34年ぶりの屋久島

 便利になったとはいえ、やはり遠い。鹿児島の南70kmの海上にある「洋上アルプス」の島、屋久島への再訪がかなったのは、2006年11月の初めであった。前に訪れたのは、1972年8月。34年ぶりの屋久島である。「世界遺産」になり、一躍有名になってしまったが、洋上アルプスはどうなってしまっただろうか。
 東京からの飛行機は鹿児島空港へ30分遅れて到着、鹿児島市街から夜行のフェリーが出る谷山港へのバスに接続できなくなってしまった。しかたなく、鹿児島行きでなく谷山行きのバスに乗り、谷山からフェリー乗り場までタクシーを使う。6時発のフェリーの乗船手続きをした後、食料の買い出しに5分ほど歩いた国道沿いのコンビニに行く。このフェリーには、カップラーメンの自動販売機しかないとか。6時に乗船。結構広い船室に、登山のグループ、観光客らしいグループ、仕事のグループと陣取る。四国から来た夫婦と隣の場所になり、話をする。荷物の積み込みが遅れ6時40分出港。しかし、どうせ種子島で停泊して時間を過ごすのだから多少の遅れは関係ない。8時を過ぎるとうとうとと眠ってしまった。しばらくして目を覚ますと、種子島の西之表港に着岸していた。ここで4時間くらい停泊する。真夜中なので、なにもないと思っていたら、深夜営業のスーパーやコンビニがあるという。種子島は初めてなので、15分くらいのところにあるスーパーまで出かける。煌々と明かりがついており、客はパラパラ。酒と食料を買い入れ船に戻り、また寝る。
前回と今回のコース  翌朝6時半に屋久島に接近。山が高くそびえており、宮之浦港が見える。7時15分に着岸。荷物を持って船を下りる。まず、ガスを入手しなければ、と屋久島観光センターの店に行く。四国の夫婦も同一行動。彼らは8時にレンタカーを借りて、淀川登山口にいくという。途中のヤクスギランドまで便乗させてもらえることになった。感謝!おかげで予定より1時間早く安房歩道の登山口ヤクスギランドに着いた。
 ここでしたくを整え、ヤクスギランドのゲートで300円支払う。石塚小屋まで6時間と言われる。石塚小屋は水がないと聞いていたので、今夜の分まで水を持つと、3日分の食料、テント等で25kgのザックが肩に食い込む。あとで、水は途中で渡渉する場所があるのだから持つ必要がないことに気づく。ヤクスギランドから花之江河への分岐点を過ぎ、緩やかに登る道を進む。道は常緑樹の森の中を通り、ところどころが不明瞭になっている。ピンクのテープが点々と道を示しているが、これがないと、迷ってしまうだろう。現に何回か間違ってしまった。中間地点ぐらいで荒川の支流を渡渉するところになるのだが、なかなか着かない。3時間弱でようやく大和杉。3時間半で渡渉地点。ここで昼食と大休憩、水の補給。一枚岩を河が削った気持ちのよいところだが、増水すると危険なところでもある。そこから、また登り。展望がきかない道を黙々と歩く。6時間経ってから、ようやく尾根の道になり、木々の間から、宮之浦岳に続く主稜線が見えてくる。4:15突然、ブロックづくりの小屋の前に出る。この間、7時間。誰にも会わない山道であった。石塚小屋は、中は2段になっており、20人収容という。この日は、3人パーティーと単独2名の5人で広々と場所を使う。夕食のしたくをし、日暮れとともに就寝。疲れた一日だった。
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 翌日は、5時15分起床。食事を済ませ、6:30に明るくなってから石塚小屋を出る。10分弱のところに水場。こんなことなら、下から重い水を持ってこなくてもよかった。7:20に花之江河。湿原が広がり、昔の記憶通りの場所だ。ここは、晴れているより霧の中の方が味わいがある。ここで、淀河小屋からの道と合流。登山者が続々と来る。聞くと、昨夜は満員だったとのこと。メインルートとちょっとはずれた小屋のこの違い。ここから道はとたんによくなり、木道が多くなる。標識も過剰なくらい付けられており、大勢の登山者と抜きつ抜かれつの上り下りとなる。黒味岳は、前回行ったのでパス。後から思えば、この日は時間が余っていたので行った方がよかった。投石平(筑紫平)は花崗岩の大岩があり広々とした気持ちのよいところ。ここで休憩。歩き始めて少し行くと、岩屋がある。稜線で逃げ場がないときにはありがたそうな場所だ。ここに泊まるツアーもあるらしい。投石岳をすぎ、安房岳、翁岳を過ぎ、水場に至る。ジワッとしみ出しているような水場だが、稜線にあるのがありがたい。ここを過ぎると、急坂を栗生岳を経ていよいよ宮之浦岳頂上。34年前と同じ、晴天だ。宮之浦岳山頂は、人であふれていた。3つの大きなグループ。いくつかの小さなグループ。中に「日本百名山完登」の看板を持った人を中心に写真撮影している、ツアーの団体もいた。山頂からは、永田岳をはじめとする屋久島の山々。さらに太平洋・東シナ海。その向こうには島影も見える。薩摩・大隅半島はかすんで見えなかった。20分ほどたち、喧噪の山頂を後にする。
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 永田岳への分岐である焼野三叉路まで急な下りを15分。ここに荷物を置き、空身で永田岳へと向かう。25kg近いずっしりとした荷物から解放されると、体が宙に浮きそうだ。一旦、水のあるコルまで降りて、永田岳の急な登り。焼野の分岐を出て45分で永田岳山頂の大岩に着く。ここからは、宮之浦岳やそれに連なる山々、そして、反対側には、西側の切り立った山々と永田集落、そして東シナ海が間近に見える。宮之浦岳と違ってこの山頂は至って静かである。他には3人組がいただけ。これを見ても,百名山ブームとは何かがわかるような気がする。ちなみに、宮之浦岳は、淀川登山口から10時間かけて日帰りする山になっているらしい。
 永田岳山頂でゆっくりと景色と昼食を楽しんだ後、下山開始。焼野三叉路まで40分。ここで荷物を担ぎ、下り始める。このころからガスがかかりはじめる。稜線を、第2、第1展望台を経て、2時25分に新高塚小屋に着く。大きな小屋はがら空き、ここに泊まることにする。荷物を置いて小屋の周りを歩くと、何頭かの屋久鹿がうろうろしている。かわいそうに、登山者に餌付けされてしまい、餌をねだっているのだ。ここはメインルートの小屋なので、こんなことになってしまっている。水は、少し先の沢からホースで引いているので、そこそこに出る。鹿児島市と北海道から来た単独の登山者と話をする。鹿児島の人から、この界隈の情報を仕入れる。そうこうしているうち、今夜はがら空き、と思っていたら、次々と団体が到着。小屋はどんどん混んでくる。そこで、テントを出して外のデッキに張り、小屋を脱出。一夜を過ごす。やはりここはメインルートなのだ。
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 翌日は、のんびり7:00に小屋を出て、高塚小屋を経て、縄文杉に至る。34年前は、高塚小屋から宮之浦に向けて降りてしまったのでここは初めてだ。その宮之浦歩道も今は廃道になっているらしい。縄文杉に着いて驚いた。杉の木の立派さは当然としても、それを見るデッキの立派さにもだ。広いデッキが縄文杉と向かい合って設置されている。4人しか人がいないのでよけい広く感じるのだが、ここに、「食事は取るな」とか、「一方通行」とか書いてある。縄文杉は、デッキから20mほどのところに、偉容を見せている。なんだか、動物園でなにか巨大な動物を見ているような気がする。しかし、これが必要な措置であることは、下山を開始し、すれ違う登山者を見てよくわかった。とにかく、すごい数のハイカーだ。巨大なウィルソン株の周りには数十人が休んでおり、その下にも続々と案内人に連れられたグループが続いている。「上り優先」などといっていては進むこともできないくらいだ。夫婦杉、大王杉を通過し、ようやくトロッコ軌道に出る。昔歩いた記憶のある道だ。1時間ほど歩いて楠川別れ。ここから登り返して、白谷雲水峡への道。1時間で辻峠。ここで勧められていた、太鼓岩へ行ってみる。15分も歩くと岩に着く。登ると、絶景である。宮之浦岳を初めとする峰々が谷の向こうに聳えている。そこから、川が流れ、海に向かっている。深い林。霞み始めているが、堪能した。
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   そこからは、白谷雲水峡。「もののけ姫」の舞台のイメージになったという林である。杉に苔が幻想的な景色を作り出している。ここばかりは、晴れより霧雨の日の方が価値がある。20分下ると白谷山荘。当初はここに泊まり、翌日海岸の楠川まで歩こうかと思っていたのだが、ここは、バス停のある「公園」の一角であった。予定を変更し、3日ぶりの風呂とビールを求め、バスの客となる。宮之浦の集落でバスを降り、民宿に一泊。登山行動は完了した。雨が多いことで有名なこの島で、前回も今回も晴れに恵まれた。感謝!
 振り返って地図を見ると、34年前に歩いた海からの道は、今や林道が伸びバスが通って、登山口が山の中にある。しかし、メインルート以外は人影もまばら、メインルートは、道は木道と化し、ツアーの行列が続々という状態である。かつて歩いた道の大半は廃道となっている。これが、この三分の一世紀を経た時間の流れかと、感じるものが多かった。

 翌日は、軽自動車を借りて、島を一週した。永田集落付近の、ウミガメが上陸するという、永田いなか浜のすばらしい砂浜、西部林道で道の真ん中で戯れ、車をよけようともしない屋久島ザルの群れ、流れ落ちる大川滝、そびえ立つモッチョム岳等が印象的であった。もう1泊し、翌朝、鹿児島まで高速船で戻った。海は波が高く、場合によっては引き返すという条件での出港だった。波は大きくうねり、船も大きく揺れた。種子島を経て、黒潮を乗り切り、開聞岳の姿が見えたとき、内海に入り波も収まってきた。昔の船乗りたちも、聳える開聞岳を見たとき、「助かった」と安堵したのであろう。

2006.11.2〜7
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