はじめに
コロナ禍でしばらく外国旅行ができませんでしたが、ようやく収まった2024年春に、オーストラリア縦断の鉄道旅行に出かけました。これは2007年にオーストラリア横断の鉄道の旅ののち、いつかは・・と心にえがいていた旅行でした。オーストラリアの旅(1)東京まで 2024年3月30日
久しぶりに、外国旅行に出かけます。目的地はオーストラリア。ここでは太平洋からインド洋に至る大陸横断鉄道というのがあります。2,007年春に乗ったのですが、その時にオーストラリアには大陸縦断鉄道というのがある、ということを知りました。それから、機会があれば…とずっと思っていたのですが、17年もたってしまいました。コロナでこの4年出かけないでいましたが、この機会に、と踏み切りました。
明日のフライトが、朝8時半なので空港近くに泊まっていないと間に合いません。今回は羽田空港発です。そこで京急蒲田近くの宿に行くのですが、昨日、東北新幹線が半日停まりました。安全策で9時前の新幹線で白石蔵王駅スタートです。
順調に進み、11時前に着いたので、時間つぶしを兼ねて、上野公園に行きました。荷物を預けようとしたら、コインロッカーは満員。しかたなく、科学博物館に行くと、空いていました。なお、初めて知ったのですが、科学博物館は65歳以上は無料!!恩恵にあずからせていただきました。ただ、春休みの土曜日で子供連れでこの博物館は満員。食事もできそうもありません。
そこで、荷物を置いたまま、国立博物館に行きました。なんとここも70歳以上は無料!!入場してみると、子供連れはいないのですが、東洋館の食堂は30分待ち。中尊寺金色堂が特別展で、それを見る行列が延々と伸びています。
屋台が出ていて、そこで「三大焼きソバ」だとかいう富士宮焼きそばを食べました。その後法隆寺宝物館に行くと、人はパラパラ。それから庭園を一周すると、桜がしっかり咲いています。のどかな日になりました。本館、東洋館をみてから、荷物を回収し、今日の宿へ。3時過ぎにチェックインしました。
明日はホテルを6時に出て、空港です。
オーストラリアの旅(2)羽田からシドニーへ 2024年3月31日
5時半に起きシャワー・荷造り、このホテルの1階では、うどんとカレーのサービスを行っていますすので、それをいただいて朝食代わりにして京浜鎌田から出発しました。
駅からは10分に1本くらい空港行きが出ていて、あっという間につきます。
今回は、羽田空港第3ターミナルからの出発でしたが、この第3ターミナル、使った記憶がありません。国際線も成田から使いやすい羽田にシフトしているようですが、朝早くてどうせ前泊するなら、空港への送迎サービスの良い成田の方が使いやすく感じます。
第3ターミナルから出国手続きを経てゲートへ。8時前にすんなりと乗りました。カンタスは、搭乗券予約後、しきりに座席指定を勧めます。乗ってみるかと今回の4便に座席指定をしました。帰りのシンガポールからの便は日航の共同運航便ですから、カンタスは3便分ですが、しっかり6000円の請求が来ました。2000円で10時間近い時間を快適に過ごせるなら、これもありでしょうか。
ちなみに、乗機してみると、通路側のB席を希望したのですが、隣には誰も来ず、それなりに快適に過ごせました。座席による快適差もいろいろありますが、このところ、通路側のB席が気に入っています。隣人を気にせずトイレや運動などに行けるからです。かつては窓側の展望を求めていましたが、最近は少し変わってきました。。
さて、9時間半のフライトは、かつての時代と異なり、いろいろなジャンルの映画見放題、本を読む暇もありません。今回も4本ほど映画を見たらシドニーです。
久しぶりのシドニー空港ですが、ずいぶん雰囲気が変わっていました。通関の厳しさは昔通りですが、一番大きく変わったのが携帯電話のSIM屋さん。この前のニュージ-ランド旅行でそのうまみに触れましたので、今回も、すぐに、最大手のOPTUSの電波を使う会社のシムを入れました。「15日間、チーペストプラン」というと、25$でシムを選んでくれました。さらに、携帯を差し出すと、手続きを全部やってくれます。これまでのシムはなくさないように台紙に張ってくれました。これでオーストラリアで使える携帯になりました。もちろん最安値段ですから、動画の大量ダウウンロードなどはできませんが、基本的な通信網が確立されたわけで、途中で何かあっても、通信手段が25$(15日で3000円、一日200円)で確保ということになります。今から40年以上前のころなら、1週間以上たって届く絵葉書が、「生きている知らせ」ということでせっせと使わせていただきました。その葉書が今やお荷物扱いです。
それから、予約していたホテルにタクシーで行くと、55AU$。日本円にして6000円です。日曜夜の特別料金だとか。タクシーでしかアクセスできない宿を使ったのが高出費になりました。電車を使うと都心のちゃんとしたホテルを取れたはずでしたが今回の計画の甘さが原因です。
4年間外国に行っていないので、いろいろなところの感度がにぶくなっているなという感じの旅の始まりですが、とにかく明日は、この宿を6時半に出て、空港に戻り、ダーウィンにいきます。ここが今回の旅のスタート地点なのです。
オーストラリアの旅(3)熱帯の町ダーウィンへ 2024年4月1日
今日はシドニーから、熱帯の町ダーウィンへの移動です。シドニー空港が朝8時40分と早いので、前日6時半にタクシーを呼んでもらう手配をしていました。10分遅れでタクシーが来て、10分ほどで空港へ。料金はメーターで22$、そういえば昨夜は遅かったのですがメーターを見た記憶がありません。日曜日の夜間料金とはいえ、メーターがあるはずでした。シドニー空港からダーウィン空港まで4時間40分の旅です。
今回は、しばらく旅に行っていないので、フライトにしてもホテルにしても何か外れています。旅の勘というべきものです。フライトで言えば、シドニーは南に下がりすぎで、おまけに大都市ですので、ケアンズ乗り換えにすべきでした。またシドニーは、鉄道が走っているので鉄道駅そばのホテルにすべきでした。旅で何を重視するか、という勘が外れています。
ダーウィン空港に着くと、そこは熱帯。長袖なぞは着ていられません。道行く人は半袖半ズボンの夏のいでたちです。熱帯地方特有のヤシの木や花が咲いています。
シャトルバスがあるという情報がありましたが、運休。ウーバーかタクシーで行けと書いていました。この国では、ウーバーが稼働しているようです。次々とウーバーの車がやってきていました。地元の人は使っているのでしょうが、旅人にはとても敷居が高い。。シャトルバスもこの波に押されたようです。日本も動きがありますが、公共交通の破壊につながらけければいいなと危惧します。この空港からは都心へのバスが不便です。空港内にバス停がないとか、乗り換えないといけないとかです。結局、タクシーで行きましたが、40$かかりました。
着いたアーガスホテルは気持ちのいい建物で、部屋も広いし値段も安い。ここで2泊しますがもったいないくらいです。壁にアボリジニの美術がかかっていました。
一休みして、街の見物。暑い中を歩いていきます。しばらくして、スーパーを発見。昔も世話になったウルワースです。いろいろそろっています。オーストラリアでは、酒はボトルショップでしか買えませんが、隣に併設されていました。
町はそんなに大きくありません。3時間も歩くと、主要なところは見て回れます。ただ暑いです。途中のパブで、バーガーとビールの昼食。
その後海岸に行きました。インドネシアの南のチモール海に面しています。海岸には大きなホテルが並び、公園になっています。そこから見る海は真っ青です。明後日シャトルバスが出るホテルもあります。
帰りに、昼食が遅かったので、スーパーで買い物、ワインもビールも買ってきました。ホテルに戻ってからのシャワーが気持ちがよかった。
明日はもう1日ダーウィンです。
オーストラリアの旅(4)ダーウィンの博物館美術館へ 2024年4月2日
今日はゆっくりダーウィン滞在です。突然熱帯の街に来たので、体調を崩さないように、無理な行動はやめにします。ホテルで朝食の後、ゆっくり9時半に出て、博物館・美術館に行きます。ここダーウィンは、Northan Teritoryという「準州」の州都です。その準州がつくった、博物館・美術館です。
6番のバスで行くのですが、ホテルで時刻表とルート図をもらい、少し行ったスーパーの前にあるバス停からです。乗車時にデイリーという1日券が7$です。一度買うと後はそのレシートを見せるだけ。
10分ほどで博物館前。9時50分に着きましたが、開館時間が10時なので、博物館の周りを散歩。ファニーベイ・海のすぐ近くです。入場無料。
アートの部屋から始まります。いろいろな種類の芸術作品が置かれています。そこから、かつての開拓時代の文物の部屋、そして、海事の部屋、ここにはいろいろな種類の船が置かれています。そして、博物の部屋。いろいろな展示物がありますが、圧巻は蟻塚。人の背より高いのです。
ダーウィンの町が壊滅状態になったサイクロン「トレーシー」による被害とその後の復興の部屋もありました。ダーウィンの町は二度大被害にあったそうですがその一つです。もう一つは第2次世界大戦で日本軍の攻撃を受けた時。その展示施設もあるのですが、今回はパスしました。公共交通機関がなく歩くとだいぶ距離があるためです。それにしても先の大戦中、こんな遠くの町まで進出していたのかと驚くばかりです。
外では入道雲が沸き起こっています。その後、バスで中心街に戻り昼食。そしてスーパーに寄りいったんホテルへ。少し休んでから、FTPにアクセスできないので,町中のフリーWiFiで試しましたがダメでした。この国のWiFiはFTPに接続しない仕様になっているのでしょうか。<帰国後、さくらのサーバーが外国のIPアドレスからのFTPアクセスを禁じていることを知りました。>
最高気温が34℃ですので、明日からの列車の旅に備えて、宿で休養です。
明日は7時すぎには宿を出て、ピックアップポイントに移動し、シャトルバスで列車の始発駅から4日間の列車の旅です。
オーストラリアの旅(5)ガン鉄道の出発 2024年4月3日
今日は4日間のTheGhunガン鉄道(アフガンから連れてきたラクダにちなむ名のようです)に乗る日です。
朝、ピックアップポイントに指定された、ダブルツリーヒルトンに移動。指定時間は8時ですが7時半ころ着きました。そこで、ボーディングカードと荷物タグをもらい付けます。バスは8時前に出発。直接駅に行くのではなく、コンベンションセンターがチェックイン。終わると朝食の用意がされています。朝、ホテルで食べてきたので、コーヒーとジュースのみ頂きました。ホテルの朝食より内容はずっといい。当たり前か。
9時になると、6台のバスで15q程離れたベリマーロード駅まで30分ほど。バスから列車への乗り換えです。入口で部屋番号を告げ、乗車。1人用キャビンは、廊下がくねくなまがった車両です。駅の周りには何もありません。
乗車後、4日間の食事の時間のカード、2,3日のエクスペディションをどれにするか聞かれます。この列車ではオプションでなく、料金に入っています。
10時過ぎ出発。木が繁茂する中を南に進んでいきます。時々見えるアリ塚。白アリがつくるもののようですが、高いものは人の背を超えるものもあります。
12時に昼食。クルーズ船のレストランのように、飲み物係、食事係が別々に注文を取りに来ます。皆同じ制服を着ているので紛らわしい。デザートもそのあと注文を取ります。
食事の後、2時半にキャサリンに到着、ここで、バスに乗り換え、国立公園であるニトミルク渓谷のクルーズに出発30分余りでクルーズ船の乗り場へ。約2時間の船の旅に出発しました。ニトミルク渓谷は、赤い砂岩が川に削られてできた渓谷のようです。砂岩は四角く割れ川からそびえ立っています。
クルーズを終え、バスでキャサリン駅に戻ります。駅舎は簡素な建物で乗降客の少なさを物語ります。
夕食は19時15分から。飲み物、料理、ディナーと進みます。アデレード近くに住む夫婦と話をしました。奥様はマレーシア出身で日本にに一度来たことがあるそうです。1時間半近く食事をして終了。
シャワーを浴びると、ベッドを作り、横になりました。朝早かったので眠れるかと思いましたが夜中何度か起き明け方ウトウトしました。
ガン鉄道の旅の始まりです。
オーストラリアの旅(6)ガン鉄道Day2 2024年4月4日
ガン鉄道の旅、第2日目です。今日はアリススプリングスで下車し、いくつかのコースのエクスカーションに参加します。
天気は快晴、朝太陽が登ってきます。東向きの部屋なので日の出が見えます。6時半から朝食。
9時からスタートするのは、アリススプリング周遊コース。
まず最初に行くのは、「世界で一番広い学校」。ALICE SPRINGS OF THE AIRといいます。1951年から開校し、直径1300qの生徒に最初はラジオ放送で、次第にインターネットを使い教育を届けているそうです。直径1300qというと、日本がそっくり入る範囲。人口が少なく、広大な土地に学校を作り生徒に教育を届けてきたそうです。ビジターセンターには、初期のころ使ったラジオ放送設備などがありました。教師たちは、年に1回は生徒のもとを訪れているようです。普通の学校と同じカリキュラムで行っているそうです。北部準州が設立している学校で、学費も安いそうです。これを考えると、日本の過疎地の教育を維持するくらいなんでもない気がします。
つぎに行ったのが、アボリジニ美術を中心とするアートギャラリー。いろいろな作品が所狭しと並んでいました。
昼食時になると、デザートパーク(砂漠の公園)に行き、昼食です。少し時間があるので歩いてみましたが、ディンゴ(オーストラリア狼?)が飼われていました。ここを一日見るツアーもあったのでそちらの方がよかったかな。
次ぎが、爬虫類センター。オーストラリアに棲息する爬虫類(トカゲ・蛇・わになど)が展示されていました。
最後に訪れたのがアンザスピーク。アリススプリング一望の公園で、種々の戦争の犠牲者が弔われていました。ここから、ガン鉄道の長い車両が見えました。
今日乗ったバスは、前方に頑丈に「武装」しています。カンガルー除けだそうです。
主に町中を回るコースでしたが、自然に触れるコースの方がよかったかと、ちょっと後悔しました。
夕食はバスに乗って移動。着いたところは、アリススプリングス発祥の地である、無線中継施設ヒストリカルリザーブ、ここは、アデレードからダーウィンまでの無線を中継する施設でこの施設の脇の泉の名がアリススプリング。
この中継所隣の大芝生で、300人以上のバーベキューパーティーだったのでした。10人席のテーブルが30近く。こんな屋外のバーべキューパーティは初めてです。ただ、これだけ大規模になると、温かい食べ物などは無理です。乗用のラクダもありました。
バンドの演奏などあり、暗くなると、快晴の空に星が出てきました。天頂付近のオリオン(さかさまです)やシリウス、そして日本からは見えない第2の明るさの恒星カノープスや南十字星が見えました。これは収穫でした。
結構疲れて、列車に戻るとバタンと寝てしまいました。
オーストラリアの旅(7)ガン鉄道Day3 2024年4月5日
ガン鉄道の旅、第3日目です。今日はクーパーピティで下車し、オパールにまつわる見学です。停車した周りには、ホームどころか駅舎もない、看板もない。
出発は8時50分、なんか変です。6時半に行ったのに食堂はがら空き。食事をすませて、やけに時間があるな、と思っていたら、なんと、南オーストラリア州はサマータイムがあり、1時間早くなっている!大慌てで支度し、バス乗り場に行くが少し遅刻。ダーウィンとアデレードは同じゾーンだと思っていたら、伏兵ありでした。なお、サマータイムは明後日で終わるようです(季節が逆、これから冬に向かう)感覚がついていきません。
バスは、荒涼とした中を走っていきます。時折舗装してない道路を砂煙を立てて。小1時間ほどでウモーナ鉱山・博物館に。裏口のようなところから案内されて、講堂へ。そこで30分ほどの話。それから買い物時間。表に待っているバスに行くようです。
オーストラリアは世界のオパールの95%が産出されているとか。ちなみに、オパールは二酸化ケイ素と水の非結晶体の鉱物だとか。乳白色のほか様々な色の鉱物です。展示されたものを見るとわかります。女性は売店に群がっています。
12時少し前に移動。バスは、鉱山の坑道跡に作られた食堂に向かいます。下りるとすぐに坑道入口に案内され、細長い空間をくりぬいた食堂に案内されます。向かい合わせに1列のテーブルが用意され、座ると昨夜隣にいた父娘の隣でした。あとで彼らはテキサスの牧場主だと聞きます。昨日話した元教師だというのも覚えていて、どの学校だと聞かれました。
甘いデザートの食事が終わったころ、移動するよう促され、行ってみると、鉱山の採掘用坑道の中でした。今日のエクスペリエンスではこの行動を掘ってよい、と言われ、行ってみるとハンマーが用意されていました。説明する男が、ブラックライトを当てると、光るところがあり、これが鉱物だといっていました。
それから少し掘ってみました。さほど固くもないのですが、力を入れないと砕けません。砕くと、小さな光る結晶が見えます。石英岩脈のようなところもありました。が、勿論オパールには当たりません。少し岩石の見本と袋に入れ持ち帰りました。どうも基本は砂岩のようです。
そこを出て、展望台のようなところに行きました。それまで、ズリの大きな山、小さな山が無数にあります。その一つ一つに穴が穿たれているのです。それがとても広範囲に広がっているのが、クーパービディの鉱山です。
列車に帰る途中、荒涼とした荒れ地にカンガルーやエミューの群れを見ました。遠くて写真には写らなかったようで、残念でした。
鉄道に戻ると、列車の長さが実感できました。客の車両がA〜NとZ、それに2台の機関車、食堂、ラウンジ、貨物車などついているので、20両編成を越えているようです。
周りは赤茶けた地面に草と灌木が生え、地平線がぐるりと囲んで見えます。
いよいよ明日は終点のアデレードです。
オーストラリアの旅(8)アデレード到着 2024年4月6日
乗車4日目にして、アデレード到着です。その距離およそ3,000q、日本の北端から九州の南端とほぼ同じ距離です。これを4日かけてというと、新幹線で行けば2日かからず行ける距離ですが、昼間はイクスカーションでのんびり進んでいきます。
実はこのガン鉄道、アデレードからダーウィンに行くときは3日です。すると往復で7日で一週間になり、同じ曜日の運行が可能になります。
今日も快晴、朝食はベーコンエッグ。部屋を片付け下車準備。10時50分に到着。荷物をピックアップして11時。実はこの終点の駅、アデレードパークスランズ駅は、隣に鉄道が走っているのに接続しない=駅がないのです。町に出るには10分ほど歩いて地下鉄に乗ることになります。不便なのです。
今日の宿まで5分位なので、タクシーで13$。12時前に着きましたので、宿に荷物を預けてアデレードの中心街を少し歩きます。どういうわけか、アデレードの宿はどこもとても高くて、「クレージー」な値段でした。普通のビジネスホテルが3万以上、5万以上の宿もざらです。なぜでしょう?ということで、久々にホステルです。山の会の人と来ているときはユースやホステルを使いましたが、このホステルでさえ1万2千円。若者であふれかえっています。が、明日の朝6時までの一夜の宿です。
町中にあるので10分ほど歩くと、町の中心に出ました。歩行者天国の通りです。その北側には、大統領府や博物館、美術館などが並んだ区画です。
ちょうど昼なので、南オーストラリア博物館のカフェでフィッシュ&チップスの昼食。すぐ隣にはクジラの骨格標本です。それから博物館内を回ります。この地の特徴を生かした展示です。アボリジニの文化、オパールをはじめとする鉱物標本、大平洋をめぐる諸国の先人たちの文化などです。もちろん、動物標本、海の生物なども置かれています。
次に隣の美術館。こちらは、全体が散漫な印象を受けました。ローマ彫刻もロダンの彫刻もあるのですが、それらと中世の絵画、現代美術が混然となっているのです。ただ、受付の背景にある赤い大地の大きな絵画はこの国らしいと思いました。
それから大学、大統領府、議事堂などの重厚な建物の前を通り、アデレード中央駅に向かいました。この駅も、石材を使った重厚な駅です。
ただ、なぜこの国を代表する大陸横断鉄道、縦断鉄道がクロスする要所にあるのに全く無関係なのです。鉄道より飛行機の発達が追い越して大陸の移動手段となったようです。
両方に乗ってみて、時代とそして鉄道の役割の変化を感じました。とても面白かったのですが。
明日は6時に宿を出て、次の鉄道ジ・オーバーランド号でかつての首都メルボルンに行きます。こちらは、夜行ではなく、朝から夕方までの列車です。
この宿でもWi-Fiに接続できるのですが、FTPに接続できません。したがってアップはたまっていきます。
オーストラリアの旅(9)オーバーランド鉄道 2024年4月7日
今日は、アデレードからメルボルンまで、オーバーランド(The Overland)で鉄道の旅です。
時差の問題、昨日から心配していた、夏時間の問題です。この日をもって終了するのですが、ようやくわかりました。この日の朝、午前3時に時計を1時間戻し、2時にするのです。これで、早かった1時間分がなくなり、中部標準時になります。ただこれが、東部標準時に比べ30分遅れ、というのがめんどくさい。標準時を30分刻みで設定してるのは初めてです。こうしてダーウィンから始まった時計の問題が解決しました。What time is it now?という文が必要な事態があるのですね。
昨夜泊まったホステルは、久しぶりでしたが、やはり若者の宿、という感じでした。アルコール・ノーとは書かれていましたが、朝になるとワインやウィスキーの瓶がありました。それより問題なのは、レセプションが開いてなく、昨日、朝6時にタクシーの予約をしたにもかかわらず、来ないのです。待っていると宿の人と思しき(制服がないので)男性に話しかけられ、事情を話すとタクシーを呼んでもらえ、パークランドターミナルへ行くことができました。日曜日朝ということで料金は倍です。
パークランドターミナルに着くと、人が集まっていました。チェックインに行くと、ボーディングカードを渡されました。車両Bで席(roomとある)27です。
7時20分に乗車、やたらと広い。新幹線規格の幅の車両に横に3席、通路は広々としています。シートピッチも広く、足を伸ばすどころか前席に届きません。ただ、窓の配置とシートピッチが合っていないので、窓の見え方が3種類〇△×です。〇は全部見えます。×は壁になっていて見えません。△はその半分。幸いにも△席でしたので、写真は撮れます。車両は古い。
発車して、地図と時刻表が配られました。停車駅は、たくさんあるのですがほとんどがLOOPです、貨車とのすれ違い用のようです。
朝食が配られました。オムレツとベーコンの簡単なもの。マレー川にかかる橋マレーブリッジ駅で1人乗車したようです。しばらく進み州の境になります。少し進むと、時間の切り替え。東部標準時になります。サマータイム(Dlite Saveing Time:DST)は同じく終了し、シンプルな時間に戻ります。今回、時差とDSTが絡む面倒なことを初めて経験しました。
ビクトリア州に入り、一路メルボルンをめざします。これまでの植生から、小麦畑へと変わります。牛や羊の放牧された牧場もあります。
昼食は、3種類のうちカレーを選びました。長粒米ですがカレーにすると気になりません。
日が暮れるころメルボルンサザンクロス駅に到着。ここでは、宿を近くに取っているので5分で到着。駅にスーパーもありますから便利です。ここで5泊します。
オーストラリアの旅(10)メルボルン1 2024年4月8日
昨日夜にメルボルンに到着しました。こちらは昼間は15〜20℃。数日前には30℃を越える生活をしていたことを考えると、楽です。旅の前半が終わり、5連泊ですから、今日はゆっくり起き、午前中はホテルのランドリー室で洗濯です。毎日、移動でしたから洗濯の暇はありませんでした。
フロントに行くと、コインが必要と両替してくれました。2度目の通貨使用です。20$出すと、1ドルコインを10枚と5ドルを2枚。
地下駐車場のランドリーに行くと、従業員が仕事をしていました。使い方を教えてほしい、と頼みました。昔、船でやったように1ドルコインを4個並べて押し込むと使えるようになります。40分後に行くと、終わっていました。次は乾燥機dryerです。今度は2$、1時間かかる、というので、駅のスーパーに行き食べ物を買ってきました。
戻ってランドリーに行くと乾燥終了です。昼食を取ると1時半を回っていました。そんなに頑張ることないか、と駅に行き、交通カードを買います。ここではmykiというカードです。駅の中にある、パブリックトランスレーションPTの事務所で「myki explorer」というと、カードとケースと地図、路線図、パンフレットをくれました。10$分入っているようです。日本の交通カードは全国共通ですが、旅行者にとっては困ったことに、オーストラリアでは都市ごとに違っています。ニュージーランドもそうでしたが…。
トラムの乗り場に行くと、ここはフリーゾーンと書いています。中心部はそのようで、だれもタッチしていません。
とにかくトラムに乗り、中心街に行きました。フラインダー駅の近くで降りました。少し歩いて通りの名を覚えなければいけません。
駅の通路を通り、川に行きました。ヤラ川です。歩行者用の橋がかかっています。対岸まで行き、ぐるりと回って戻りました。
今度は、アーケードがある方に。いくつかの通りを確認した後、ロイヤルアーケードに出ました。雲行きが怪しくなってきたので、トラムで戻ります。駅中のスーパーでみやげに頼まれていた紅茶と蜂蜜を探しましたが、ありました。チョコレートは、その店に行かないと駄目なようで、今後の課題です。
ちょうど雨が降り始めたので、宿に戻り、1日目の町めぐりは終了。明日からは目標をもってまわります。
オーストラリアの旅(11)メルボルン2 2024年4月9日
メルボルンの2日目です。今日はまずメルボルン博物館へ。雨が時折降っています。
トラムでExhibition通りに行き、いくつかの通りの名を確認しながら王立展示館の広場へ。1880年万博の建物として建てられそのまま残っているそうで、立派なものです。中を見学するツアーがあるそうですが、今回はパス。奥にあるメルボルン博物館に向かいます。
入口は立派なのですがわかりにくい。ちょうど映画館でやっている催しと重なって博物館の入り口の行列が何なのか、戸惑いました。入館料は15$。
南半球第一という広さです。子供連れでいっぱいです。1回左は恐竜。奥の方に岩石鉱物標本がありました。色も形も様々です。19世紀にゴールドラッシュが起こり、人口が一挙に増えたようです。今もオパールの生産が有名です。
2階に上がるとデザイン。奥の方はアボリジニの文物、さらに、フォレストギャラリーも併設されています。広いスペースにいろいろなものがあり、「博物館」の名にふさわしい。ただ、子供が多いのは閉口で、ゆっくり見ることもできません。それでも2時間少し見て,退館。
その後、州議事堂前を通り、博物館となっているオールドトレジャーの中を見てきました。メルボルンの発展の歴史が展示されています。200年に満たない、若い都市だとわかります。ここにもゴールドラッシュの話が。
宿に戻る途中、探していたチョコレート屋があったので、2つだけ買い求めてきました。結構高級品です。
10日たち、この地の食べ物も飽きてきたので、夕食は趣向を変え、ラーメンにしましたました。探してみると、この町には何軒もラーメン屋があるのです。一番近いのが宿から10分のところです。ただラーメン1杯が2,000円というのも驚きです。でもしかたないのかもしれません。
メルボルンにはあと2日います。明日は、市場でも見に行こうかと思います。
オーストラリアの旅(12)メルボルン3 2024年4月10日
メルボルンの3日目です。さすがに半そでシャツでは寒くなったので長袖を着用。最高気温が18℃でした。
今日はまずクイーンビクトリアマーケットへ。着いてみると、シーン。なんと水曜日はお休みでした(ナイトマーケットはやっている)明日出直すことにして、次の美術館へ。
フリンダーズ駅に移動して、NGV(ナショナル・ギャラリー・ビクトリア)へ。10時開館まで少し待って入りますが、とても奇妙な外観の建物です。無料。中に入ると、Gフロアと2、3フロアが展示場。Gフロアは主にアボリジニ関連の絵画、工芸品。広い館内にゆったりと展示されています。アボリジニ特有の色使いと文様、一目でわかります。
2、3階には古典的な絵画から現代絵画まで、オーストラリアゆかりの作家の作品で、説明にオーストラリアにいて、イギリスフランス等にいついたか書かれています。2時間ほど見て回りました。
そのあと町に出て昼食、頼まれていたチョコレート屋を見つけましたので購入。
それから、移民博物館に行きました。かつての税関か何かの建物を使っているようで、がっしりした3階建てです。入館料15ドル。2階に1840年代から始まった移民の歴史の展示。英国の流刑地としてスタートしたヨーロッパ人の移住は、映像によると、イングランド・アイルランドをはじめ、ヨーロッパのみならずアジア・アフリカなど様々な国から来たようです。一時、白豪主義といわれた政策もあったようですが、現在は多文化へと変わっているようです。
日程的にゆったりとした今回の滞在ですが、あと1日となってしまいました。明日は、今日いけなかった、ビクトリアマーケットに行きます。明後日は宿のチェックアウトの後、そのまま空港です。
オーストラリアの旅(13)メルボルン4 2024年4月11日
メルボルン滞在もいよいよ最終日になりました。
トラムで行くのですが、秋なのに紅葉の色がないな、と思っていたら、それらしいのがありました。今日は、昨日休みだった市場クイーンヴィクトリアマーケットに行きました。広さは昨日見てわかっていたのですが、実際店が入り人がいると、この市場の大きさがわかります。
市場の中は、野菜、肉、魚、その他と分けられていて、同じブロックに同業の店が並んでいます。肉屋だけでも何十軒もあるのですが、品ぞろえも似たようなものです。牛肉・ラム肉・豚肉・鶏肉と並んでいます。魚のことろは、店により特徴があるようで扱っているものも少し違います。野菜は似たようなものでした。
その他の店があるブロックは、いろいろなものがあります。着るもの、食器、帽子、おもちゃ、様々です。
面白いので2時間近く見て回りました。
近くのマクドナルドで昼食、牛肉がおいしと感じました。
そこから10分ほど行ったところに旧メルボルン監獄があるので、立ち寄りました。かつての監獄の一部の建物しかありませんが、むかしは相当広かったようです。ナショナルトラストが管理しているようで、入場料が35$と結構高かったです。建物は3階建てでいろいろな部屋に当時使われていた道具があります。夜の監獄ツアーなどもやっているようです。
その後、頼まれていたお土産を買いに町中へ。2軒回り完了しました。
レストランに行くのも面倒なので、駅で売っているパイを「テークアウェー」イギリス英語なのです。1個6.5$です。結構高いですね。それとサラダを買ってきて、最後の夕食はホテルで簡単に済ませます。
明日は、12時のフライトですから、9時にチェックアウトしそのまま空港です。
オーストラリアの旅(14)帰国 2024年4月12日
いよいよ帰国の日となりました。今回の帰国ルートは、メルボルン空港からシンガポールまでカンタス、そこから共同運航便のJALです。
宿を9時前に出て、サザンクロス駅からの空港行きのバス、スカイバスに乗ります。ここで一つ誤算。キャッシュが余っていたのでこのバス代23.9$の支払いに使おうとしたら、ダメ。しかたなくカードで払いましたが、20数$持って帰っても仕方ありません。メルボルン空港でご当地ワインに変えました。荷物は少し増えましたが。
2時間ほど待って搭乗。8時間のフライトです。12時予定が1時近くにオーストラリアの土地をおさらばしました。途中景色もあまりよくなく、シンガポールに近づいて海が見え始め、やがて日暮れころに町が見え、到着。ここでメルボルンの時差を解消。庭園に出ると、熱帯です。
3時間半ほどで、JAL機に搭乗。こちらは、夜中の9時過ぎに出発しますが、時差の関係で実質搭乗時間が少なく、深刻な睡眠不足。5時過ぎに羽田に到着しました。漸く夜が明けた時間でした。
荷物の託送、SIMの入れ替えなどで手間取り、空港を出たのが6:45。今日は、千葉県立中央博物館の見学に行きます。チバニアンで話題の博物館です。そこで、電車は使わずバスで行くことにしました。ラッシュの東京を横断するのを避けることにしました。
バスの終点が千葉中央。これは京成の駅でした。中心地は、JR千葉駅だったのです。千葉という駅がむやみにあり、わからない。中心がJRだったのですが、千葉中央は京成の駅でホテルがあるだけ。ほかにも京成千葉や本千葉等紛らわしい。
結局中央博物館に行くには、JR千葉駅のバスターミナルということになり、移動。ところが、どのバスかわからない。探しましたが情報がない。バス案内所は空いていない。4社が乗り入れているとかで統一した掲示もない。ひどいところでしたが、たまたま来たバスの運転手に聞いてみると、このバスの博物館前で行ける、ということでやっと博物館に着きました。周りでは桜の花が咲いています。
バス停から歩くとなかなか入口がない。ようやくつくと、65歳以上無料でした。館内は広い。地質、生物、海洋、歴史、社会と広いスペースに展示がありました。
第1室房総の地学では、話題のチバニアンに関係する展示がいくつか。市原市田淵の地磁気逆転期の地層として認められ、チバニアンの証拠となったようです。
また、嶺丘山地の地質では、この産地が混ぜ合わされ絞り出された山地として、蛇紋岩、橄欖岩などが地上に出ていました。枕状溶岩も出ています。
新鉱物「千葉石」は2011年新鉱物chibaiteとして千葉県初の新鉱物として認められたとのこと。この石は2酸化ケイ素がカゴ状の結晶構造を作りその中にメタン・エタンなどが含まれるとのことです。
そのほか、ゾウの化石、クジラの骨など見どころはたっぷりありましたが、昨日の寝不足で詳細を見られず、博物館を後にしました。
千葉駅に戻り、今日の宿三郷市のホテルに行き、アーリーチェックインということで部屋に入り、シャワーの後、昼寝、夕方の会合に出席しました。長い一日でした。
なお、翌日の14日はこれまで所属していた山の会の30周年事業に出席し、15日に蔵王に戻ります。