はじめに
2015年3月から4月に、6週間ほど、ヨーロッパを船旅を中心に旅行しました。そのときの、日々の記録と写真です。ジェノア 春のヨーロッパの船旅1 2015年3月13日
3月12日に日本を出国し、ヨーロッパの旅に来ました。今回のテーマはクルーズ。西地中海、東地中海、ライン川とそれぞれ10日前後の船旅をします。
初めの旅の起点は、イタリアのジェノア(英語ではGenova)。ベネチアとともにかつて、地中海の海運王国として君臨した街です。コロンブスの生まれた町でもあります。
町は人口65万人の大きな港町です。明日の出港を控え、今日は一日街めぐり。かつて海運で栄えたころに作られた大邸宅や宮殿を回りました。
スタートは噴水のあるフェラーリ広場。周りの建物も立派です。少し歩いてサン・ロレンツォ教会。
そして、ストラーデ・ヌォーヴェ(新しい通り)と呼ばれる通りにある、世界遺産に登録された住宅群を回ります。ジェノバの海運が盛んな時代に貿易で得た巨万の富を注ぎ込んで作られた住宅群です。王宮は、玉座の間や鏡の間などの豪華な装飾で目を見張ります。
ガリバルディ通りにある、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮殿なども見て回りました。赤の宮殿では、特別サービスで、屋根のてっぺんの展望台に案内され、町のパノラマを楽しみました。
観光シーズンには少し早いようで、どこも貸し切りのように、ゆったりまわることができました。
明日から、いよいよ航海です。
出航−西地中海 春のヨーロッパの船旅2(西地中海1) 2015年3月14日
今日は、西地中海クルーズへ出航の日。宿を10時に出て、タクシーで5分ほどのクルーズターミナルへ。岸壁には、巨大な「ファンタジア号」が着岸し、一目でわかります。日本のエージェントからは「チェックインは13時」と聞いていましたが、着くなりすんなりとチェックイン手続き開始。11時半には乗船できて、昼食は、船のダイニングで摂りました。
日本人アテンダントが乗っていて、15時に、日本人向けの説明会。それによると、この船は、乗客3500人で、日本人客は102名。最も多いのがドイツ人で1500人、以下イタリア、フランス、イギリスと続き、日本人客は第6位だそうです。3年前のアメリカからの航海の時には日本人は他にいない、と聞かされ、心細かったのですが、この船はそうでないようで一安心。この船のことは、後日、書きます。
16時半から避難訓練。ちょうど3年前の春、航海中に、イタリアの大型客船が難破し、多くの死者まで出した事件があったが、その影響で、避難訓練も強化されているのだろうか、救命胴衣を各自持参し、その装着の実習をするということになっていた。避難場所に、オレンジ色の救命胴衣の色が目につきます。ただ、すべての説明が5か国語で行われ、同じことを5回も言うので、冗長な気がしますが、これも、多言語の集団ゆえ仕方ないことでしょうか。
18時からファーストシーターの夕食。席の予約がうまく行われてなかったせいか、通路にある2人席。ウェーターの通り道で落ち着きませんが、2時間弱で終了。ムール貝の前菜、カルボナーラ、鶏肉をいただきました。
これが終わり部屋に帰ると、大したことはしてないのに、結構疲れた一日で、時差ボケもあるのか、早々に休みました。
明日はバルセロナ。
バルセロナ 春のヨーロッパの船旅3(西地中海2) 2015年3月15日
ファンタジアは、ジェノア出港の翌日、昼にバルセロナBalcelonaに接岸。これから上陸します。出航が18時と、時間が短いので、町の近場を少し回って終わり。
バルセロナは、だいぶ前に来たことがあり、また3年前の航海の時2日間停泊したところで、いくつかのところは回っています。コロンブス広場までシャトルバスがあるというので、切符を一人8.9ユーロで購入した後、前回の記録を見ると、前回のシャトルバスは3.5eこれでも高いと書いてあり、しかも、歩いて15分くらいでつけるところで、今回のツアーが基本料金が安い割には、いろいろなところで値段が高い設定になっているのだと実感しました。
船は12時過ぎにバルセロナに接近。途中、工事中のサグラダファミリア教会も見えてきます。埠頭に接岸します。
さて、13時に下船。シャトルバスに5分ほど乗るとコロンブス広場、ここには、とても高い塔があり、てっぺんに海を指差しているコロンブスの像があります。ここからランブラス通りを進みますが、今日は日曜日なのでとても賑やか。
数分歩くと、ガウディの代表的な建築のひとつ、グエル邸があります。この中には、鉄、木、石、レンガといろいろな材料を使って作られた奇妙な意匠がたくさんあります。屋上に出ると、煙突さえも不思議な色と形で、ワンダーランドの世界です。ショップでシンブルを2個10eで購入。
続いて、少し先に行くと、カタルーニャ庁舎と市役所、さらに、カテドラルがあります。巨大な聖堂の中を見た後、屋上に上れます。エレベータに乗ると、屋根の上に置かれた通路を通り大聖堂からのバルセロナの景色が眺められます。海のほうには我々の船がコロンブスの塔の隣に見え、またサグラダファミリア教会も間近です。
この後、街を歩いていると、桜に似た花が咲いていました。いよいよ、ヨーロッパも春の始まりです。
4時半にシャトルバスで船に戻り、6時からの夕食中に、離岸して、次の目的地、モロッコのカサブランカに向かいます。明日は、終日航海、ジブラルタル海峡を越えて、大西洋に出ます。
終日航海−大西洋へ 春のヨーロッパの船旅4(西地中海3) 2015年3月16日
ファンタジアは、バルセロナを出港したあと、ひたすら西へ。次の寄港地は、大西洋にある、モロッコのカサブランカ。そのため、スペイン沖を通り、ジブラルタル海峡を経て、大西洋へと航海します。今日は終日航海です。
終日航海の日は、ゆったりとしています。キャビンや船内の色々なところにあるラウンジで時間を過ごしたり、展望を楽しんだり、プールに入っている人もいます。ヨーロッパの人たちは、太陽の光が恋しいのか、暑くもないのに日光浴をする人もたくさんいます。
午後、キャビンでふと外を見ると、イルカの群れ。急いでカメラを向けましたが、あまりいい写真は撮れませんでした。
ディナーのドレスコードは、ガラフォーマル。バーではカクテルが振舞われました。シャンパンとギムレットをいただきました。この船のドレスコードは、そんなにきつくなく、だいたい襟のついたシャツを着用、というのが、最大公約数。
夕食後部屋に帰って一休み。9時過ぎにジブラルタル海峡を渡りました。キャビンのある左舷からはアフリカ側、モロッコのタンジェの灯りが見えています。ここを過ぎると大西洋。時計を1時間遅らせるように指示があり、明日の朝、カサブランカに入港します。そこはアフリカです。
カサブランカ 春のヨーロッパの船旅5(西地中海4) 2015年3月17日
4日目の朝は、雲の切れ間から朝日が昇り、始まりました。1日の航海の後、モロッコのカサブランカCasablancaに入港。陸地には、ランドマークのハッサン2世モスクが見えます。
朝食後下船。荷役の車の合間を縫って、ゲートから街へ出ます。さすが南国、道端にはハイビスカスの花が。ジャカランダなども咲いています。途中ATMで500DHほど引き出しました。
旧城壁に沿って海辺の道を進み、ランドマークのハッサン2世モスクへ。海のそばの広々とした広場にモスクが建っています。モスクには高い塔も。モスクのガイドツアーに参加。一人120DH(ディラハム)です。1DH=¥13とかいうレートですから、そんなに安くはありません。英語のグループとともにガイド嬢に続いてモスクの中へ。入り口で靴を脱ぎ袋に入れ、広いモスクの中へ。いたるところにあるアラビア風の文様の装飾が美しく、巨大な建物とともに「よくこういうものを作れたな・・」と感心。地下にある沐浴場などを見学しました。塔にはエレベーターがついているとのことでしたが、残念ながら塔の上には登らないそうです。
そのあと、城壁に囲まれたメディナ(旧市街)へ。ここにはいくつかのモスクとともに迷路のような道なりに、いろいろな店が並んでいます。野菜果物や肉魚、タジン鍋のある食堂、そして着るもの履くものいろいろです。道はまさに迷路。ようやく、国連広場側の出口にたどり着きました。
ちょうど昼時なので、この国の名物、クスクスとタジンで昼食にしようと、いくつかのレストランを当たりますが、昼時にはクスクスはやってないそうです。ツーリストインフォメーションで裁判所近くのモロッコ料理店、アルムーニアを教えてもらい、立派な店構えの店内で野菜のクスクスと仔羊とタマネギのタジンをいただきました。120DHと180DHプラス飲み物代で、リッチな昼食です。
その後、広い「アラブ連盟公園」を経て、ツインタワーに行きました。ここは、ガイドブックには、「北アフリカ一のショッピングセンター」と書かれていますが、全く違っていました。Wi-Fiのつながる喫茶店で一休み。メールのチェックやら、Webの写真のアップデート、地図ソフトのデータのダウンロードなどを行いました。
話は変わりますが、今回、旅行するにあたり、タブレットとiPhoneのアプリ、Maps.meを使っています。この地図アプリは、各国の地図データをあらかじめダウンロードしておけば、現地でインターネット接続なしに、GPSと地図の重ね合わせにより現在位置がわかるという優れものです。タブレットに入れて使っていましたが、ちょこっとした用途ではiPhoneのほうが使い勝手の良い場面もあるので両方使っています。そのデータのダウンロードをWiFiを通じて行えるのです。
さて、天気も悪くなってきたので、船に戻ることにして、途中で長袖のシャツを残ったDHで購入し、途中サクレクール寺院などを見ながら、船に戻りました。港の入口を間違え少し時間をロスしましたが、5時半には船に戻り6時からの夕食に間に合いました。
この日、船は22時出港。さすがに昼間16000歩も歩いたので、その前に寝てしまいました。明日は大西洋をカナリア諸島に向け、終日航海です。
終日航海−カナリア諸島へ 春のヨーロッパの船旅6(西地中海5) 2015年3月18日
カサブランカを出たファンタジアは、時速17ノットで一路南西めざして進んでいます。雲が多いのですが、天気は悪くありません。しかし偏西風の影響で白波が見え、大きなうねりが船に伝わってきています。カサブランカから目的地までの距離860nm(海里、ノーチラスマイル、1nm≒1.85km)だそうです。
大洋を進むとき、陸地が見えないのでどこにいるかわからないのですが、この船はその情報をテレビでリアルタイムに知らせるシステムを持っています。船内テレビのチャンネルを合わせるとその情報が見られます。
今日は、日本人のための情報提供の2回目ということで、日本人アテンダントの乗池千絵Chieさんのお話を聞きました。
さて、昨日の町歩きに使ったアプリ、Maps.meについて、もう少し。実は、このアプリは、GPS受信情報を地図上に表示するので、地図のない(大陸の縁だけの)状態でも使うことができ、今、海のどこを走っているか、どちらに向かっているか、を表示できるのです。
そうして、上陸すると、その地の地図をあらかじめダウンロードしておけば、インターネット接続なしでも、地図上に位置を表示できる、という、外国を旅行する人にとっては、夢のような、ソフトウェアです。しかも、これは、無料。地図データもです。
かつて、外国を自由旅行するときには、どこに行ってもその国の地図を買い求め、歩いてきました。こうして家にたまった地図は数十枚になります。この悩みから解放されるのです。もちろん紙の地図はそれなりに役割があり、完全には置き換えることはできません。しかし、今いる位置が地図上で表示できる、というのは、数年前には、想像もできなかったことで、まさに「夢のような」アプリなのです。アンドロイドとiPhoneで同じように動作します。
カナリア諸島テネリフェ島 春のヨーロッパの船旅7(西地中海6) 2015年3月19日
カナリア諸島の最大の島、テネリフェ島の中心都市、サンタクルスデテネリフェSanta Crus de Tenerife(以下テネリフェ)には、夜が明ける少し前に接近。まだ明けやらぬ海の上に、「宝石の輝き」テネリフェの街の灯りです。やがて夜が明けて接岸。8時から上陸開始。上陸して、町の中心にあるツーリストインフォメーションに行き、街の地図をもらい、見どころを尋ねました。そのお勧めに沿って、街を歩きます。
テネリフェ島は、面積は東京都くらいですが、なんとスペイン最高峰の3700m以上の山がある島です。接岸してからは、島の中心部は雲に覆われて見えませんが、海岸近くにはいくつもの切り立った山があります。大西洋の海の底からスーッと立ち上がり、その先端3700mが海上にある巨大な火山だということです。街は、平地も少なく、山に向かって建物が這うように登っています。人口は60万人というのでちょっとした都市。
かつて、ヨーロッパとアフリカとアメリカの3つの大陸の海上貿易を中継する、重要な土地であったそうです。
さて、はじめは、海辺にあるコンサートホールとその隣の砦の跡。白いシルエットが何やらシドニーにあるホールを思わせる曲面です。
次に、ボタニカルガーデンに登ります。ここは、丘になっているところに人工的に世界のヤシ、棕櫚などの植物を植えた、常春の国ならではの植物園。
中心地に戻る途中、コンサートホールでWiFiに接続し、Webのアップをしたついでに開いたメールで、チェニジアのクルーズ船の乗客へのテロ事件を知り、ニュースをチェック。同じMSCの客船のツアーがチェニジアの博物館で襲撃され、日本人3人を含む19名が死亡、というショックな事件。同じ方面に来ているので、安否を尋ねるメールもありました。今回の我々の旅は、北アフリカはモロッコを訪ねるのみで、チェニジアへは行きませんので無関係ですが、クルーズの客を標的にしたテロ、という許しがた行為です。
それはさておき、シティーセンターに戻って、市場、公園、教会などを訪ねて回りましたが、どこに行っても、美しい花で飾られていました。
「常春の島」と呼ばれる気候も相まってゆったりとしています。ただし旅行者にとって要注意なのは昼休み。どこかで見かけましたが、午後1時半から4時半まで昼休みで、店は閉まってしまいます。
4時半最終乗船なので、2時から3時まで、博物館で見学。島の自然史、交易の歴史などが3つのフロアにわたり展示されています。急ぎ気味に見終わって、船に戻りました。船は5時出港。次の、マデイラ島に向け出発しました。
夜、BBCでチェニジアのテロ事件の放送をしていました。
マデイラ島フンシャル 春のヨーロッパの船旅8(西地中海7) 2015年3月20日
大西洋に浮かぶ島ポルトガル領マデイラ島に来ました。この島は人口60万人ぐらいだそうで、その中心地フンシャルFunchalの街を歩きました。近くまで来ると、町の方向に、大きな虹がかかっていました。
この町は、すぐ背後に山が迫り、家々が山を登るように建っています。オレンジ色の屋根、白い壁(一部は黄色かオレンジ色)の家がとても美しい街です。
着岸後、歩いて10分ほどの中心地へ。まずはじめに、モンテと呼ばれる550mの高さにある展望台まで行くロープウェーに乗ります。15分ほどかけて、ゆっくり進んでいきます。眼下にオレンジ色の屋根の街、そしてすぐ近くに、船の停泊している港、その向こうは見渡す限りの大西洋と、絶景です。今日は、あいにく小雨がパラついていました。
山の上まで来ると、急な坂。2つの白い塔のある教会(Igreja do Monte)に行ってみると、500周年のお祝いということでデコレーションされていました。その先にある、庭園(Jardins Imperador)には、様々な花が咲き、町と港、海の素晴らしい眺めが見られました。団体客は来ず、静かな庭園です。下りにかかると、かなり急な道です。脇を、トポガンという、2人の男が操る、籠でできたそりに乗って坂道を下るアクティビティが行われ、何人もが通って行きました。標高差500mを約1時間でおりました。途中、いろいろな花があり、桜の花もありました。
街に降りると、まず、ラブラドーレス市場に行きます。ここには、花や野菜や果物、魚や肉、土産物、洋服といったいろいろなものを売る店が入っていて、南国の香りがします。歴史があるようで、古い時代のタイル画があります。1640年と書かれています。
昼食の後、メインストリートのアリアーガ通りを歩いて回ります。3年前に来た時特産品の刺繍を買った店は、残念ながら昼休みに入り閉まっていました。カテドラルの前を過ぎ、有名なマディラワインの店「ブランデー酒造」でマディラワインを購入。隣のサンフランシスコ庭園は花盛り。
この街を歩いていて楽しいのは、道路の舗装。白と黒の小さな意思をびっしり敷き詰めた舗装ですが、道によって、いろいろな模様が描かれています。
時間になったので、歩いて船に戻ります。夕方、5時に出港。花いっぱいの南国の島を後にしました。たくさんのカモメが船の周りを飛び交っています。よく見ると、2種類の鳥がいるようですが、そのうちインターネットに自由につなげるときに解明したいと思います。
船は、大西洋をひたすら東へ。ジブラルタル海峡を抜け、700海里先の地中海のマラガをめざします。
終日航海−地中海へ 春のヨーロッパの船旅9(西地中海8) 2015年3月21日
マディラ島を出たファンタジアは、進路を東へ向け、20ノットのスピードで、ジブラルタル海峡・地中海へと航海をしています。今日は、終日航海の日。これを書いている12時には、マディラ島から330海里ほど動き、次の目的地マラガへ370海里という位置にいます。これらは、船のテレビに映し出される情報によりわかります。
さて、今日は、インターネット事情について。この船には、有料のインターネット接続があります。料金は、次のようになっています。
60分 16.90ユーロ (36.6\/min)
100分 24.90ユーロ (32.4\/min)
5時間 54.90ユーロ (23.8\/min)
8時間 69.90ユーロ (18.9\/min)
24時間 169.90ユーロ (15.3\/min)
この中で、100分パッケージを買いました。使ってみると、回線速度が遅く、大きな画像などを送るのには、ちょっと厳しい速度。1日10分弱を使っています。用途は、メールのチェック、Webの更新、日によってはニュースのチェック、次期寄港地の情報収集などです。あっという間に5分10分は過ぎますので、全部準備して、エイッとつなぎ用を済ませます。大きな画像は、送りません。
一方、上陸地でのインターネット事情は、3年前の航海時に比べ、よくなっているようです。テネリフェやフンシャルなどでは、街中でフリーのWi-Fiにつながりますし、カフェーでも多くのところでWi-Fiに接続できます。3年前に、上陸地でインターネットカフェーを探して、USBメモリーに落としたデータを、スペイン語版のWindowsでアップしたり、メールチェックしたことが夢のようです。
ということで、上陸すれば何とかなる、という感じですので、後半のクルーズでは、船のWi-Fiは必要ないように思えます。この記事も、終日航海なので、船のWi-Fiを使い切るために、これからアップします。
船は次第にアフリカ・ヨーロッパの陸地に近づき、波浪が少なくなってきました。
今夜は、夕食後、シアターにも行ってきました。パイレーツというテーマで、大道芸にあるような芸が次々と行われ、喝さいを浴びていました。
マラガ(スペイン) 春のヨーロッパの船旅10(西地中海9) 2015年3月22日
船は、夜のうちにジブラルタル海峡を抜け、地中海を東に進んでいます。夜明け前、アンダルシアのどこかの港の灯りが見えました。日が昇るころ、スペインのコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の港町、マラガMalagaに到着。人口57万人のこの町は、遠くはフェニキア人の植民地、ローマ帝国のころに栄え、その後アラブの支配下で繁栄し、そして今、アンダルシアの重要な都市になっているというように、歴史のある街です。
上陸時は雨。港から30分ほどで町の中心。港を見下ろす要塞アルカサバを訪ねます。ここはかつてはローマ帝国時代に要塞が作られ、それをアラビア人たちが改造した、古い歴史を持つ建物です。石と煉瓦で作られた要塞は海と町を見下ろす位置にあります。内部は、アラブ風の装飾で飾られ、庭園や陶器製作の窯などがあります。
2重になった要塞からは、港に停泊しているファンタジアや闘牛場の丸い建物が見えました。ローマ時代の石碑や柱なども残っています。ちょうど、オレンジの花と実の季節で、いたるところに白い花を咲かせたオレンジの木が植えられています。
街に降りると、大聖堂(カテドラル)の建物。今日は日曜日なので、ミサが行われ、見学はできないようです。
その近くに、かつての貴族の館を修復して作られた、ピカソ美術館があります。ピカソは、このマラガの生まれだそうです。遺族たちが寄贈した作品の展示が行われています。入場料8ユーロ。ここで驚いたのは、音声ガイド。入場料込、しかも日本語もあります。いろいろな時代のピカソの作品を展示していました。ピカソの作風が時代を先取りして、様々に変化してきたのを感じました。
民俗博物館は休館とのこと。Wi-Fiを探しに観光案内所に行きましたが、平日はWi-Fiがあるが日曜日はダメ、ということで、インターネットカフェを教えてもらいましたが、スペイン語版のWindowsのPCで、送る準備ができてなかったので不可。マグドナルドでメールのチェック、ブラウザで調べ物をしました。FTPは使えない設定のようでWebのアップはできませんでした。素敵な手作り工芸店を見ましたが、寄らないままで、船に戻りました。残念。
船は、1時半最終乗船。昼食をとっている2時に出港し、次の寄港地、イタリアのチヴィタベッキアに向け850海里の航海に出発しました。明日は、終日航海。夕方、三日月と金星が西の空に見えていました。
終日航海−イタリアへ 春のヨーロッパの船旅11(西地中海10) 2015年3月23日
今日は、スペインからイタリアへと地中海を東へ。今はマヨルカ島の沖を過ぎたところ。これから、コルシカ島とサルジニア島の間の海峡を通って、ローマへ向かうようです。
さて、この船ファンタジアの大きさについてですが、総トン数11万5千トンだとか。と言っても大きさが想像できないと思いますので、いくつか数字を挙げていきます。
船の全長は、333mだそうです。東京タワーを横に寝かせた長さ。ちなみに、全部が船室である11階の先端側にある部屋のドアから船尾側まで普通に歩くと、3分30秒かかりました。この11階には船室が292室あります。
高さは、17階建て。17階建てのビルというと、階段を歩いて登る気にはなりません。15階のデッキから見ると、地上の人が小さく見えます。
さらに、乗客は3800人だとか。7階のデッキに、救命ボートがありますが、その数は28隻。一艘あたりの乗船定員が150人と書かれていますので、4200人乗ることができます。そのほかに筏などがあります。(で、クルーは1500人。すると・・・?)
また、劇場に行くと、そこの席数は1500席とのことです。わが蔵王町のホールが1,000人収容だったかと・・・。
ともあれ、途方もない数の客が運ばれ、食べ、生活しています。
チビタベッキアからローマへ 春のヨーロッパの船旅12(西地中海11) 2015年3月24日
船はローマの外港チビタベッキアCivitavecciaに入港しました。船旅でもない限りあまり知られていない街ですが、かつて、ローマ帝国が地中海を支配したころ、海の玄関口として栄えたところであり、地中海諸国からローマへ食料などを運んできた港です。外港とはいえ、ローマまでは80qもあります。ローマのバチカン博物館にあるシスティーナ礼拝堂を見に行くことを目的として、ローマに行くことにしました。
ここからローマまでは、鉄道、バスなどの交通機関がありますが、9時に船を出て、18時半までに必ず帰ってこなくてはいけません。こういう時には、船のツアーに参加するのが間違いないのですが、行きたいところに行けるわけではありません。また、外国人とのツアーは何度か経験がありますが、いろいろな国民性の人が同一行程で旅をするのは、結構ストレスがたまり、あまりツアーは好きではないのです。
そこで、今回は、鉄道で行くことにしました。予定より早く8時35分には下船することができました。降りてから、チビタベッキアの町までシャトルバスがあるとのことでしたが、何時に動くかわかりませんので、歩いて駅まで行きました。約30分弱で駅へ。切符売り場は窓口が一つ、そこで男が延々と何か問答しています。切符を買うだけなのに、10分近くかかっても、進みません。窓口の列は長く伸びてきますが、ようやく、隣の窓口が空き、進み始め切符を手にしました。ローマまで往復、地下鉄バスがついて12ユーロ。片道なら5ユーロのところです。時刻表も手に入れました。
電車は数分前に出てしまい、次の電車は30分以上待って、始発電車です。9時43分に発車。ローマテルミニ駅には10時48分着ですが、乗ってから時刻表を見ていると、ローマサンピエトロという駅に停まることがわかりました。地図アプリを使って調べてみると、なんと、バチカンのサンピエトロ広場からわずかのところにある駅です。テルミニ駅に行き、地下鉄で戻るのに比べて、1時間近く節約できることが判明。
そのサンピエトロ駅で下車し、サンピエトロ広場に行くと、そこは人人人・・・。大聖堂を見学する列は、延々と続いています。バチカン博物館へは、寺院の右側の壁沿いに進みますが、途中から、またまた人人人・・・。博物館の行列と、「スキップ・・・」とかの看板を持った物売りとでごった返しています。このまま行列したら、何時間かかるかわかりません。ということで、礼拝堂はあきらめることにしました。あまりの人の多さに呆れて、写真を撮ることも忘れてしまいました。
代わりに、サンタンジェロ要塞を見学。こちらも行列はありましたが、20分ほどで入れました。ここは、もともと、ローマ帝国のハドリアヌス帝の墓地であったところ、それが要塞となったそうです。ちなみに、サンタンジェロとは、「聖なるエンジェル」のこと。それでてっぺんには、羽の生えた天使の像が建っており、要塞前にかかる橋(エンジェル橋)は欄干に羽の生えた天使の像が並んでいます。屋上からは、よく晴れたローマの景色が見えました。
ピザ屋で昼食をとると、そろそろ帰る時間。遅くとも16時32分に乗ればよいのですが、行くところもないので、戻ることにしました。14時32分のサンピエトロ駅発、15時13分着予定が5分遅れでチビタベッキア駅に着きました。帰りに「フリーWi-Fi」と看板の出ているカフェで、一休み。この数日間たまっていたWebのアップロードを済ませ、メールのチェックをし、日本の新聞を読みました。なんでも、チェニスの襲撃犯の一人は高校卒業直後の若者とか。驚きました。
港の入口にあるローマ時代の遺跡のわきを通り、船に戻り、明日の下船に備えて荷物整理。トランクを今夜中に廊下に出しておかなければなりません。荷物整理が10数日に一回でよいのが船旅のいいところです。
時間になったので、今クルーズ最後の夕食。ウェーターたちと別れを惜しんで、終了。預けてあったパスポートを返してもらい、いよいよ下船準備です。明日は、乗船地ジェノアに8時に入港。9時半に下船します。
今日は、チビタベッキアからサンピエトロまでは意外と近い(40〜50分)ということがわかりました。もう一度この地には寄港しますので、参考にします。
下船−フィレンツェへ 春のヨーロッパの船旅13(西地中海12) 2015年3月25日
ファンタジアは朝7時にジェノアに入港しました。8時から下船が始まりますが、3000人を超える客を荷物を渡しながら捌くのは大変です。もちろん船会社はこれまでの経験からそれに適したシステムを作ってきました。
前日に、各部屋に、色分けされたタグが配られます。荷物は、前日深夜までにタグをつけて廊下に出しておきます。当日は、タグの色と番号で集合時間と場所が指定されます。指定の時間にその場所に行くと、下船口に誘導され、そこに前夜出していた荷物が置かれており、それをピックアップし、出口に、という流れです。3年前の世界一周航海では、荷物の量が膨大なのと、アメリカの税関の検査のために、延々と時間がかかったのですが、今回は短期間のクルーズで、客の荷物も少なく、税関の検査もないに等しかったので、すんなりと下船しました。
また、乗船中のかかった費用の支払いは、前夜に、クレジットカードの支払い一覧表が配られ、間違いなければ、サインして部屋に置いていくだけ、という簡単なものです。
タクシーで予約していた港近くのホテルに行き、荷物を預かってもらい、2泊3日のフィレンツェへの小旅行に出かけます。身軽になって、鉄道駅に向かい、切符を購入。フレンツェまでは、途中のピサ・セントラルまでの2時間弱をインターシティの「特急」、そこからローカル線で1時間半と、4時間弱の鉄道旅行です。駅で往復のチケットを購入。2人で136ユーロ。12時過ぎに出発するので、昼のためにサンドイッチとピザを購入。
始発のインターシティICに乗り込みました。斜塔で有名なピサで乗り換え。各駅停車のローカル線に乗り換え、3時半にフィレンツェ・サンタマリアノベッラ駅に到着。歩いて10分ほどの宿へ向かいました。
チェックインの後、一休みして、街中の見物と夕食。さすがに2週間イタリア料理だったので、中華料理屋で小籠包と海鮮麺を食べ、宿に戻りました。途中、花の教会やベッキオ橋といった名所を通りましたが、明日の昼間、ゆっくり観光する予定です。
船の旅もいいものですが、鉄道の旅もまた楽しいものです。
フィレンツェ散策 春のヨーロッパの船旅14 2015年3月26日
きょうは、一日のんびりフィレンツェ散策の日です。
今回フィレンツェでとった宿は、「レジデンツァ・ドゥ・エポカ」という名の、アパートです。普通はもっと長期の利用を想定しているのでしょうが、2泊です。部屋は、寝室、浴室の他に台所、食堂、居間がついた「普通の貸し間」です。鍵が6つ付いた束を渡されました。ヨーロッパの古い建物の中にある部屋で、天井が高く、広々としています。鍵は、通りから建物に入る重いドア、中にある鉄格子のドア、エレベーターを降りたところにある廊下のドア、そして部屋のドアと、4つの鍵を使って入らなくてはなりません。ヨーロッパの大きな共同住宅では、このように扉をいくつも使って、住民を分けて、居住生活をしているようです。
さて、今日は、フィレンツェの町を歩いて回りました。地図の通りですが、はじめにアルノー川の南側から回ります。宿の南にピティ宮殿、ここにはいろいろな博物館があるようですが、時間の都合で割愛。そこから山の上にあるベルベレーデ要塞まで上がります。かつて、イタリアが都市国家に分かれていたころには、重要な軍事拠点であったようです。開館時間が遅く、外から見るにとどめました。
次に行ったのが一大観光名所「ミケランジェロ広場」高台からフィレンツェの町を一望できます。ダビデの像が立っています。さらにその奥にあるサンミニアト教会へも足を延ばしました。
河岸まで下りてアレグラジーエ橋を渡り、サンタクロース教会へ。ここには、いろいろ有名な人が祭られているようで、ガリレオやダンテなどの祭壇があります。
昼時になったので、昼食は、和食にしました。出発から2週間、船では毎日イタリア料理を食べていたので、少し趣向を変えて和食です。日本人のシェフがいるというレストラン・ビアンコロッソで「鳥のから揚げ定食」を食べました。
午後は、アカデミー博物館から。ここは延々1時間半も行列を作り、入館しました。ミケランジェロのダビデの本物がある他、多くの絵画、彫刻が展示されています。ウフツィ美術館と並んで人気のあるところです。
それから、サンロレンツォ教会を見て、フィレンツェ駅(サンタマリアヴェラノヴェッラ駅)に行き、明日のピサ行の時刻表を手に入れようとしましたが、1時間近くかけてもうまくいきません。時刻表は、駅内に置いていなくて、駅員に聞くと案内窓口に行け、とのこと。この窓口が一つしかなく、待ち行列が延々とできています。ようやく順番が来て、時刻表をくれ、というと、ディスプレーを見せますので印刷したのを、というと、ない、とのこと。鉄道会社が時刻表を印刷してないはずがないのですが、切らしてしまったのかどうか知りませんが、ない、の一言です。ヨーロッパの諸国を鉄道で旅をしたことは何度もありますが、イタリアとスペインは、なかなかストレスがたまります。窓口で延々と手続きに時間がかかる、必要な情報が得られない、などです。結局、宿に帰り、インターネットで数分で時刻表を手に入れました。
宿で休んだのち、夕食をとりに、街に出かけました。お目当ては、この町にある「ラーメン屋」。バンキ通りにある「番気ラーメン」です。ここで、「餃子付しょうゆ味チャーシューメンセット」をいただきました。日本にでは、なんということのないものですが、出国後2週間経過し、あと1か月弱イタリア料理とつきあうので、貴重です。繁盛しているようで外には行列ができていました。昼間のレストランといい、夜のラーメン屋といい、日本の若者ががんばって働いています。
夕食後、町の中心地の市庁舎前の広場を通り、ベッキオ橋を通って、宿に戻ってきました。明日は、斜塔で有名なピサの町の途中下車して、ジェノバに戻ります。
斜塔の町ピサ 春のヨーロッパの船旅15 2015年3月27日
朝、フィレンツェの町を出て、ピサへ。列車のダイヤが大幅に乱れていて、時刻表などあったものではありません。一番早い50分遅れの列車でピサへ向かいます。到着は10時10分。
駅を出て、ツーリストインフォメーションで地図を購入(0.5ユーロ)アルノ川に架かる橋を渡って行きます。川はかなり増水していました。旧城壁まで行き、左へ行くと、忽然と斜塔が現れます。噂にたがわぬ傾きぶり。よく倒れないものだと感心します。
チケット売り場で18ユーロの切符を購入。らせん階段を登り、塔の最上階へと行きます。あるところは右に傾き、あるところは左に傾き、何とも不思議な体験です。最上階に上がるとぐるりと回ることができますが、傾いている実感はあまりありません。しばらく滞在ののち下りますが、また右や左に傾いた階段を下っていきます。
降りて眺めると、塔それ自体では傾いていると思えないのですが、周りの垂直なものと比べると、かなりの傾斜です。近くにある大聖堂やバジリカを見て、駅に戻ります。
途中、「禅」という和食の店で昼食。ここは、10.8ユーロで和食食べ放題のランチタイム。結構人が入り、そのうち満席になりました。すしやみそ汁、てんぷら、焼きそばなどを食べましたが、素材が違う国でやっているにしては、まあまあいけました。
駅に戻る途中、ピサ大学の前を通ります。この大学は世界で最も古い大学のひとつでかのガリレオガリレイが教鞭をとった大学です。
これを過ぎるころ、雲行きが怪しくなり、霰がばらばらと降りました。そのあと、稲妻、雷鳴と落雷の音が1時間ほど続きました。
天気も落ち着いた頃、ピサ駅に戻ります。この街には、「傘売り」たちが至る所にいます。また駅には、「すり注意」の警告が。物乞いも多く、結構大変な国だと実感しました。
その土、インターシティーの列車でジェノアへ戻りました。途中、車窓からは雪をかぶった山が見えました。まだ3月です。港の見える宿で、明日の第2回目の航海の準備を始めます。
東地中海クルーズへ 春のヨーロッパの船旅16(東地中海1) 2015年3月28日
今日は、ジェノアGenoaから第2回のクルーズ、東地中海クルーズへ出発します。ギリシャ、トルコなどエーゲ海周辺を回ります。
前夜泊まったのは、港に一番近いB&B、La Terrazza Sul Port(港のテラス)。ここは、港に面した通りの5階にある部屋数2つのちいさなB&B。イタリア語しか話さない女主人と何とかコミュニケートして、荷物を2晩預かってもらい、昨夜泊まりました。テラスからは停泊しているファンタジアが目の前に見えます。レモンの実が成り、花が咲き、港を一望できる気持ちの良いテラスです。1泊80ユーロ、朝食付き、少し電波は弱いがWi-Fiもあり。気持ちよく過ごせました。エレベーターが、小さいのがちょっと困った点でした。古典的な、金網で囲まれたエレベーターです。
朝9時半に宿を出て、荷物を転がして10分、ファンタジアにチェックイン。手続き後、待合室から、セキュリティチェックを経て船内へ。船内から、昨夜泊まった、茶色の建物の5階にある、B&Bのテラスが見えます。
天気が良く、西側には、真っ白に雪をかぶった山並みが見えていました。アルプスの一部ではないかと思いますが、地中海の港町から、雪をかぶった山が見えるのに少し驚きました。
午後、お決まりの避難訓練。ジェノア乗船の客が、ライフジャケットを持って、集合場所に移動します。そこでは、カード読み取り機でチェックを受け、だれが参加したかわかるようになっています。その後、日本語での乗船説明会。今回は日本人乗客は69名だそうです。
ツアーガイドを見ると、カタコロンで、オリンピア行きのシャトルバスが設定されていました。今回のクルーズの心配のひとつは、カタコロンの到着が12時で、出航が18時と、半日しかないことです。カタコロンからオリンピアまで、鉄道もバスもタクシーもあるのですが、時間が読めないでいました。船のツアーなら安心です。前回、鉄道で行ったときには、往復10ユーロでした。今回のツアーは、一人23.9ユーロと高いのですが、時間には代えられません。おまけに、シャトルバス、というのが良い点です。現地で自由行動ですから。ただ、実際の自由時間がどれくらいとれるのか、そこが問題です。
夕食の席は、確保されていました。が、行ってみると、中国からの団体ツアー客の中に、ぽつんと席が作られていました。周りのにぎやかなこと。遅れてくるわ、途中でいなくなるわ、立ち歩くわで、テーブルごとにディナーの歩調がそろいません。早々に食事を済ませ、退散しました。どうもこの船は、個人客とは相性が悪い点がいろいろありそうです。
ともあれ、東地中海のクルーズは出発しました。
地中海を東へ 春のヨーロッパの船旅17(東地中海2) 2015年3月29日
ジェノアを出たファンタジアは、イタリアの西海岸沿いにリグニア海、チェレニア海を南に航海し、メッシーナ海峡通過後、東のギリシャに向けてイオニア海を進みます。距離は781nm、今日は終日航海日です。1時間時計を早めています。
朝、好天の空に、東から太陽が昇りました。日の出の風景を楽しみました。
14時ころ、進路東側に三角形の島が見えてきました。山頂から白い煙が上がっています。活火山の島ストロンボリ島です。山頂は924mあるそうですが、島全体が一つの火山です。日本でいえば、伊豆大島のようなものでしょうか。島の北側や東側には集落があるようです。右舷には、パナレア島、リパリ島、サリナ島などの島影が見えています。
陸地が近いせいか、小さな鳥が船の周りを飛び交っています。
16時半頃、メッシーナ海峡を通過しはじめます。この海峡を通過するのに、パイロットが乗船するそうです。狭いところは5q、海峡を挟んでイタリア本土とシシリー島を行き来する船も多く、海峡を通過する船、海峡を渡る船が交錯する海上交通の要所といったところです。ちょうど、私の生まれた関門海峡に似ています。
今日は、ドレスコードがガラフォーマル、一応スーツ・タイで出かけますが、そうでない人もたくさんいるのがこの船の様子です。夕食の終わるころ、船尾に、夕日が沈んでいくのが見られました。
夜、また1時間時計を進めるよう指示がありました。
オリンピア 春のヨーロッパの船旅18(東地中海3) 2015年3月30日
今日は、ギリシアのカタコロンKatakolonという港に入港します。この港は、3年前にも訪れたのですが、小さな港町です。クルーズ船が寄港するのは、この港から、古代ギリシア時代に栄えたオリンピアの遺跡に行けるからです。
4年に1度、ギリシアの諸都市国家が集まって競技会を開いた町です。近代オリンピックが始まってからも、聖火の採火式はこの遺跡で行われています。
さて、入港したのは12時、出航は18時と時間が短い滞在です。昨日分に書きましたが、カタコロンからオリンピアまで鉄道、バス、タクシーといずれも40〜50分。今回は、シャトルバスを使うことにしました。
12時45分集合のシャトルバスは、13時半にはオリンピアに到着しました。ここから16時15分まで自由行動です。まっすぐ、町を通り抜け、遺跡の前にあるチケット売り場へ。3年前には8ユーロだった遺跡・博物館共通券が9ユーロに値上がりしていました。
遺跡巡りをするには、暑くもなく、寒くもないちょうどいい天気でした。記録を見ると、前回は4月10日に来ているので、10日ほど早いのですが、いろいろな花が咲き、すっかり春の装いをしています。桜に似た花も咲いていました。
オリンピックの採火式をするヘラ神殿跡、アーチをくぐるとそこは競技場。石がゴロゴロと転がったゼウス神殿跡、柱を再建したところ、古い建物が比較的残っているところと、少しずつ違いがありますが、春の光と花の中にある遺跡を見て回りました。現在も発掘が続いている場所もあります。
そのあと、歩いて数分のところにある博物館。ここには、オリンピアの遺跡で発掘されたいろいろなものが展示されています。小さなものは数センチの人形から大きなものは数メートルの彫像まで、土、石、金属、骨、ガラスなど様々な素材で作られています。
例えば、青銅でできた人間や動物・兵士のヘルメット、大きなものでは勝利の女神ニケの像、ヘルメスの像。小さいながらも、躍動感に満ちた鹿を襲うライオンや喜劇役者の顔、雷を持つゼウスの像や重さを量るはかりなどの実用品など、見飽きないくらいいろいろとあります。絶景は、ゼウス神殿の東西の破風を飾った大理石彫刻。大きな展示室に飾られています。
博物館の後、町に戻りお土産屋をいくつか見て、コーヒーで一休み。店の選び方を間違え、Wi-Fiにつながらず、メールチェックやWebのアップは、明日の仕事となりました。
16時15分発のシャトルバスで港に戻り、乗船してしばらくたつと出航。あわただしい半日観光は終わりました。
明日は、クレタ島のヘラクリオンに到着。一日の観光です。
クレタ島ヘラクリオン 春のヨーロッパの船旅19(東地中海4) 2015年3月31日
朝、クレタ島のヘラクリオンHeraklionに接岸。9時から上陸開始です。今日は、夕方18時出港なので、時間の余裕があります。
クレタ島といえば、ミノス王の迷宮。ギリシア神話の中でクレタ島のミノス王はポセイドンから送られた牛をいけにえにささげることをしなかったので、その妃と牛が交わり、生まれた子供が、ミノタウロスという牛頭人身の怪物。それを、クノッソス宮殿の奥深くに閉じ込めるために作ったのが、迷宮だといわれています。これを退治するために来たテセウスが、王女の助けを借りて退治した後、迷宮から脱出する話は有名です。
これは神話として伝わってきましたが、100年ほど前に、イギリス人アーサーエバンスにより発掘され、実在したことが分かったのです。クレタ島の文明は、ギリシアの中でも古く、紀元前3000年くらいまでさかのぼるそうです。こうした歴史を持つクノッソス宮殿跡に行きました。
港近くのバスターミナルから、路線バス2番クノッソス行で30分ほど(1.5e)で、遺跡の前につきます。入場料6ユーロ。中は、順路が作られています。保存状態もよく、一部は復元され、壁画なども、本物は博物館ですが、壁に描かれています。高いところは4階建てで、広さは、一辺1600mの方形だそうで、歩いても広さが感じられます。日本では、竪穴式住居のころにこのような宮殿があったというのは、驚きです。
あいにく、雨がパラついてきましたが、遺跡の中を縦横に走る順路に沿って、歩いてきました。その後、バスで、ヘラクリオンにある、考古学博物館に向かいます。
こちらの博物館は、ヘラクリオンの中心地にあり、ロータリーのそば、ツーリストインフォメーションの隣にあります。入場料は6ユーロ。中には、クノッソス宮殿で発掘されたものが、10の部屋にぎっしりと展示されています。彫刻、土器、青銅器、鉄器などで、 その意匠や細工は素晴らしいものを感じます。中には、何に使ったかわからないものもありましたが、おびただしい数のものが展示されています。
ベニゼル広場で昼食。3日分のWebをアップし、メールのチェック。その後、歴史博物館に行きました。ここには、クレタ島、ヘラクリオンの歴史にかかわる展示があります。ミノス文明のあと、ローマ帝国の支配下に、そして、ローマ帝国の分裂の後は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の領土となり、オスマントルコに侵略され、ベネチアの支配下にはいり、またトルコに支配され、最後に独立を勝ち取りギリシャの一部となる2000年の歴史が、いろいろな資料で物語られています。特に、コインのコレクションはすごいです。
そのあと、海岸にあるベネチア支配時代の要塞に行きましたが、現在工事中で中は見られませんでした。
クレタ島は、農産物が豊かなところで、島産の赤ワインを飲みたいと探しましたが、なんと、量り売りされていました。約1リットルのボトルに入れてもらって、なんと2.8ユーロ!!旅の楽しみが増えました。
船は6時に出港し、7時半には、水平線に沈む夕日が見られました。明日は、ロードス島です。
ロードス島 春のヨーロッパの船旅20(東地中海5) 2015年4月1日
今日から4月になりました。東京では桜が満開とか。こちらの記録も、月替わりしなければならないのですが、更新作業の都合で、このまま書いていきます。帰国後、調整します。
さて、船はロードス島のロードスタウンRhodesに入港しました。ちょうど朝日が昇る時間です。埠頭に横付けするために、タグボートが出動しました。
船から見えるのは、高い城壁です。海からの敵から守るために、オールドタウンの周りには高い壁が築かれています。
港の道を歩いていると。青い海と青い空、明るい地中海、といった雰囲気が伝わります。城壁に開けられたいくつかの門から市街に入ります。はじめに入ったのは、マリン門。ここから噴水の広場をへて、ロードス考古博物館があります。入り口にはそれらしい表示はなく、ドアが開いていなければどこだかわからないところです。入場料6ユーロ。
この博物館は、15世紀に建てられたゴシック建築のロードス島の聖ヨハネ騎士団の病院であったところに作られたとのことですが、広い館内には、とてもたくさんのものが展示されています。先史時代からの土器や金属器の変化が手に取るように見えます。そして、地中海の交易地となり、十字軍の時代にエルサレムを追い落とされた騎士団が本拠を構えたのがこの地だった、ということです。さらに時代が進むと、この島もイスラム勢力により占領され、騎士団は、マルタ島へと退却したということです。このマルタ島へは、数日後に行くことになっています。
この博物館の見どころといわれているのが、「ロードスのビーナス」像です。これだけはガラスのケースに入れられていました。ちょうど太陽の位置が悪く、いい写真が撮れませんでした。他にもヘリオスの頭像などもあります。庭には、甘い香りの花が咲いていました。
これを見た後、中世そのままの通りを少し行くと、その騎士団の団長の宮殿(Palece of Grand Master)です。入場料は6ユーロ。こちらは、いかにも砦という作りで、まさに戦争用に作られた建物です。中には、いろいろな展示があって十字軍時代のことを語ってくれます。展示された図によると、何次にもわたった十字軍も、聖地エルサレムにたどり着いたのは2度ほどで、あとは途中で終わっているようです。交易に使われた道具や、日本の壺などもありました。有名なのは「ガウスが雷を持つラオコーン」像。
城壁に覆われた旧市街から新市街へ移り、高い塔を持つエヴァンゲリスモス教会、その先にある、要塞(今は灯台)、戻ってトルコ市場などを見て、旧市街に戻り、昼食。 そのあと旧市街のにぎやかな通りを歩きました。土産物屋で、ロードスのビーナスの大理石彫刻を見つけ、購入しました。
その後船に戻り、船は4時出港。トルコ側に陸地が意外に近くに見えていました。一路トルコのイズミールへと向かいます。
イズミール(トルコ) 春のヨーロッパの船旅21(東地中海6) 2015年4月2日
船は、トルコのイズミール湾の奥の都市、イズミールIzmirに入港しました。この都市は、トルコでも、イスタンブール、アンカラに続く第3の大都市だそうです。郊外に、有名なエフェソスの遺跡がありますが、今回は、歩いて市内見物。
船を9時半過ぎに出て、いったんアルサンカク駅へ。途中、ATMで1リラ≒50円として、80リラ(4000円)トルコリラを入手。今回の旅でユーロを使っていないのは、モロッコとトルコとスイスです。トルコ語は、全く勉強したことがないので、書いてあることが全く読めません。こんなことなら少し勉強しておけばよかった、と思ったものの後の祭り。
海沿いの道を歩いて、旧市街へ。カズィ通りにあるピンクの建物ツーリストインフォメーションに行きます。そこで担当のおねえさんに地図をもらい、丁寧に見どころを教えてもらい、出発。
コナック広場にある時計塔と小さなモスクを見ます。時計塔は、細かな細工がされており、美しい建物です。この街にはごろりと昼寝をしている野良犬がたくさんいます。
次に行ったのは、考古博物館(アケオロジーミュージアム)。入場料は10リラ。イズミール周辺で発掘されたものが展示されています。エーゲ海に面し、古くから交易が行われていたらしく、ヘレニズム時代、ギリシア時代、ローマ時代の遺物がたくさん展示されています。有名なのは、BC60年ころに作られたオリンピックのランナーの像。片腕がありませんが、躍動感のある像です。また、アフロディテの像もありました。そのほか、石棺、土器やお面、モザイクの床、などが展示されています。
その隣には、立派な石造りの民俗博物館があり、庶民の生活、ガラスや土器、絨毯の生産活動などの様子の展示がされています。細かな刺繍や青いガラスは見事でした。桜に似た花が咲いていました。
そこから、バザールの中を通って、アゴラに行きました。入場料は5リラ。アゴラは、ローマ時代の遺跡で、石で造られた、バジリカが復元されています。石をアーチに組んで作った空間は何に使われていたのでしょうか。中には、水道施設もあります。また、いくつかの塔も復元さてれおり、古代ローマの建築技術の水準の高さには驚くばかりです。
見学後、バザールの中で、昼食をとり、バザールの中を見物しました。迷路にような広い市場には、衣料、食料、生活用品の店が軒を並べています。
その後、新市街の繁華街で、トルコ紅茶を飲み、Wi-Fiに接続し、メールチェック、Webのアップ、ニュースのチェックなどを行い、スーパーで買い物をして、船に戻りました。船は5時に出港、明日は、ギリシアのピレウス。アテネの入口です。
ピレウス・アテネ 春のヨーロッパの船旅22(東地中海7) 2015年4月3日
船は、7時にピレウス港に入港。今日は8時から上陸可能と連絡がありましたが、入国審査で手間取ったか、40分遅れで上陸。アテネは見どころが多い上、一日しかないので、アクロポリスと考古学博物館に絞って見物、としました。
ピレウスは、アテネの外港で、町まで行く方法には、ツアー、バス、地下鉄などがありますが、地下鉄で行くことにしました。一番端の埠頭に着いたため、ピレウス駅までは40分の歩き。その後、地下鉄1号線の始発駅でアテネ行に乗ります。
切符は自動販売機ですが、ここのはとても簡単。券売機の1と番号のついたところに、4つボタンがあります。大人片道なら1.2(ユーロ)のボタンを押し、2のところにコインを入れると、数字が減ってきて、0になると、3のところに切符とおつりが出る、というもの。切符を改札機で刻印し地下鉄に乗り込むと発車しました。20分ほどのオモニア駅で乗り換えて、アクロポリ駅で降りると、アクロポリスの丘の麓。
前回見損ねた、新アクロポリス博物館に入りました。5ユーロ。ここには、アクロポリスで発掘された品々が展示されています。2009年開館と新しく広々とした建物。学生団体がたくさん来ています。ここの見ものは、パルテノン神殿の隣のエレクティオンの、少女像。6本のうち5本が飾られていまする。また、破風の彫刻があり、アテネの町の名の起こりとなった、女神アテナとポセイドンの競争の模様を描いています。
さっと回って、アクロポリスの丘へ。入場料12ユーロ。ディオニソス劇場は昔のまま。イロドアティコス音楽堂は、修復されたか、立派なものになっています。プロピレア(前門)をくぐり、丘の上へ。そこには、かの有名な、パルテノン神殿があり、アテネの展望台となっています。すぐ近くに海が見えますが、そこがピレウス。多くの人でごった返しています。何しろギリシア一の観光地だろうから。隣に立つエレクティオンの少女の柱は複製で、本物は下の博物館。ここの破風の彫刻も同じ。赤いポピーの花が咲いています。
アゴラのほうへ下って行き、アゴラ博物館、ヘファイトス神殿を見て、町に出ます。途中、カケスに似た鳥がいました。モナスティラキ広場から、タクシーで、考古学博物館へ。渋滞の中を、右手に市場を見て走り、オモニア広場を通り、博物館に着きました。
この博物館は、とても広く、見るものも多いのですが、まず、カフェで軽いランチ。それから2時間弱見て回りました。彫刻、青銅、壺などの土器が、60数室に展示されています。
彫刻では、アルカイックスマイルを浮かべた、数々のクーロス(青年)像、有名なポセイドンのブロンズ像、馬に乗る少年のブロンズ像、アフロディーテとパンの大理石像、アテナの大理石像など30数室にわたっています。
ブロンズは、様々な像や道具が4室にわたり、2階には、陶器、特にアッティカの赤絵式と黒絵式の壺が数多く展示されています。そのほか壁画や金の装飾品などもあります。2時間弱にわたり見て回り、3時を過ぎたので、最寄りの地下鉄ビクトリア駅に行き、ピレウス行の電車で戻りました。
ピレウスに着き、時間の余裕があったので市場を見て回りました。魚屋、肉屋、八百屋など庶民の台所、といった感じです。ワイン屋があり、そこで売っている1.5リットルペットボトル入りワインを4ユーロで購入。それから、カフェでビールを飲みながら、Wi-Fiに接続、Webのアップ、メールのチェック。船に戻りました。
ピレウスには、近くに考古学博物館があり、「ピレウスのアテナ」の像を見るのを忘れてしまったのが残念。また来ることがあったら、ぜひ見逃さないようにしたいものです。
お土産に、ギリシャの酒ウゾーを購入。
船は、6時15分に出港。明日は、終日航海で、その翌日、マルタ島に着きます。夜は、満月で、海上の月が幻想的な美しさでした。
終日航海−太陽を求めて 春のヨーロッパの船旅23(東地中海8) 2015年4月4日
船は、マルタ島に向け一路西へ。久しぶりの終日航海日です。今日は、天気も穏やかで、薄曇りながらも日がさしています。5日間上陸日が続きましたので、ゆっくり過ごしました。
船の日の当たるデッキは、デッキチェアが至る所広げられ、太陽を楽しんでいます。プールやジャグジーも、芋の子を洗うように、混んでいます。特に、冬が長く厳しい、アルプスより北の国々の人たちにとっては、一足先にやってきた太陽の恵みなのでしょうか。
バレッタ(マルタ) 春のヨーロッパの船旅24(東地中海9) 2015年4月5日
一日の航海の末、船はマルタ島のバレッタに入港。このマルタは、小さいとはいえ、れっきとした独立国です。歴史をたどると、石器時代ののち、フェニキア人の支配下に置かれ、されにローマ帝国、その後、ビザンチン帝国をへて、イスラム勢力が東から進出したときに、十字軍の拠点となりました。十字軍は、聖地エルサレムを奪回できず、キプロス、ロードスと敗北を重ね、このマルタで勝利し、ここに十字軍の聖ヨハネ騎士団が本拠を構えたとのことです。その後、ベネチア、ナポレオンの支配下に置かれ、最後にイギリス領を経て、独立した国です。そして、バレッタはその首都。
この島は、十字軍のイスラムからの防衛戦争の際に築かれた城壁に特徴づけられます、まさに「城壁の島」です。
船が港に近づくと、高い城壁の上に作られた都市が見えてきます。下船後、町に行くと、高い城壁に有料のエレベーターがつけられています。健康のため、階段で登りましたが、上まで行くと、あの16階建てのファンタジアさえ眼下に見えます。難攻不落の城塞都市といった趣です。
街に行くと、そこは、時代を中世にタイムスリップしたかのような、岩で作られた建物の町。
3つの博物館があって、それらを順に回りました。
初めに行ったのは、ミュージアムオブファインアート(美術館)。入場料5ユーロ。ここには、いろいろな時代の数々の絵画があり、中に、ターナーの描いたバレッタの港の絵もあります。帆船を今の船に置き換えれば十分通用する絵です。また、町の風景を描いた絵もあります。セントジョン教会の絵は今の姿そのものです。また、かつて使われていた銀の食器や、いくつかの彫刻も展示され、ホールには、歴代のイギリス提督の名が刻まれたプレートが飾られています。
次は、ミュージアムオブアーケオロジー(考古学博物館)。ここには、前史時代、青銅器時代、フェニキア時代の遺物が展示されています。数多くの土器や青銅器に加え、有名な「Sleeping Lady」眠る女の像、そのほかの人間の像があります。遺跡の発掘現場の複製もあり、なかなかの見どころです。
3つ目に行ったのは、騎士団長の宮殿と武器庫。今では、大統領府が置かれている建物の一部です。室内の装飾はどの部屋もすごいものです。また武器庫は、十字軍当時のあらゆる武器が展示されています。ここには、イスラム勢を打ち破り、今の町の名となった、ジャン・パリソット・バレッタについての展示と彼の鎧もあります。
街にはこのほか、古い教会も数多く、様々な塔が建っています。また、元イギリス領だったことの名残か、ポストの色は赤で、自動車は左側通行です。海岸から市街地に入るには、頑丈に作られた門を通ります。これを閉じれば、鉄壁の城塞になるのです。
ロードス島からマルタ島へと、十字軍の後退の後を旅しましたが、地中海の歴史にとって大事件だったわけです。中世の街並みにたたずみ、東西の勢力が文明を伴って重なり合った歴史の上に今迎えた平和の時代を考えるうえで、教訓が多々ありそうです。
船は、北上し、シシリア島のメッシーナへ向かいます。
メッシーナ 春のヨーロッパの船旅25(東地中海10) 2015年4月6日
シシリア島のメッシーナに7時ころ入港。天気はあまりよくありません。雨が降って道路が濡れています。今日の天気予報は、曇り時々晴れ一時雨、という、何でもありの天気。
今日は月曜日で、美術館も休みですから、行くところは、街中に限られています。ときおり雨脚が強まり風が出ていますから、納まってから、出かけました。
国鉄のメッシーナ中央駅は、イタリア本土とシシリー島を結ぶ海峡フェリーの乗り継ぎ口で、ちょうど青函トンネル完成前の函館駅のような役割を果たす駅です。この近くにツーリストインフォメーションがあるはずなので、行ってみると、何やら人の気配が駅の周りでしていません。月曜の朝なのにこの活気のなさはなぜ?と考えてみると、昨日は、イースター。こちらのほうでは、イースターの週は、金曜日から土日月と休暇。それで、駅も周辺も静かなのです。もちろん、お店も開いていず、観光客相手の、お土産屋やカフェが開いているだけ。
あるカフェで、コーヒーを飲みながらWi-Fiに接続しましたが、PCは不可。タブレットで、接続し、メールのチェックはすみましたが、Webのアップはできず。これで3日分がたまっています。一度船に戻り、12時の時計塔の仕掛け時計の動くのを見ようということで、また町に出ます。立派なガレリアも、シーンとしています。
12時までオリオンの噴水前の広場には人が集まっています。時折雨が降り風が吹いていますが、やがて12時になりました。時計塔は先端部分が工事中。時間になり、「ガオー」という吠える声とともに、一番上のライオンが動きます。続いて、キーッという鳥の声とともに2段目の鳥の羽が少し動きます。さらに、オルガンの音でアベマリアが演奏されると、3段目の人形が回り始め、天使の後、3人の聖人が続き、そして終了。工事中なのか、他のものは動かず、物足りない10分間のショーでした。途中、雨が降ったり風が強くなったりで、長く感じました。
今日は1時半最終乗船なので、船に戻り昼食。この時に船は出港しました。このクルーズも、残すところあと2日、いよいよ明日は、2回目のチビタベッキアです。メッシーナ海峡を通りカラブリア海、ティレニア海を北へ航海します。
チビタベッキア 春のヨーロッパの船旅26(東地中海11) 2015年4月7日
はじめに、この航海記のことですが、このチビタベッキアで上陸中に、パソコンが壊れてしまったのです。画面が真っ白になり、何もできません。ディスプレーが故障したようです。そこで、更新が滞っていましたが、バーゼルのホテルで、HDMIケーブルで部屋のテレビにつなぎ、外部ディスプレーとして接続することに成功。不自由ながら、作業を続けています。したがって、外部ディスプレーがない環境だと更新できませんので、ご承知ください。決して、「遭難」したのではありません。
さて、今日は、チビタベッキアの町の見物です。人口5万の港町で歴史がある街ですので、単に、ローマの外港、としてだけでなく、いろいろなものがあるようです。
この町は、日本、とりわけ、私の住む宮城県と深い関係のある街なのです。1615年、伊達政宗の命を受け、支倉常長一行が、ローマ法王に接見に来たときに、このチビタベッキアの港に上陸したのです。それを記念して、石巻市にあるものと同じ銅像が、このチビタベッキオの地にも作られました。それから400年目の昨年、その航海の始めの地、石巻の月の浦には、その帆船サンファンバウンチスタ号が復元されました。また、日本人の殉教者を記念して建てられた日本人殉教者教会があり、日本人の長谷川路可画伯により描かれたフレスコ画があるということでした。
このようなつながりの地を歩いてみようと、町歩きです。ツーリストインフォメーションは、なぜか、人がいず、地図も入手できません。船でコピーしてもらった地図と、タブレットの地図アプリmaps.meがたよりです。
町には、考古学博物館があります。小さな博物館ですが、国立、無料。さすがに歴史が古いだけあって、規模は小さいが、いろいろなものが展示されています。ここで、日本人殉教者教会の場所を教えていただきました。
港から向かうと、駅を少し過ぎたところにあるあるとのことで、行ってみました。そこにあったのが、外見は普通の教会です。中に入り、祭壇を見て驚きました。「着物のマリア」を中心に、長崎における日本人信者の姿が描かれていました。
教会を出て、海岸沿いに、戻りました。海岸は海水浴場となっているようで、いい景色です。チビタベッキアは、第2次大戦中、ドイツのUボートの基地となり、徹底的に町と港は連合軍に破壊されたようで、そこからの復興の様子も記されていました。
支倉常長像は、港の城門近く、カラマッタ広場にあるとの情報をもとに、通りを歩いていると、突然出会いました。海のほうへ行くと、そこは城門。まさに上陸にふさわしい位置に立っています。彼らの偉業を示すプレートもありました。この銅像は、青葉城二の丸、石巻市月の浦にあるのと同じ、佐藤忠良さんの原作に基づくものだそうです。それにしても、400年も前に、はるばるとこの地まで来たものだ、と感じました。
港に沿って船に戻る途中、城壁や要塞も見えました。海からの敵からローマをを守る役目を果たしたようです。
地中海のいろいろなところを回ってみると、このような、戦争の遺跡を目にします。この3000年間、いろいろな勢力の興亡の結果であったのか、という思いを深くしました。 さて、船に帰ると、明日の下船の準備です。荷物を整理します。夕食後、パスポートの返却。ところが、探しても、ない!。待つことしばし、オフィスにあったと持ってきました。一体どう管理しているのでしょう?返してもらい、一安心。こんな事で安心するのは変なのだが。
とにかく、ファンタスティックなファンタジアでの生活でしたが、それも今夜で終わります。
ジェノバ上陸、空路バーゼルへ。 春のヨーロッパの船旅27(東地中海12) 2015年4月8日
朝、快晴の天気のもと、ファンタジアはジェノバに入港しました。2度目の15日ぶりの入港です。今日は、入港後、ジェノバ空港へ行き、空路スイスのバーゼルへ。
順調に下船手続きが進み、タクシーを拾って空港へ、というとき、行列を作れない習慣のこの地では、大混乱。もう少し人を出して整理すればいいのにな、と思いつつ、これでイタリアともお別れだと、待っているうちに、拾えました。早いわ、すっ飛ばすわと、渋滞ぎみでも10分すこしで空港へ。ただし、観光客値段。
空港でチェックインしようとカウンターに行くと、乗るべきエールフランス機は「キャンセル」、エッ、この空港で・・・。仕方なく、チケットカウンターに並ぶも、遅々として進まず、スキップはするわ、で延々1時間近く行列。(客の数は10人程度なのに)ようやく、代わりのミュンヘン経由の便をとってもらいました。もちろん出発は遅れ、せっかく10時過ぎに空港に着いたのに、離陸は、4時半。到着も遅れます。ミールクーポンをもらったのが、唯一の慰め。トラベルはトラブルだ・・・、と思いつつ、イタリアを後にしました。
災い転じてなんとやら、で、ルートが変わったので、青空の上からアルプスの雪の峰々を見ることができました。右側に乗ったので、見えた山は主にドロミテとチロルの山々です。
ミュンヘンではぎりぎりの接続でバーゼルへ。今度は左側だったので、遠くアルプスの白い山並みが見えました。目を凝らすと、マッターホルンとその周辺の山々、モンブランの巨大な姿が見えました。午後7時過ぎ、バーゼルに到着。宿まで移動しました。明日はバーゼル見物。明後日から、ライン川クルーズで、アムステルダムまで8日間の旅です。
バーゼル観光 春のヨーロッパの船旅 28 2015年4月9日
バーゼルはスイスの都市ですが、ドイツ、フランスとの境界にあります。したがって、鉄道駅も、スイス国鉄、ドイツ国鉄、フランス国鉄の駅がある町です。
市内には、トラムが縦横に走り、移動の足としては申し分ありません。しかも、この町では、ホテルに滞在する旅行者に、無料で市内交通機関に乗れるパスが渡されます。こうした点は、旅行者としては大歓迎です。観光立国スイスらしい制度です。
トラムに乗り、市内の中心地にある、ツーリストインフォメーションが、観光のスタート。たくさんの博物館・美術館があるので迷ってしまいますが、一番の見所・市立美術館は改装中でした。古代博物館を訪ねると、この町が、ローマ帝国時代からの重要都市であったことが分かります。
少し郊外のバイヤール財団では、ゴーガンの特別展。タヒチで見損ねたゴーガンの作品が多数ありました。絵もさることながら、会場の一室にあったデジタルによる展示場。ここでは、投影されたデジタル画集に驚きました。白紙の本に投影されたデジタル画集が指の指示で動くのです。ハイパーテキストになっていて、画像と文字が連動するという、初めて見るものでした。
中心部の市庁舎とマルクト広場に戻り、訪ねたのが、歴史博物館分館のキッシュガルテン博物館。ここは掘り出し物でした。中世から近世の市民生活の展示、ということになっていますが、おびただしい数の展示物です。特に驚いたのは、数多く展示された「携帯式日時計」。懐中時計が発明されるまで、これが使われていたのでした。その他、おもちゃや生活道具など、興味深いものが多数ありました。バーゼルでのおすすめです。
続いて、市内に残る幾つかの城門のうちの一つ聖アルバン門を見て、紙博物館へ。ここでは時間がなかったので大急ぎで見ましたが、紙漉をやっていました。こうしてみると、日本の伝承されている和紙製造技術の貴重なことが分かります。ということで、この日はおしまいになりました。なお、昼は、ラーメン屋で「野菜ラーメン」を食べました。バーゼルには「ラーメン屋」があるのです。
バーゼル観光つづき 春のヨーロッパの船旅29
(ライン川クルーズ1) 2015年4月10日
この日は、ライン川リバークルーズのスタートの日。朝、船に荷物を運び込んで、バーゼル観光の続きです。
市のトラムで南側高台にある、ブルダーホルツ水道塔に行きました。1815年ウィーン会議を記念して建てられた、水道のための塔です。1ユーロ払い階段を上り展望台へ。市内がよく見えます。また、トラム駅近くには、桜並木があり、満開でした。
市内に戻り、大聖堂。ちょうど結婚式のカップルがいました。マルクト広場の市場を見て、船に戻ります。
このライン川リバークルーズは、約200人の乗客を収容する、3階建ての船で行きます。「動く高級ホテル」といったツアーで、三食付き、バスツアー付きのちょっと贅沢なクルーズです。このコースは、スイスのバーゼルからライン川に沿ってアムステルダムまで7泊8日かけて下り、途中フランス、ドイツ、オランダの町を巡ります。
夕食のメニューの一部です。メインは肉、魚、野菜の中から選びます。前菜、デザート、飲み物(ビール、ワインなど)付きのコースです。朝食、昼食と三食付き。いよいよクルーズの始まりです。
ブライザッハと「黒い森」 春のヨーロッパの船旅30
(ライン川クルーズ2) 2015年4月11日
昨夜バーゼルを出た船は、朝、ブライザッハに到着。白鳥がいます。ここから、シュバルツヴァルト(黒い森)へのバスツアー。
シュバルツヴァルトは、ドイツ南部に広がる、標高1000m近くの丘陵。名前は昔から知っていたが行くのは初めて。針葉樹ドイツトウヒに覆われ、黒く見えるのでこの名が付いたようです。行ってみると、針葉樹の暗い森。遠くには、まだ残雪が見えています。また、道から見える家には、太陽光発電パネルを載せた家が目つきます。
その中にあるBreitnauのhofgut sternenに立ち寄りました。隣には鉄道の高架橋が走り、すぐ奥は、川の上流に続く山道があり、小さな滝があります。日本ではなんと言うことにない景色ですが、大陸に住む人々にとっては珍しい景色らしいです。
この地の名産品は、鳩時計。昔から木工品の加工が盛んで、その中で、鳩時計が作られ名物になったようです。工房で、実演が行われていました。
昼に船に帰り、昼食。その後、ブライザッハの町を散策。ここは、丘の上に大聖堂を持つ、小さな町です。丘の上から見ると、昔ながらのドイツの町並みが見えます。
夕方船に戻り、夕食。就寝。それから船は動き出しました。船の生活が続きます。
ストラスブール 春のヨーロッパの船旅31
(ライン川クルーズ3) 2015年4月12日
船は、ケールに着岸。対岸は、フランスのストラスブール。ケールは小さな町ですが、ストラスブールはEUの欧州議会の本会議場が置かれた、ローマ帝国以来の歴史を持つ、大きな都市です。
ストラスブールのある、アルザス地方とその北のロレーヌ地方は、歴史的に、ドイツとフランスの領有権が争われ、現在、フランスに属しています。
バスで、ストラスブールの町をドライブ。公園の脇には、コウノトリの繁殖する木がありました。また、国際的な施設も多数あります。世界遺産となっている、「プチフランス」という昔からの家並みを散策し、大聖堂を見学しました。この日は、日曜日で、店は土産物屋を除いて閉まっており、残念でした。
午後は、シャトルバスで、ストラスブールへ舞い戻り、アルザス博物館と歴史博物館を見学。この地の歴史と文化に触れることとなりました。
その後船に戻り、今度はケールの小さな町並みを散策しました。
ハイデルベルグ・リューデスハイム 春のヨーロッパの船旅32
(ライン川クルーズ4) 2015年4月13日
船は、マンハイムに入港。ここから、バスで、ハイデルベルグに向かいます。ハイデルベルグは、ネッカー河畔にある都市で、ドイツ最古の大学のある町。
ドイツの有名な、アウトバーンなどを使ってドライブし、ハイデルベルグ城に。山の上に作られた城を見物。見下ろす川沿いにハイデルベルグの町並みは広がっています。
山を下り、市街地に出て、大学、広場、教会、川に架かる橋などを見物しました。古い町(大学は1386年創設)の歴史を感じさせる建物と雰囲気を楽しみます。
川に架かる橋を渡ると、そこには、「哲学の道」があるとか。京都の「哲学の道」は、これにならって作られたとかいうことです。昔、哲学者が、この道を歩きながら思索にふけったとか。行ってみると、途中から工事中で、通行止めになっていました。川のこちらから見る町並みは、いにしえの姿を伝えています。
その後、船に戻り昼食。船はリューデスハイムで停泊。ここは、ライン川のワインづくりの中心として有名な町で、町中には、ドロッセルガッセ(ツグミ横町)という名のワイン酒場の並ぶ通りを中心に賑わっていました。この夜は、ここで停泊。
ライン川古城巡りとコブレンツ 春のヨーロッパの船旅33
(ライン川クルーズ5) 2015年4月14日
世界遺産になっている、ライン渓谷中流上部の古城群を見ながらのクルーズ。有名なローレライも出てきます。
朝食後、リューデスハイムを出発。右に左にと、丘の上に古城があります。船の3階デッキに出て、左右に移り変わる景色を楽しみます。この日は、肌寒く、持ってきている長袖シャツやカーディガン、ジャケットを重ね着しての見物でした。リューデスハイムを出てからコブレンツまで約4時間のクルーズ。
山の上に築かれた城を見ているうちに、川の中に築かれた城が出てきます。これが、プファルツ城で、これは、ここを通る船から通行税を取るための城であったそうです。ホテルになっている古城、ユースホステルになっているシュターレック城などが続きます。斜面は一面のブドウ畑。ラインワインはこうした畑のブドウで作られます。
しばらく行くと、ローレライの音楽とともに、右側に岩が見えてきます。これが、伝説で名高い、ライン川の難所ローレライの岩です。これを過ぎたところに、銅像がありました。
前方に橋が見えてくれば、コブレンツ。昼食の後に、バスで、建造700年のマルクスブルグ城の見学。古いものがそのまま残されています。また、急な崖の上に建つ城からライン川を見下ろすと、すぐ目の前に見えます。
コブレンツに戻り、町を散策。ここには、オーストリア帝国の有名な宰相メッテルニッヒの生家などがあります。また、モーゼル川とライン川の合流地点でもあります。
ラインワインを購入し、夜、賞味しました。
ケルン 春のヨーロッパの船旅34
(ライン川クルーズ6) 2015年4月15日
朝、バルコニーから美しい日の出が見えました。ライン川クルーズ6日目です。朝食後、高い2つの塔を持つ、大聖堂の町・ケルンの町が見えてきました。人口100万の大都市です。
バスで大聖堂近くまで行き、周辺をガイドに連れられ、散策。その後解散、自由行動となりました。
ケルン大聖堂は、高さ157mのゴシック様式教会で、ヨーロッパ北部で最大の教会で、霞ヶ関ビルより高いそうです。1248年に着工、完成まで600年もかかったとのことで、第2次大戦でも被害を免れたそうです。ドイツ第一の観光地とのことでした。外観もさることながら、中に入ると、黄金の棺やステンドグラスなどすごい迫力。
またすぐ隣は、鉄道駅です。また、市役所も隣にあります。オーデコロンとは、フランス語で「ケルンの水」、ナポレオン支配の時代に有名になったそうで、写真の4711は、会社の住所をそのまま会社名にしたのだそうです。
昼食後、シャトルバスで街に出て、大聖堂隣の、ローマゲルマン博物館を見物しました。大きなモザイクの床が有名で、これだけなら、外からも見えるようにしていますが、中に入ると、おびただしい数の展示品。ローマ時代からの古い歴史の街であると分かります。
繁華街はホーエ通り。100万都市の中心街だけに、賑やかです。
キンデルダイク 春のヨーロッパの船旅35
(ライン川クルーズ7) 2015年4月16日
船は、ドイツを過ぎ、オランダへと入りました。海までもうすぐです。発電用の風車が並んでいます。ロッテルダム近くのキンデルダイクは、かつて使われていた風車がまとまって残されており、世界遺産になっています。
オランダは、干拓によって国土を広げてきた国。その際、排水して、土地を作ってきました。この仕事を行ってきた風車は、まさにオランダの土地を作ってきたのです。
昼に、キンデルダイクに到着。歩いて風車群に行きます。ガイドによる、風車の説明。風車の回転によるエネルギーを伝えて、排水する仕組みを模型を使って説明していました。また、そのために使われて、すり減った部品などを見せてくれました。
そして、風車の後用いられた蒸気機関による排水。その建物を使ったビジターセンターなどを見た後、内部が博物館になっている1台の風車に行き見学。
この博物館は、実際に風車が回っており、排水していました。のんびりと羽根が回っているようですが、近くで見ると、すごい迫力とスピードで回っています。また、風車の中には、小屋番の住む居室があり、昔読んだ、ドーデの「風車小屋便り」の意味が初めて分かりました。風車は、きちんと管理する人間が住み込んで運用されていたのです。
風力から蒸気機関へ、そして電力へと移り変わり、今では遺物ですが、きちんと保存することにより、国を作ってきた人々の歩みを後生に伝えていく、ということの大事さを感じました。
クルーズもいよいよ明日のアムステルダムで終わりです。
夜、昨日ケルンで購入した、ケルッシュ・ビールとリースリングワインを賞味しました。また、明日に備えて、荷造りもほとんど終えました。
アムステルダム デルフト 春のヨーロッパの船旅36
(ライン川クルーズ8) 2015年4月17日
明け方、船はアムステルダムに着岸。いよいよこのクルーズの終点です。次のクルーズ客に入れ替えるので、朝9時までにキャビンを明け渡すことになっています。
荷物は、昨夜、だいたい片付いていましたので、最後の片付けをして、廊下に出しておくと、岸壁まで運んでくれます。それを終えて、朝食。結構混んでいます。
チェックアウトを終え、9時に上陸。予約していたタクシーに乗って、スキポール空港近くのホテルに荷を預け、近くの電車駅に行き、電車でデルフトまで行きます。
まず、デンハーグまで行き、ここで、マウリッツハイス美術館でフェルメールの絵を見て、次のデルフトに行き泊、という予定です。デンハーグまでは40分。駅から街の中心にある案内所へ。そこから、マウリッツハイス美術館へと歩きます。
マウリッツハイスは昨年、大改装をしていて休館でした。新装なった(といっても、外観は変わらない)新しい美術館です。行ってみると、すんなり入館できました。
館内は、モダンなデザインで使いやすくなっています。入館料14ユーロ。3階の最後の部屋にめざすフェルメールはありました。
デルフトの風景、ダイアナ、そして、真珠の耳飾りの少女。いずれも、目の前にさりげなく掛けられています。日本で展示されたときには、行列がすごく、ろくに見ることができなかったのですが、ここでは・・・・。
ゆっくり見て、外に出ると、行列ができていました。待たずにすんでラッキーでした。ハーグの街を少し歩いて、駅へ。そこから4駅のデルフトへ移動し、駅近くのホテルに行き、荷を置いて、まず、デルフト陶器の工房へ。前回みられなかった、工房内ツアーを行いました。こちらは、なかなか良くコースが作られていました。デルフト陶器が一時衰退した理由が、イギリスのウェッジウッドなどの磁器にあったという事を知りました。
その後、デルフトの街を歩き、中心地へ。そこのフェルメールセンターで、フェルメールの作品のすべて(といってもレプリカ)を見ました。
デルフトは、落ち着いた小さな町で、とても好感が持てます。
ライデン キューケンホッフ 春のヨーロッパの船旅37 2015年4月18日
翌日は土曜日で、宿の朝食は9時から。そこで、8時過ぎに町を一回りすると、いろいろなところで市が立っていました。売っているものは、アンティークから食べ物まで、実に多様。寒い時期はこういう事はできなかっただろうから、これも、春になったからできること。
宿に戻り、朝食の後、チェックアウト。駅に行き、ライデンをめざすします。デルフト駅の変わり様は、昨日書いた通り。
ライデンに着き、シーボルト博物館を訪ねました。この博物館は、日本にゆかりの、フォン・シーボルトが日本から持ち帰ったコレクションの一部を展示しています。中に、有名なニホンカワウソの剥製があります。日本では絶滅したとされ、見ることのできない生き物がここにはあるのです。
駅に戻り、キューケンホッフ公園までの券を買い、バスに乗ります。途中、色も鮮やかなチューリップ畑。公園内は、花花花。そして、今日は土曜なので人人人。ひとまわりして、ライデンに戻りました。
ライデンに戻るとまだ時間があるので、国立民俗博物館へ。ちょうど、GEISHAという特別展をしていた。日本人の我々が見ても、知らないこともありました。と同時に、ここには、シーボルトの持ち帰った品物の一部もあります。どういうわけか、入館料が1ユーロでした。(シーボルト博物館も同じ)
アムステルダム 春のヨーロッパの船旅38 2015年4月19日
今日は、アムステルダムの町を歩きます。アムステルダム中央駅に出ます。
まずは、アンネフランクハウス。アムステルダムの運河沿いにあるアンネフランクハウスに来ると、長蛇の列。仕方なく列に並び、約2時間で入場。狭いので多くの客を入れることができないのと、日曜日で客が多いのか重なってしまったようです。
いろいろな国の人が来ているようで、行列中に配られたパンフレットの言語の種類もたくさんありました。もちろん日本語も。
見学を終えて、次に行ったのは、国立美術館。こちらは、案外すんなりと入れました。お目当ては、フェルメール。4点あるはずですが、3点しかありません。一つは貸し出しているのでしょう。レンブラントの「夜警」も相変わらずの人気です。他に、ゴッホの自画像も見ました。
外に出て、昼食を済ませ、ゴッホ美術館に向かいましたが、こちらは長蛇の列。あきらめました。広場で、「ダッチフライ」を売っていたので、食べてみました。
帰りに、花屋の並んでいるシンゲルの運河沿いの道に立ち寄りました。花屋がずらーっと並んでいます。この国のお国柄でしょうか。
中央駅に戻る途中の王宮の広場は、お祭り広場になっていました。4月の日曜日ということで、春を待っていた人々が一斉に街に繰り出したかのような光景でした。
中央駅から、宿のあるホッフドルフに戻り、明日の帰国に備えます。明日は、8時過ぎに空港へ。そこからパリ経由で、21日朝成田空港着の予定です。40日ぶりの帰国です。