はじめに
2019年春、フィンランドのヘルシンキから入り、バルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)とベラルーシ、ウクライナ、ポーランドの旅に出かけました。これらの国は、フィンランドとポーランドを除き初めてで、しかも、言葉は全く分からない国でしたが、ともかくも、2週間で7カ国、春の北欧・東欧の旅をしました。ヘルシンキ到着 【バルト三国の旅1】 2019年3月11日
この春、ヨーロッパのバルト三国+αを訪ねる旅に出かけました。バルト三国は、なかなか日本でなじみのない国ですがヨーロッパの歴史の波に翻弄されてきた国々で、いつか訪ねようと思っていたのですが、この度実現しました。
この5カ国の中身についてはこれから旅してゆきますが、大まかな計画は、フィンランドのヘルシンキから入り、船でエストニアの首都タリンへ。次にその南のラトビアのリガ、そしてリトアニアを訪ねます。ここは首都ヴィリニュスのほか、カウナスなどを訪ねます。その後、ベラルーシのミンスクに立ち寄り、その後ウクライナのキエフを訪ねポーランドのワルシャワから空路帰国、と2週間の旅です。通過する国は7か国と2週間の旅にしては忙しいですが、何とかこなしてみたいと思います。
さて、そのスタートは、フィンランドのヘルシンキ。ここはこれまで2回来たことがありますので、いい街ですが市内観光は省略し、フェリーで移動する中継ぎ地点になります。
ヘルシンキには、東京からフィンランドエアの直通便が飛んでいて、これはJALとBAのコードシェア便になっています。成田を11時55分に出発し、9時間半でヘルシンキですから、ヨーロッパの他の都市に比べとても近い気がします。フィンエアーの映画は、日本語化されたタイトルが多く、飽きずに機内の時間を過ごせました。ヘルシンキ着が午後3時前というのもその日の予定にゆとりがあって、いいです。
定刻に成田を出た飛行機は、順調に飛び、2時42分にヘルシンキに着きました。ただし、ヘルシンキはとても寒い。零下5度だとかで、春になりかけの数日から真冬に戻った感じです。空港では、小雪も舞っていました。空港からは、鉄道で30分。5ユーロで快適にヘルシンキ中央駅に移動できます。窓の外は雪景色。とても寒いです。列車の中の表示では0度となっていましたが、空気の冷たさを感じました。16時過ぎについて、予約していた駅近くのホテルに入り、少し街を散歩しました。スーパーに行くとビールはたくさんありますがワインを売っていません。この国は、5%よりアルコール度の高い酒は、「アルコ」という酒屋でしか扱えないようです。かつての日本や、昔行ったカナダがそうでしたが、「自由化」されていないんですね。旅行者にとっては面倒ですが、これはこれでいいことなのかも。ということで、今日はワインはなく、ビールで。時差ぼけしないために、機内で眠らずにきましたから、午後8時の今日本では夜中の3時という、徹夜状態です。レストランに行くのも面倒なのでスーパーで買ってきたパンとビールで夕食(夜食)を済ませて寝ることにします。
明日は、9時のフェリーでエストニアのタリンに移動します。結構忙しい旅の始まりです。
ヘルシンキからタリンへ 【バルト三国の旅2】 2019年3月12日
昨日ヘルシンキに着いたばかりですが、今日はフェリーでエストニアのタリンへ移動します。昨夜、インターネットで予約をしたのは、エケロラインという船会社。ここでは3つの会社が運航していますが、一番安いのが、1250円、高いのが5200円とすごい違いです。たった2時間の船旅ですから、豪華さとかを求めても・・・と思い、一番安い9時発の便にしました。
フェリーターミナルには歩いて行けず、トラムに20分ほど乗って行きます。今回、ヘルシンキはただの中継地だと思っていたのでいろいろな事をリサーチせずに来たのですが、トラムもその一つ。乗って料金を運転手に払おうと思ったら、顔を横に振りました。電車内の掲示に英語で社内で切符は変えない、と書かれていました。途中で検札が来ると数十倍の料金を請求されるのがこのヨーロッパのしきたりですが、幸いラッシュの始まりで検札は来ませんでした。結果的に無賃乗車をしたわけです。
終点の駅の前に、モダンなT2と書かれた、フェリーターミナルがあります。ここがこの会社のフェリーの発着地。入ると発券所があって、昨日予約した携帯の画面を見せると、隣の職員と相談しています。なんと、明日の便を予約していたのです。今日の便に変更してもらい事なきを得ましたが、これが飛行機ならアウトです。少し気を引き締めなければなりません。
1時間ほど待って、何とか乗り込みました。これから2時間の船旅です。この船は9層のデッキからなる大型船で、下には、車を積んでいます。もともとバルト海は静かな海なので、出航したのも気づかないくらいでした。
2時間の航海の後、タリンの街が見えてきました。入港したのが11時過ぎ。周りは雪景色で、かなり寒いです。宿まで歩いて、12時前にチェックイン。部屋に荷物を置いて、街に出かけました。今日はとりあえず街の様子を偵察、ということで、世界遺産になっている旧市街をぐるりと回りました。
タリンは、ヨーロッパの都市の中で最も中世の雰囲気が残っているという街です。城壁に囲まれた旧市街は、建物といい、街並みといい、まったく昔の雰囲気です。宿をとったのが下町で、そこから山の手に上り、新市街をかすめて街を一通り歩いてみました。途中、昼食をとり、宿に戻り少し歩いたところにあるスーパーで買い物。もうすぐ暗くなるので、夕食とワインを買って宿に戻り、明日の行動計画を立てました。明日は、いくつかの博物館と教会を回ります。
町には雪が残っており、寒さも厳しいタリンの街です。
タリンの街を回る 【バルト三国の旅3】 2019年3月13日
昨日に続き、タリンの街の中を回りました。
まずは、博物館めぐり。博物館には、それぞれのテーマで集められたものがどっさりあるので、旅行をするとき、時間の許す限り、いろいろな博物館に行っています。このタリンにもたくさんの博物館があり、全部は回り切れないので、面白そうなものだけ回りました。どこも10時から開くので、その前にいくつかを訪ねました。
はじめは、ラエコヤ広場にある旧市庁舎薬局。1422年から休みなく営業している薬局とかで、もっとも古い薬局だそうです。その薬局の目印です。
次に行ったのが、聖カトリーヌの小路。ここは、工芸品の工房の集まった場所で、15世紀から始まっているそうです。店は12時から開くところが多いので、午後にもう一度訪れました。
10時になったので、最初に行ったのが、タリン博物館。14世紀の商人の家を改装しています。ここには、タリンの始まりから1991年の独立につながった「歌の革命」までの歴史の展示とともに、特別展として、陶器と金属器のコレクションが展示されていました。特に、1825年のタリンの街の模型は、現在のタリンの旧市街そのままなのに驚きました。
次に行ったのは、エストニア歴史博物館で、これは15世紀のグレートギルドホールにあります。1100年間の歴史が展示されています。建物は、ハンザ同盟の一都市として栄えたタリンのギルドの様子がわかります。展示物は、興味を引くように参加型になっています。
隣にある聖霊協会は、「民衆の教会」として14世紀に建てられた教会で、祭壇とともに、ずらりと描かれたアダムとイブの創造、楽園追放から始まった旧約・新約聖書の絵画が圧巻です。ただ、あまりその知識がないので、何の場面かがよくわかりませんでしたが。この建物の外には、最も古い時計が今なお時を刻んでいます。
次に向かったのが、ババム(VABAMU)という、占領博物館です。ここでは、長い間他国に占領され、ついに独立を勝ち取ったこの国の歴史を、最新の技術を使い展示しています。ただ、日本語版はないので、英語にしましたが、深くは聞き取れないのが残念でした。
12時を過ぎたので、近くのショッピングモールにある、すしとラーメンの店「徳まる」でランチにしました。エストニア人の若者の作る、巻物4つと半ラーメンのセットでしたが、日本で食べるのと同じ味でした。何か不思議な気がしました。
その後、かつての工場跡地や倉庫街をリノベーションして作られた新しい商業の中心地、ロッテルマン地区に行きました。倉庫の建物を使った店と新しい建物が不思議な調和をしていました。その外れに、エストニア建築博物館があり、入ってみました。中の展示は専門的なものが多くよくわかりませんでしたが、ロッテルマン塩倉庫であった元の建物が立派に再生されていました。
その後訪ねたのが自然史博物館。ここは、3階建ての建物で、中には動植物・岩石の展示とともに、動植物の性に関する特別展が開かれていました。
その後時間が余ったので、午前中に開いていなかった、聖カトリーヌの小路や、職人たちの中庭などで工芸品などを見て宿に戻ると、3時半を過ぎていました。
一休みした後、夕食には、ネットで有名な、RATASKAEVO16というレストランでサーモンステーキを食べました。戻る時は日が暮れて、結構寒くなっています。
今日は、6つの博物館を回りましたが、これだけ回ると、タリンカードを買ったほうが安上がりになりました。次からの滞在では、検討しようと思います。宿に戻り、片付けと、明日、ラトビアのリガに移動する準備です。
タリンからリガへ 【バルト三国の旅4】2019年3月14日
今日は、タリンからエストニアのリガに移動します。朝食後チェックアウト。トラム2番でバスターミナルへと移動。9時のバスで出発しました。バス代23ユーロ、4時間半のバス旅です。国際線なので、チケットを購入するときにパスポートのチェック。バスは快適で、トイレやコーヒーのほか、各席に飛行機についているような個人ディスプレーが付き映画や音楽などが楽しめます。さらにWiFiも無料。座席も広いし、ここまで進化しているのか、と驚くばかりです。
外はまだ冬景色。真っ白な原野や林、そして農地の中を進み、途中1回停車しただけで、エストニアのリガに1時半に着きました。バスターミナルから15分ほど旧市街を行くと、予約していた宿に着きました。ただ、途中、石畳が多く、荷物を運ぶのには苦労します。
チェックインののち、一休みして、今日は、とりあえず街を大まかに一回りしてみます。もらった地図のおすすめコースをぐるっと回りました。
大聖堂からスタートして、3兄弟といわれる年代の違う3軒の家、聖ヤコブ教会、かつての城壁と火薬塔そして、リガのシンボルの自由記念碑では、衛兵の姿がありました。さらに国立オペラ座を通り、ガレリヤセントラルのモダンなショッピングセンター、シナゴーグ、聖ペテロ協会、ブレーメンの音楽隊の銅像、ブラックヘッドの会館と回って、旧市街を一周。その後買い物に行き、帰りに雨がちらついてきましたので、4時過ぎに宿に戻りました。
今日は外に出ないで、明日の計画をして、明後日以降のリサーチと準備をします。
リガの街を回る 【バルト三国の旅5】 2019年3月15日
昨日に引き続き、リガの街を回ります。昨日、大まかな街の様子をつかんでいたので、今日は、いくつかの博物館と、昨日見ていないところを回ります。
朝まず行ったのが、新市街にある、ユーゲントシュティール建築群。これは、アールヌーボーのドイツ語。19世紀後半にヨーロッパを席巻したアールヌーボー(新しいアート)のリガ版ですが、新市街の一角を中心に、この様式の建物が集まっている地域があります。その通りを通ってみると、過度に装飾された、曲線や植物文様などに飾られた建物がずらり・・・。一つ一つは個性的な建物です。ここにユーゲントシュティール博物館があり、中は小さいですが、当時の暮らしぶりやリガのアールヌーボー様式の建物がたくさんあることなど展示されています。
次に向かったのが、国立美術館。堂々とした建物で、中には、近代からのラトビア人作家の絵画が展示されています。
それから、ラトビア占領博物館。ここには、とくに、建国後のソ連とドイツによる占領の歴史に関する展示がされています。
この国(バルト3国)の歴史をざっと見ると、15世紀にハンザ同盟の都市として独立していたのですが、その後、周りの列強国による占領の歴史でした。ポーランド、スウェーデン、ロシア、ドイツ。そして、第1次大戦後の1918年に独立しますが、22年後の1940年にまたもソ連、ドイツ、そしてまたソ連に占領され、1991年に再度独立し今に至っている、「占領の歴史」なのです。日本にいる我々にはなかなか感じられないのですが、独立国であることの大切さを知っているこの国の人たちが、その歴史を伝えていくための施設です。
昼食ののち、訪れたのは、国立歴史博物館。ここは、石器時代から始まる、古代、中世、近世、近代の歴史が展示されています。特に4階は近代史で、先の博物館と重なるところです。
次に行ったのが、自然博物館。世界の地質や動植物の展示のほか、ラトビア特有の動植物の展示があります。火山の展示の中に、雲仙と桜島の名が出ていました。
その後、バスターミナルに行き、明日の切符を購入。その裏にある、中央市場を覗きました。この市場は、この近隣の国の中で一番大きいそうですが、とにかく広い敷地の中に大きな建物がいくつもあり、その広い空間が、市場になっています。肉屋が100軒ほどある建物、八百屋の建物、魚屋の建物などおびただしい数の店が出ています。
それから、「猫の家」の猫を見て、大聖堂に行きました。中に入ると、大きな空間です。リガの歴史を描いたステンドグラスや巨大なパイプオルガンなどがありました。
この大聖堂の裏に、リガの歴史と海運博物館があります。特にハンザ同盟の時期からの詳しい資料があります。歴史の博物館を3つ見てきましたが、焦点はそれぞれ違っていても、他国に占領された歴史を後世に伝えようという意気込みを感じました。
夕方になったのでホテルに戻り休憩。その後夕食、記録のまとめをし、明日は4番目の国リトアニアのシャウレイに9時のバスで移動します。
リガからシャウレイへ 【バルト三国の旅6】 2019年3月16日
リガを出て、南のリトアニアへ向かいます。この国は、歴史の古さに比例して、見所がたくさんあります。今日行くシャウレイは、北部の中心だったところ。先の大戦で市街地が破壊されたので、昔の建物が残っていないとのことです。
今日は、朝リガのバスステーションを出て、バスでシャウレイに向かいます。約2時間半の旅程。9時に出たバスは、白樺林や凍った沼のある平地を進みます。1時間半で国境を通過、その後も同じような景色を見ながら2時間過ぎでリトアニア北部の都市シャウレイに着きます。ここでは、少し郊外にある十字架の丘を見るのが目的です。
バス停に着き12番からでるバスの時刻表を見ると、1時間余り後。荷物を預け、昼食。バスターミナルは、大きなショッピングモールの中にあります。
時間になって、バスで18分ほど行ったドマンタイのバス停で降り、15分ほど進むと、案内所・トイレ・売店がありそこから立派な道を5分ほどで丘に着きます。遠くから見えてくるのですが、近づくと、無数の十字架!大きなものから小さなもの、木のもの鉄のもの石のものと多彩です。ソ連時代に何度も破壊されたにもかかわらず今に至っているということです。
帰りにバス停に向かって歩いていると、車が止まりどこへ?シャウレイ、というと、乗れ、とのことで、若者に送ってもらいました。言葉は通じませんが、日本人か、車が好きとのことで会話を交わしながら、バスターミナルまで送ってくれました。最後に名刺をもらうと英語でCheapDriveTouristと書かれており、リガの駅からの送迎などをやっているようです。
その後、預けた荷物を回収しホテルへ。部屋に入り、町の中を見物に行きました。博物館になっている建物に行きましたが、すでに閉館。通りでマーケットをやっていましたが、それも、閉店の時間でした。町並みは、コンパクトにまとまっており、メインストリートは歩行者天国で居心地のいい通りでした。いろいろな彫刻が置かれてあったのが印象的です。
宿近くのスーパーで夕食の総菜とワインを買って、宿で夕飯です。明日は、カウナスに移動します。
カウナスへ 【バルト三国の旅7】 2019年3月17日
シュウレイを出て、カウナスに移動しました。バスで2時間半の旅です。宿は、バスターミナル隣のイビス。
カウナスは、「命のビザ」杉原千畝の舞台となった町です。まず初めに、杉原記念館に向かいます。バスターミナルの近くで坂を上った高台にあります。近くに行くと、あと100mの小さな看板があり、進むと右側に入り口の看板があり、ドアに受付時間の看板がありました。が、中には誰もいません。調べてみると、休館日はないはずですが、冬季の土日が休み。残念です。旧日本領事館だった建物は手入れがされています。玄関には「希望の門、命のヴィザ」という門柱がありました。周りは静かな住宅街です。
あきらめて街に戻ります。独立広場にある聖ミカエル教会はとても大きな建物です。ここから、ライズヴェス通りが始まります。メインストリートで両側に店が並んでいますが、あいにく今日は日曜日で、閑散としています。おまけに通りは工事中。
通りを進むと、名前をヴィリニアウス通りと変え、聖ペテロパウロ教会を過ぎ、旧市街の中心、市庁舎広場に出ます。ここに、カウナス市博物館があります。旧市庁舎がそのまま博物館になっています。市の歴史の展示や、白鳥といわれたホール。タワーの上まで120段の階段を登ることもでき、時計の機械室の外に景色も広がっています。
ここから、戦争博物館を見学。膨大な数のいろいろな種類の武器が展示されています。これらの展示を見るたびに、これを作るのに費やされた莫大な富のことを思うのです。
次に向かったのは、メトロポリスホテル。ここの壁に「1940年8月28日~9月4日まで滞在した杉原千畝は「命のビザ」を発給し続けた。」と書かれたプレートがあります。
そのあと、チュルリューニス美術館へ。ここは画家・作曲家のチュルリョーネスの作品が多数展示されています。建物は、新しい立派なものです。絵のほかに写真や工芸なども展示されています。
宿に戻り、買い物をしました。ビールとワインを買おうとすると、「これは売れない。時間だ」と。なんだか狐に化かされたような話ですが、調べてみると、2年前にこの国では、日曜日には午前10時から午後3時までしか酒類は売れない、という法律ができたそうです。まあ、いろいろありますが、国を挙げてこういう規制をしているのは初めてです。
明日は、駅にあるもう一つの記念碑を見て、ヴィリニュスに移動します。
ヴィリニュスへ 【バルト三国の旅8】 2019年3月18日
カウナスを7時半の列車で出発しました。ベラルーシ領事館の申請が午後1時までとなっているからです。その前に、駅舎にあるという、杉原千畝のプレートを探さなければなりません。表側を全部見ても見つかりません。切符を買ったカウンターで、「スギハラのプレート」といってもわからないと。英語が通じてないせいかもしれませんが・・・。
ホームの側に出た時、見つけました。ヴィリニュス行きは11番線から出るのですが、その途中の壁にありました。「杉原千畝は1940年9月4日にカウナス駅を出発するまで『命のビザ』を発給し続けた。」と書かれていました。
ヴィリニュス行きの列車は、2階建てできれいな車両です。急行は1時間15分で到着します。途中、2駅停車するだけです。
ヴィリニュス駅で、ミンスクまでとキエフまでの切符を買いました。担当者が英語がわからず、手帳を見せ、紙でやり取りしながら、ようやく買えたのが、20日朝6時ヴィリニュス発と、20時40分ミンスク発キエフ行きの切符です。これで第一関門突破。
予約していたのは、駅前にあるパノラマホテル。これは大当たりだと思います。とにかく駅に近い。ついでですが、部屋からの眺望は最高です。チェックインすると、9時過ぎなのに部屋をくれました。荷物を置いてベラルーシ領事館に向かいます距離が2.4㎞なので歩いても十分間に合うだろうと、iPhone頼りで歩きます。
小雨が降る中を歩き、領事館に着きました。前に3軒、ヴィザ屋さんがあります。待っている客が少なそうなので、真中の店に行きました。申請用紙は、あらかじめ日本で「ロシア語日本語表記版」をダウンロードして、埋めています。保険を作ってほしい。フォームのチェックをしてほしい。というと、保険を作ってくれました。さらに、ハンドライト(手書き)では…。というので、フォームへの入力を頼みました。5ユーロかかるそうで、本来手書きでも受理されるはずですが、面倒から逃れるためには大した出費ではありません。
書類ができて領事館の前に行ってみると、小さな屋根の下に、人が群がっています。雨でも何でも、利用者のことなど考慮しないのです。人ごみに隠れて、番号の発券機が左奥にありました。言語を選び、用件を選ぶと番号が発券されます。ちょうどビザの発給の開始時間と重なったのか、小さな屋根の下に20人ほどが雨をよけて待っています。電光掲示板に、その番号と、窓口番号が表示されると、番号札のバーコードをかざすと、回転ドアに入れるようになっています。
30分ほど待たされて、ようやく中で。窓口が15ほど並んでいて、指定された6番窓口へ。申請に必要な書類(申請書・パスポート・保険・列車の切符とそのコピー)を全部渡すと、職業欄が空白だ、と。書式には、職業を書く欄はなく勤め先とその住所となっており、そのすべてにN/Aとしたのですが、不備だそうです。RETIRDと書くと、上司と相談に行き、OK。こういう場合、ex-teacherと書くほうが良いのかもしれませんが、とにかく、明日の14時から16時の間に取りに来い、となりました。
領事館を出たのが11時半。2時間余りかかりましたが、第2関門突破。ベラルーシは、なかなか遠い国です。最近は飛行機で行くと数日間トランジットビザは免除されているようですが、隣国からの入国者にはガードが堅いようです。雨の中、小さな屋根の下で、ビザの順番を待っていると、ふと、杉本千畝のビザ発給を思い出しました。大使館領事館というのは他国人にとってなかなか壁が厚い。
午前中が全部これでつぶれてしまいましたので、旧市街のほうに向かいます。途中、中華料理屋があったのでランチに焼きそばを食べました。
そのあと、旧市庁舎広場にあるiをたずねて、ここから旧市街をぶらぶらします。教会がたくさんありロシア正教会、聖ヨハネ教会、大聖堂、と続き、王宮に出ます。右の小高い丘には塔が立っています、リトアニア国立博物館に行きましたが、今日は月曜日で閉館。また旧市街を駅のほうに戻りました。
帰りも、聖ガジミエ教会、聖テレサ教会、夜明けの門と続き、鉄道駅に戻りました。買物をして目の前にあるホテルに戻ると4時。今日の行動はこれで終わりです。
ホテルの部屋から、ヴィリニュスの街がよく見えています。天気は回復し、夕焼けが見えてきました。やはり雨の中の旅は、気疲れします。明日は、とにかく午後2時から4時の間にヴィザをもらわなければ、旅行が続きません。疲れた一日でした。
またカウナスへ 【バルト三国の旅9】 2019年3月19日
今日は、ベラルーシ領事館に午後2時~4時の間に、ビザを取りにいかなければなりません。明日の朝は早いですから、ヴィルニュスでの残りの時間をどう過ごすか決めなければなりません。カウナスで杉原記念館が休館だったことは2日前に書きましたが、なんとも残念でした。今回のバルト3国の旅で、カウナスの杉原千畝の跡を訪ねることはとても大事なことだったはずです。
幸い、ヴィルニュスからカウナスは、1時間余りで行くことができます。今日の午前中の時間を、杉原記念館の再訪に充てることは、時刻表を調べると可能です。ということで、今日は昼までに、カウナスを訪れることにしました。
ヴィルニス駅で往復切符を買い、9:35の列車に乗りカウナスへ。列車は定時の10:58の到着。あと1時間半の猶予があります。
記念館の場所はわかっていますので、列車駅から15分ほどで記念館。玄関あたりを修理しているのか、人がいて、一安心。入口のボタンを押すと、若い娘さんが応対してくれました。一人で、ホールで映像を20分ほど見ました。そのあと、小さいですが、館内を見て回りまし。当時をほうふつとさせるような空間でした。いただいた「杉原千畝本」というパンフレットは、とてもセンスがよく、要点がしっかりまとまっていました。早稲田大学の学生さんが作ったとのこと。
新しく認識したことは、杉原の行為は、幾人かの外国の外交官の行動に呼応してのことだったということです。そもそも、オランダのキュラソーへのビザを発行したオランダの外交官のした行為がなければ、日本の通過ビザというのはあり得なかった、ということに気がつきました。ナチスに立ち向かう人たちの一環だったということです。
短い時間でしたが、記念館を見て、リネンの袋と蜂蜜を買って、カウナス駅に戻りました。発車直前に列車に乗り込みましたが、いい判断だったと思っています。
その後1時間余りかけヴィルニュスへ。そこから、ベラルーシ領事館に行くと2時半でした。今度は、入り口ではスムーズには入れ、ビザを受け取りました。これで第3関門突破です。あとは国境での入国手続き。これは明日のことです。
3時前に、ビザの入手が終わったので、昨日行きそこなった、国立博物館と考古学博物館、それに、丘の上の城博物館に行きました。小さな国で、独立からの年も浅いせいか、展示物の数は豊富といえませんでしたが、この国の博物館、というのを感じました。特に丘の上から景色は、絶景ですし、塔の中のホールでやっていた、独立につながった「人間の鎖」の映像には、心動くものがありました。
天気が突然悪くなり、あられ模様になったので、1ユーロ払ってバスで駅に戻り、買い物をして宿に帰りました、
さて、準備も整いましたので、明日は、今回の旅の中で、一番ハードでかつ、初めての体験のベラルーシ:ミンスクへの旅になります。朝、6時発の列車でスタートです。
ベラルーシのミンスクへ 【バルト三国の旅10】 2019年3月20日
いよいよ、今日は、ベラルーシのミンスクに向かいます。いわゆる「東側」の国で、いろいろと面倒な国です。これまで4回入国したことがありますが、いずれもいい思い出がありません。
今回は、現地でビザを取る、ということまであって、苦労してここまで関門を通過してきました。その仕上げ、入国です。
6時の列車に乗るので、朝5時に起きて準備です。5時半に駅に行ってみると、プラットフォームが示されています。指定番線に向かうと、途中でパスポートコントロール。リトアニアの出国手続きです。これは何でもありません。パスポートを出すと、顔を確認してスタンプを押してくれます。
6時定刻に列車は出発。列車はリトアニアの最新列車で、快適です。ディスプレー表示もあり、列車は100㎞/h以上の速度で走ります。2階建ての下の座席だったのですが、なんとこの車両には、一人しか乗っていないのです。
国境の駅で列車は停車。ベラルーシの国境警備兵が乗り込んできます。ヴィザは取ってあるので何も問題ないはずですが、何が起こるかわかりません。荷物を開けろ、というので開けたら、パッと見ただけで、よし。入国目的は何かというので、ウクライナに行くためのトランジット、といい、当日夜の切符を見せると、これもOK。パスポートを出すと、2人の警備兵が、拡大鏡をもって、パスポートのいろいろなページを調べています。偽造しているのではないか、疑っているようです。日本のパスポートは見る機会があまりないからなのかもしれません。調べる人数は少ないし時間はあるしで、数分間、二人で調べていましたが、最後に、よし。まあ何があるかわからないので、疲れます。かくしてベラルーシの入国審査終了です。
その後、列車は順調に進み、定刻にミンスクへ。といっても、時計と1時間違います。これはベラルーシが日本と時差6時間、リトアニアが7時間の違いです。そのことに気が付くまでしばらくかかりました。
ミンスク駅は、近代的な建物ですが、リトアニアからの列車は、その駅の外れに着きます。駅に行ってまずお金。この国の通貨ループル(ベラルーシルーブルBYN)を手に入れないといけません。探してもATMが見つかりません。インフォメーションの人に聞いても英語はさっぱり通ぜず、電話をかけて、受話器を渡されました。向こうで英語をしゃべっています。用件を言うと、とても早口で何かを言っているのですが、さっぱり聞き取れません。結局情報は得れずじまい。両替を見つけたので、そんなに多く使う気はないので20ユーロ渡して47BYN手に入れました。街に出ると、ATMはあるのですが、なぜか駅にないのです。
次に行うのは、荷物預かり。これまた荷物の記号はあるのですが、それらしき場所がありません。その場所にあるドアにキリル文字の下に小さく「ラゲッジオフィス」と英語が書かれたのです。重たいドアを開けるとそこは広い空間に。さてどうするのかわからないので、ぐるりと回ると、「カッサ」と書かれた窓口があります。ここでは、荷物を扱う人は、お金を扱わないのです。これも、かつてのソ連やチェコを旅した時に見てきたこと。お金を払うと、レシートをくれ、それを窓口に持っていくと、荷物の引き換えのプラスチック札をくれます。言葉は一切通じませんが、時計を指さしていました。そうか、いつ取りに来るか聞いているのだ、と時計を指さし、ぐるりと1周したところで止めると、OK。とにかく何をするにも時間がかかります。
ようやく街に出て、ツーリストインフォメーションを探しに行きます。途中、一番の大通りを通っていくと、大きな建物の前にレーニン像があります。レーニン通りの名前もあります。ツーリストインフォメーションは建物の奥のほうにかしこまるように置かれたオフィスにお姉さんが座っていて、英語で応対してくれました。オフィスは狭く、これが需要の大きさかな、と感じました。この国では、ツーリストインフォメーションの需要は多くないのだと。
もらった地図を見ると、徒歩のおすすめコースの線が引いています。しめた、これを辿ると、一応のポイントは見られると、この線に沿って歩くことにしました、ただし、地図とは逆順です。
まず、一番遠い、大戦争博物館から。入場料8BYN(50倍すると¥だから400円)実に大きな建物に先のドイツとの戦争の様子が延々と10室にわたり展示されています。空間が大きいので戦車や自動車や武器など実物が展示されていす。それにしても、生々しい迫力です。子供たちが引率されて団体で入っていました。
それから、体育館脇を川沿いに歩き、涙の島、オペラ座、テレビ塔、勝利の塔、劇場とすぎ、美術館、歴史博物館を経て駅に戻ります。
11時40分までに時間があるので、歴史博物館と生物部門を見て、美術館では、ダリの特別展を見ました。ダリは不思議な絵を描くことは知っていましたが、彫刻物を作ることは知りませんでした。見ていて面白かったです。
夜11時まで待つと、列車がわかりましたので、乗り込みました。昔からの寝台車ですが、人数が少ないのか、下の座席だけ使っていたので少し広々しました。日が変わっての国境通過は、また明日。
ウクライナのキエフへ 【バルト三国の旅11】 2019年3月21日
昨夜ミンスクを出たキエフ行きの列車は、3:40国境の駅で停車。ベラルーシの国境警備兵により出国審査が行われます。これまでヨーロッパで夜行列車に乗った経験では、大昔は、国境を超えるとき、車掌がパスポートを預かって、朝スタンプが押されたものを配っていました。EUになってからは、スタンプを押すことすらありません。実質の国境通過の儀式はなくなっています。しかし、東ヨーロッパでは、昔のままです。
列車が停車する前に、明かりをつけて車掌が触れ歩きます。ベラルーシの国境警備兵が乗り込んできて、まず初めの一人が。荷物を出して開けろ。開けるとざっと見て、よし。次にパスポートを見せろ、というので見せたら、返してくれました。これで終わりかと思ったら、読み取り装置を持ってきた2人組がパスポートを見せろ。この前と同じで拡大鏡で眺めたり、ひそひそ話したりと、余り心地はよくありません。機械に通した後、返されて初めてほっとしました。
それから約4時間でキエフの駅ですが、うつらうつらとして、なんだか寝たような気がしません。キエフ駅で、ウクライナの入国審査がありますが、こちらは、すんなりと通過し、列車を降ります。
駅では、ATMがあり、この国の通貨フリブニャUAHを手に入れます。1UAH=4円くらいですので500UAHとしたら、札が1枚出てきました。これでは、買い物できません。2000円くらいですが・・・・。
予約していたイビスホテルに行くのですが、ここで駅の両側にイビスホテルがあると知らず、別のホテルに行ってしまい、教えてもらい逆戻り、ということで小一時間無駄にしてしまいました。予約していたイビス駅店に行くと、アーリーチェックインだとかいうシステムで宿泊料金の三分の一位近い特別料金がかかる、といわれました。長年、ヨーロッパのホテルを使っていますが、こういうのは初めてです。部屋が空いていればすぐチェックインできたし、空いていなければ荷物を預けて待ってくれ、という対応でした。夜行列車で来たので、シャワーを使いたく、OKしましたが、ちょっとひどい。この店だけでなく、同じシステムを使うならば、もうイビスは使いません。
とにかく、追加料金を払って部屋に入り、シャワーを浴び一休み。それから街歩きに出かけます。ここでの第一番目は、チェルノブイリ博物館です。ここにしかありません。昼前に宿を出て、てくてく街を見ながら歩き、途中で、ブランチ。高そうなレストランに入り、キノコのスープとボンゴレパスタとビール。それで500UAHですから×4で2000円でこの国の物価が安いのがわかります。
食事ののちに、アールヌーボーの建物や黄金の門、ソフィア大聖堂、アンドレイ教会と美しい建物を見ながら歩き、丘の上からドニエプル川を見て、出店が並ぶアンドレイ坂を降りしばらく行くと、チェルノブイリ博物館です。
この博物館では、日本語のオーディオガイドがあり、借りました。展示物は、主に2階のフロアですが、オーディオガイドは、実に詳細に説明してくれます。この博物館は、元は、使われていない消防署の建物だったのですが、チェルノブイリ原発事故の処理に従事した消防官がボランティアで始めたのを、国立にしたそうです。
展示物は、チェルノブイリの原発事故がどのようにして起こったのか、そして、それに対応した人々の活動がどうであったのか、という事実を詳細な資料で語っています。特に、この活動に従事した多くの原発技術者、消防士、警察官、軍人が、放射能被害で亡くなって、また障害を持っている事実を伝えています。
そしていま、原発は、石棺に覆われその周辺数百ヘクタールが立ち入り禁止地域となっています。その周辺の長さが160㎞に及ぶといっていました。円ならば半径50㎞の円です。この地域の人々は、3日分の食料と着替えを持て、といわれて避難したのですが、そのまま、家に戻ることができなくなったとのことでした。影響は、ヨーロッパ全域に及んだことが展示物からもわかります。
これらの話をオーディオガイドで2時間近く聞いて、いろいろ考えさせられました。福島は、除染して帰還できるとしていますが、チェルノブイリの実情を見ると、本当に大丈夫なのか?とはなはだ疑問です。
また、事故の原因ですが、当時のソ連政府は、原発操作の誤り、ということで当時の従業員を懲役刑にかけたようですが、刑の途中で、釈放しています。そして、今や、原因は、構造的な欠陥であったとされています。福島の事故では、原因が、災害のせいにされて、だれも責任を取っていませんが、本当のところどうなのか? そして、子供たちのことが重要なテーマの一つになっていますが、日本ではどうなのか。今、世界中で原発が見直されている中、再稼働を進めている日本の姿勢は、世界の趨勢から言って許されるものではないと思います。
いろいろ考えさせられましたが、最も大事なことは、ここが国立博物館になったということで、国がその姿勢になっていることです。日本では、こうした施設が作られるのでしょうか?現状では、とても無理ですが、将来にわたって伝えるために、に日本でもこういう施設が必要だと思います。
帰りに、国立歴史博物館に寄りました。さすがに歴史ある大国だけあって、建物と同時に中の展示物もたくさんあります。初めに、石器時代からの歩みを見て、次の展示に移るようにしています。地図を見ると、黒海の沿岸から始まったようです。やはり、過ごしやすい気候と土地があったせいかもしれません。
それから、中世、近世とこの地域は同じような歴史を経ていますので、展示物の中身も同じようなものがありました。現代のところに、赤を基調とした争いをイメージする、気味の悪い部屋がありました。ウクライナは、現在クリミヤ半島と付近の地域でロシアと戦争状態が続いています。そういうことの反映かもしれません。
夜行列車であまり眠れずに来たので、少し早めに宿に戻ります。フロントに、明日のタクシーの予約と、夕食にピロシキやボルシチを食べたいが…と聞くと店を教えてくれました。その店は、対面方式で注文し、最後に清算という方式で、この地方の食べ物が目の前に見えるので、とても分かりやすいです。ボルシチとピロシキその他を食べました。
宿に戻り、記録を整理しましたが、さすがに昨夜の夜行の疲れか、眠くなり、明日も7時に宿を出て空港に向かうので、早めに寝てしまいました。
ポーランドのワルシャワへ 【バルト三国の旅12】 2019年3月22日
キエフのホテルを出て、タクシーは、10分もかからないで空港へ。キエフには、国際空港は新しい(遠い)ものと古い(近い)ものの2つがあり、今日乗るWIZZーAIRは、LCCで、古いほうのジュリャヌイ空港から飛びます。タクシー代は300BYN≒1200円ですから、安いものです。残ったBYNでお土産を買いました。
9:00少し遅れて離陸し、1時間半のフライトでワルシャワです。ちなみに、鉄道やバスですと12時間ほどかかるようで、夜行を続けるほど体力はありません。料金は少し高いですが、それでも数千円高いだけ…。少し遅れて、9:40(時差1時間)到着。
ここまで順調だったのですが、入国審査で大渋滞。話には聞いていたのですが、ウクライナからポーランドへの「出稼ぎ」のゆえに、このフライトの審査は厳重なのです。しばらく待っていましたが、EU用の窓口が空いたので、さっと行ってみると、すんなり通してくれました。あのまま並んでいると、1時間では通れないでしょう。荷物を取りに行くと、ベルトが回っていません。しばらく待って、事務所に行くと、隣のオフィスへ行け、といわれ、探してみると、10数個ほどが置かれています。LCCは荷物料が高いのであまり使っていないのでしょう。そこで荷物を受け取ると、約1時間経過していました。ATMを見つけてこの国の通貨を200ズロチ(≒6000円)おろしました。これで通貨は4つ目。感覚がついてこずまごつきます。この国では、×30で日本円。
鉄道で行こうとラインをたどってプラットフォームに行くと、券売機はありません。仕方なく戻って通路にあった機械で切符を購入。いろいろな切符を売っている機械のようで、メニューがたくさんあり、まごついてしまいます。ようやく切符を買って列車に乗り込むと、すぐ発車。古い車両で、ディスプレーはあっても、宣伝ばかりで、駅の情報はアナウンスだけ。首都の空港を結ぶ路線にしてはそっけないものです。
ようやく中央駅に着いたのち宿へ。まだ部屋は空いてないとのことで、荷物を預けてランチを食べに行きました。物価は安いです。スープとバーガーのランチ、ビールを頼んで30ズロチ(≒900円)宿に戻ると、部屋に入りました。一休みして、街歩き。ワルシャワは今回で3回目ですので、おおよそのことはわかっています。 旧市街にぶらぶら歩いていき、見覚えのある景色。大統領府の前を過ぎ、王宮、旧市街広場と過ぎていきます。前回来た時、改装中だとかで入れなかった、マリーキュリー博物館が開いています。入り口に小さく書かれているだけで、民家と間違えてしまいそうです。
ノーベル賞を2回獲得した、女性研究者の先駆けともいえるマリーキュリーの業績は有名ですが、ポーランドでの生い立ちなどが展示されています。それを見ると、時代を切り開いていった女性、というのを実感できます。ノーベル賞を受賞した学者が、後に教授になりますが、大学の講師でやとわれていた時代だったようです。マリア・スクウォドフスカ=キュリーという、長い名前ですが、ポーランド人だ、という誇りを込めて、説明に使われていました。
旅もそろそろ終わりですが、疲れも感じるので、宿に戻ることにして、帰りにスーパーに寄ると、カップ焼きそばとラーメンを売っていました。今回の旅で初めて、電気ポットのある部屋でしたので、飽きてきた外食の代わりに、食べることにしました。支払いは現金でしましたが、今日一日、お金を使う場面では、ほとんどカードで足りるのです。キャッシュがなくても不自由しない時代になっているのを感じました。
時差が1時間あったので、今日は1日25時間の日。早めに寝てしまいました。
ワルシャワ2日目 【バルト三国の旅13】 2019年3月23日
ワルシャワ第2日目は、午前中、国立博物館を訪ね、午後は知人と会う予定です。博物館の開館時間まで時間があるので、明日の予行で、駅まで行って列車の確認と切符の購入。ワルシャワ中央駅Centralnaまで行き、列車の発車時刻10時2分4番ホームを確認し、切符を購入。6.1PLNでした。駅は、「スターリンの贈り物」といわれる文化科学宮殿の近くにあります。この建物は、街のいろいろなところから目立つので、街歩きには便利です。同じ建物が、リガでもミンスクでもキエフでもありました。ソ連の支配下にあったころの歴史の遺産です。
その後、駅の隣のショッピングセンターを見て歩き、時間になったので博物館へ。博物館はとても大きな建物3棟からなっています。中央にある入り口から入るとチケット売り場。20PLN。荷物を預け、回り始めます。3つのフロアーに石器時代から始まり、中世、近世の絵画や工芸品がずらりと並びます。現代の物品の展示もあります。特に大きな戦争の場面を描いた絵が数点。その他、多くの絵画が展示されています。宗教画の展示も多い。それとは別に、アスワンダムの湖底に沈む運命だったスーダンのFarasの9世紀から12世紀までの遺跡を展示しています。
時間になったので、ホテルに戻り、知人と待ち合わせ。彼女は、かつての教え子で、現在ポーランド人と結婚、ワルシャワに住んでいます。2006年に、この国の最高峰リシーに登りに来た時に会って以来13年ぶりです。9歳になるお子さんを連れてきていました。実は、2016年冬にポーランドに来た時にチャンスがあったのですが、彼女の発熱で会えずじまいでした。
3人で、ポーランド料理を、ということで、Zapiecekというポーランド料理のチェーン店に入りました。スープと3種類のピエロギ(ポーランド風餃子)を食べました。一皿に十数個乗っていて、ボリュームたっぷりです。
食事ののちに、ワジェンキ公園に散歩に行きました。公園には、春の花が咲き始めていました。いつもより早いそうです。先週雨だったそうで、例年になく芝生が青々としているとの事でした。紅梅の花が満開でした、池には鳥がたくさん泳ぎ、リスの姿も見えました。ワジェンキ宮殿では、TOHOKUというイベントをやっていました。震災後3月に行われているそうです。
広い公園の中を散歩した後、ショパンの像がある広場で一休み。ベンチで、お土産にリクエストされた梅干しの話になり、娘さんが、おいしいと食べてくれました。何やら不思議な光景でした。その後町中に戻り、お別れしました。ちなみに、お土産のリクエストをしてくれと頼んだところ、ふりかけと梅干だったのです。この国では、梅の実は手に入らないので、代わりを使ってやってみたが駄目だった、ということです。蔵王町の農家のおばさんが作った梅干しがワルシャワまで渡りました。
これで、今回の旅ですることは全部終わりました。あとは明日の朝、空港に移動し、帰国便に乗るだけです。ヘルシンキ経由で成田に25日の朝10時到着の予定です。
帰国 【バルト三国の旅14】 2019年3月24日
いよいよ帰国する日になりました。ワルシャワ空港を午後1時5分の便なので、ゆとりをもってホテルを出ます。列車の時間と発車ホームは調べていますし、切符も買っていますので、ゆっくり出発。チェックアウトを済ませて駅まで10分、ワルシャワのシンボル・文化科学宮殿の脇を通り中央駅へ。
ホームの真ん中付近で多くの客と待っていると、やってきた列車は4両の短い編成で、ホームの先まで行って停車。慌ててホームの先までかけていきました。あぶないあぶない。
空港に行きチェックイン、バゲッジドロップを済ませ、残ったPLNで、サンドイッチを買って、それが昼食。時間になり搭乗するも、定刻を過ぎても出発しない。離陸したのは50分遅れ。乗り継ぎ時間は1時間45分とたっぷりとっていたのに、50分も遅れてしまった。途中、放送でミスコネクションが東京行きとロンドン行きに・・・などと言われ、焦ってしまう。出国手続きもあるので、油断できない時間です。
ヘルシンキ空港に着くと、残り30分。大急ぎで、指定されたゲートに急ぎます。出国手続きは、自動化された機械で行い、ゲートに着くと締め切り5分前。ここでもあわただしくなりました。
何とか搭乗しほっと一息。これまで、ミスコネクションやキャンセルで、予定の便に乗れなかったことが2度あります。ワルシャワからは、ポーランド航空の直通便も出ているので、帰りはこれを使うと安心だったかな、とちょっと反省。
何とか機上の人となり、映画を5本見るうちに9時間のフライトが終わり、東京に到着しました。最後はいろいろとあわただしい旅の終わりになりました。
今回の旅を振り返ると、訪れた国7カ国、言語7言語、通貨4通貨、国境の通過方法船1回・バス2回・列車2回・飛行機1回の計6回、アイフォンの記録を見ると、2万歩以上歩いた日10日、実によく歩きました。