はじめに
2017年4月に、3週間ほど、オーストラリアのシドニーからハワイまで船旅をしました。そのときの、日々の記録と写真です。[太平洋縦断の船旅Day0]出発地オーストラアリア・シドニーへ 2017年4月7日
この4月、オーストラリアのシドニーからニューカレドニア、ハワイなどの島々を経由し、カナダのバンクーバーへ23泊かけて行く船旅をしています。
まずはスタートのシドニーまで行かなければなりません。4月6日夜10時のカンタスの便で羽田空港からシドニーへ。そのため、蔵王の家を出るのですが、途中で新幹線が止まったりすると接続できなくなるので、早めに家を出ます。10時前の白石蔵王発の新幹線。ちょうど、上野公園の桜が満開のようなので、上野で途中下車し、トランクを駅のロッカーに預けて、「予定外の」上野の花見です。
ちょうど、上野公園の桜は満開で、平日にもかかわらず、たくさんの人出。上野の満開の桜は、何年(何十年)ぶりでしょうか。
国立東京博物館が、桜の時期あわせてに催しをやっていて、その中に、博物館の裏庭の桜を見る、というのもありましたので、東博へ。入場料が、特別展でもないのに610円に上がっていました。裏庭の桜は、大木が多くて見ごたえがありました。
ついでに、科学博物館でやっていた「大英博物館自然史館展」というのも見てきました。こちらは結構力が入っていました。今度ロンドンに行ったら、大英博物館の本館のみならず、自然史館も必見です。
時間になって、羽田空港へ。カンタス航空便は一路、南に飛び立ちました。実質9時間強のフライトで、シドニー着。ここと東京は時差が1時間しかないので、体は楽です。
空港から市内に移り、予約していた宿に荷物を置き、午後は、オーストラリア博物館を見に行きました。ここは大幅な改装中ということで、展示はごく一部に限られていました。土地柄を反映しオーストラリア固有の動物の展示は、ここならではです。
ハイドパークを通り、ダーリングハーバーまで歩きました。倒れかかっている(ような)奇妙な建物がありました。余興でしょうか?。それから宿に戻り、休憩ののちイングリッシュパブで夕食。
明日は、昼間に、ホラントアメリカラインの客船、Noordam(ノールダム)に乗船し、港周辺を歩いたのち、夕刻から、いよいよ、航海が始まります。
[太平洋縦断の船旅Day1]シドニーを出港・旅の始まり 2017年4月8日
朝食を済ませ、ホテルを出て、タクシーで港へ。Overseas Passenger Terminalなのですが、着いてみてびっくり。ロックスのすぐそばに、Noordamが停泊しているのです。5年前の航海でシドニーに着いたときは、少し離れた岸壁のような気がします。12時半からチェックインということで、荷物をドロップした後、土日にやっている、マーケットを覗いて回りました。
このマーケット、結構おしゃれなものが売られていて、お客でにぎわっていました。11時半になったので行ってみると、チェックインOKということで、手続きして乗船、居室の6002号室へ。窓のついた部屋です。
食堂に行き、昼食。外を見ると、有名なオペラハウスが窓の下に見えています。また、ハーバーブリッジもすぐそこに。食事後、一回りして景色を楽しみました。次に、市内に行こうとして大きな誤算。我々は、オーストラリアの出国手続きをしているので、再入国できないのです。引き続き船に乗っている人は、トランジットということでパーミッションがあるのですが…。ちょうど、空港で出国するときに、イミグレーションを通り過ぎると逆戻りできないのと同じ理由です。去年、横浜で乗船したときは、出国手続きは、5日後の釧路でしたので、船から街へと自由に行き来できましたが、事情が違ったのです。
上陸はあきらめて、船内で過ごしました。荷物が届いていたのでキャビンの片づけをし、船内を回りました。途中、恒例の避難訓練があり、参加しました。
5時半になり、夕食時間。食堂に行き、指定の6人用テーブルに行くと、同席者は、オーストラリアの夫妻とバンクーバーの夫妻。初顔合わせですが、和気あいあいと食事を済ませると、ちょうど出港の時間。ハーバーブリッジ、オペラハウスが遠ざかり、いよいよ、船旅の始まりです。実は、食事中に船長よりアナウンスがありました。サイクロンが・・・という言葉で、いやな予感がしましたが、これは明日の日記に書きます。
なお、最後の1枚は、昨日博物館で買った、アボリジニの作家による布です。
[太平洋縦断の船旅Day2]再び、幻のニューカレドニア 2017年4月9日
昨日の夕食時にアナウンスがありましたが、今日、はっきりと旅程の変更が連絡されました。
それによると、サイクロン・クックがバヌアツからニューカレドニア方面に進行し、ちょうどこの船が着く日には、ヌーメアとエアソの港が閉鎖されるだろう、ということで、サイクロンを避け左回りに大きく迂回し、ニューカレドニアを過ぎたバヌアツのポート・ビラに寄港地が変更になる、というものです。
それで、船は、北東ではなく、オーストラリア沿岸沿いに北寄りに進んでいます。
かくして、ニューカレドニアは幻となりました。実は、5年前の世界一周航海の時も、天候により寄港する予定が変更され、パスしたのです・・・。
高校を卒業し大学に行く前の2~3週間、人生で一番暇なときに、たまたま図書館で、森村桂の「天国に一番近い島」を読み、ニューカレドニアの名を知って以来、記憶の片隅に残り続けたのでしたが、5年前に続き、今回も幻となってしまいました。
船はサイクロンの方向に向かいますので、さすがに大きなこの船も、ピッチング・ローリングで揺れ始めています。島一つない大海原を、あと2日、うねりの中の航海です。
今日の夜は、ガラ、正装の夜でしたが、この船は、少し緩くなっています。
明日、明後日と終日航海です。
[太平洋縦断の船旅Day3]進路は北北西、バヌアツへ。 2017年4月10日
今回のクルーズは、シドニーを出て、ニューカレドニア、フィジー、サモア、ハワイに寄港しながら、カナダのビクトリア、そして終点バンクーバーという23泊の旅です。それは、最初に示す地図の通り。その最初の寄港地から変更になったのです。サイクロンの進行図を見つけましたが、本線の航路と正反対からやってきています。9~10日にニューカレドニアを通過するようです。まあこればかりは仕方がないか。
今日は、船内で開かれているいろいろな催しの中で、Biodiversity&Ecology「生物多様性とエコロジー、南太平洋の島々」というレクチャーを聞きました。というタイトルです。スピーカーは、ジョージ・スランコというカナダの生物学者。
冒頭、「パラダイスは変化しつづけている」ということで、世界中の気候が変わっている、太平洋のいたるところで、嵐が、大きくなり、頻繁に起こっている、ということが述べられ、 いろいろな例が示されました。次に向かうバヌアツでも2015年3月に巨大なサイクロンで被害があったそうです。また、サンゴの枯れ死、海岸線の上昇などのスライドのありました。
Biodiversity Hotspots という図では、多くの場所で問題になっており、日本もその一つであるとされていました。Biodiversity(生物多様性)について、日本にいてもあまり感じませんが、世界的な目で見ると大変な場所の一つのようです。
船は、揺れながらも、時速18ノット(約35㎞/h)の速度で進んでいます。平穏な船旅です。明日、もう一日終日航海です。
[太平洋縦断の船旅Day4]カモメとアホウドリ 2017年4月11日
朝起きると、鳥の群れが船の周りを飛び交っています。朝食後、写真を撮りに行きました。どうも、2種類の鳥がいるようです。背中の白いのはカモメ、背中の黒いのはアホウドリの一種のようです。同じアホウドリでも、足の赤いのとそうでないのもいます。船の図書室に行きましたが、適当な本が見つからなかったので、帰ってから調べてみます。
船は、ニューカレドニアから100㎞のところを通過し、向きを変えて次の寄港地、バヌアツのポート・ビラに向かっています。地球上での100㎞といえば、ほんの少しの距離なのですが、ニューカレドニアは次の機会にしましょう。残念!
さて、今乗っているこの船のことを書いておきます。船名はNoordam、デッキ数11(11階建て)客用エレベーター14基、パブリックルーム19、パッセンジャー(旅客)1,918人、クルー620人、総トン数81,769トン、長さ935フィート(285m)、幅105.8フィート(32.2m)、建造2006年、ディーゼルエンジン、最高速度24ノット(43㎞/h)と書かれています。
この船は、客室のアテンダントが決まっていて、はじめに紹介のカードが置かれます。今回は、インドネシア人のYUDITHとZONの二人の若者です。毎日2回客室のセッティイングに来ます。至れり尽くせりのサービスです。
また、今日は、ジカ熱に関する健康上の注意という文書も配られました。船のような、閉ざされた社会では伝染性の病気に対する対応は、死活問題になります。
気象の情報も張り出されました。南太平洋には、サイクロンが2つ発生しています。この先の順調な航海を祈るばかりです。
午後、ポリネシアンダンスショーが行われたので見に行ってきました。5人チームですが、ニュージーランドのマオリ、サモア、タヒチの踊りが演じられました。地域柄、明るい雰囲気です。
さて、いよいよ明日は、4日ぶりの陸地、バヌアツの首都、ポート・ビラに上陸です。まさに熱帯に入っていて、船でも外に出ると、高温と多湿の空気に包まれています。
そして、次の寄港地は、1日置いた4月14日のフィジーのラウトカです。
[太平洋縦断の船旅Day5]バヌアツの首都ポート・ビラ 2017年4月12日
朝7時、港に接岸準備をしていました。穏やかな入り江の中、コンテナが積まれているワーフです。
予定変更で、バヌアツ(Vanuatu)の首都ポート・ビラ(Port Vila)の港にいます。日本にいるときには、聞いたことがあるかもしれないな…という程度の国。予定外なので、リサーチも資料もなしに上陸です。
船を降りると、熱帯の太陽と空気。すぐに、両替と土産物のテント。そして、出口にはタクシーが群がっています。アジア・アフリカの恒例の光景です。市街まで歩いて40分とのこと。熱帯の日差しの中を歩くのも…と、タクシーの交渉。「5ドルイーチ」という声が飛び交っています。所得の少ないこの国では、この仕事にありつけるかどうかで、大違い。そこで、客引きに力が入ります。最初に乗ったタクシーでは、いろいろと観光地の説明を始めて動きません。こちらは、市街まで行けばいいだけなのに、この機会に、たくさん乗ってもらおうと、熱心です。そこで、交渉決裂、降りて次を探します。
結構疲れるタクシー探しですが、乗ってしまえば5分。2人分で10USドル支払い、町の真ん中です。目の前は、マーケット。芋やバナナなどが売られています。
隣にはスーパーマーケットもあり、こちらでは、食料品や日用品など、世界のどこにでもあるマーケットです。
暑い日差しの町の中をブラブラ歩き、銀行などが集まっているメインストリートの端まで20分くらい。戻りながら、途中、休憩。レモンジュースを飲みながら、Wi-Fiでメールチェック。3日ぶりです。2杯で10A$。オーストラリアドルの表示もあります。そのあと、少し離れた高台にある、国立博物館へ。階段を高さ50mくらい登ります。途中、ヤシの木やハイビスカスの花など、熱帯の植物があります。
博物館は、切妻の大きな建物です。入口で、入場料一人20US$を支払います。カードはダメなようですが、US$はそのまま使えます。ちなみにこの国の通過Vtは、1Vt=1\くらいで、値段がとても分かりやすいです。
1ルームの博物館の中には、いろいろな展示物が並べられています。土器の文化もあったようです。また、いろいろな仮面や衣装、船、道具等々展示されています。入口のところで、現地の衣装の人が観光客に何やら説明していましたが、そのうち、大きな楽器を引っ張り出してきました。長さの異なる竹がつるされています。演奏を始めると、武骨な楽器の姿とは反対に、繊細な響きをたてます。楽器の名はアングーとか言っていました。
再び町に戻るため、階段を降りると、目の前に海と島があります。町で、昼食にバーガーと地元のタスカービールをとりました。二人分で2300Vt。
マーケットでは、100Vtくらいでヤシの実やタロイモ、ピーナッツなどが売られ、薪と思しき枯れ枝が200Vtでした。数百Vtで一日の食費になるようです。
様子もわかってきたので、帰りは船までブラブラ歩いて帰りました。Noordamの大きな姿が見えます。停泊地の手前に、新しいワーフを作っていましたが、これにはJAICAが出資しているようで、表示がありました。工事現場には、東京の建築会社の名前が3社書かれていました。こんなところで…、と少しびっくり。
2時半過ぎに船に戻りました。10数日前には、雪が降っていたのに、真夏が突然戻ってきた、という感じの、ポートビラの町でした。
4時半に出港しました。最後の写真は船から見た博物館、右の白い建物です。
[太平洋縦断の船旅Day6]フィジーへ東へ東へ 2017年4月13日
昨夜2時、時計が1時間進められました。この船は、西から東へ進んでいくので、1日が23時間の日が続きます。
バヌアツを出て、次のフィジーはほとんど真東にあります。船のコースは91度となっています。
さて今日は、午前中、停泊地パゴパゴとハワイのヒロについてのレクチャーに行ってきました。
米領サモアのパゴパゴは、5年前の航海の時立ち寄った港です。当時の記録を読むと、早朝から昼過ぎまでの、忙しい寄港であったと書かれています。その中で、自然公園に行き、海岸に行き、買い物をして、と忙しく動き回ったことが書かれています。今回は7時間ほどありますので、少しゆっくりできるかと思います。ただ、前回に続いて、日曜日なので、いろいろなものが閉まっているようで、時間が余るのかもしれません。
ハワイは、初めてなので、楽しみですが、朝から夕方までしか時間がないので、マウナケアの展望台に行くのは無理そうです。また次回ということにしましょう。
終日航海の日には、1日1万歩歩くことを日課にしています。今日は、晴天。気温は35度以上あります。風はなく、気温は36度、青い海が広がっています。艦内のデッキと階段を合わせて歩きます。その途中に、船内の装飾品をいろいろと見ますが、今日は、その一部の写真を載せます。美術装飾品、といってもいいようなものがたくさんあります。
明日がフィジーのラオトカ、こちらは大きな町でWi-Fiもありそうですが、次のドラブニ島にはありません。次のアップは、5日後のパゴパゴになります。
[太平洋縦断の船旅Day7]フィジーの港ラウトカに上陸 2017年4月14日
朝日が昇る6時ころ、前方に島が見えてきました。右上にポチッと光っているのは、明けの明星、金星です。よく晴れています。
さて、船は、7時過ぎにフィジー(Fiji)の港、ラウトカ(Lautoka)に入港しました。ここも貨物と兼用の岸壁です。9時ころに、下船してみると、テントの列。10張りくらい、ツアーの勧誘です。そのあと土産物のテントがやはり10張りくらい。
そして港の出口は、というと、前のポート・ビラのように、タクシーがひしめき合っているわけではありませんが、それでも、客とみれば声をかけてきます。この港は、町から15分くらいでそんなに遠くないのと、フリーのシャトルバスが運行されているので、こういう風になったのかと思います。
町まで歩くことにします。港の入口に、6枚ほど掲示板があり、ラウトカの歴史にかかわる写真がありました。ここは、「砂糖の町ラウトカ」と書かれ、砂糖生産の歴史的な役割があったようで、砂糖運搬用の鉄道線路も残っています。
道端には、熱帯の木や花があります。また、嘴の黄色い鳥がチョロチョロしています。日本で見るネムの花もありました。また、キッコーマンの看板も。とにかく、暑いです。
町の中心部に行く前に、ヒンズー教の寺院とボタニカルガーデンに寄りましたが、ボタニカルガーデンのほうはOPENが10時となっているにもかかわらず、入り口が見つからないで終わりました。
町の中には、何軒もスーパーマーケットがあり、地元の人の食料や日用品を賄っています。イースターの関係か、多くの店が閉まっています。市場も閉ざされ、周りで農作物を売っていました。
シャトルバスが着く、一番新しいモールの前には民族衣装の男が2人で、一日中サービスをしていました。休みが多いせいもあり、Wi-Fiを探すのに苦労しましたが、何とか接続できてメールチェック、Webのアップを完了。1時過ぎのシャトルバスで船に帰り、船で昼食をとりました。
3時ころ、雨。熱帯特有のスコールのようですが、すぐに上がりました。船には、イギリス連邦の一員であるフィジーの旗が掲げられています。
4時半に乗船完了、5時に出港しました。
昼食が遅かったので、今日は5時半の夕食のファーストシートはパス。6階のレストランで夕食を食べました。
明日は、同じフィジーの、ドラブニ島を訪れます。
[太平洋縦断の船旅Day8]フィジーの島ドラブニに上陸 2017年4月15日
昨日に続き、フィジーにいます。今日は、ドラブニ(Dravuni)島に上陸する日。
航海前にこの島のことを調べましたが、あまり資料がありませんでした。来てみると、「何の変哲もない」小さな島です。なぜここに…、という疑問はありますが、「自然の南洋の島」を感じることはできました。
岸壁はもちろんありませんので、沖に停泊し、テンダーボートで上陸です。数分間で、船着き場に到着。陸に上がると、子供たちの歓迎の合唱。
入り口に、島の地図の看板。これこそ、探していたものですが、島の全景と道、いくつかのポイントが書かれた簡単な地図です。
すぐ前が集落の中心です。土産物の布やシャツ、クラフトなどを売っている小屋がいくつか出ています。前に小学校・幼稚園があり、開放されています。土曜日のせいか、子供の姿はありません。教室は2つあって、下のクラスは、13人生徒がいます。小さな机・椅子が6個。上のクラスは、時間割で見ると、朝8時の歯磨きから始まり、教科の時間が3時まで続いています。
西側に歩いていくと、5分ほどで、墓地。途中は、ヤシの木が茂り、黄色や赤い花、蝶が舞っています。その先まで行くと浜への道。
集落に戻り、東側の、丘をめざします。それぞれの家には、雨水を貯める大きなタンクがあります。鶏を放し飼いにしています。また、途中、豚を育てる囲いもあります。また、太陽光パネルをつけた衛星通信設備もありました。
背の低い木に変わり、景色はよく見えます。丘の最高点は、目前ですが、最後は結構急な登りです。最高点に着くと、360度の展望。北側は崖になっています。ぐるりと海に囲まれて、近くには青い海とサンゴ礁。遠くに環礁の白い線が見えます。標高は、地図ソフトで測ると、135m。海からですから、そこそこの登りです。
景色を堪能してから、下ります。海岸は砂浜で、青い海の向こうに丸い島と我々の船が見えています。サンゴや貝殻が打ち上げられています。サンダルを持ってこなかったのは失敗でした。
広場に戻ると、10数人で踊りの準備をしています。打楽器と歌に合わせて女性の踊りの後、男性の踊り。
12時ころ、テンダーで船に戻りました。
この船会社だけの、寄港地なのでしょうか。のんびりとした島の暮らしに触れた上陸でした。3時過ぎに、テンダーボートを回収して、次の寄港地、米領サモアのパゴパゴに向かいます。
[太平洋縦断の船旅Day9]日付変更線(Date Line) 2017年4月15日
フィジーから東に航行すると、日付変更線(International Date Line)を通過します
。そして、東半球から西半球に入ります。すると、次の日は、また同じ4月15日(土)になるのです。全く不思議な感じです。その反対に、東から西に通過すると、1日無くなります。
おまけに、時差があるので、時計を1時間進めます。このため、時計を持っている電子機器全部にいろいろな影響が出てきます。腕時計、カメラ、携帯電話、タブレット、パソコンみんなです。
この船では、Date Line通過証明書が発行されます。
明日は、西半球最初の上陸地、アメリカ領サモアのパゴパゴ(Pagopago)です。そして、5日の長い船旅の後4月22日には、ハワイ島のヒロに到着します。
風邪でしょうか、のどが痛く、声も出しにくい。しばし安静にしましょう。
[太平洋縦断の船旅Day10]再び米領サモアのパゴパゴへ 2017年4月16日
日付変更線を越えて、アメリカ領サモアのパゴパゴ(発音はパンゴパンゴらしいが)に上陸。ここは、5年前の航海の時に立ち寄った場所です。当時の記録を見ると、上陸時間が短く、いろいろ中途半端になっていました。今回は、たっぷり8時間あります。
8時には接岸、岸壁が短いので、張り綱が長く伸びています。今日は、イースターだとかで、色つきゆで卵が朝食に出ていました。そして日曜日、前回も日曜日で店は閉まり、旅行者にとってはいい日ではありません。降りてみると、前回と違うのは、「バスツアー20$」という看板を持った人が多数いました。が、これはパス。
港から、パゴパゴの村のほうへ歩いてみました。VisitorCenter3/4マイルという看板があります。途中の博物館(無料)は開館していました。平屋のさして大きくない建物ですが、歴史、民俗用具などが集められていました。20分ほどで回り終え、また北へ歩き始めます。道路は完全舗装され、歩道もバス停もしっかり作られています。日曜日なので、店はほとんど閉まっていて、スーパーマーケットだけが開いています。
観光用のバスは、南国らしいデザインです。また、入江には、20人ほどで漕ぐボートがつながれていました。パゴパゴ地区のVisitorCenter←という看板のあたりを探しますが、見つかりませんでした。3回も道路に大きな標識があったのですが…。
スーパーを覗いたのちに、引き返します。ショッピングモールも閉まっています。マクドナルドは開いていて、船の客でいっぱいです。Wi-Fiのパスワードを、職員が手で入れていましたがとても対応できず、張り出しました。このWi-Fi、前回もそうだったのですが、不思議なことに、iPhoneやタブレットは接続できるのに、PCはダメなのです。メールのチェックだけはしましたが、遅いこと遅いこと、大勢の客がアクセス中なのでしかたないのですが・・・。他のWi-Fiポイントと地図に書かれているところは、みな休みです。Webのアップはできませんでした。
昼時になったので、混んでいるマクドナルドはパスして、船に戻り昼食。その後、今度は、南のファガトゴのほうを回ります。途中、高い木に、茶色の鳥のようなものが飛んでいるのを見かけました。明らかに鳥ではない、コウモリみたいに見えました。あとで見た資料によると、この島には、フライングフォックスという動物がいるようです。一瞬のことなので、写真には取れませんでした。
海岸の砂浜の海水浴場と周りには、政府機関が立ち並ぶ一帯を歩きました。日曜日なので浜辺以外は閑散としています。浜辺には、大きな木造の建物があります。集会用の施設のようですが、木と葉を編んで作られていて、大きな空間を作っています。スーパーがあったので、お土産代わりに何かないかとみてみました。お菓子の類は、みんな輸入品、ビールも会社は2つあるが輸入品、お菓子を少しと布を購入。
港に戻り、広場に並んでいるお土産のテントを見て回りました。前回来たとき、港の前の店で、アロハシャツを買ってずいぶんいいなと感じたのを思い出しました。今回は、Tシャツ2枚と竹の笛(5$)を買い、船に戻りました。
6時に出港。夕日が沈む時間ですが、来るとき見損ねた、かわいらしい「フラワーポットアイランド」をみながら、島を後にしました。
次の上陸地は、5日の洋上生活のあと、ハワイのヒロに到着します。
[太平洋縦断の船旅Day11]船のインターネット 2017年4月17日
サモアからハワイまで5日、ハワイからカナダまで5日洋上での日々が続きます。この間、メールも読めないと気になりますので、船のインターネットに接続することにしました。
船のインターネットは、とても、とても高いです。料金表がありますが、1分80円。 Time Planを使うと少しは安くなりますが、それでも60円/分です。(100分プラン)洋上生活が10日ありますので、1日10分として、このプランを申し込みました。
10分で何ができるかと、少し試してみました。メールのチェックはできそうです。Webのほうは、画像など上げることは無理。文章ファイルは何とか。ということで、しばらくは(ハワイに着くまで、カナダに着くまで)は、写真なしのWebになります。陸上で、写真はまとめてアップします。それでも通信費が1日600円(10分で)かかり、10日で6000円です。
さて、船内で情報を得る方法は、毎日発行されている英字新聞ダイジェスト版(米、英、加、豪)や、テレビでBBCや、MSNBCを見ることができます。日本で大事件が起これば、どこかにひっかると思いますが、メールのチェックは毎日しますので、連絡していただければありがたい。
なぜこんなに高いかというと、衛星通信回線を使っているからです。しかも、遅い。ちょうど30年くらい前の「パソコン通信」と言っていたころの状態です。
ハワイに向けて、穏やかな海を18ノットのスピードで進んでいます。
[太平洋縦断の船旅Day12]船の図書室 2017年4月18日
この船には、「エクスクローラーカフェ」という名の図書室&コンピュータ室があります。ここには、PCのほか、本や地球儀、図鑑、チェス、ジグソーパズルなどが置かれています。本は英語の本がほとんどですが、ForeignLanguageのコーナーに、日本語の本も小説を中心に20冊ばかりあります。かつての日本人乗客が置いていったものと思われます。
また、司書はこの船にはいなくて、本は自由に持っていき、返せとなっています。これだけあれば、10数日の暇つぶしにはなりそうです。
さて、船はハワイに向け、17ノットで北北東にひたすら走っています。詳しい地図だと、周りに小さな島があるようですが、見渡す限り、大海原です。
[太平洋縦断の船旅Day13]赤道を越える 2017年4月19日
昨日夜、赤道を越えて、北半球に入りました。この船は、スタートが南半球のシドニー、ゴールが北半球のバンクーバーなので、1度赤道を越えます。
いまでは、GPSがあるので、その表示が、S何度から、N何度に変わると、赤道を越えたことが簡単にわかります。かつては、夜、星の高度を測りそこから緯度を求めていたのですが、この船のインテリアの中にも、六分儀などが展示されています。
簡単に、南半球とか北半球とか書きましたが、若かりし頃には、まさか自分が南半球に行けるとは、とても思えない、夢のような世界だったものです。
南半球にいる間に、晴れた夜に、星座を見ようと思っていましたが、見損ねてしまいました。ここ(赤道)は、南半球の星座も北半球の星座もすべての星が見える位置なのですが…。
[太平洋縦断の船旅Day14]ハンバーガー 2017年4月20日
この船は、いろいろな種類の食堂がありますが、DIVE-INという名のハンバーガ食堂もその一つ。昼から夕方まで、プールのそばで開店します。
メニューはホットドック3種類、ハンバーガーが5種類あり、客が好みのものを注文すると、それから作ってくれます。そのため時間が少しかかりますから、連絡用の端末が渡されます。5分後くらいに鳴りだしてから、品物を受け取ります。
出てくるものは、日本のマクドナルドなどのバーガーと違い、肉の厚さが1㎝くらいのしっかりしたもので、ボリューム満点です。アメリカやカナダでは、レストランでバーガーを頼むと、ちゃんと皿に盛られて出てきます。アメリカの食文化の一端です。
[太平洋縦断の船旅Day15]旅程の変更 ホノルルから帰国 2017年4月21日
バンクーバーまで行く予定でしたが、旅程を変更しました。
2日後のホノルルで下船し、その日の飛行機で東京に戻ります。理由は、先週からの「気管支炎」が収まらないこと。このまま5日航海しカナダに行くのは負担が大きいと判断したことです。バンクーバーでは知人に会う準備もしていましたので、残念ですが、旅をしていたら、こういうこともあるでしょう。飛行機は、船上からインターネットで時間を調べ、チケットを取りました。こういう時代になっているのですね。
明日、船は、ハワイのヒロに到着。上陸し、ハワイ島の土を踏みます。ヒロの町を歩いたのちに、船に戻り、夜出港。明後日ホノルルに着き、下船、空港へ移動、12:35のJALで日本へ。時差の関係で月曜夕方、16:15に成田空港。そのまま新幹線を使って家に戻る予定です。
この船のメディカルセンターに行きました。結構混んでいました。薬が出ました。
また、今日はちょうど誕生日。このところ、洋上で誕生日のことが多いですが、また一つ、年を取りました。
[太平洋縦断の船旅Day16]ヒロはお祭り 2017年4月22日
6日ぶりの陸地です。朝起きると、目の前にハワイ島。初めてのハワイです。標高が4000mの山があるというので想像していた姿と違いました。朝は空気も澄んで、マウナケアの山も、山頂にいくつかある天文台の白い点もくっきり見えました。また、いくつか見える盛り上がりも、ここハワイが火山の島だと語っています。
朝食前に、イミグレの手続き。大きなホールに集合し、対面でのイミグレーションの手続き。アメリカ人は、帰国、となるので簡単ですが、非アメリカ人は入国。アメリカの入国管理も結構面倒になっているのでしょうか。昨年ESTAの手続きをしたときにも感じましたが…。係官はとても陽気な方で、日本人への対応がこなれていました。係官6人で1900人分を処理するのは大変で、10時過ぎまで呼び出しがされていました。
朝食後、町に出ました。町まで2マイルくらいなので、歩くことにしました。まず、港でフラダンスの歓迎。海沿いの道を歩いていくと、空気はさわやかですが、日差しは強い。巨大な気に赤い花が咲いています。また熱帯特有の大きな木が公園にあります。波打ち際を見ると、固まった溶岩が…。30分強で街中に出ましたが、行ってみてびっくり。
メインストリートの両側に、ズラーッと見物用に人が陣取っています。行けども行けどもです。何かのパレードを見るためのようです。11時になって、始まりました。
イースターの翌週にヒロでは「メリー・モナーク」という、世界一権威のあるフラダンスのファスティバルがあるとか。これがちょうど今週だったのです。そして、今日がその仕上げのパレードのようです。
パレードは、大きな車を山車にしたもの、オープンカーにミスなんとかが乗っているもの、踊りの集団、バンドのグループなど次から次にやってきます。
しばらく見ていましたが、際限もないので、ちょっと見るのを中断し、ライアンミュージアムを見学に行きました。立派な建物で、2階建ての建物に、ハワイの自然、歴史にかかわる展示がされています。シニア割引きで8$。その前に、現代美術館がありましたが、こちらは無料。
町に戻る途中に図書館がありました。アメリカの図書館が充実しているのは知っていましたが、ここもそうです。インターネットの端末もたくさん置かれています。ただし、ここのは、図書カードを作った人が使えるシステムのようです。また、外国の本のコーナーには、場所柄か、日本語の本も多数ありました。
町に戻ると、まだパレードは続いています。見物ながら、パレードの終点の方へ歩いていくと、そこはマーケット。食べ物のマーケットと、クラフトのマーケットがありました。笛を3つ購入。1時過ぎにようやくパレードは終わりになったようです。アメリカのパレードは、いろいろな団体が参加しています。退役軍人のグループや現役の軍人、パークレンジャー、学校の生徒、会社のチーム、馬に乗ったグループなど多様です。中に「古武道太鼓」というのもあり、トラクターの山車や衣装は違いますが、日本の太鼓とそっくりです。
2時過ぎに船に戻りました。ヒロの町は、お祭り一色でした。
明日は、いよいよ、オアフ島のホノルル。船から降りる日です。
[太平洋縦断の船旅Day17]ホノルルから帰国 2017年4月23日
6時ころ、ホノルルが見えてきました。昨日のヒロと違って、ホノルルは大都市です。林立する白いビルが海岸に沿って見えています。
7時に着岸。この港で今回の船旅が終わります。食堂で朝食ののち、下船用の出口に移動。商港でなく、貨物船の岸壁でした。
外に出ると、人気のないところに、タクシーの列。タクシーに乗り、空港に向かいます。日曜日のせいか、道路はすいています。20分ほどで空港。30ドル払います。
空港でのJAL便へのチェックインの際も、日本語を話す日本人の職員が…とびっくりしてしまいます。ネームタグを見ると、カタカナの名前。こちらの3世4世の方のようです。しかし、「ここは日本だ・・・・」と実感。
約3時間ののち、機内へ。ランディングの後、ハワイを後にします。空から、我々の乗ってきたノールダムが見えます。あれほど大きいと思ってきたのですが、空から見ると、ほんの小さなおもちゃのようです。その後、太平洋へ。見渡す限りの海です。
映画を4本ほど見た8時間半ののち日本へ。成田空港着。日曜の12時半にホノルルを出て、月曜の夕方4時半に着く、不思議です。
空港から、スカイライナーで上野、そこから新幹線で白石蔵王と乗り継ぎ、車で自宅に到着。17日間の航海の旅の終了です。