はじめに
2016年4月から5月に、3週間ほど、日本からアラスカを経て、カナダのバンクーバーまで船旅をしました。そのときの、日々の記録と写真です。横浜 <アラスカへの船旅Day0>2016年4月16日
日本から、アラスカ経由でカナダのバンクーバーに行く船旅に参加することになりました。使う船は、3年前に世界一周航海で使った Holland America Line の Volendam という船。この船については、後日暇なときに書くことにしますが、出航が横浜。その後、青森、小樽、函館、釧路と日本の港を経由して、アラスカで数か所寄港して、バンクーバーに至る19日の船旅です。
今日は、Day0ということで、横浜港に停泊し、CheckIn。出港は、明日の夕方です。前から乗っている客は、横浜に2泊して、結構広い範囲で日本の各地を旅行できるチャンス、ということになるよう設定しています。
我々は、遠刈田を朝出発し、昼過ぎにチェックイン。午後は、ぶらぶら買い物をしました。
大桟橋には、Volendamの隣に、飛鳥Uが停泊していました。そのせいか、大桟橋には大勢の人が来ていました。土曜日のせいかな?横浜は、今、桜の季節が終わり、チューリップや八重桜が咲いています。行楽にはいい季節です。
船に帰り、5時半から、夕食です。リクエストした通り、ファーストシート(第1回目)の夕食になっていました。6人席で、我々とニュージーランドのご夫婦、そして後の2人の女性は今日は出かけて夕食はパス、だそうです。飛鳥Uは食事中の6時ころ出港していきました。
夕食後、9:30からシアターで、今日の出し物、「太鼓小僧」を見に行きました。和太鼓の演奏で、三味線奏者がいるなどいろいろと工夫がされていて、とても受けていました。明日一日横浜に停泊し、夕方7時に出港です。
横浜出港 <アラスカへの船旅Day1>2016年4月17日
今日は、横浜に日中停泊、夜8時出港の予定です。そこで、乗客たちは、横浜を起点にいろいろなところへ日帰り旅行。夕食のテーブルがおなじニュージーランド人は、鎌倉に行ったようです。
我々は、今日は、横浜で買い物と映画鑑賞。桜木町駅まで、シャトルバスで行き、買い物をし、映画を見てきました。ちょうど1時過ぎころ、寒冷前線の通過に伴い、突風が吹く大荒れの天気に。シャトルバスで大桟橋に戻り、そこから、通称ジャックの塔・横浜市開港記念会館を見学しました。さらに、横浜開港資料館を見て、船に戻りました。 夕食では、昨日いなかった陽気なイスラエルの女性2人を加えて6人となりました。夕食後、恒例の避難訓練。航海の始まりに必ずやっています。
夜景が美しい横浜港でした。船は8時に出港の予定。明日は終日航海。東北地方の三陸沖を北上します。
出港の遅れ=青森はパス<アラスカへの船旅Day2>2016年4月18日
朝起きて窓を開けてびっくり、まだ横浜港にいる!!!どうも、昨日の前線の通過に伴う荒天のために、出港できなかったようです。9時になって、ようやく出港。半1日遅れてしまいました。
ともかく、横浜港を出て、東京湾を進み、浦賀水道を通り、太平洋へと進みます。浦賀水道は、海の交通の難所とは聞いていたが、、狭くなったところに、大変な数の船が進んでいます。おまけに、航路を横切る連絡船まであって、これまで、事故がたびたび起こっているのもわかる気がしました。
太平洋に出ると、さすがに、うねりがあり、6万3千トンの大きな船でさえ船が揺れています。伊豆大島に近づいたころ、写真に写らないくらいうっすらと富士山が見えてきました。房総沖を一路北に進みます。
途中、船の左右に、鳥が飛んでいます。遠いので、なかなか写真にとりにくいのですが、何とか撮ることができました。
また、4年前の世界一周航海の時の、テーブル仲間の2人のカナダ人と2人のアメリカ人に再会しました。実は、この航海は、カナダ人の彼女のおさそいで参加することになったのです。4年前が大昔のことのように思われます。
今日は、夕食のドレスコードは、ガラ・フォーマル。それらしき格好をしていきました。 ホランドアメリカの会社の誕生日だそうです。
今後の旅行についてですが、キャプテンのアナウンスとともに、夜、文書が配られていました。結局、青森港はパス。次の小樽に行くそうです。ちょうど弘前城の桜の季節に行けるかと期待していましたが、残念でした。が、旅にはいろいろなことが起こるもの。4年前の航海でも、ニューカレドニアに行きそびれてしまったのを思い出しました。あってほしくはないのですが、これこそが旅だ・・・・。
明日も終日航海になり、船は小樽に向けて東北地方の沿岸を北に進みます。
終日航海 <アラスカへの船旅Day3>2016年4月19日
予定外の終日航海になってしまい、一日船内で過ごしました。
11時から、「The Titanic Forces of Nature」というレクチャーを聞きました。最近の地震・津波・火山噴火といった事例をあげ、「これらは特別なことなのか?、No」という内容でした。世界中で起こった災害の中で、95年の阪神大地震、2011年の東日本大震災の話と映像が使われていました。
昼に、明日からの上陸行動を共にするメンバーで昼食と打ち合わせ。午後は、映画「Shall we ダンス?」、日本映画でした。
午後、ようやく青森県の下北半島、そして、北海道の襟裳岬と日高山脈が見えてき、津軽海峡に入りました。5時半からの夕食のころ、渡島半島に沿って進み、一路小樽へと進んでいます。
小樽 <アラスカへの船旅Day4>2016年4月20日
予定通り8時前に小樽に着岸。3日ぶりの陸地です。周りの山は雪をかぶっています。さすが北海道です。
9時に7人集まり、タクシーで向かったのは、「ニシン御殿」として知られる、小樽貴賓館、旧青山別邸。ここは、93年前に建てられた、ニシン長者の、豪奢な別荘です。日本海の航路を利用して、木材はじめ建築材料を買い集め贅沢に建てられた跡がうかがえます。枯山水の庭も後ろの日本海を借景にして、見事です。惜しむらくは、季節が早すぎて、花が何も咲いていないこと。別な時期に来ると一層素晴らしい景色を見ることができると思います。なお、建物の中は、写真撮影禁止です。
街に戻って、運河プラザ(観光案内所)から、運河に沿って散策。旧日銀金融資料館に行くと、残念ながら、休館日。仕方ないので寿司屋通りを歩いて、昼食にしました。寿司と刺身の豪華版。
その後、堺町のにぎやかな通りをブラブラ。ここは、昔の倉庫を使ったおしゃれな店が並んでいます。オルゴール館には、オルゴールの歴史というジオラマがありました。行きついた最後は、メルヘン交差点。バンクーバーとここにしかない蒸気時計があります。15分おきに、蒸気の力で音楽を奏でる、珍しいものです。
それから船に戻り、休憩。外を見るとカモメが2羽浮かんでいます。そして夕食。夕食後は、日本人ピアニストのピアノ演奏を聴きました。明日は、函館です。船が揺れ始めました。
函館 <アラスカへの船旅Day5>2016年4月21日
雪をかぶった山を見ながら函館に入港。放水船が、7色の噴水で出迎えてくれました。今日は、函館市内を観光です。上陸すると、横断幕で出迎えてくれました。
今日は日本人2人とカナダ人4人の6人で行動。初めに行ったのは、五稜郭。交通の便を考え、タクシーに分乗し、五稜郭タワーへ。タワーに昇ると、目の前に五稜郭、そして市内が一望できます。皆さん、その展望に驚いていました。惜しいことに、桜は咲き始めで、日当りのいい木だけほころんでいました。あと1週間遅ければ・・・。何かの鳥が木の上でさえずっていました。五稜郭内の函館奉行所を見学しました。実際に使われたのはたった7年というのを初めて知りました。資料を基に再建されて、今はピカピカの建物です。五稜郭タワーにはコイノボリがはためいていました。外国人には珍しいようです。
その後、市電の駅まで歩き、トラムで函館駅前へ。朝市を見物して、ラーメンの昼食。それから電車で、旧金森倉庫に移動。リニューアルしたモダンな赤レンガでショッピング。
また市電で駅前に行き、シャトルバスで船に戻りました。
5時半から夕食。きょうは、「沖縄風エビのフリッター」「ZONI」となじみの料理が出ています。雑煮のほうは、餅なしでした。食事中に出港。埠頭で20人ほどで踊っていました。
さてそのあとがサプライズ。実は今日誕生日だったのですが、食事中に、昼間旅した4人がやってきて、ハピバースデーツーユー。プレゼントをいただきました。食事が終わると、レストランの給仕人たちが、インドネシアの誕生祝の歌を歌って大きなケーキを出してくれました。そういえば、4年前の航海の時もそうだった・・と。 明日は日本最後の寄港地、釧路です。これを過ぎると、インタネットにつながりにくくなります。
釧路 <アラスカへの船旅Day6>2016年4月22日
日本最後の寄港地、釧路へは、朝7時前に着岸しました。今日は、出発前にイミグレーションの出国手続きのため、ということで、帰船が午後2時になっています。 6時に5人のカナダ人とともに予約していたジャンボタクシーに乗り込み、2時間のミニツアーです。はじめに行ったのは、釧路市丹頂自然公園。30分弱で到着です。入場料450円。運転手さんに案内してもらい、タンチョウのいる金網で囲われたブロックを見て回ります。金網上部には、獣除けの電線が張られています。現在14羽いるということでした。丹頂は、美しい鳥で、英語でjapanese craneと呼ばれています。ちなみに、この施設は、Japanese Crane Reserveといいます。ちょうど餌やりの時間にかかりました。周りで、カラスやカモメ、トビが餌を狙っています。ここでも生存競争があります。 次に、釧路市湿原展望台に向かいました。湿原内には道はなく、周りの何か所か高台から見ることになります。時間があれば、列車で見るか、ハイキングコースを歩いてみるといいのですが、今回はパス。 その後、市内に戻り、フィッシャーマンズワーフMOOで下車。ショッピングを楽しみ、そこから和商市場まで歩き、ここで、名物の「勝手丼」で昼食にしました。 船まで15分ほど歩いて戻り、乗船。日本最後の寄港地歩きを終了しました。 乗船後しばらくして、イミグレーションのパスポートチェック。ここで、「日本出国」のスタンプを押してもらい、ここからいよいよ、「外国旅行」となります。次の寄港地は、終日航海を6日した後、7日後の4月28日に、アラスカのコディアックに着きます。1日勘定が合わないのですが、船で日付変更線を超えるため、4月23日が2回ある、という不思議な生活です。そのあたりは、後日。 インターネットに接続するのが大変になりますので、こちらの日記も、次にいつアップできるかわかりません。そろそろ、出発の時間です。
終日航海 クナシリ沖 <アラスカへの船旅Day7>2016年4月23日
釧路を出港した船は一路、アラスカのコディアックをめざします。その距離約4000q。終日航海が続きます。今日は、午前中に、劇場でアラスカの寄港地ガイドのプレゼンを見ました。見た限りでは、いずれも大きな町ではありません。そのご、少し下調べ。日本を出るときにコピーしてきた地球の歩き方の10ページほどを読みながら、イメージ作りです。
さて、今日は、時差の修正が2回ありました。1度目は、夜中の2時に1時間進める。次は、正午12時に1時間進める、の2回です。夜中のほうは、寝る前に時計を進めておけばいいのですが、昼のほうは、11時59分の次が13時になってしまいます。それで、今日は1日が22時間になってしまいました。時差の修正は明日も続きます。そして明日は、日付変更線を通過します。詳しくは、明日。
昼食は、「マミーのヌードルハウス」という屋台が出て、ラーメンのようなものが出ていました。肉まんは結構いけました。
午後は、「Rflections on the Japanese」というレクチャーを聞きました。アメリカ流のジョークを交えた日本の風習などの紹介でした。確かに、外国人から見ると、奇妙なことはたくさんあります。月にウサギがすんている、という話から始まり、お辞儀の話、シャワートイレの話、宗教の話、日本語の話、などを面白おかしく話していました。いくつか間違いもありましたが、笑いを誘う話し方でした。最後に、日本とアメリカの犯罪数の比較、というスライドが出たときには、シーンとしていました。
さすがにここまで来ると、陸地は見えず、船の影もめったになく、海原があるのみです。これから6日間続きます。
日付変更線 <アラスカへの船旅Day8>2016年4月24日
船は、カムチャッカ半島沖を、アラスカに向かって進んでいきます。今日も終日航海です。
終日航海の日は、運動不足を補うために、1時間ほど船内散歩をすることにしています。平らなプロムナードデッキだけでなく、垂直方向の運動のために、デッキ1からデッキ10まで、10階建ての建物の階段の上り下りを混ぜての1時間です。だいたい1ラウンド(階段上り下り、3階デッキ1周、9階デッキ1周)が15分くらいなので4ラウンド繰り返します。それで、万歩計で6500歩。1日で1万歩が目標です。
今日朝、散歩しました。9階デッキに出てみると、なんと、雪!気温は0度くらいです。北海道にいるときは暖かかったのですが、これが本来の4月の天気です。散歩中に、1羽のカモメが飛んできました。ここは陸地から200q以上離れています。なんという生命力。
昨日は、2時間時計を進めましたが、今日は正午に1時間進めます。11時59分の次が13時という、不思議な感触です。1日23時間での生活です。
さらに、今日の夜、日付変更線(International Date Line)を通過します。基本は東経(西経)180度の子午線ですが、国境によって、ところどころ凸凹しています。今いる辺りは、アリューシャン列島がアラスカの一部でアメリカ領なので、西に出っ張っています。これを通過すると何が起きるか?同じ日が2回来るのです。具体的には、今日は4月24日日曜日ですが、明日も同じ4月24日日曜日になるのです。不思議な気がします。西から東へ日付変更線を超えると、同じ日が2回繰り返され、逆に東から西に越えると、1日飛ばされます。
この辺りは、4年前の航海で経験したことの逆ですが、頭の中ではわかっても、感じがついていけません。これは、ゆっくりした船の旅だから実感できることで、飛行機の旅では、感じられません。
船内新聞の日付も全く同じです。2016年4月24日を2回過ごすことになります。これと関連して、西から東に移動するときには、1日23時間での生活が続き、逆に東から西に移動するときには1日25時間での生活が続きます。
このことは、遠き昔の大航海時代の初めころ、マゼラン一行が初めて世界一周したときに、航海日誌が1日ずれていた、という話にも関連します。マゼランたちは、平均すると1日25時間で生活しながら東から西へと一周したので、1日足りなくなったのです。
夕食の時に、同席のニュージーランドの方から、お土産をいただきました。マグネットです。こういうお土産は、うれしいものです。
明日は、2度目の4月24日。人生1日もうけた気分です。
2度目の4月24日 <アラスカへの船旅Day9>2016年4月24日
2度目の4月24日(日)になりました。なんだか変な感じです。おまけに今日も、12時に1時間進める、ということなので、23時間戻したことになります。
船は、アリューシャン列島にさしかかりました。アラスカの一部です。第2次世界大戦の激戦地、アッツ島の近くを進んでいます。周りには、陸地も船も見えません。
朝食を終え、部屋に帰ると、「CROSSING THE DATELINE CERTIFICATE」という、「日付変更線通過証明書」が置かれていました。この会社はの船は、いろいろ証明書を発行します。赤道通過だとか、スエズ運河通過だとか、まあ話題づくりにはいいのでしょうが・・・。
今日は、ジムに体重計を探しに行きました。それらしきものがないので、聞いてみると、なんとまあ、アナログもアナログ、天秤を用いた体重計でした。はかりに乗り、目の前の天秤の右の重りの位置を動かし、天秤が釣り合ったところを探す・・・、というものです。量ってみると、0.1kg単位で量ることはできましたが、何故にこんなものを・・・と驚きです。
シアターで、一昨日の日本についてのレクチャーの続編を聞きました。ヤクザのこと、引き籠りのこと、マンガやアニメのことなど、「違い」をアピールし、その後、日本の歴史についておさらいをしていました。
昼食は、ヌードルと肉まん。軽く済ませます。12時に1時間進めるので、夕食までの時間が4時間弱になるのです。
時差の調整を昼の12時に行っていますが、これはいい方法です。夜時差の調整を行うと、寝る時間が1時間減って、大変ですが、昼間の活動時間を減らすほうがまだましだろうと思います。反対に、時計を遅らせるのは、夜にすると、1時間余計に眠れるので、体は楽です。日本を出港してから4時間早くなりました。何はともあれ、毎日1時間ずつ少なくなると、なんだか体がついていきません。夕食の相棒のイスラエル人2人は、夕食に1時間遅れてしまいました。明日もまた、1時間調整します。
夕食後、シアターにマジックショーを見に行きました。
西半球へ <アラスカへの船旅Day10>2016年4月25日
釧路を出てから、4日目になりました。航海全体では、半分を過ぎました。昨日は日付変更線を越え、アリューシャン列島のミッドウェーの近くにいるのですが、島影は見えません。GPSによると、島まで200qくらいのようですが、天気が悪く遠くを見通せませんので島影はありません。ただ、デッキを歩いていると、小さな鳥が見えるのです。こんな海の真ん中で何を…と驚く限りです。
今日は一日中、うねりがあり、ローリング(横揺れ)やピッチング(縦揺れ)が続いています。さて、今日の昼頃、ついに西半球に入りました。船の位置が、西経で測られるようになったのです。また、今日も正午に1時間時計を進めました。東へ東へと進んでいます。
終日航海をしている日は、運動不足を防ぐために毎日1時間歩いています。散歩の途中には、いろいろなものが目につきますが、今日は、安全にかかわる設備について。こんなものは使わないのが一番ですが、それでも必要なものが用意されています。
救命ボート。もちろん人数分あります。同時に、どこからどのボートに乗るか、ということを最初の避難訓練の時に確認しています。間違っても、タイタニックのようなことにならないようにするためです。
さらに、ライフジャケットは、各船室にあるのですが、予備のものもデッキに用意されています。子供用も用意されていて「ドリル(訓練)で使うな」と書かれています。
また救命ボートともに、救命いかだもあります。練習用のものもあり、使用手順も書かれています。
また、デッキには、灯り付きの救命浮輪が何か所に用意され、海上を照らすライトもあり、海に転落した場合に備えています。
また、火災用のホースも用意されています。4年前の航海の時に、海賊対策の一環として、放水訓練をしたことがありますが、本来は火災用です。
以上、いろいろと設備はそろっているのですが、それでも、4年前に地中海で、コスタの大型客船が沈没し、多くの犠牲者が出たように、有効に使うことができるかどうかは、最後は人間によって決まります。
以上、のんびりした船の旅ですが、変事に備え、いろいろな準備がされています。
終日航海もあと2日、3日目にはアラスカのコディアックに上陸です。
キッチンツアー <アラスカへの船旅Day11>2016年4月26日
終日航海の5日目になりました。今日の朝は、久しぶりの晴れ間で、気持ちよく朝の散歩をしました。
朝食の時、レストランで、クジラがいる、と騒いでいました。クジラの死骸の上に鳥がたくさん舞っていました。いよいよこういう海域に来たのです。
今日は、キッチンツアーというのがあり、参加しました。この船のことを書きそびれているので、ここで書いておきます。船名Volendam 船籍オランダ デッキ数10(10階建て)エレベーター12、パブリックの部屋18、乗客1440、クルー620 総トン数(Gross Tonnage)63,0000トン 長さ785フィート(239m) 幅106フィート(32m)建造1999年、ディーゼル電気エンジン、オートマチックスタビライザー付きということになっています。
さて、キッチンツアーでは、「この船に乗っている1440人の乗客と620人のクルーの食事の90%を準備している」ということで、総勢67人のスタッフでやっているとのこと。20人ずつグループで、厨房の中を見て回りました。さすがに、広い厨房は整然と仕事場が配置され、仕事をしていました。いただいた資料によると、平均的に1週間に肉と肉製品は5600s、魚は1100s、新鮮野菜は5400s、小麦粉は1800s使うそうで、想像しがたい数字です。
さて、この数日、行きかう船も島陰も全く見えない日が続いていましたが、ようやく船を見つけました。さらに、ダッチハーバーの先で、ユニマーク海峡を通りベーリング海から太平洋に出るために、雪を抱く山がある島のそばを通過していきました。久々の陸地です。
夕食の際の話題作りにと、折り紙で新聞紙で重ね箱を作ってプレゼントし、この手のものは珍しいようで、喜ばれました。
いよいよ、あと1日の航海ののち、アラスカのコーディアックに到着します。現在、海峡を通過しました。気圧は低く985hP、湿度95%とのことです。
ロイヤルダッチティー <アラスカへの船旅Day12>2016年4月27日
いよいよ終日航海6日目、明日はコディアック上陸です。
朝からうねりが強く、気圧も988hPaを指しています。室内のテレビの情報によると、低気圧の縁を航行しているようです。そのため、3階のデッキを歩くと、船の波を切るしぶきが高くあがっています。9階のデッキでは、相当強い風が吹います。情報によると、向い風は40ノット近く、秒速20m近い風です。デッキ10に行くのはあきらめて、9階デッキも短縮コースで朝1時間の散歩を終えました。
朝食に行ってみると、プールの周りは、「タオル動物園」。タオルでつくった動物がたくさん飾られています。毎晩、船室に飾られているものの集大成です。終日航海が続くと、いろいろな催しがされます。
さて、今日は、オランダ国王の誕生日。この船の船籍がオランダということもあってか、3時のティーが、「ロイヤルダッチティー」という名で行われていました。いつもの日と同じようですが、入り口で、並べられたケーキやお菓子の中からチョイスし、席に着くと紅茶を飲めるようになっています。イギリスの伝統を引き継ぐようです。
そのあと4時から、ORIGAMI教室、というのがあるので覗いていました。ダイソーの千代紙が紹介されていました。2つほど簡単なものを作りました。結構たくさんの人が参加して、関心が高いことを表しています。
いよいよ明日は、アメリカへの入国、アラスカ上陸です。アメリカへの入国手続きの中で、ESTAが必要になります。有効期間が2年なので、前回取ったのは無効になり、新しく取り直しました。Web上で手続きをするのですが、1か所Noと答えるべきところをYesにしてしまい、「手続き保留」になり、取り消し手続きが大変面倒でした。このままでは、東京のアメリカ大使館に行き、1日かけて直接ビザを申請することになります。「ESTA MISTAKE」で検索し、訂正を要求するサイトに行きます。そこから、「事情を書いたEMailを送ると、2−3週間後に返事がある」というとおりに手続きをし、ようやく、2週間後に承認されました。全部英語の煩雑な世界です。Web上でこのような重要なことを申請するときには、いつもに増して慎重にしないと、そのあとに数十倍の面倒がかかる、というのが教訓です。たった1つのYes/Noのボタンの押し間違えから起こったことでした。
ともあれ、明日、アメリカ上陸です。
コディアック <アラスカへの船旅Day13>2016年4月28日
6日の航海ののち、やっと上陸の日です。アラスカのコディアック。この町は、人口1万5千人、アラスカ本土ではなく、コディアック島というアメリカではハワイ島に次ぐ広さの島にあります。かつて、アラスカはロシアの領土でしたが、アメリカが買い取ったというのは有名な話ですが、このコディアックは、シベリヤを通ってきたロシア人がベーリング海峡を渡り、海沿いに作った町のひとつです。もちろん、そこには、アリュート族という先住民がいました。その名残を見ることができます。
さて、はじめてアメリカ合衆国に入国しますので、イミグレーションのチェックがあります。事前の申請に基づいて、いくつかのグループ分けされ、時間が指定されています。パスポートと乗船カード、ESTAの書類、税関申告書をもって何時に来い、という連絡が昨日ありました。その時間に行くと、6人のイミグレ係官がいます。税関申告書とパスポートをみましたが、ESTAの書類は見せろとも言われませんでした。電子処理されているから必要ないようです。
処理が終わった、というカードをもらい、準備をして船外に出ます。出るときに、そのカードを提出し、無審査での入国を防ぐ仕組みです。港は、大型漁船用のパースで、町まで1マイル、シャトルバスがあります。来たのは、アメリカでスクールバスに使われている黄色い大型バスです。島にある小さな町なので、観光バス会社というのがないのでしょう。内装はいたって実用的です。
乗って5分ほどで、ツーリストインフォメーションに着きます。こじんまりとした町です。天気は悪く、時折雨が降っています。あらかじめ調べていたので、ここはパスして、目の前にある、新しい建物のビジターセンターに行きました。ここは、自然公園の中心地ということで、アラスカの自然に関する展示がされています。ここを代表する生き物は、コディアック・ブラウン・ベアーです。それを中心に哺乳類、鳥類、魚類、植物などが展示されています。また2階では、短い映画を見られます。
町を少しぶらついてから、アリュート博物館(Alutiiq Museum)に行きました。7$。ここには、先住民にかかわる様々なものが展示され、現在も作っている織物などの販売もあります。特に、海を渡る、木と皮でつくられたカヤックは、かなり大きなものです。
この向かいに、タマネギ坊主があるギリシャ正教の教会があります。ロシア時代の物です。町の通りの名にも、レザノフ通りとか、カロリーヌ通りとかいう、ロシア風の名の通りがあります。
次にインターネットに接続するために、図書館に行きました。アメリカの公立図書館では、インターネットに無料で接続できます。たまったWebをアップしようとしましたが、利用者が多く、とても遅いので、接続が切断され、写真をアップできません。船の客の多くが来ているようです。町にはフリーのアクセスポイントがありません。最近では珍しいことです。あきらめて、次の寄港地ジュノーで行うことにします。
昼になったので、ハンバーガーを食べました。大きいこと、ポテトがたっぷり、肉はハードで、さすがアメリカ、と変に感心しました。ATMでお金を下ろしたのち、バラノフ博物館(Baranov Museum)を見ました。入場料は5$。ロシア時代の建物で、中には、地震と津波の展示している部屋がありました。ここアラスカの太平洋岸も日本と同じで、地震と津波の被害を受けてきた地域なのです。
このころになると、晴れ間も出てきて、一日のうちに晴れも曇りも雨もある、という天気です。湿度は90%を超しているようです。シャトルバスで船に戻り、一日の行動を終えました。コディアックは、こういう航海でないと一生行かないような、田舎のこじんまりとした町でした。
船長招待のブランチ <アラスカへの船旅Day14>2016年4月29日
船は、コディアックを出て次の寄港地ジュノーに向かって終日航海です。朝は、久しぶりにいい天気で、昇ったばかりの朝日の光を浴びての散歩でした。風もそんなにはなく、気持ちよく1時間歩きました。
さて、今日は、船長招待のブランチに招待状が来ていましたので、出かけてきました。この船会社は、乗船した日数に応じて、マリナークラブの会員に登録してくれ、そのランクに応じて、いろいろな特典を設けていますが、このブランチもその一つです。今のランクは☆☆☆ですが、200日になると、4つ星になります。ブランチのほうは、シャンパンが振舞われているのと、船長はじめ上級船員が来ていたのを除くと、普通のランチと変わりません。同乗している日本人でテーブルを囲み、昼食をいただきました。最後に記念品として、タイルのコースターが配られました。
午後は、バンクーバーの見どころ、というプレゼンテーション。町の概要から見どころまでいろいろと教えてくれます。
夕食のメニューに、SUKIYAKIというのがありました。結構、アジア料理を意識して献立を作っていますが、NEGIMAがネギのない鶏肉の照り焼きだったり、ZOUNIが餅のないスープだったりと、笑ってしまうのですが、このSUKIYAKIもソバヌードル(日本そば)の上に牛肉薄切りと野菜をしょうゆ味のソースで炒めたものが乗っていました。
夕食の後、映画に行きました。昨年日本で封切られた、EVERESTです。最期があまりハッピーではない映画だけにこの船のエンターテインメントで上映するにはどうかと思っていたのですが、今回は、笑いもなく上映を終えました。
明日は、グレーシャーベイのクルーズです。海に落ちる氷河を見物します
グレーシャーベイクルーズ<アラスカへの船旅Day15>2016年4月30日
今日は、グレーシャーベイのクルーズですが、天気が悪く、朝から雨。そして一時雪へと変わりました。
グレーシャーベイは、海に流れ落ちる4つの氷河を持つ湾です。さすがに一番奥の入江ですから、波浪はなく、静かな海を進んでいきます。湾の入り口で、自然公園のレンジャーを乗せ、湾の奥へと進みます。
初めに出てくるのは、ランプルー氷河。氷河が海に流れ込み、あたりは流氷でいっぱいです。鳥の群れが流氷の上にいます。気温は低く、とても寒いです。途中、豆のスープが出ました。
さらに奥に進み、ジョーンズホプキンス氷河。海に流れ落ちる、雄大な海岸氷河です。時折、氷河が崩壊する音がします。氷塔が崩れ海に落ち、大きな波紋を広げていきます。が、あいにくの天気で、カメラは曇り、鮮明な写真が撮れません。雨は雪に変わり、気温は下がっています。しばらくここで停泊。
昼食の時間になりました。今日は、サーモンのグリル。焼いたサーモンと蒸したサーモンが出ていました。
午後からは、乗船したレンジャーによる、自然公園についてのレクチャー。美しい映像が次々に現れます。続いて、ここの先住民についての話。
視界が悪く、生き物も鳥の他にいましたが、オットセイらしきものの写真が撮れただけでした。残念な天気でした。明日は、ジュノーに上陸します。
ジュノー上陸 <アラスカへの船旅Day16>2016年5月1日
アラスカの首都、ジュノーに上陸しました。首都といっても人口2万人くらいの町です。天気は雨。結構寒い日です。今日から5月で、夏のモードになるそうですが、今日は日曜日なので、いろいろな施設が休みだとか。
上陸し、町中にあるツーリストインフォメーションで地図をもらって、尋ねると、アラスカ州立博物館はクローズド、6月か7月にオープンのようです。またほかの公的な施設も日曜日は休みのようです。
坂を登って行ってウィッカーシャムの家、市立博物館もクローズド。ギリシャ正教のセントニコラス教会は外から見れました。その近くの Empty Chair Memorial は第2次大戦時に強制収容された日系アメリカ人の記念碑です。強制収容所に送られ、持ち主のいなくなった椅子のモニュメントです。
そのまま町に下りて土産物屋と宝石店の並ぶメインストリートを通り、ロバーツ山に行くトラムウェーに乗り、一気に500mくらい登りました(33$)。上のレストランで食事をした後、周りを散策。白頭鷲を見たり、ネーチャーセンターに立ち寄ったり、温帯雨林のトレイルを少し歩いたり、港を見下ろし展望台に行ったりしましたが、あいにくの雨でした。ロバーツ山の山頂まではさほどの距離ではないのですが道が悪く行けません。
それから下って、図書館に行きました。ここの図書館は人口が少ないのに立派です。インターネットもフリーで接続できます。速度も十分で、この間たまっていたWebのアップデートもできました。日本の図書館もこうありたいものです。
日曜日だったせいもあり、アラスカの観光シーズンにはまだ早いようで、土産物屋を除くと、あまり見るものがありませんでした。
ケチカン上陸 <アラスカへの船旅Day17>2016年5月2日
昨日のジュノーに続いて、ケチカンに上陸しました。今日は、12時前に船が着き、観光は、午後の時間に限られています。
まずはじめに、4qほど離れた、サックスマントーテムビレッジにタクシーで行きました。トーテムポールが20本ほどと、族長の家というのがありましたが、ここも観光シーズンになっていないようで、入園料5$払って、外を見て回るだけとなりました。1$で買ったガイドブックには、各トーテムポールの解説がしてありました。また、隣の林は、温帯雨林で、中には水芭蕉に似た黄色い花が咲き終えていました。また、鳥が地上で何かつついていました。アラスカのこの地域というのは、北にある寒冷の地というイメージと違って、雨が多く植物も動物も豊富な土地だと、改めて感じました。土産物屋で買い物をし、タクシーを呼んでもらいました。
ケチカンの町に戻り、トーテムヘリテージセンターで降りました。このセンターには、各地から保存のためにトーテムポールが集められています。トーテムポールは、一度作ると、メンテナンスはしないので、朽ちていくばかりだそうで、それを保存する場所として作られたようです。工具なども展示され、日本語の解説書類を頂き、興味深く見学できました。
秋にはサケが遡上するというケチカンクリークに沿って、町のほうに下ってゆき、トンガス歴史博物館(3$)を見ました。数十年前と同じ場所、状況で撮った2枚の写真が対比されるように展示してあるのは面白いものでした。展示物があまり多くないのは残念でした。そのまま、クリークストリートの海上家屋の土産物屋通りを歩き、南東アラスカディスカバリーセンター(5$)を見ました。ここは、大きな木造の建物で、アラスカの自然、原住民の生活、今日の産業と展示があり、シアターではいろいろなテーマの映画が上映されていました。
その後、コーヒーを飲みインターネットに接続してから、船に戻ると4時半でした。船は5時半に出発。2日後の旅の終点バンクーバーに向かって進みます。
航海最終日 <アラスカへの船旅Day18>2016年5月3日
いよいよ航海最終日になりました。明日は、いよいよ終着地のバンクーバー。下船の手続きの連絡はすでに届いています。色つきのグループ編成がされ、時間が指定されています。荷物は、今夜のうちに色つきのタグをつけて、廊下に出しておきます。カナダ入国の税関手続きの申請書とともに記入するよう、指示がありました。
朝の散歩、今日は風も穏やかでいい散歩日和。うっすらと汗をかいたのでシャワーを浴びて朝食。その後、荷物整理。11時少し前にシアターを通ると、クルーのフェアウェイスペシャルとかいうトークをやっていました。11時からはホテルスタッフによるサービス。
昼食は、アメリカに来たから、ということで、ハンバーガー。ここのハンバーガーは、注文を受けてから作る、というちょっと本格的です。キャノンボールというのを頼んだら、大きなバーンズの上にベーコンとたまねぎが乗っている2階建て。
午後は、「A Force of Nature:Ice & Glaciers」というレクチャーを聞きに行きました。氷河についての話をしながら、これまで通過してきた、グレーシャーベイ、3つのアラスカの寄港地の地形について話されました。後半は1964年に起きたマグニチュード9.2のアラスカ大地震の話。
船は、いよいよInside Passageといわれるバンクーバー島と大陸の間の水道に入りました。左右に島が見えています。
夕食の前に、4年前のカナダ人の旅仲間とミーティング。そのあと、夕食に行きました。最終日になるので、食事の終わりころ、音楽がかかり、食堂スタッフの行進とスピーチ。最後にニュージーランドから来たテーブル仲間から誕生祝をいただきました。
部屋に戻ると、クルーズログが来ていました。それによると、横浜からバンクーバーまで5405nm(海里)約1万10qを航海してきたことになります。
食事のあと、荷物を出して最終日は終わりました。
バンクーバー <アラスカへの船旅Day19>2016年5月4日
いよいよ航海の最終目的地、カナダのバンクーバーへ着きました。少し遅れて8時50分に上陸。カナダの税関のチェックは、あっけなく終わり、予約していた港に近いホテルへ移動しました。
荷物を預けて、グラウス山に行くことにしました。インフォメーションで地図をもらい、1日券を2枚買って出発。シーバスでノースバンクーバーへ渡り、バスで移動。グラウス山のゴンドラで山に登りました。雪が多くてフットパスはクローズしている、という話でしたが、登っている人はいました。登ってみると、天気は悪く、雲の中。雪がたくさん残っています。グリズリーベアを見に行きましたが、冬眠中でいません。樵ショーもなく、残雪の中、鳥を何羽か見ましたが、ちょうど、スキーシーズンから山シーズンへの移り変わりの時期でした。昼食をとって、下山。
ウォーターフロントに戻り、バニエール公園のバンクーバー博物館とマリタイム博物館を見ました。バンクーバー博物館では、歴史の展示がありましたが、一番印象的だったのは「バンクーバーの朝日」の写真。数年前に日本で見た映画の現物の写真です。第2次大戦中には、強制収容という、暗い過去も見つめていました。また, ネーティブの言語、、巨大な杉の年輪の展示も。マリタイム博物館は、北極海探検に使われた船が保存されていました。
宿に戻り一休み。夕食は、中華料理。たっぷりいただきました。
バンクーバー第2日 <アラスカへの船旅Day20>2016年5月5日
バンクーバーの2日目は、船に同乗した、バンクーバー在住の山口さん夫婦のお誘いで、市内観光をすることになっていたので、待ち合わせの9時に、スカイトレインのオークリッジ駅で会いました。オークリッジのモールの中をしばらく散歩し、スーパーなどを覗いてバンクーバーの生活事情などを伺いました。
そこから、車で、リッチモンドの先にあるステベンソンの漁港に行き、ワーフで取れたてのヒラメを見たり、そこにある、国立のヒストリックサイトの旧缶詰工場を見学しました。この工場では、かつて日系の移民の方々がたくさん働いていたということで、映画「バンクーバーの朝日」の舞台になったのもこのようなところのようです。入り口の壁に、「NIKKEI FISHERMAN'S LEGACY」という数百名の名が書かれたプレートが掲げられており、そこには、「4000人以上がブリティッシュコロンビアの商業漁業に重要な貢献をした。」と書かれており、百数十年前の日本人移民の姿を伝えてくれています。
昼には、中華料理屋で飲茶を楽しみました。とてもおいしい料理を一人10数ドルで楽しめました。その後は、Van Dusen という、ボタニカルガーデンに行き、そこで別れました。いろいろとカナダにおける生活について知る、有意義な時間になりました。
このボタニカルガーデンは、今が花盛りでした。特に、入ったすぐのところにある、黄色いフジのような花の木は圧巻で、「GOLDENCHAIN TREE」と書かれていました。その他にも赤や白、青の花が園内の至る所に咲いており、1時間余の散策を楽しみました。
そのあといったん宿に戻り、6時に4年前の航海のテーブル仲間とディナーの予定になっていましたので、ホテルでピックアップしてもらいました。カナダ料理を、ということで、ハンバーガーを食べながら話をし、そのあと、スタンレーパークのドライブに行きました。とても良い天気で、夕日の沈む時間になっていました。展望台から、USAのワシントン州のロバーツ山の白い姿が大きく見えるのには、驚きました。ドライブを終え宿に送ってもらい、一日を終えました。明日はいよいよ帰国の飛行機に乗ります。
帰国 <アラスカへの船旅Day21>2016年5月6日
さて、いよいよ帰国の日。ホテルに、昨夜ご一緒したバンクーバー在住のブライアン氏がピックアップに来てくれました。空港までドライブ。
JALのカウンターでチェックイン。その後、出発までの2時間、空港内で、ピザを食べたり、散歩して過ごしました。この日はとてもいい天気で、空港から、山々を背景とするバンクーバーの高層ビル群がきれいでした。
時間になり、JL17便は出発。船で19日かけたところを、10時間余りの飛行で成田へ。寝ると時差ボケがつらいので、映画を見て過ごしました。さすがJALは日本語の映画のラインナップが豊富です。見損ねていた新作映画を3本ほど見ました。電子版のマンガも見ることができます。
あっという間に時間が過ぎて、成田到着。1日先の午後4時10分でした。京成スカイライナーで上野、東北新幹線で白石蔵王、そして車で自宅へ着いたのが8時過ぎ。20日間の旅を終えました。なお、上野駅で駅弁を買って夕食。それが「日本のおもてなし弁当」でした。
(C)Akihiko URAKAWA