ツブカル登山記(麓まで)

ツブカルの麓、イムリルにたどり着くまでの顛末、モロッコの旅行事情
2004.8

いや、何があるかわからないものである。

成田からパリで乗り継いでカサブランカの空港に夜10:40に着いた。時差9時間を考えると、初めて行くところに、こんな遅く着く強行日程を組んだのが間違いの元だと後悔しつつ、イミグレを通り、荷物を待つが、さっぱり出てこない。そのうち人はいなくなり新たな荷物が出る気配もなくなったころ、脇のカウンターで何人かが並んで係官となにやら話している。順番を待って、荷物がこない旨話すと、番号を端末から打ち込み、「今パリにある。明日の昼にもう一度連絡しろ。」と、日常茶飯事のような対応で「遅延証明(そのまま訳すと『あなたの荷物は遅れている』)」カードにファイル番号とエールフランスの窓口の電話番号を書き、「明日11時に電話せよ。」「ホテルの届けてくれるのか?」「No、取りに来い。」 昔、ジュネーブで荷物がこないときの対応とえらく違う。しかたなく、機内持ち込みの小さなザックを持って、カサブランカ市街の予約しているホテルに向かう。とりあえず、キャッシュディスペンサを見つけ現金を入手。列車の駅に行くと、最終列車はもう出てしまった、ということで、バスに乗ることにする。この国の交通システムがわかっていないので、不安である。発車するまで小一時間ある。時間は12時をすぎている。タクシーで行こうと払い戻しを求めたら、「できない」。仕方なしに空港で待つ。人がやたらとうろうろしている。こんなに遅く、出発便もないのに。ようやく時間になってバスが出る。道路をものすごい速度で走り(100km以上)30分ほどで市内のバスターミナル。ここからホテルまで、歩くと20分くらいのようだが、深夜に知らない街でホテル探しをする気もしないので、タクシーに乗る事にする。この国のタクシーは、町中は「プチタクシー」といって、プジョーの小型タクシー、郊外まで走るのは「グランタクシー」というベンツのタクシーと分けられている。プチタクシーもその後何回か乗りシステムがわかるのだが、運転席の右下の方にメーターがあるのだ。それで乗ればなんと言うことがないのだが、事前の情報不足で、料金交渉をしてから乗れ、などと言うことだったので、フランス語で値段の話。30DH(ディラハム)ということで手を打つ。ほんとは、もっと安かったのだが、『授業料』のつもり。で、ようやく予約していたアルムーニアホテルに着いた。1時をすぎていた。時差が9時間あるから、徹夜して翌朝10時にホテルに着いたことになる。日本で5900円だったから、もっとひどいところかと思っていたら、街の真ん中にある大きなホテルだ。少し古いけれども。これでモロッコの物価の雰囲気がわかったような気がした。


 とにかく寝て、翌朝起きた。予定では、今日のうちに、マラケッシュに行こうと思っていたが、荷物がないのでは移動もできない。11時まですることもないので、ホテルの周辺を散歩する。街の雰囲気を知ることは大切なことである歩いているうちに、国連広場に出た。今日は出発できそうもないので、腰を据えることにして、この近所にあるPLAZA HOTELで今日の宿泊の予約をする。その後、カサブランカの市内を歩き、壮大なハッサン2世モスクなどを見物してからアルムーニアに戻り、ホテルの電話係の女性に訳を話し、エールフランスの窓口に問い合わせてもらった。「荷物は来ていない、夕方6時に電話しろ」とのこと。いったいどうなっているのだ?6時に電話して、それから空港まで取りにいたのでは、また遅くなってしまう。事情もわからないので、空港に行くことにした。プラザホテルに荷物を移し、空港に行く。昨夜バスで来たときには30分くらいできたのだが、鉄道で、カサブランカ・ポール駅から行くと、乗換を含め1時間以上かかる。2時過ぎに空港に着き、窓口に行き事情を聞くと、パリからのAF第1便には荷物はなかった、第2便は5時に着く。という返事。荷物は積み込まれたのかと聞くと、わからない、何ともいい加減なことである。しかたがないので、5時の便が着くまで待った。5時半過ぎて荷物係に行くと、そこを探せ、とのこと。探してみると、荷物があった。一安心。これで旅行を続けられる。しかし、このムダな1日は何だったのだろう、という思いと、これがこの国のありようだ、こういう国を旅しなければならないのだ。というあきらめに似た心構えとが錯綜していた。荷物を引き取り、カサブランカの駅に戻ると、夜9時を過ぎていた。しかし、町中眠る気配どころか、ますますにぎやかになっている。サンドイッチとビールと水を買い、ホテルに戻り、簡単な夕食とした後、10時頃寝る。時差ボケはまだ続いている。

 翌朝、食事の後、チェックアウト。タクシーに乗り、列車の出るカサブランカ・ボァジャー駅に行く。切符を買う行列の途中で、パスポートを返してもらっていないことに気づき、タクシーに乗ってホテルに戻り、パスポートを受け取りまた駅にとって返す。この間タクシーの運転手は待ってもらっていたのだが、この運転手、英語は全く、フランス語もよくわかっていない「新米」らしい。乗るときホテルの住所と名前を行ってもわからず、そこの係員になにやら指示されていた。片言のフランス語で、ホテルに忘れ物をしたのですぐに駅に引き返す事を伝え、Uターン。マラケシュ行きの列車にはなんとか間に合った。いや、危ないところであった。パスポートなしに旅行することはできない。

 列車は、カサブランカの街を離れ、次第に内陸へと進む。緑が減って行き、赤茶けた丘が続く景色になる。サボテンのような植物と木がまばらに生えている。時折、集落が見える。羊を放牧している。3時間余で、「オアシス」マラケシュに着く。町中にあるツーリストインフォメーションをめざし歩く。とにかく焼け付くような暑さだ。町中のレストランで、一休み。昼食にする。オレンジジュースとサンドイッチ。オレンジジュースがやたらとおいしく、2杯飲んだ。そのレストランのはす向かいにあるホテルに2泊することにする。荷物を置いて一休みし、街の見物に出かける。スーク(市場)にある有名なジャマ・エル・フナ広場やクトゥビアという塔、伝統工芸館などを見て帰った。夕方6時前で、日射しが痛いように暑い。スーパーで水などを買い、ホテルのレストランでクスクスの夕食、それから寝る。地図とガスボンベは、買えなかった。

 翌日は、朝から体調が悪い。疲労がたまっているようなので、思い切って休養日とする。午後まで何もせず、夕方、登山に備え買い物。食料などをスーパーで買う。ホテルのフロントで、イムリルまで行きたいがどうしたらいいか相談。フロントの男は、フランス語しか話せず、話が進まなくなり、友達(?)の英語を話す若者を連れてくる。そこで、タクシーの話や、仕組みの話を聞く。タクシーの運転手らしき男と引き合わされ、なんだか話がついたようだ。明日の朝、迎えに来るとか。本当に「予約」がとれているか半信半疑だが、まあしかたがない。

 翌朝、約束の7時に下りてみると、「運転手が来ている」と言われ一安心。「グランタクシー」という黄色いベンツの車が来ている。宿の勘定をすませ、荷物を積み込み、朝のがらんとした街を出発。運転手は、アーメドという陽気な年配の男。いろいろ話をしたり、解説したりしながらも、飛ばすわ飛ばすわ、恐ろしくなる早さで車は走る。街のはずれの道では、120km以上で走っている。山間部に入って少し速度を落としたものの、曲がりくねった道を、クラクションをブーブー鳴らしながら走る。途中は、赤茶けた景色が続き、時折ベルベル人の集落がある。アスニという街から左に曲がり、めざすイムリルへと車は進む。
道は狭くなるが、一応舗装された道路だ。2時間かかるといわれていた道を、マラケシュを出て1時間10分後の8時10分にイムリルに着く。ここで、2日後の正午に迎えに来ることを確認し、往復のタクシー代800DHを渡して分かれる。


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