モンブラン登頂の記

1998年8月8日(土)〜9日(日)                   浦川明彦           mail@urakawa3.net(アットマークは半角に直してください)


モンブラン周辺の地図(126kb)を開く
モンブラン(Mont Blanc)はヨーロッパアルプスの中でフランスにあり、 モンブラン山群といわれる山群に属している。標高は4807mでヨーロッパ アルプス中最高である。
シャモニから朝のモンブラン(13KBを開く) 1786年8月にJ.バルマとM.パカールにより初めて登頂されて以来、 約2世紀が過ぎる。その間、M.バロをはじめとして、ルートの整備、小屋 の建設などがされていった。なお、初期には、ボゾン氷河が登路にとられ、 氷河上のクレバスにはしごを掛けるなどしてのぼられていた。
現在のルートは、サンジェルベ(St.Gervais)発のトラムウェイでニーデグル (le Nid d'Aigle/鷲ノ巣)まで行き、そこからグーテ小屋(Refuge Gouter)を 経て、翌日ドーム(Dome du Gouter)を通り山頂に至るコース、または、エギュ ドゥミディ(Aiguille du Midi)からコスミック小屋(Refuge des Cosmiques)を 経て、モンブランタキュール(Mont Blanc du Tacule)・モンモディ(Mont Maudit) の横を通り山頂に至るコース,グランミュレ小屋(Refuge les Grands Mulets)を 経てドームのコルに行き山頂に至るコースなどもあるようだ。そのうち、最 も一般的なコースである、グーテ小屋に泊るコースで往復した。
キャンプ場入り口(37KBを開く)キャンプ場(31KBを開く) シャモニーには街の南に2個所のキャンプ場がある。今回は、このうち のl'Ile des BARRATキャンプ場をベースにした。キャンプ場は、芝のきれい な快適なところであった。トイレや炊事スペースのほか、シャワーもつい ており、値段も7日泊って290フラン(日本円にして約7200円)であった。 今回の山行では、ヨーロッパに入って体調を壊し、このキャンプ場のテン トの中で5日間休養をとる事になってしまった。行けるところまで行ければ いいやという事で出発した。

シャモニーの教会前にあるバスターミナルを7:00のバスで出て、レズー シュ(les Houches)のロープウェイ乗り場まで約15分(料金15フラン) そこからロープウェイでベルビューまで5分(往復70フラン)かかり、 乗り場から3分ほど歩くとトラムウェイの駅に着く。 そこからニーデグルまでは15分ほど(往復66フラン)かかる。 ニーデグルについたのは8:30頃であった。
ニーデグル停車場(29KBを開く) ニーデグルは標高2386mで、ここより1,431m登ったところにエギュドゥグ ーテ(グーテ針峰)とグーテ小屋がある。ニーデグルの駅を出たところか らグーテの小屋がはるか高いところにみえる。
落石の巣クーロワール(37KBを開く) はじめは、石のごろごろした道を登ってゆく。約3,000mのところで氷河を 横切る。ここにテートルースの小屋がある(標高3,167m)。 これをすぎると、クーロワールを横断するが、これが上部より落石の多い ところで、落石のない時を見計らって、走り抜けなければならない。 午後になるほど落石が多くなるようだ。それは、このクーロワールの上部 で氷が溶け落石が起こるからである。
グーテを目指す(30KBを開く) これを過ぎると、エギュドゥグーテから伸びる尾根を登ってゆく。 かなりの傾斜があるが、岩が連続する中を道がつけられている。 昨日までの体調から、「病上り」の体にこの登りはこたえた。 結局6時間近くかかって、午後3時にグーテ小屋に着いた。 普通なら4−5時間の行程である。

グーテ小屋(18KBを開く) グーテ小屋(Refuge de l'Aig. du Gouter)は標高3817mにあり、富士山頂 よりも高い。気圧はすでに地上の2/3くらいであり、高度障害が出る高 さである。続々と人が来て、ベッドは一人分幅が50cmくらいという、日本 アルプスの混雑した時期並みである。小屋では、食事の時間を除き、眠り こけていた。食事は、スープと肉と野菜とデザートと一応コースではあった。 9時頃に日が沈むのが見えた。天気はとても良い。 


翌日は、モンブラン頂上までの標高差約990mの雪上を歩くコースである。 先人たちは、このコースを早立ちして、日の出前に歩く事を勧めている。 ガストン・レビファは「早立ちしすぎたのを絶対に悔いる事はない。遅立 ちした事は常に後悔する。」とかいている(「モンブラン山群」、山と渓谷 社)。
ドームへの道(21KBを開く)ドーム(19KBを開く) 翌朝1:00に起床。2:10に小屋を出た。快晴、星が見えている。はじめ に、稜線をしばらく歩き、ドームドゥグーテ(Dome du Gouter)の登りに なる。十七夜くらいの月が煌煌とドームの広大な雪の斜面を照らしている。
dome_c.jpg 11KBを開く 雪の状態は良く、アイゼンがサクサクきいて気持ち良く歩ける。が、 高度の影響で、体は重い。ゆっくりゆっくりと前進する。約2時間 かけてドームの頂上の左を巻き緩やかに下ってドームのコル(4250m) に出る。
ここから急斜面を30分登ると、バロ小屋(Refuge Bivouac Vallot 4362m)に着く。これから登るボスの山稜とモンブランが、はるかに高く見 えている。ボスとは、「瘤」の意味のフランス語のようだ。
ボスの山稜(19KBを開く) 大ボス(Grande Bosses4513m)から小ボス(Petit Bosses4547m)ま での急登を上り詰めると、両側が切れ落ちている稜線を通過する。ものす ごい高度感がある。右には1000m以上、左も数百mの斜面である。すれ違う 人はいないが、少し気が重くなる。が、そんなことは言っておれず、ピッケ ルを打ち込み、アイゼンを利かせて、ひたすら登っていく。
この頃、日が昇る。正面にあってサングラスをかけていても眩しいくらいだ。 やっと通過すると、モンブランの頂上直下に至る。右側の山々には、巨大な モンブランの影がうつっている。実に大きな影だ。
モンブランの影(16KBを開く)頂上直下の稜線(10KBを開く ここから見ると、モンブランは平らな円いイメージはなく、三角形に切り 立っている。馬の背のような形になっている。

頂上へ (10KBを開く)頂上にて( 20KBを開く) その稜線を注意深く、薄い空気にあえぎながら登っていくと、傾斜が緩く なり、先の方に人が群がっているのが突然目に入る。ここが頂上だ。
最高地点らしきものも頂上の印もない、実にあっけないところだが、もう登 りはない。標高4807m。ヨーロッパの最高地点だ。時に7時25分。 グーテ小屋を出て5時間15分での登頂であった。稜線を登山者が続いてくるが、 モンモディ方面から来たパーティもいる。
まわりは、東にはエギュドゥミディやグランジョラスの向こうに、マッターホ ルンやモンテローザなどのヴァリスの山々、そして、ベルナーオーバーランド の山々、さらにその向こうにもアルプスは続いている。
南はイタリア側だ。西にもアルプスの山々は続き、北にはシャモニーの町の 向こうに山々は続く。気温は零下6度。天気快晴。じっとしていると寒く なってくる。写真を撮り、景色を見ていると瞬く間に時間は経つ。

peak_d.jpg 19KBを開く 8:00に下山開始。35分間の滞在だった。登りの人とすれ違いながら、注 意深く、アイゼンを利かして、ピッケルで確かめながら、慎重に急な道を 下りる。登りよりも、なお一層、高度感がある。落ちたら終わりだ。まだ 雪は固いので、アイゼンが利くが、午後になって雪が団子になると、大変 なところであろう。
vallot.jpg 12KBを開く 一時間でバロ小屋、さらに1時間でドームのコルに着く。 ここまで来ると、危険な所はなくなり、精神的にはほっとする。ドームの 広大な斜面を降りる。雪は少し腐りはじめている。


そして10:45にグーテ小屋に戻りアイゼンをはずす。ここで、暖かい紅茶を 飲み、小屋代の支払いを済ませる。 1泊94フラン、夕食100フラン、ミネラルウオーター2本(3リットル)で62 フラン。一休みして、12時に出発。
goute_d.jpg 30KBを開く 岩の尾根を下ってゆく。体調はずいぶん良くなり、昨日の登りで苦労し たのがずっと昔の事のようだ。先に行く人が真下にみえるような急斜面で ある。落石に注意しながら、それなりに神経を使う道である。1:50にクー ロワールを通過する。テートルース小屋のそばの氷河の縁で休憩。その後 がらがらの道を歩き、ニーデグルに3:20到着。あとは、トラムウェイとロ ープウェイに乗るだけだ。振り返ると、グーテの小屋に、雲がかかりはじ めていた。
それにしても、今回の山行は、体調は優れなかったが、天候にはめぐまれ た。まさに天の恵みだ。キャンプに戻り、テントを撤収。ちょっと贅沢で あるが、その夜は、420フラン払って、風呂付きのホテルに泊り、久々の 風呂に入った後、ひとり祝杯をあげた。(1998.8.30記)


追記 帰国後の8月25日、「モンブランで8人が死亡」という表題の新聞報 道がなされた。それによると、標高4000以上の場所でみぞれ交じりの雨が 降り、その後、気温が急速に下がって地表が氷結するという、大荒れの天 候に見舞われ、23日と24日の2日間でフランス・ドイツ・ハンガリーなどの8 人が、尾根からの滑落やクレバスへの転落などで、死亡したとの事である。 登頂は天候の恵みであった、という事を改めて実感した次第である。


イタリア側から見たモンブランの夜明け(トリノ小屋にて98.8.6)trino_m.jpg 25KBを開くtrino_w.jpg 37KBを開く

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