浦川明彦
2003.7.20
2002年年末から2003年年始に、カナダを訪れました。
北の大国という印象があるカナダですが、地球の大きさを体で実感するために鉄道で太平洋から大西洋まで大陸を横断しながらの冬のカナダの旅です。
主な旅行の行程は次のとおりです。
成田空港...(エアカナダ)....バンクーバー(2泊)....VIA鉄道(3泊)....トロント(2泊)....VIA鉄道....モントリオール(2泊)....VIA鉄道オーシャン号(1泊)....ハリファックス(2泊)....エアカナダ・トロント経由で成田空港
日本からバンクーバーまで
12月20日
成田空港を夕方17時出発。機内ではすぐ夕食、映画を見て少しうとうとしたらもう朝食。飛行時間8時間で2回食事をするとこうなる。バンクーバー着は定刻の「その日の」10:25...7時間を遡った事になり、奇妙な感じだ。イミグレを通り入国手続きを終え、両替をした。明日から土日になり列車に3日間乗るので10万円を替えて
しまう。1$82円で1200$ほど手に入れる。初めて使う外国のお金は、慣れるまで落ち着かない。
予約していたB&Bに電話をしてピックアップに来てもらう。大急ぎでピックアップポイントまで移動。B&B青垣の足立さんと会い、車で家に移動。右側通行の景色を見ている間に到着。広々とした住宅街の一軒である。大きな家で、2階の広々とした一室に通された。シャワーを浴びて一休みして街へ行く。5分ほど歩くと「スカイトレイン」という鉄道の駅に出る。ここはメトロタウンという最近できた一大商業センターなのだ。そのメトロタウン駅には券売機はあるが改札もない。驚いたことに、無人運転の2両編成の電車が来る。それに乗って15分ほどでバンクーバーの中心、ダウンタウンに行くことができる。終点ウオーターフロントは文字通り海のそばの駅である。ツーリストインフォメーションを探して、地図をもらい、ミュージカルの切符を買う。今日夜8時からの「屋根の上のバイオリン弾き」$54、と明日2時の「ウエストサイドストーリー」$44.75の2枚。昼食をとり街をぶらつく。中央郵便局で絵葉書を買い、劇場を確かめ、国鉄(VIA)の駅でハリファックスまでの切符を引き換える。混んでいると乗れないから、大事をとって日本で旅行業者を通じて寝台券を購入していたが、
窓口で引き換えなければならない。あっけないほど簡単に終わってしまった。これなら、インターネットで予約しクレジットカードで決済してもなんら問題はなかった。これから何度も驚くことになるのだが、インターネットとクレジットカードは、この国では「普通の道具」なのである。夕方4時になると薄暗くなり、夜8時まで時間があるので、いったん宿に帰り休むことにする。帰りに酒を買おうと、メトロタウンの広い広い商店街を探し回るが、どこにも売ってない。他の物は大概売っていそうなおびただしい数の店があるのに、ワインを売っている店はない。大きなスーパーで聞くと「何とか通りのリカーショップにある」というのだが、まったく土地勘のない悲しさ、あきらめて宿に戻り2時間ほど休む。6時30分に宿を出て、スカイトレインでスタジアム駅に行き、8時からPlay
Houseで「屋根の上のバイオリン弾き」を見る。1階最後列の通路の隣の席であったが、ホールは狭く、臨場感がある。物悲しい結末だった。10:40に終了し真っ暗で寒い中、スカイトレインで帰る。この時間になると店は閉まっており、片づけをやっているスターバックスコーヒーの店でサンドイッチと変なコーラ飲料を買って、宿に戻る。住宅のクリスマスの飾りがとても美しい。風呂に入った後、サンドイッチの夕食をとってから寝る。
翌日は、時差ぼけもあり、朝ゆっくり寝て9時に朝食。11時に宿を出て、ダウンタウンに出る。バンクーバー美術館でTom
Tomsonの風景画の特別展、エミリーカーの不思議な絵を見る。それからバスで南グランビルに行き、昼食に中華料理屋で「雪菜肉糸糸麺」を食べる。中華料理屋は至る所にある。リカーショップを見つけ、カナダのワインとウィスキーを買う。それからウエストサイドストーリーを見る。Action1
の最後のシーンがなかなかよい。4時半に終わる。明日もミュージカルを見ることにして、サウンドオブミュージックのチケットを買う。これはハーフプライスとかで、なんと$20。帰りに登山用具店により、山シャツを買う。
宿でカナダ産のワインをあけるが、安い割には美味であった。
12月22日
22日は二度寝して朝ぐっすり寝ているのをノックの音で起こされ、朝食。この家の高校生の子供と一緒に食べながら、当地の高校教育の実情を聞く。コンピュータ利用では先進的な学校らしい。なかなかカナダの状況は興味深い。たとえば、看護婦を養成しても給料がよりよいアメリカに働きに行ってしまうこと、学校の教員も人材難のようだ。コンピュータができるなら、何も学校の教員などやってないらしい。また、相当台数あるコンピュータのメンテナンスは、教員がやっていられず、生徒がしているという。学校を見に行くかと誘われたが、残念なことにクリスマス休暇が始まって、閉まっていた。こうした話を聞きながら、外見は日本の高校生とまったく変わらない2人が英語でしゃべっているという「不思議な」光景に驚きもした。支払いをして、荷物を持って宿を出る。はじめVIA鉄道の駅に行き荷物預かりで大きな荷物を預けて、身軽になりミュージカルホールに向かう。今日のホールは、バンクーバーの郊外のリッチモンドという町にある。そこまで30数キロの距離で、直通のバスがどうなっているかわからないので、昨日行った南グランビルまで行ってバスを乗り継ぐことにする。リッチモンドの病院の隣にあるからそこを目印に探せと昨日教えられていた。ホール探しに手間取って、20分遅れで入場。サウンドオブミュージックもなかなか面白かった。3時半に終わって急いで駅に戻らなければならない。列車の発車時刻が5時40分だから、タクシーでないと難しい。劇場の前だからタクシーぐらいあるだろうと思っていたら全くない。この国は、自分の車がないと移動できないらしい。探し回っているうち、通りがかった人にあのホテルで呼んでらえ、といわれて、この国ではタクシーはそうやって乗るのかと納得。ホテルで呼んでもらい、40分ほどで35km離れたバンクーバー駅に着いた。駅は、1日1便のトロント行きに乗る乗客でごった返していた。
寝台車専用のラウンジがあり、ここで時間を過ごした後、カナディアン号の乗車が始まった。222号車の03Uという座席。222号車を見つけると、車掌が入って左と教えてくれる。むかいあった座席を見つけて荷物を置く。ひげ面の大男が向かいの席で、ハローとか言って握手する。両親が近くの個室寝台にいて一緒の旅行だという。荷物は座席の下に入れれると教えてくれる。列車の編成を見てこようと、ホームに出る。銀色の車体が延々と連結されており、先頭は2両のジーゼル機関車がつながっている。向かいにロッキーマウンテニア号の青い車両が止まっている。そのうち、発車5分くらい前になった。列車に戻ろうとすると、ドアがどこも閉まっている。あせった。ホームにいる無線機を持った駅員に話し、連絡を取ってもらう。後でわかることだが、この国の列車は、誰がどこで乗るかを完全に把握していて、その車両の車掌が、客が乗車し終わると、ドアを閉めてしまい「セキュリティ」を保持しているようだ。
とにかく一汗かいて、乗車。向かい席の大男の母親に、最後の客になりましたね、といわれてしまった。
5:40音もなく列車は動き出した。これから3泊4日4000km余の旅が始まる。
動き出してから、客室係が「夕食の予約をしたか」というので食堂車に行くと、「9時に来い」。昼を食べていないので長かったその間にシャワーを浴びてさっぱりする。お湯がドンドン出る。快適だ。結局、夕食は10時スタート。近くの2段寝台の2人とアメリカから来た白人青年の4人でテーブルにつく。さすがにしっかりとしたディナーでしいたけと鶏肉のスープ、パン、テンダーロインステーキとたっぷりの野菜、コーヒー、ケーキ(甘くて大きい)というちゃんとしたコース料理だ。食事が10回分乗車料金に含まれている。日本のレストランで食べると、いくらかかることやら。が、とにかく遅い。1時間あまりで最後のデザートまで行き、11時過ぎに終わった。座席に戻るとベッドがセットされていた。2階に登り、ワインを少し飲んで寝た。
12月23日
目を覚ますと7:30、二段ベッドから出てみると外は雪景色。シャワーを浴びてさっぱりする。朝食に行くといっぱいで、2両前の車両に行け、というので行ってみると、コーチ用の食堂。名前を聞かれたので答える。コーヒーがあるので飲んでいたら、しばらくたって名前を呼ばれた。食堂車に連れて行かれた。そうか、満員なので、待合室に使っていたのだ。若い夫婦連れと同席。「カナダ式オムレツ」というのを頼んだら、すごいボリューム。卵3個分にチーズ、トマト、ハムなどが入っている。カナダ人というのは、朝からこんなものを食べるのかと、感心。途中、列車が止まる。放送している中に「レイルブロークン」という言葉が聞き取れる。車掌に聞くとその通りで1時間かかって出発。
車窓には、左右に山が見えている。ちょうど日が当たって氷河で削られた急斜面の山が青空の下にくっきりと見えている。Mtロブソンと思われる山が左に見えてきた。後で確かめると、そうであった。この山は、カナダで一番高い(3954m)美しい山である。右側には湖が見えている。
峠を越え、ジャスパーに11:20着。1時間半遅れて着くのかと思ったが20分遅れ。太平洋ゾーンからマウンテンゾーンに入って1時間時差があったからだ。昨夜、女性が急病で救急車に運ばれたときの30分、線路故障で1時間の遅れを取り返したことになっている。ジャスパーで約1時間停車。降りてみるとひどく寒い。天気もよく風もないが凍りつくような空気だ。たくさんの客が降りていく。ここは、冬のリゾート地で、クリスマス休みを過ごすのだろう。絵葉書を買う。町に出ると2階建ての家の小さな町並み。歯磨きと電池を買おうとドラッグストアを探したが見つからなかった。おみやげ屋ばかり並んでいる。
ジャスパーを出ると、昼食。メニューはスープ、バイソンのハンバーガー、シーザーサラダ、コーヒー、デザートだが、皿いっぱいの料理だ。こんなに食べていると大変なことになるとデザートはパス。2時半に食事終わる。昨夜に懲りて、夕食はファーストコールにしてもらったので5時半だ。展望車で景色を見ながら午後を過ごす。山岳地帯から平原地帯へと地形は変わってくる。とにかく平らな地形で湖が見えたりもする。3時半に日が沈みかけている。快晴の空は、夕焼けで少しピンク色に染まっている。日が沈み暗くなると、エドモントンの町に着く。しかし、ちょうど夕食のコールで降りれず、昼食からも時間がたってない。しくじった。絵葉書を投函してもらう。夕食のテーブルは老夫婦が向かいに。ブルティッシュコロンビアに住んでいるフランス語を話す夫婦である。もちろん英語も話す。どこに行くか、とか、何が好きかとか、いろいろ話しかけてくる。昔、50kmのクロスカントリースキーコースを走ったが今はもうだめだ、とか、モントリオールに住んでいたとか話していた。夕食のメニューは鱈のチャウダー、チキンシュニッエルとポテト、コーヒー、デザートのチョコレートケーキそしてグラスワイン($4.5)である。6時半に夕食が終わり、この夫婦に聞いた日本人旅行者のM氏と話す。彼はロサンゼルスに入り、そこから北米パスを使ってアメリカとカナダの鉄道に乗りまわってという。
ラウンジカーでビール$4.5。飲み物、スナック、果物などは無料である。ジャスパーで相当降りて、車両も4両切り離したということだ。レストランもすいている。8:40ベッドメーキング。もう一度シャワーを浴び9時過ぎに寝る。
12月24日(火)
早く寝たせいか、夜中の2時ころ目が覚め本を読んで時間を過ごしまた眠ってしまった。次に起きると8時。何もしないのに何だか疲れが残っている。朝食に行く。今日はガラアキ。「エッグスベネディクト」という今日のスペシャル料理を食べる。小判型のパンケーキの上にハムと温泉卵が乗っかったものが2つついている。結構おいしい。コーヒーを飲んだ後、展望車へ。ガラアキ。先頭の席でしばし風景を楽しむ。地吹雪のような状態。正面左より日が昇ってくる。東に向かって進んでいるというのを実感する。地形は相変わらず平らな雪の大地。小さな林、時々人家、左側に電線という、昨日から変わらない風景が続いている。食堂車のマネージャーが来て、昼食の時間を変えるという。ウィニペグ着が昼食と重なるからだ。デジカメの電池がアウト!電気かみそりとライトの電池でとりあえず使える。買わなくては。
12:30ウィニペグに到着。電池と切手を買おうと列車から降りた。駅舎はとても立派だが、にぎわっている様子がない。案内所を見つけて「電池を買いたい」というと、外に出て道路を渡り「カナダペートル」に行けといっている。なんだろうと思いつつ、大通りを渡りガソリンスタンドに行くと、そこにコンビニ店のようなものがあった。電池を買った。結構高かった。単3を4本で$8。切手は売ってないという。駅に戻り絵葉書を売っていたので買った。切手はないという。そうこうしているうちに時間になり列車に戻った。1:20出発。クルーが全員交代してしまっていた。すぐに昼食。大分乗客が少なくなっていて、食堂車もゆったりしている。サーモンの燻製をパンに載せたものとサラダ、デザートとケーキを食べた。マーマレードの味でやたらと大きなケーキだった。相席者は、女性2名と若い男、周りの樹木が変わってきたので、「あの木を何と言うのか」と「聞いてみると、spruceとbirch(発音はバーク)だと教えてくれた。白樺とトウヒである。
午後は展望車で雪景色を見ながら読書。「ゲーム脳の恐怖」という脳科学医者の書いたもの。ゲームが問題があるのでは、とは前から漠然と思っていたが、脳科学の事実を見せられて愕然とした。今の日本では大変なことが進行しているな、と思った。3時半ころには薄暗くなり4時半には日が沈んでしまった。景色のほうは一向に変わらない。ということは、ものすごく広い平原を走っているということだ。
7時に夕食。ブリティシュコロンビア州から来たという老夫婦の前の席。話しているうちにハリファックスまで行くというと、もう一人ハリファックスに行く日本人がいるのを知っているか、と聞かれた。展望車にそれらしき人がいたが、日本人、韓国人、中国人いずれともわからず声をかけないでいた。お互い日本語をまったく話さないので、こういうことも起こる。その人とは食事の後話をするのだが、JRに勤めるM氏であった。何日がぶりで話す日本語。食事は、子牛肉のチョップとポテト、コーヒーそしてチョコレートケーキ(甘く大きい)$4.5のワインだった。クリスマスイブらしく、クイズをやっていた。日本でいうなぞなぞのようなものだが、さすがにさっぱりわからない。ちょうどこの途中にSioux
Lookuotに停車する。外にいけず、残念であった。
8:30に食事を終え、席に戻ったら、もうベッドメークがしてあった。シベリア鉄道とは違って、毎日片付け、新しいシーツに取り替える。
クリスマスイブもこうして暮れた。1日に4時間以上も食事の時間に使うというこれまでにない(そして今後もない?)生活をしている。
12月25日(水)
目が覚めると、東部標準時ゾーンに入っている。また時計を1時間進める。この何日か、1日が23時間という生活を送っている。生活が単調なので、1時間くらい少なくてもどうということはない。反対側に向かって旅行すると、1日が25時間になってしまう。同じ速度の列車で同じ距離を走っているのに、・・・・などと考えると、なんだか変な感じである。時差のない国で生まれ生活しているので、なかなかなじめない。
早く寝たので、夜中に目が覚めて、読書をしているうちにまたうとうとしていたので起きたら7時半であった。周りはまだ薄暗くボーっとしているので、シャワーを浴びてすっきりして、朝食に出かけた。食堂車には人があまりいない。食事中にようやく日が昇って明るくなってきた。天気は晴れ、雪が30cmくらい積もっている。M氏と同じテーブルになった。スクランブルエッグとコーンビーフとジャガイモ、フルーツヨーグルトがおいしかった。食後、ラウンジカーでパソコンに充電しながらデジカメの画像を読み出した。これができると、デジカメで写真を枚数を気にせずに取れる。スマートメディアの1枚が不調なので、ありがたい。外は相変わらず雪景色だが、光が当たるとダイヤモンドダストがきらきら輝いて美しい。カメラでは取れないな、とは思ったが、何枚かシャッターを押した。そうこうしている内に11:40にCapreolで1時間の停車。切手を買いに町に出たが、小さな町は静まり返っている。誰かが、「ゴーストタウンみたい」といっていたがそのとおり。今日はクリスマスの休日で、この小さな町(村?)には、店が開くどころか、人の姿さえ見えず、列車の乗客が歩き回っているだけだ。カナダの鉄道は、こんな田舎町にも1時間も止まるのか、と複雑な思い。タンクローリー車が機関車に横付けして燃料を補給していた。機関車もどでかいが、タンクローリー車もかなり大きい。このスケールの大きさがアメリカ大陸なんだ、と思った。かなり寒く、特にすることもないが、外を歩いているほうがいいので列車の周りを歩き回る。機関車2両、貨車1両の後にコーチ(座席車)が」展望車を入れて5両そして食堂車、寝台車3両、ラウンジカーの編成である。途中でずいぶん短くなっている。1時に発車、すぐ昼食。乗客は30人くらいしかいないのではないか。メニューはパスタ、シーザーサラダ、コーヒー、そしてアイスクリーム。このアイスクリームは、コクがあっておいしい。
午後は読書。日が暮れかかり夕焼けが見える。展望車にいく。雲があるので、西が夕焼けになっている。雪景色の中の夕焼け。日本ではあまりない組み合わせ。太陽の高度が低く、角度が小さいので日の出も日の入りも、ゆっくりだ。列車の進行につれて地平線に出でたり入ったりを繰り返しながら延々と1時間くらいかけて暗くなる。5時半からカナディアン号での「最後の晩餐」となる。夕食は、鶏肉のカツレツ、ポテトサラダ、チーズと果物そしてグラスワイン。この3日間、よくぞ食べた。コーチの人たちは料金を払って食べるので値段がついていた。夕食がが$20−$25だから、1日3食では$50になるのだろうか。これが3日+夕食分が運賃に入っているのだから、200ドル近くが食費だと思うと、寝台は安い。(もっとも一人で旅行するならこんなにリッチな食事はしないが)それにしても、これまでにない、そしてこれからもありそうもない、「充実した」食生活の3日間だった。
食事が終わると、荷造り。これもあっという間に片付いてトロント着を待つ。トロントには何と30分も早く、7:30に到着した。トロントのユニオンステーションも巨大な建物である。ただ、人影は多くはない。むしろ、さびしいくらいだ。クリスマスの夜なのに(だから?)がらんとしている。駅前に何台か待っているタクシーをつかまえ、宿の住所を示し出発。街も車の通りが少なくまるで深夜のようだ。
駅前からタクシーで$15払い、インターネットで予約しておいたB&Bペンション白樺に着いた。建物の前に大きな白樺の木が植えられている。少し待ってから部屋に案内された。大きな部屋である。4日ぶりの「動かない」ベッドで一夜を過ごした。
12月26日(木)
今日はトロント滞在の日。ナイアガラの滝を見に出かける。
朝起きて朝食をすませ、5分ほど歩いて地下鉄の駅に向かう。そこから都心部まではほんの10分くらい。鉄道で行くことにしたので、カナダパスを見せて往復の座席をもらう。この国の鉄道は、「完全予約制」ともいうべきやり方で、パスを持っていても、座席を予約していないと乗れないようだ。日本ともヨーロッパとも違う。アムトラックのニューヨーク行きの列車に乗る。カナダ側の国境の駅がナイアガラフォールズである。約2時間の乗車。オンタリオ湖の周りを走る。五大湖は子どものころから知っていたが、列車で走ってその広さを実感する。途中の駅で乗降客は結構多い。さすが大都市の近郊である。ナイアガラフォールズ駅につき、滝までの交通機関を探すが、観光シーズンでないせいかよくわからない。そんなに離れていないので、街を見物がてら歩いて行くことにする。日本の別荘地のような雰囲気の住宅地を30分も歩くと、滝が見え始める。アメリカ滝の奥にカナダ滝、どちらも巨大な滝だ。深く抉られた川に落ち込んでいる。渇水期だから水量は少ないそうであるがそれでもスケールは大きい。滝見物を終えて駅に戻る。列車は1日2便しかなく、時間がもったいないのでバスでトロントに戻ることにする。日が暮れることトロントに戻り、AGO(アートギャラリーオブオンタリオ)の開館時間に間に合う。「ゴーガンからマチスへ」という特別展。ヘンリームーあの彫刻も多数あるが、なにぶん時間がないので駆け足で回る。その後、チャイナタウンに向かう。トロントのチャイナタウンは、とにかく広く活気がある。まるで香港かどこかにいるようだ。北京ダックならぬ、鴨のローストとワンタンの夕食で15ドルという安さ。それから地下鉄駅まで歩き、Davisvilleにある宿、ペンション白樺に戻る。
12月27日(金)
モントリオールに向かう。8時半にトロントユニオン駅。モントリオール行きは9時には売り切れていた。トロントの滞在が短いのが残念なくらいだが、9:30発のモントリオール行きに乗り込む。モントリオールまでの539kmを約4時間で走る。この路線は、「コリドー」という、カナダ国鉄の幹線部分である。列車の本数も多い。この区間は2等車であったが、シートはゆったりしている。トロントでは半分も乗ってなかったのだが、次々と客が増えてゆき、モントリオールに着く頃にはいっぱいになった。「立席」を作らないための客の数の管理の仕方である。座席は指定席ではないので、総人数分しか切符を売らないのだろう。だから、必ず席はあるはずだ。日本でなら、「必ず座りたければ指定席をとれ、そうでなければ立つことも覚悟せよ」となっていてこれが当たり前だと思っていたくれどそんなことはない売り方もあるのだ。列車はトロントの町並みを後にして、平原の中を進む。行きをうっすらとかぶっているのだが、同じ平原でも、森林が多く、湖もたくさんあったトロント以西に比べ耕地、牧場になっている土地が多いようにみえる。途中20分程度の遅れを出しながらも次々と駅に止まり客を乗せてゆく。空いていた席は次々に埋まってゆく。途中、トロント駅で買ったサンドイッチの昼食をすます。30分遅れで川にかかる鉄橋を渡ると、高層ビルが見え始めカナダ第2の都市モントリオールの駅に近づく。駅近くでは地下に潜ってしまう。モントリオールセントラル駅は、完全な地下駅である。ホームが何本も地下に並んでいる。上にあがるとビルの中の「広場」の空間で、これが駅である。これまでのような独立した駅舎もなく、ビルの一角が駅、という感じの造りである。これまで、ウィニペグ、エドモントン、トロントとこの国の鉄道の駅があまり街の中心にはないのが今日の状況であるが、これらの巨大な駅舎もそのうちモントリオールのような形になるのかもしれない。地下鉄のボナベンチャ駅まで歩き、地下鉄で10分余りでシェルブロック駅に着き、5分ほど歩くとフォンテーヌ公園で、そこにインターネットで予約していた宿「B&B
on the Park」がある。荷物を置いて一休みしてから、街に出る。この街はフランス語で表記され、まるでパリの街を歩いているような感じだ。ただ、モントリオールの方が街がゆったり作られてはいるが。雪が積もり寒い。中心街に行き、明日のバレー「くるみ割り人形」のチケットを買う。40ドルだから、日本で買うのに比べ雲泥の差。クリスマスの美しい飾りが町中のいたるところにあり、フランス語でかかれた町並みは、トロントとは違った「空気」を感じる。これがケベックというものだろうか。中心街のイタリアンレストランでパスタの夕食をとり、宿へ戻る。
12月28日(土)
今日はモントリオール滞在。B&Bでの朝食は焼き立てのパンケーキだった。カナダの名物メープルシロップをつけて食べる。朝食を作っているのは、パートタイムで働いているマギーさんとかいう人で、宿のオーナーのニコルは電話で話したが姿を見せない。なんでも、翌日は日曜日で、客は一人しかいない、朝子どもを学校に連れて行かなければならないから早く来て朝食の支度をしておくから食べてくれ、というようなことをいわれた。宿代も清算した。やはりこの時期は、観光客などいないのかと、妙に納得。
この日は、モントリオールのミュージアムパスというのを買って、博物館巡り。20ドルで2日間モントリオールの美術館や博物館に全部入れるというのだから、すごく安い切符だ。中心街にあるマッコード博物館では開拓時代の歴史の展示、モントリオール美術館ではフランス革命期のリシュリューの特別展をみた。美術館の食堂で昼食、ラムシャンクが25ドルでおいしかった。そうこうしているうちに、バレーを見る時間になってしまったのでプラデザールの劇場に向かう。入口がわからず少しうろうろしたが、滑り込みセーフ。バレーは幻想的な舞台で楽しかった。終わってから現代美術館へ。ここでは、表現の大胆さに驚いた。その後、チャイナタウンに行き、エビ麺の夕食。それから歩いて宿に帰った。
12月29日(日)
昨日、朝食は自分で、といわれていたが、他に客が入ったらしい、違う女の人が朝食の支度をして、6人ほどの客が朝食を摂った。パンと卵とベーコン、クランベリージュースがおいしかった。日本のみかんのような果物があり、名前を聞くと「チャイニーズマンダリン」とのこと。−20度の真冬のカナダでも、野菜や果物が豊富にある。これがロシアとの違いだ。9時半チェックアウト。宿代のレセプトをもらう。帰国後、税金還付に必要。地下鉄に乗ろうと駅に行くが、駅員がいない。日曜の朝のためだろうか。VIAのセントラル駅に行く。荷物を預けようと歩いていると、声をかけられた。バンクーバーからカナディアン号に乗っていた老夫婦だった。最初気づかなかったが少し話をして、あーあの二人か、とわかった。息子はその場にはいなかった。彼らはこれからケベックシティーへ行くそうだ。3日もいると覚えてしまうものだ。案内係りから時刻表では19:00にモントリオールを出るThe
Ocean(オーシャン号)はクリスマス特別ダイヤで切符には19:45発となっていると説明された。荷物を預けると、荷物係のお姉さんから7時までに引き取るよういわれた。それまでの10時間が今日の観光の時間。地下鉄の1日券を買って、今日は、まずサンテレーヌ島に渡り、スチュアート砦博物館、バイオスフィアと回り、その後モントリオールの港の方にある、旧市街に行く。モントリオールの街が作られたのは、まずセントローレンス川の港から始まり、次第に奥の現在の市街へ広がっていったようだ。その旧市街の石畳の町並みに行く。シャトーラムゼー博物館、ボンスクールマーケット、奇抜な展示の考古学歴史博物館、ノートルダム聖堂を見ているうちに夕方になり、中華街でバイキング料理の夕食をとり、セントラル駅に向かう。7時5分前に荷物預かりに着くと、荷物係のお姉さんが心配そうな顔で待っていた。7時から乗車開始。寝台券を持っているから、駅のラウンジを使えるのだがそんな暇はなく列車に乗り込んだ。各車両の入口で車掌が名簿と乗客のチェックをしている。発券の仕方といい、乗車の仕方といいおそろしく手間のかかる方法だ。が、これこそが究極のサービスなのかもしれない。アッパーバース024の2Uに行く。まもなく発車。音もなく動き始める。
カナダの列車はスリーパー・エコにミー含めて車掌が完全に乗客を把握できるシステムになっているから完全予約制だ。途中駅で停車する場合も車掌が乗客を把握していて担当する客が外に出ないと、さっさと乗降口を閉じてしまう。セキュリティを確保する目的のようだ。だから、車掌に声をかけずに別の車両から降りたり、乗ったりすると、面倒なことになる。
さて、今回の下の段のベッドを使うのは、おそろしく体格のいい若い女性であった。隣は、子供を2人連れた家族。バンクーバーからの列車は、「大旅行」という感じのいでたちと荷物が多かったが、こちらは、普通の列車での移動、という感じで、荷物も小さかったり、紙袋だったりである。車掌がきて、ベッドを作るからパークカーへ行ってくれといわれたので、最後尾のパークカーへ移動する。ビールを飲んでいるとビデオを上映し始めた。30分ほど立って戻ると、まだベッドが完成していない。またパークカーに戻って外の様子(といっても真っ暗だが)などを見ている。また30分ほど後に戻ると、ベッドができていたので上段の寝台に上る。車掌が「エブリシングOK?」と聞くのでシャワーを使いたいというと、バスタオル他のセットを渡してくれた。熱いシャワーを浴びて寝台にもぐりこみ、本を読み、ワインを飲んで11時半に寝た。
12月30日(月)
朝6時に目が覚めた。ボーっとしているので、シャワーを浴びて気分がよくなる。8時までベッドにいて朝食に行く。車掌に聞くと「パークカーにあるものは無料、食堂車は有料」ということだった。パークカーに行ってみるとコーヒー・紅茶等の飲み物とパン、ゼリー、果物などが置いてある。コーヒーとパンを食べる。やたらと甘い、ボリュームのあるパンだ。ここでタイムゾーンが変わっているのに気がつく。東部ゾーンを出て大西洋ゾーンに入っていた。また1時間進める。ケベック州とニューブランウィック州の間で1時間時差がある。
バンクーバーから数えてみると、太平洋ゾーン、山岳ゾーン、中部ゾーン、東部ゾーン、大西洋ゾーンと5つ目で5時間の時差がある。あと、ニューファンドランドゾーンがあり、6つの標準時をもち、5時間半の時差があるのがこの国なのだ。1日の約4分の1の時間差ということは、地球の4分の1にまたがって広がっているということになる。
朝食の後、展望車で風景を見る。雪の中を列車は進む。平らな地形だが、牧草地や人家がとびとびに見える。左側はセントローレンス川(か湾)。
11時にモンクトン、ここで絵はがきを投函する。この駅から「赤毛のアン」の舞台、プリンスエドワード島へ連絡するバスが出ている。一度行ってみたいところだ。12時半に食堂車で昼食。メニューには、8ドルから12ドルくらいでいろいろなものがある。「モントリオール風スモークミート」というのを頼む。鱈のチャウダー、ライ麦パンに挟まれた燻製肉とピクルス、パスタ、酢漬けのキャベツがついていてあまりしつこくない。これが、バーガーならすごいボリュームがあるところだ。食事のあと、展望車へ。駅に止まるたびに降りていき、多分スリーパークラス全部で客が30人くらいしかいないのではないか。それなのに5両で運転(エコノミーをいれると10両編成くらい)している。2時を過ぎると陽は傾き始め弱々しい光となる。
2:50にTRUROに着く。乗っていた上下寝台には6人いたが、一人また一人と降り、ついに一人になってしまった。終点ハリファックスはいかにもはずれだなー・・・ということを感じた3:45に海を見る。流氷か?「4時半に着くだろう」という車掌の話より少し早く4:25に終点の駅ハリファックスに着いた。ここでは宿は予約していないので、ツーリストインフォメーションで探してもらうつもりでいる。駅に着き、車掌に写真を撮ってもらい、「バンクーバーから列車で来た。列車の旅はとてもよかった。」というとうれしそうな顔をしていた。モントリオールからハリファックスまで1346km、バンクーバーからだと、4466+539+1436=6441kmの旅になる。
感動もつかの間、宿探しだ。ヨーロッパなら駅にツーリストインフォメーションがあるところだが、こちらの駅にはそんなものはない。町の中に2箇所あるようなので、荷物を持って歩いて行ってみると、海辺にあるほうの事務所には、月曜日は休み、他4:30までとなっており用があるなら町中のもうひとつに行け。という張り紙がしてある。坂を3ブロック上り、町の中心部の事務所に行くと、営業時間が終わってしまっていた。こんなことなら駅で電話をかけて探すのだったと思ったが、仕方がない。夕闇は深くなりかけて風は冷たい。電話するのも手が凍えてしまう。いいや直接行こうと、1件のホテルに行ってみたが、値段が高すぎるので2軒。ここで折りあいがつく。今日は$79、明日の大晦日は$149と1日で倍になるが、正月料金?みたいなものだから仕方なかろう、と、巨大なホテル・デルタハリファックスの客になった。これまで、B&Bばかりに泊まってきたので、一度くらいはこういう宿もいいだろう。
カードキーをもらって部屋に行く。荷物を置いて、やれやれ、ハリファックスに着いたぞ・・・と一安心。すこし休んだあと、町の「探検」に出かける。駅からホテルまででハリファックスの中心街を横断したことになっているくらいの小さな町であるが、海岸線から高台にかけて町並みが作られ、多数の海から登る坂道、海岸通り、それと平行に走る数本の長い通りというのがこの町の基本的なつくりである。人口11万余の都市のコンパクトにまとまった中心街。
海岸に出て、「これが大西洋か・・・」と少し感慨にふけったあと、夕食は、海辺の町らしく、すこし豪勢にレッドロブスターを食べることにした。評判がいいらしい海鮮レストランに行き、1ポンドのレッドロブスターとビールを頼んだ。この旅行中で一番リッチな食事であった。とはいえ、全部で$40(3200円)だからたいしたことはない。満足して、ホテルに戻り、のびのびと大きな風呂に入り巨大なベッドでゆっくり寝た。
12月31日(火)
この日は、ルーネンバーグに行ってみたかったが、ツアーは無いようなのでハリファックスの市内見物。
朝、ホテルのビジネスルームでパソコンを使ってWebを開いてメールのチェック。コンピュータといえば、各部屋に、インターネット接続用のコネクタが配置されている。モデムを通じて接続するので、モデムケーブルさえあれば自分のパソコンを接続できたのだが、残念ながら持ってこなかった。日本ではモデムケーブルを使うことなどなくなっているが、アメリカ大陸ではモデムは普通の接続手段なのだということを知った。電気は110Vとはいえ、まったく同じコンセントであるので日本で使っていたままつかえる。ヨーロッパは国毎にまちまちで、とてもパソコンを持っていこうなどと思わないのだが、北米はちがう。日本のパソコンはそのまま使えるようになっているのか、といい勉強になった。
さて、ハリファックスの町だが、大西洋に面した歴史ある港町、ということで、港町で育った私にとっては親しみのある町なみであり、また、人口10万余で決して大きくないにもかかわらず、見所の多い町であった。朝から夜まで一日中歩き回った。午前中、アンが学んだというダウハルジー大学を見物し、その足で高台にある要塞シタデルに回り、それから市街地にある美術館や博物館などを見て回った。海のそばのマリタイムミュージアムに着くころには4時半になっており、大急ぎで見たが、あのタイタニック号の遭難とハリファックスが関係しているとは思いもよらなかった。考えてみると、北大西洋航路はこの港町のすぐ近くであり、当たり前なのだが、なかなか人間の頭というのはそうはいかない。しかし、改めて、「こんなに遠いところまで来たのだ」と感慨深いものがあった。
この日は大晦日で、普段なら少し遅くまで開いているだろうが、店は6時には全く閉まって旅行者にはつらい日だった。大晦日に夜中まで仕事をする習慣はさすがにないと見えて、町は静まり返っていた。
ホテルに戻り、風呂に入って、かたづけ。いよいよ明日の朝、帰国だ。明朝7:35の空港行きバスに乗り、ハリファックス空港からトロントへ、そして東京へと飛ぶ。長かった旅行の荷物を片付け、寝る。廊下で若者たちが騒いでいる。町には明かりがともり、大晦日の夜は更けてゆく。
2003年1月1日(水)
いよいよ、カナダを去るはずだった日、朝、目を覚まし支度をする。空港行きのリムジンバスに乗る。外は相当寒そうだ。町中が凍っているように見える。行き交う車も人もなくあっという間に空港に着く。空港は、早いせいか、がらんとしている。荷物を預け、飛行機に乗り込む。いよいよ、カナダの大地ともお別れだ。ところが、なかなか離陸しない。30分以上遅れて動き出す。トロントでの乗換時間が少ないので、気が気ではない。それでもようやく飛び立って、海が見え、ハリファックスの町が見える。白い陸地の上を飛び続ける。鉄道で何時間もかけて移動してきた大地が、あっていう間に過ぎ去っていく。
途中、時計を見ると、遅れたままになっている。乗務員に航空券を見せて、大丈夫か?と尋ねると、前の方に行ってなにやら話している。トロント近くになって、早く降りられるように、一番窓側の席から乗務員席に移してくれた。乗換について、説明してくれているのだが、「トゥネ」という言葉が何度も出てくる。ようやく、トロント空港では工事中で、トンネルをくぐっていくコースを行けと言っているのだと合点する。着陸。15分しかない。この前に最前列に連れて行ってくれればよかったのだが、移動途中、乗客が立ち上がり通路をふさがれてしまった。ここで時間を取られ、空港の中を大急ぎで移動するが、国際線に乗るので、荷物チェックなどに引っかかり、搭乗ゲートについたときには、すでに飛行機は動いてしまっていた。連絡して待ってくれているのかと思ったがそうではない。乗るはずだった飛行機は滑走路へと向かっている。係員に航空券を見せると、飛行機は行った後だという。しばし呆然としていたら、担当する女性が、明日のチケットの予約・荷物の回収などをやってくれ、今日はホテルを用意するから明日の便に乗ってくれと言う。こういうことは初めてで、どう対応していいかわからずにいたが、日本人の係員を呼んでくれて説明してくれた。
予定外でのトロントのもう一泊であった。トランジットホテルに移動。結構高そうなホテル。しかし、周りに何もない。とくに1月1日だから何もやってない。トロントまで出るにも交通機関はない。タクシーを使うくらいだが、予定していないことなので準備ができていない。食事のバウチャーをくれて、明日の9時に空港へ行くまで、ホテルで過ごす。日本に電話して(テレホンカードもくれた)1日遅れる旨話す。
1月2日(木)
朝食の後、少し早めにチェックアウト。空港で時間をつぶすことにする。おまけの一日は、よい休養にはなったが、何とも気の抜けた幕切れであった。空港でぶらぶらした後、ようやく搭乗開始。搭乗前にアナウンスされて呼ばれたので行ってみると、席を変えるという。乗り込んでみると、ファーストクラス。空での時間を、すごく贅沢に過ごした。ただ、こういう席に一度でも乗ってしまうと、これからエコノミーに乗れなくなるのでは・・という心配をしながらであったが、日本までの旅を終え、成田に降り立った。日本は正月だった。
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