わった開館時間で、閉館中。 あらかじめ知っていれば、先に博物館に行き、そのあと混雑の少なくなったケーブルカーに行ったのに・・・・。ということで、行けずじまい。
町は、まるでイギリスの雰囲気です。表示は全部英語、英国風の建物や、ポスト、ごみ箱、2階建てバスも走っています。イギリス風のパブで一休み。ビールも、パイントグラスで出てきました。イギリスがここを植民地として300年近くになりますから、こういうことになったのでしょう。もう一つは、酒・香水・電気製品などの免税品店がいくつもあります。ヨーロッパの小国にあるように、税金を安くして、国境の国から買いに来るようにする、という「免税品経済」がここでも行われているようです。
もう一つ、この町は、まさに軍事の町で、いたるところに、中世からの要塞がありさらに近代、現代に至っても要塞と軍事の町だ、ということを感じました。いろいろなところに、大砲が置かれ、壁があり、兵士の銅像があるのです。また」アラブ時代の要塞跡もあります
ということで、初めて上陸したジブラルタルですが、いろいろな制約がありましたが、面白く過ごしました。
港に戻ると、皆さん一生懸命、携帯やPCを見ています。港にWiFiがあるのです。今回はこれまでありませんでしたが、世界一周航海では、いろいろな港で設置していました。乗客だけでなく乗組員もこれで世界各地と連絡を取り合っているのです。早速いくつか連絡を取り、今日の河北新報のダウンロードをしました。
夜は、船の劇場で、フラメンコのショーを見ました。残念ながら写真撮影は不可でしたので船内報の写真ですが、初めてフラメンコを見ました。女性だけでなく男性の踊り手もいるのですね。音楽と踊りがとても印象的でした。
ショーが終わったのが9時前。そのころようやく夕日が沈み、長いような短いようなジブラルタルの一日は終わりました。寝ている間に出港し、明日が大西洋にある町カジスです。
カディス ヨーロッパの果て・大西洋の港町 <地中海クルーズ5> 2018年4月15日
スペインのカディスに来ました。この町は、6年前の航海に続いて2回目です。その時も小さくまとまった、いい観光地だという印象がありました。セリビアまで列車・バスで2時間なので、日帰り観光も・・と書きましたが、今回は、乗船が4時半なのでちょっと無理。ということで、町の中を回ってみました。
ところが今日は日曜日。観光客にとっては、いろいろ困る日なのです。
少し遅めに8時50分頃船を出て、カディス博物館へ、まだ開館前。続いてタビラの塔へ、ここも開館前。そこで、遠い方のリトグラフ博物館へ。ここは前回初めて見たリトグラフの博物館で、もう一度見たいと思っていましたが、日曜は休み。城門・鉄道駅を回って町に戻り、タビラの塔へ。前回は見られなかった、オブスキュラを見ることができました。
タビラの塔は、スペインの港町カディスが全世界と交易をし、勢いを誇った時代17世紀の商人の家で、家から港や船の様子を見られるように、高い塔を持ち、そこにオブスキュラという街と港、海を見る装置を作りました。その当時、電子機器などありませんでしたので光学的に可能な装置がオブスキュラなのです。
屋上に、回転し角度を変えられる窓を作り、その映像を鏡で反射させ家の中に入れレンズで拡大、真っ暗な部屋で半球形の画面に外の画像を映す、というものです。レンズの焦点に合わせられるように画面が上下できます。実際に見て、その鮮明さに驚きました。車の流れ、人の動きまで見えるのです。前回「潜望鏡と暗室をつないだ外の景色を見る装置」とさらっと書いているのですが、百聞は一見に如かず、です。大掛かりな装置とはいえ、300年以上前に、こういう装置があったのか、と今更びっくり、まさに富を集積した商人だから作れた、と驚嘆します。今でこそ、監視カメラなどは1万円も出せば買え、鮮明な映像も作れますが…。写真撮影がダメなので、お見せできないのが残念です。パンフレットの写真をご覧ください。
タビラの塔でびっくりした後、街中を歩くと、市場は休みです。代わりにフリーマーケットをやっていました。この前買った、セラミック屋はやっていました。前回は、荷物が増えるので、小さいのを一つ買っただけだったのですが、今回は時計と皿を買いました。
また、奇妙な笛を売っていました。カディスの名物のようです。土地の人がやると鳴るのに、何度やっても音になりません。原理はわかるのですが…。
一度船に戻り、昼食。その後町に出て、カディス博物館。3時に閉館とかで、1時間もいられませんが、入場料はなし。エジプトの石棺、ミロの作品、小品ながらルーベンスもありました。
次に、ローマの劇場に行きましたが、2時に閉館した後。柵の隙間から少し見てきました。ここも、ローマ帝国の重要な都市だったのです。地中海の航海をすると、すべてにローマ帝国の影響が見えます。
町を歩くと、両側に4階建ての建物が覆いかぶさるような細い道が斜めに交差して、迷路のようなところもありますが、公園も多く、面白い町です。
そうこうしているうちに、船に戻る時間になりました。日曜日、という制約で、いくつか満たされないものはありましたが、こじんまりとした、いい港町でした。
明日は一日航海ののち、明後日バルセロナに入港します。
終日航海 明日からの上陸の準備 <地中海クルーズ6> 2018年4月16日
久しぶりの終日航海です。やはり、上陸日が続くと暑くも寒くもないいい季節ですが、疲労もたまってくるようで、昨日夕方は眠くてたまりませんでした。
午前中は、船でやっている催し、BBCのプラネットアースというビデオを見てきました。BBCはほんとによくやっていて、今日はカナダのバッファローと狼、パタゴニアのペンギン、メキシコの地下深くの洞窟という内容でした。
ピンクのマーカーは、昨日カディスで購入したものです。朝開いていた町の小さな文房具屋を見つけて買ったのですが、奥にしまわれていて、英語のできない主人とスペイン語のできない客がああでもないこうでもないと「ボディランゲージで話した」結果、引き出しから取り出して売ってくれたもので、0.9ユーロでした。そのあとも片言で意思疎通をし、最後は握手して別れました。
この船、コーニングスダムは、2016年に建造されてから新しく、今の時代に合った設備になっているのが特徴です。例えば、仕事をする電源も、C形やUSBを入れて6個あり、前にアムステルダムに乗ったときに電源で苦労したことなど昔話のようです。また、テレビも、船の位置情報や船首船尾のカメラ映像、また全部英語ですが、映画もビデオオンデマンドでかなりの数の映画を見ることができます。また、NBCやBBCなどの放送も「ライブで」見られるようになり、時代の進歩を感じます。ただ、バスタブでなくシャワーなのが残念です。
海は静かになって、白波一つ立っていません。これこそ、地中海の本領です。
今日は、休養を兼ねて、明日から4日間の上陸の準備です。明日のバルセロナを除いて、行ったことのない町ですので、そう多くない資料を基に、町歩きの準備です。インターネットが使えればさらに楽なのですが、それはできません。日本からコピーして持ってきたものと、船から配られた英文の資料、ガイドの行うスライド上映からの情報、ダウンロードしてきたmaps.meの地図情報をつなぎ合わせて、4枚の地図を作りだしました。
この地図を持って、明日からの町歩きですが、考えてみると、半分以上終わってしまっているのです。まだ帰国までは8日ありますが…。
最後は8時45分を過ぎての日没です。
4度目のバルセロナ <地中海クルーズ7> 2018年4月17日
バルセロナは、今度で4回目になります。初めて、モロッコの最高峰ツブカルに登った後、ピレネー山脈に向かう途中立ち寄ったのが第1回目。この時は2泊し、ガウディをせっせと見て回った記憶があります。
2度目は、世界一周航海の途中、港で1泊しました。この時は、見残したガウディを見て、モンセラットという近くの山に行きました。3度目は3年前の地中海クルーズのとき。あまり時間がなかったので、中心部を回りました。
今回は、見残したところ、モンジュイックにある、カタルーニュャ美術館とミロ美術館が目標です。
船は、クルーズ船停泊地に入りました。歩いて町に出るには少し距離があるので、シャトルバスが運行されていますが、乗らなくても歩いて行ける距離ではあります。何年か前には3.5ユーロでも安くない、と書いたのですが今回は5ユーロでした。運動不足だし、時間があるので、歩いていくことに。
港からコロンブス広場を経由して、モンジュイックに。ここは高台で、オリンピックの時に開発されたところでもあります。久しぶりに本格的な坂の連続です。ここへは、バスやロープウェーでも行けるのですが、あえて歩きました。モンジュイックは全体が公園になっていて、気持ちの良いところです。ミロ美術館に着くと開館10分前。まあいい見当でした。
真っ白な建物が美術館で、広い館内にはたくさんの絵画、金属製彫刻、そのほかの造形作品がありました。現代美術の元祖のような人の作品なのですが、見ていて面白いのです。1時間半ほど見ていると、不思議な感じになりました。このバルセロナは、ガウディといいピカソといい、またミロといい、不思議な形を生み出すのに適したところなのでしょうか。お土産を一つ買いました。
中の一室で、伊藤信水とかいう浮世絵画家の展示が行われていました。その作品がずらりとあるだけでなく、ビデオで掘り、刷りの工程を詳しく実演し、その道具も展示していました。日本でもこのような展示は見たことがなく、勉強になりました。
次に、近くにある民族学博物館。建物は立派で展示スペースも広いのですが、ゆったりといろいろなものが展示されていました。受付でパンフレットをもらうとき、英語のほか、カタルニャ語とカスティリャ語があるのを見つけました。そう、ここは、カタルーニャ独立で揺れている地域なのです。我々からは「スペイン語」と一口に言っていますが、実は、違う2つ(以上)の言葉が話されている地域なのです。なかなか日本にいると理解しにくいのですが…。たくさんの展示物の中に、日本語が描かれている奇妙なお面と提灯を見つけました。説明が英語でなかったので理解できませんでした。
次にいよいよ、国立カタルーニャ美術館。2回来損ねたところです。ここは、パレスを美術館にしていますので、堂々とした建物です。大きな楕円形のホールや塔もあります。ゴチック、ロマネスクとモダン1,2の4つに分かれています。歴史的な作品の部屋では、宗教画がおびただしい数あります。モダンは、テーマごとに絵や工芸などが一つの部屋に展示され、ちょっと変わった方法ですが、楽しき見ることができます。ガウディもピカソもあります。昼過ぎになったので、カフェで簡単な昼食。
1時30分頃美術館を出た後、王宮の広い階段を下るとスペイン広場。久しぶりにサグラダファミリア協会でも、と考えましたが、行列を考えるとこの時間では無理なので、サンジョセップ市場を通り、繁華街のランブラス通りを通り戻ることにしました。途中、Wi-Fiのあるレストランでビール休憩。データ送信と明日からのデータ集めなどをしました。
その後コロンブス広場脇にある海洋博物館に寄り、展示を見ました。ここは昔の倉庫の跡らしく、大きな空間がありそこにいろいろな船が置かれていました。
それから船まで歩いて帰ると、4時半。乗船に手間取り、5時前に乗船しました。昨日のカディスと同じく、ここも、セキュリティチェックの後で免税売店があり、ワインを1本購入しました。船は5時半に出港しました。明日はマルセイユです。
なお、今日は、出がけに、昨日作った地図を忘れてしまいました。観光案内に寄らないコースでしたので、地図なしで、時々、iPhoneの地図を頼りに回りました。それなりにわかったバルセロナだからよかったのですが、危ない危ない。
フランスの海の玄関マルセイユ <地中海クルーズ8> 2018年4月18日
マルセイユはフランス第2の都市で、海の玄関です。
古くは明治時代にヨーロッパに行くのに、船でマルセイユに上陸した、という記録をいくつも見てきました。
今回初めてこの町を訪れました。フランスは、アルプスのシャモニーには何度か、そしてパリも何度か訪ねています。また、トゥールーズやボルドーも行ったことがありますが、この町は縁がないままでした。これまでのイタリア・スペインに比べて、フランス語は少しわかるので、気が楽な気がします。
朝、海から接近しましたが、白い石灰岩の山が海岸線に連なっています。
今日の接岸地は、町の中心から8qほど離れた、旧港で、ここがクルーズの接岸地になっています。町に近い新港はもっぱら貨物の船です。シャトルがないと移動できる距離ではありませんが、昨夜の船内新聞で2つのオプションが示されました。一つは、14ユーロでこの船が仕立てたシャトル(街の真ん中に着く)、もう一つは港でやっている無料シャトル(街の真ん中から2qのところに着き、遅延もある)。
調べてみると、港のシャトルは、JULIETTEという、地下鉄・トラムのある場所に着くので、ここから一日券を買うのが賢明と、船のシャトルは頼みませんでした
朝8時に船から降りて、シャトルの出る場所探し。数分歩いたところで見つけると、9時から、ということで、戻って地図をもらい書き込み。この作業で全体像が見えてきました。
8時50分頃バスが来て、9時過ぎにJULIETTE広場に。ここで、地下鉄を探し、切符を購入。一日券5.2ユーロ。一度買ったが、機械を通らず買いなおし。駅員がいないので、クレームもつけれないが、5ユーロくらいなら仕方ないか。時間がもったいない、ということで、地下鉄に乗り、途中乗り換えて、ロンシャン宮に向いました。ここは、かつての王宮で、多くの観光客が来ていました。この両側の翼が、自然史博物館・美術館になっていますので、両方のぞいてみました。
自然史博物館は、3ユーロ。現在の動物の剥製がずらり。また別室には、動物の進化をたどる展示もありました。が、展示室が少なく、内容は今一つ。子どもたちが来ていましたが、これくらいなら手ごろでしょう。
美術館は、17世紀のイタリア・オランダ、フランスの絵と18〜19世紀の絵と彫刻が中心で、2階分の展示室にありました。ここは、建物そのものも見ものでした。
公園も楽しそうでしたが、まだ先は長いのでトラムに乗って、町の中心に出て、インフォメーションでノートル・ダム聖堂への行き方を聞くと、60番のバス、とのこと。さてバス停が見つからない。近くにはバスセンターのようなところ、道路のバス停などが散在して、バス待ちの女性に聞くと、あちら、とバスセンターを示してくれ、行くとない。バスの運転手に聞くと、あの道を行って左側、で探してもない。ほかのバスの運転手に地図を見せてチェックしてもらい、ようやく発見。海に向かって真っすぐ進み、海沿いの道の右側にありました。
60番のバスが聖堂行き。降りると、大勢の観光客。さすがにランドマークだけに景色はすばらしく、マルセイユの町が一望です。沖合には、イフ島が見え、ここは、「モンテクリスト伯」の主人公はじめ多くの政治犯が閉じ込められた監獄として有名です。レミゼラブルのジャン・バルジャンのイメージもそうなのかもしれません。残念ながら、今回は行く時間はありそうにありません。
下って、60番のバスの反対の終点が、MuCEM(ヨーロッパ地中海文明博物館)。そのまま乗っていると連れて行ってくれます。この博物館は2013年に誕生した巨大な建物で、透かし模様がついています。隣には、大観覧車とサン・ジャン要塞、さんとマリーマジョール大聖堂。
10.5ユーロと高めですが、いくつかが込みになっているようです。地中海に関する展示は、物、絵、映像、模型などいろいろな資料がディスプレーされています。
その上階やっていた、ロマンティックな写真というエキシビジョン。よくわからないものでした。
空中の長い通路を通って、サン・ジャン要塞にわたると、ここでは、ピカソ。絵のほか、いろいろなものが展示上映されていました。「愛AからZ」というのもやっているようですが、わかりませんでした。
海沿いの道を歩いて、町の中心へ移動しました。マルセイユは、石鹸で有名なのだそうです。マルセイユ歴史博物館に行くと、ここは発掘現場の隣の地下に博物館。広い館内には、多くの展示物があり興味深いものでした。石器時代からローマ時代、十字軍、近代、そして現代までのマルセイユの歴史です。特に印象深かったのは、「ペストの流行」という絵。当時、多くの都市がこの疫病に襲われ、ヨーロッパの人口が激減したといわれています。
ここを見終わると3時。まだ見るものはありますが、限界です。近くで休憩を兼ねてビールでWi-Fiで記録のアップと明日の資料探し。それから、トラムで移動し、シャトルバスに乗り、船に戻ると4時半過ぎでした。
地下鉄にも、トラムにも、バスにも乗って回ったマルセイユ。ブイヤベースを食べ損ねましたが、ゆっくり昼食どころでない忙しい1日でした。またの機会に…、ということで、6時に船は出て、明日は、モナコです。
F1レースの街モナコ <地中海クルーズ9> 2018年4月19日
地中海の小さな国、モナコに初めて来ました。小さいながらも、独立国。ヨーロッパには、こういう国がたくさんあります。海から見ると、石灰岩の急な斜面に建物が林立しています。
今日は、初めて、テンダーボートで上陸。接岸できないためです。テンダーでの上陸は久しぶりですが、ちょっとした小旅行。10分ほどで上陸します。波止場の付け根に上陸。インフォメーションが出ています。地図をもらいましたが、交通図が裏になっており、2枚ないと使いにくい。そういう点では、あまり使い勝手が良くない地図なのですが、何とかなりました。
最高地点まで行こうと、聞いてみると、エキゾチック庭園だ、と。まず、バス停まで行きます。運転手から、5.5ユーロで一日券を購入。これで安心。何度でも気にせずバスに乗れます。とりあえず1号線で、交通の要所の市中心部のインフォメーションまで。はじめ海岸沿いを走っていたバスが突然急な坂を曲がりながら登ります。何度か曲がって到着。ここが、バス路線の「へそ」に当たるところで、モンテカルロを通るバスのほとんどがここで乗り換えることができます。
2号線で終点の、エキゾチックガーデンで下車。文字通り、町を見下ろせます。入場券は、ガーデンと洞窟と博物館で7.2ユーロ。ガーデンには、いろいろな種類のサボテンが植えられ、エキゾチックな雰囲気。ただ、道はどんどん下に下がっていくので最後に全部登り返すのでは…と心配しながら進むと、洞窟。ここは、石灰岩の長い鍾乳洞が広がっているようですが、ツアーは1時間に1回。あと40分も先で、断念。隣に博物館がありましたが、ここには、洞窟で発見された先住民の遺物がありました。特に洞窟に、動物の絵が描かれていたのには驚きました。ラスコーが有名ですが、そこだけではなかったのです。出口には、国立博物館があり入場料は別だと。ここは省略し外に出ると、一つ下のバス停でした。
そこから、日本庭園に行こうと来たバスに乗りますが、これが乗り換えがうまくいかない。そこで、パブリックエレベーター、駅行きというのに乗ってみると、あっという間に海岸近くに下りてしまいました。こういうエレベーターがたくさんあり、まさにモナコは、「立体迷路」です。
そこからバスに乗って、日本庭園へ。なんと、桜が咲いていました。散り始めの桜吹雪のソメイヨシノです。今年は桜を見られないかと思っていましたが、思わぬところでの桜です。この庭園はよくできており、日本の福岡の会社が造営に当たったと書かれていました。桜のほかにもツツジ、藤、椿、アヤメなども花をつけていました。周りの景色がなければ、日本にいる気分です。
この辺りは、モンテカルロ地区ですが、カジノや大ホテル、公園などが坂の斜面に作られています。日本庭園はその一番下の海沿いで、その隣には、グリマルディフォーラムという展示場があり、もうすぐスーパーカーのショーをすると宣伝していました。町にもいろいろな車が走っています。その隣は、砂浜のビーチです。
いろいろな道を歩いていて、車道と歩道の間に高い金網が張っています。何だろうと思っていましたが、ここは、F1レースのモナコグランプリの会場なのです。サーキットではなく公道を走るというのは聞いていましたが、まさにこのレースのための金網なのです。これがなければ、コースアウトした車で大変なことになってしまいます。ちょうど港のそばには、巨大な観覧席が作られていました。5月に実施されるようです。それにしても、この急坂と急カーブだらけの道で、自動車レースとは…。驚きです。
そのあと、旧市街のモナコビーユに移りました。半島の高台に作られた町です。見るべきものがいくつもあり、王宮と海洋博物館の共通券を19ユーロで購入。王宮には、日本語音声ガイドが用意されていました。長い歴史の中で、独立した国を維持してきたいきさつも語られていました。
モナコ大聖堂は海に面して建てられた、大きな建物です。これまで見てきたカテドラルに比べ、中は意外とシンプルなのに驚きました。グレースケリーの墓もあります。
海洋博物館は、モナコ公が1910年に作ったという博物館で、巨大な建物です。展示は海洋生物だけでもう一室は閉鎖されていました。屋上のテラスの眺めはすばらしい。この国の最高地点は1148mだとか。すごい高度差です。下の2階分は水族館になっていて、照明を落とし気味の展示室には、たくさんの水槽に魚たちが泳いでいました。
この国は、治安のよさは第一級ということで、これまでの町に比べ、町の雰囲気も和やかさが感じられました。ただし、物価は少し高めです。
バスにも慣れたころですが、ほとんど見てまわったので、ビールを飲みながらWebの更新と最後の町になったリヴォルノの情報集め、河北新報のダウンロードなどを行い、船に戻ると4時過ぎでした。今日は、夜10時に出港し、明日はいよいよ最後の寄港地イタリアのリヴォルノです。
手ごろな大きさの港町リヴォルノ <地中海クルーズ10> 2018年4月20日
最後の寄港地、イタリアのリヴォルノに到着しました。今日は、フィレンツェやピサのツアーがあるので7時から上陸開始です。ここからなら日帰りで行ける距離なのですが、どちらも行ったことがあるので、あえて日帰りしようとは思いません。リヴォルノはトスカーナ地方の古くからある港町です。そんなに大きな町ではありません。
ということなので、ゆっくりと8時半過ぎに下船。港の中は人は通行禁止だとかで、(No walking is allowed out of the Livorno port.・・・・)5ユーロでシャトルに乗ります。でも、珍しいですね。距離的な理由で歩けないことはあるのですが,・・・。
10分かからないで街の中心のツーリストインフォメーションのある広場に到着。ここで地図をもらいます。
しばらく地図を見ながら、調べてきた情報を書き込み、方針を決めます。まずはじめに少し離れたところにある、州立自然史博物館に行くことにします。町の中心から歩いて30分ほどかかりそうです。バスを使う程の距離ではなさそうです。街のいくつかの広場や建物を見ながら歩きます。到着すると、子供たちの団体が来ており、その手続きで少し待ちました。入館料10ユーロを払い、4つに分かれた展示物などを見て回ります。
はじめは人類史。ネアンデルタール人が展示されていましたが、この地は、ネアンデルタール人の生息していたところなのです。展示はわかりやすく、特に、火をおこす道具については焦げた木とわらなどを見せていました。
2階は、地理学と生物学の展示。その上の階は古代からの生物の進化。化石や図などありました。この地中海沿岸は、石灰岩からできていますが、これは古代の生物の死骸が堆積して作られた岩石なので、身近なようです。
見終わって今度は外に出て植物園に行きます。そこにあったのは「BONSAI」。説明によると、この地にイタリアでの盆栽の先駆けの人がいて、作った作品だそうです。その奥には、肉食獣だけを展示した所がありました。
今度は、前庭にある「海の部屋」さすが港町らしく、海をテーマにした展示がありました。特に、クジラの骨格は圧巻です。
この博物館は、フリーのWi-Fiがり、中庭のテーブルで、休みがてらWebのアップやメールチェック、新聞のダウンロードなどを済ませました。とてもお得な博物館でした。
その後町に戻ります。途中、中央市場に寄りました。大きな建物で、活気があります。肉屋、魚屋、八百屋、オリーブ屋、チーズ屋などの食料のほか、外のテントでは衣料や雑貨を売っています。次にこの町の中心地にあるドゥオーモ。大きな建物です。
町中に日本料理屋があると知ったので、昼食はそこで。寿司と照り焼きと麺類を食べ放題で10.9ユーロという設定。昔ピサでも同じような和食を食べましたが、イタリアの和食はこういうのでしょうか?握り、鉄火、エビ照焼、シーフードラーメンを食べました。ラーメンの汁がいまいちでしたが、和食でした。
午後は、新要塞、そして旧要塞を回りました。やはりここも、海からの外敵に備えることが重視されたという、地中海の他の都市と同じです。また運河があり、ベナチア地区と名がついていました。また、この港からコルシカ島までフェリーが出ています。
繁華街に戻るころ、昼休みモードに。イタリアでは、これがあるので、買い物にも注意です。3時にシャトルバスに乗って、船に戻りました。
これから荷造り、今日中に出さなければなりません。といっても大した荷物はないのですが…。
かくして、春の地中海クルーズは終わろうとしています。天気にも恵まれ、楽しい旅になりました。明日は、チビタベッキアに入港。下船します。ローマに2泊したのち、帰国します。
クルーズ終了 ローマへ <地中海クルーズ11> 2018年4月21日
いよいよこのクルーズは終了です。チビタベッキアに戻ってきました。最後の日の朝、大食堂で日本風朝食、というのを試してきました。パラパラの白米の上に巨大なサケの蒸し焼き、卵焼きがついています。それとみそ汁も。どれも今一つ。
チビタベッキア港から駅まで30分少しかけて歩き、ローマ行きの列車に乗ると1時間少しでローマテルミニ駅です。宿は、この前泊まった時に、ほかの宿に変更しました。今度の宿は、1泊54ユーロ、三ッ星のホテルで、だいぶいいです。部屋には130ユーロと書いていますから、大ディスカウントされています。
荷物を預けて、インフォメーションに行き、ローマカード48時間を28ユーロで購入。公共交通の48時間県が12.5ユーロに比べて、いくつかの施設に入ればすぐ元を取れ、何より、切符を買う時間が節約できます。
ローマは、何年か前の冬、観光に来て3泊して回ったことがあり、いろいろなところは行っているので今回は行き損ねたところを中心に回ってみます。ただ、今回は、3日目が月曜日で博物館は休みになるので、3日目午前中にはフォロロマーノの遺跡を当てる計画です。
地下鉄に乗りまず行ったのは、カラカラの大浴場。テルメです。たかが浴場と思うなかれ、巨大な建物でした。昔の建物で、その巨大さに驚いたのは、エジプトのアルシンベル神殿以来でした。こんな巨大な浴場をたてることができた、富の集積と建築技術にびっくりです。床のモザイクの修復をしている職人さんがいましたが、一つ一つ手仕事でやっているのです。
その後、地下鉄を乗り換え、スペイン広場、トレビの泉、パンテオンと有名なところを回って、ベネチア広場。途中昼食で海鮮パスタとビール。これで17ユーロですから、結構物価は高い。
最後に行ったのは、トラヤヌスの市場。再建されたというトラヤヌのタワーの後ろにあります。ここも巨大な建物で、保存状態が良く、博物館になっています。皇帝が市民に食料を確保するために作った市場です。30幾つの部屋に展示物が置かれていましたが、トラヤヌスはローマ帝国が最大の版図を持った時の皇帝だと記憶しています。
タワーは、下かららせん状にその際の記録を示した絵で作られています。一枚一枚の絵の解説が物語になっているということです。「ローマ人の物語」を読んだときにそんなことが書かれていましたが、もう一度読み直す楽しみができました。それにしても、ここまでのヨーロッパ旅行で各地でローマ帝国の遺跡を見てきましたが、ここはさすが本国、というスケールの大きさです。その当時、各地からローマに連れてこられた人が驚くさまが想像できます。
昼から始まった第1日目はここまで。夕食は駅地下のスーパーで買ったピザにしました。明日は博物館を中心に歩きます。ただ、日曜なので、どうなるか…。
ローマの休日は博物館めぐり <地中海クルーズ12> 2018年4月22日
今日は日曜日。明日の午後出発なので1日半ありますが、明日の月曜日は、博物館はほとんど閉まるので、今日のうちに行けるだけ回ってみます。ローマは、博物館だらけの町で大小合わせると100近いのではないかと思います。その中で、いくつか選んで回ってみました。今日もいい天気で、半袖Tシャツで回ります。
まず、宿があるテルミニ駅のすぐそばに、国立博物館マッシモ宮があります。国立博物館は、その収納物に応じていくつにも分かれています。マッシモ宮は、紀元前2世紀から紀元4世紀のローマ帝国の最高期のものが集められています。
ローマカードを見せると、9ユーロ。館内に入ると,彫像がずらり。さらにコイン、工芸品なども豊富です。また、当時の市民の生活を垣間見るモザイクの数々、壁に描かれた絵の数もたくさんあります。その中で、アウグストゥス皇帝の像、円盤投げは有名です。
次に地下鉄でポポロ広場へ。ここには、レオナルドダビンチ博物館があります。ミラノにある博物館は立派なものでしたが、こちらのは、少し観光向けに作られた感じがします。12ユーロ。中には、レオナルドの絵画の模写、設計図から作成した工作物、最後の晩餐の秘密というビデオなどいろいろとありますが、ミラノのものを見た記憶と比べると、今一つ。ただ。触ってみましょう、というコーナーの模型の数がたくさんあり、好感が持てます。
ポポロ広場から山を登ると、広いボルゲーゼ公園。今日は日曜日ですから、何かイベントをやっており、また子供づれで大賑わいでした。ここでは、ボルゲーゼ美術館に行きたかったのですが、予約が必要とのこと。前日、インフォメーションでお願いしてみたのですが、昨日の今日では無理。ここに行くには、事前の準備が必要です。
ボルゲーゼ公園の中には、その他に3館ありますが、行ったのは、国立近代美術館。Time is Out of Joint.とかいうテーマで、広いフロアーに4つの部分に分かれた展示が行われています。不思議なのは、ギリシャ彫刻に交じり19世紀から現代の美術が、「混然と」展示されています。同じ部屋の、ギリシャ彫刻の隣に現代絵画、などという組み合わせが不思議です。よく見て回ると、セガンチーニの大作やクリムト、ミロ、モンドリアンの絵画やジャコメッティ、ブルーデルの彫刻と、宝探しをしている感じです。
昼食はここのカフェで、ビュッフェになっているのを食べました。結構いい値段で、ビール小を加えて33.5ユーロ。ちょっとした高級レストラン並みです。でも、皆さん召し上がっています。
その後、公園をさまよいながらポポロ広場に戻り、次に向かったのが、国立博物館アルテンブス宮。ここは古代美術のルドヴィシ・コレクションを展示しているとかで、建物自体も15世紀の枢機卿の館だとか。朝買ったチケットで入場できました。ここには、ギリシャ彫刻が多く、有名なのは、竪琴を引くアポロ、妻を殺し自殺するガリア人、水浴するアフロディーテなどです。
最後に向かったのが、テルミニ駅そばにある、ディオクレティアヌスの浴場跡。名前を聞くと、昨日行ったカラカラの浴場跡と同じようですが、こちらはれっきとした博物館。とりわけ彫像・石碑・石器・土器・青銅器などの発掘品を広い館内に展示しています。入場料は、朝のマッシモ宮と共通券。
ここを出たのが6時過ぎ。長い一日の博物館めぐりは終わりました。充実したというか、疲れたというか、宿で一休みして、夕食、帰る支度です。
コロッセオとフォロ・ロマーノ、そして帰国 <地中海クルーズ13> 2018年4月23日
最終日は月曜日なので博物館などは閉まっています。フライトは15:15なので午前中の時間があり、再び訪れることになりますが、ローマの最大の観光地、コロッセオとフォロ・ロマーノに行きました。
8時30分開門の10分前に行くとまだ行列はありません。ローマパスを見せて7.5ユーロで共通券を購入、フォロ・ロマーノに入ります。人影もまばらな、静かな「聖なる道」を歩けました。案内書を見ながら一通り歩き、そのまま、パラティーノの丘に。こちらは、当時の高級住宅街で、大きな屋敷の跡が並んでいます。藤の花が咲いていました。
皇帝アウグストゥスの宮殿やその妻リヴィアの家、スタディオなど、とても広い丘いっぱいに建物の跡が並んでいます。彼らは、ここから、町の中心に下りて行ったのかと、想像すると、その光景が浮かびます。この住宅街には、水飲み場がいくつもあります。夏の暑い時にここを歩くと、この水はありがたいことでしょう。人はどんどん増えていき、そろそろ喧騒が始まっています。
10時半になり、コロッセオに向いました。こちらの入り口は入場券を買う長蛇の列。すでに持っているので、別の列に並びどんどん進みます。最後に行列ができていました。セキュリティチェックです。これも10分ほどで入場。券を持っていないと、どうなったことか…。コロッセオの中は人人人。2階に上がり、人をかき分け一周し、下に下りて一周すると、11時半。さすがイタリア第一の観光地です。
コロッセオを出て、地下鉄でテルミニに戻り、ホテルに預けていた荷物をピックアップ。特急レオナルドに乗り、空港に着くと12時45分。早く着きすぎたと思うと、出国手続きで長蛇の列。係員は、おしゃべりしながら急ごうともしません。これがイタリアだ!という最後の光景。文化の違いはあるものの、なかなかなじめません。行列を作れないことあわせて…。陽気でいい国なのですが・・・・。
飛行機は、15分遅れで離陸。機上の人となりました。日本まで11時間30分。映画を何本か見ていたら到着。隣に座った人から、行きの便では、壊れて全員映画を見られなかった、と聞きました。これもまたイタリアか?幸いでした。
成田に着くと、小雨。春の最中でした。上野まで出て新幹線で戻り、家についたのが4時過ぎ。蔵王町では、桜は終わり梨とリンゴの花が咲いていました。久々の温泉は身に沁みました。