はじめに
この「モンブラン登頂の記」は1998年10月にWebで公開した。この当時、写真は銀塩カメラで撮影し、焼き付けた写真をスキャンして、デジタル画像を作成し、Webに使用していた。また、当時のインターネット環境は、現在に比べると、想像がつかないくらい貧弱であり、転送に時間がかかるので大きな写真は使えなかった。また、Webの作成技術も、普及が始まったばかりで、まことにつたないページとなっていた。まだ、Windows95から98に移ったころのことである。この度、いろいろなものを整理する中で、当時の写真とフィルムが出てきた。このフィルムをスキャナーにかけて、デジタル化してみた。20数年前のフィルムで、一部は傷が入り、痛みかけているものもあったが、多くの写真データが得られた。写真自体は、現在のカメラの性能が大幅によくなっているので、見苦しい限りだが、こういう事情も汲んで、サイトをリニューアルすることにした。文章は、基本的に昔のまま使用した。
モンブランとシャモニー
モンブラン(Mont Blanc)はヨーロッパアルプスの中でフランスにあり、モンブラン山群といわれる山群に属している。標高は4807mでヨーロッパアルプス中最高である。1786年8月にJ.バルマとM.パカールにより初めて登頂されて以来、 約2世紀が過ぎる。その間、M.バロをはじめとして、ルートの整備、小屋の建設などがされていった。なお、初期には、ボゾン氷河が登路にとられ、氷河上のクレバスにはしごを掛けるなどして登られていた。
現在のルートは、サンジェルベ(St.Gervais)発のトラムウェイでニーデグル (le Nid d'Aigle/鷲ノ巣)まで行き、そこからグーテ小屋(Refuge Gouter)を経て、翌日ドーム(Dome du Gouter)を通り山頂に至るコース、または、エギュ ドゥミディ(Aiguille du Midi)からコスミック小屋(Refuge des Cosmiques)を経て、モンブランタキュール(Mont Blanc du Tacule)・モンモディ(Mont Maudit)の横を通り山頂に至るコース,グランミュレ小屋(Refuge les Grands Mulets)を 経てドームのコルに行き山頂に至るコースなどもあるようだ。そのうち、最も一般的なコースである、グーテ小屋に泊るコースで往復した。
シャモニーには街の南に2個所のキャンプ場がある。今回は、このうちのl'Ile des BARRATキャンプ場をベースにした。キャンプ場は、芝のきれいな快適なところであった。トイレや炊事スペースのほか、シャワーもついており、値段も7日泊って290フラン(日本円にして約7200円)であった。今回の山行では、ヨーロッパに入って体調を壊し、このキャンプ場のテントの中で5日間休養をとる事になってしまった。行けるところまで行ければいいやという事で出発した。
グーテ小屋まで 8月8日
シャモニーの教会前にあるバスターミナルを7:00のバスで出て、レズーシュ(les Houches)のロープウェイ乗り場まで約15分(料金15フラン)。そこからロープウェイでベルビュー(Bellevue)まで5分(往復70フラン)かかり、乗り場から3分ほど歩くとトラムウェイの駅に着く。そこからニーデグルまでは15分ほど(往復66フラン)かかる。ニーデグルについたのは8:30頃であった。ニーデグルは標高2386mで、ここより1,431m登ったところにエギュドゥグーテ(グーテ針峰)とグーテ小屋がある。ニーデグルの駅を出たところからグーテの小屋がはるか高いところにみえる。
はじめは、石のごろごろした道を登ってゆく。約3,000mのところで氷河を横切る。ここにテートルースの小屋がある(標高3,167m)。これをすぎると、クーロワールを横断するが、これが上部より落石の多いところで、落石のない時を見計らって、走り抜けなければならない。午後になるほど落石が多くなるようだ。それは、このクーロワールの上部 で氷が溶け落石が起こるからである。
これを過ぎると、エギュドゥグーテから伸びる尾根を登ってゆく。かなりの傾斜があるが、岩が連続する中を道がつけられている。昨日までの体調から、「病上り」の体にこの登りはこたえた。結局6時間近くかかって、午後3時にグーテ小屋に着いた。普通なら4−5時間の行程である。
グーテ小屋(Refuge de l'Aig.du Gouter)は標高3817mにあり、富士山頂 よりも高い。気圧はすでに地上の2/3くらいであり、高度障害が出る高さである。続々と人が来て、ベッドは一人分幅が50cmくらいという、日本アルプスの混雑した時期並みである。小屋では、食事の時間を除き、眠りこけていた。食事は、スープと肉と野菜とデザートと一応コースではあった。9時頃に日が沈むのが見えた。天気はとても良い。
小屋から山頂まで 8月9日
翌日は、モンブラン頂上までの標高差約990mの雪上を歩くコースである。 先人たちは、このコースを早立ちして、日の出前に歩く事を勧めている。 ガストン・レビファは「早立ちしすぎたのを絶対に悔いる事はない。遅立ちした事は常に後悔する。」とかいている(「モンブラン山群」、山と渓谷 社)。翌朝1:00に起床。2:10に小屋を出た。快晴、星が見えている。はじめ に、稜線をしばらく歩き、ドームドゥグーテ(Dome du Gouter)の登りに なる。十七夜くらいの月が煌煌とドームの広大な雪の斜面を照らしている。
雪の状態は良く、アイゼンがサクサクきいて気持ち良く歩ける。が、 高度の影響で、体は重い。ゆっくりゆっくりと前進する。約2時間 かけてドームの頂上の左を巻き緩やかに下ってドームのコル(4250m) に出る。
ここから急斜面を30分登ると、バロ小屋(Refuge Bivouac Vallot 4362m)に着く。これから登るボスの山稜とモンブランが、はるかに高く見 えている。ボスとは、「瘤」の意味のフランス語のようだ。
ボスの山稜(19KBを開く)大ボス(Grande Bosses4513m)から小ボス(Petit Bosses4547m)までの急登を上り詰めると、両側が切れ落ちている稜線を通過する。ものす ごい高度感がある。右には1000m以上、左も数百mの斜面である。すれ違う 人はいないが、少し気が重くなる。が、そんなことは言っておれず、ピッケルを打ち込み、アイゼンを利かせて、ひたすら登っていく。
この頃、日が昇る。正面にあってサングラスをかけていても眩しいくらいだ。 やっと通過すると、モンブランの頂上直下に至る。右側の山々には、巨大な モンブランの影がうつっている。実に大きな影だ。
ここから見ると、モンブランは平らな円いイメージはなく、三角形に切り 立っている。馬の背のような形になっている。その稜線を注意深く、薄い空気にあえぎながら登っていくと、傾斜が緩くなり、先の方に人が群がっているのが突然目に入る。
ここが頂上だ!
最高地点らしきものも頂上の印もない、ただの雪野原で、実にあっけないところだが、もう登りはない。標高4807m。ヨーロッパの最高地点だ。時に7時25分。グーテ小屋を出て5時間15分での登頂であった。稜線を登山者が続いてくるが、モンモディ方面から来たパーティもいる。
周りは、東にはエギュドゥミディやグランジョラスの向こうに、マッターホルンやモンテローザなどのヴァリスの山々、そして、ベルナーオーバーランド の山々、さらにその向こうにもアルプスは続いている。
南はイタリア側だ。西にもアルプスの山々は続き、北にはシャモニーの町の 向うに山々は続く。気温は零下6度。天気快晴。じっとしていると寒くなってくる。写真を撮り、景色を見ていると瞬く間に時間は経つ。
下山=グーテ小屋へ 8月9日
8:00に下山開始。35分間の滞在だった。登りの人とすれ違いながら、注意深く、アイゼンを利かして、ピッケルで確かめながら、慎重に急な道を下りる。登りよりも、なお一層、高度感がある。落ちたら終わりだ。まだ 雪は固いので、アイゼンが利くが、午後になって雪が団子になると、大変なところであろう。1時間でバロ小屋、さらに1時間でドームのコルに着く。ここまで来ると、危険な所はなくなり、精神的にはほっとする。ドームの広大な斜面を降りる。雪は少し腐りはじめている。
そして10:45にグーテ小屋に戻りアイゼンをはずす。ここで、暖かい紅茶を飲み、小屋代の支払いを済ませる。1泊94フラン、夕食100フラン、ミネラルウオーター2本(3リットル)で62フラン。一休みして、12時に出発。
シャモニーへ 8月9日
岩の尾根を下ってゆく。体調はずいぶん良くなり、昨日の登りで苦労したのがずっと昔の事のようだ。先に行く人が真下に見えるような急斜面である。落石に注意しながら、それなりに神経を使う道である。1:50にクーロワールを通過する。テートルース小屋のそばの氷河の縁で休憩。その後がらがらの道を歩き、ニーデグルに3:20到着。あとは、トラムウェイとロ ープウェイに乗るだけだ。振り返ると、グーテの小屋に、雲がかかりはじめていた。それにしても、今回の山行は、体調は優れなかったが、天候にはめぐまれた。まさに天の恵みだ。キャンプに戻り、テントを撤収。ちょっと贅沢であるが、その夜は、420フラン払って(7泊のキャンプ場の1.5倍)、風呂付きのホテルに泊り、久々の風呂に入った後、ひとり祝杯をあげた。(1998.8.30記)
バレーブランシュ 8月5日〜6日
モンブランに登る前に、トレーニングとして、氷河を歩いた(8月5日〜6日)。エギーュドュミディから、急斜面を下り、バレーブランシュ(Vallee Blanche)を通り、イタリア側のトリノ小屋(Refuges Trino)までの、ジェアント氷河(Glacier du Geant)を歩く道である。日本には、氷河はなく、いい経験であった。トリノ小屋に1泊し、イタリア側からのモンブランの夜明けを見たことはすばらしい経験になった。追記:帰国後の8月25日、「モンブランで8人が死亡」という表題の新聞報道がなされた。それによると、標高4000m以上の場所でみぞれ交じりの雨が降り、その後、気温が急速に下がって地表が氷結するという、大荒れの天候に見舞われ、23日と24日の2日間でフランス・ドイツ・ハンガリーなどの8人が、尾根からの滑落やクレバスへの転落などで、死亡したとの事である。登頂は天候の恵みであった、という事を改めて実感した。
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