オーストラリア旅行記


2007年春、大忙しのスケジュールで、オーストラリアの大陸横断鉄道に乗り、太平洋からインド洋までの鉄道旅行をした。その名も、インディアンーパシフィック鉄道である。
3月の末、夜8時過ぎに成田空港を出たカンタス航空機は、シドニーめざし、一路南へ。

シドニー

翌朝、シドニーへ。空から見るシドニーは海と陸が複雑に組み合わさった、美しい街である。7:20シドニー空港着。
機外に出て空港ビルにはいると大きな免税店。そこを通り抜けて、イミグレへ。ここで行列をして、やっと順番が来た、ところがここでトラブル。女性の入国審査官。すんなりいくと思ったら、ETAS「入国許可登録」の「生年月日が違う」と。見ると、1935年生まれ!!旅行会社のミスだが、受け取るときに確認しなかった当方も悪いか?男性の職員に示され、ここで待たされる。「2分」といいながら、パスポートとETASを持って事務所に消えていく。マズイ、ビザの取り直し?!最悪の場合でも、この程度だろう。しばらく待つと、職員が戻ってきて「OK」ほっと一息。ただ、入国カードも返された。次に手荷物検査に行列。X線検査の後、入国カード回収。ようやく外に出る。ここまで1時間。
出てまずする事は通貨の入手。ATMマシンが見あたらない。iで尋ねると教えてくれたのがCitiBankのマシン。ALL CARDと書いてはいるものの、おなじみのVISAマークはない。行列の後カードを入れるが反応がない。抜いてみると、番号を入れる指示、選択肢は2つ、更に次に3つ、そして・・この国のシステムは、カードを入れる→抜く→ピンコード→メニュー→選択SAVING→金額、でようやく200A$を入手。手順は国によって違うなあ、と実感。時差ボケはないが、夜行でぼんやりしている頭には、ちょっとしたショック。

夜明け(1746 byte) 
海岸線(1746 byte) 
シドニーの建物(1746 byte) 港(1746 byte) 珍しい鳥(1746 byte) オペラハウス(1746 byte)
ハイビスカス(1746 byte) 花(1746 byte) 列車の入線(1746 byte) 列車のプレート(1746 byte) 1等車(1746 byte) 乗車(1746 byte)


シドニー中央駅まで電車で行くことにする。12.60$。2階建て電車に乗り4つ目の中央駅へ10数分立っていく。中央駅でインデアンパシフィック鉄道の出札窓口へ。日本では、2等寝台(レッドカンガルークラス)上段しかとれなかったので、ここで切符を変更する。すんなりと1等寝台(ゴールデンカンガルークラス)がとれた。ちょっと贅沢だが、ゴールドは個室寝台、食事込み3泊4日8食付きの値段が$1720だがYH会員割引で$1636。ただしこれはインターネットで買った値段で、1$=90円で14万円強になる。日本の旅行会社の手配では19万2千円にもなってしまう。差額の380$をカードで支払い、切符を手に入れる。ほっと一息。
大きな荷物をホーム脇の預かり所で$4.40で預けてから、シドニーの市内見物。時間が3時間余しかないので、歩いていけるところまで行ってみる。駅から北西方向に歩くと、市役所などの古い建物と新しい建物が混在している。ダーリングハーバーに出る。よく整備された波止場である。そこから北へ向かい、ロックスの観光地を歩く。波止場の向こうに印象的なオペラハウスの建物がある。太平洋の港町だ。
 ここから南へシティの中心を抜けていく。途中、アーケード街を通りピザを食べ、サンダルを買う。今回の旅の必需品である。絵はがきを購入し、郵便局で切手を買う。1枚1.25$ハイドパークに入りオーストラリア国立博物館に入館。10$。一部の展示室が閉鎖されており残念。自然(動植物、地質)と先住民のコレクションがある。子供の団体が館員に引率され回っている。駅まで戻り、カフェでホットドッグとジュースで昼食。1:30にホームへ。パシフィックインディアン号が入線している。銀色の車体を13両ずらりと並べ、先頭には自動車運搬車両が付いている。荷物を受け取り、客室に向かう。一等の所は、青い旗と赤いマットが敷いてあり、アテンダントが立っている。チケットを見せると回収された。車両番号Iの11号車。一人用車両は、廊下が波打った様に曲がっている。客室にはいると理由がわかった。台形の様な形をうまく利用し窓が大きくとれる様にレイアウトされている。室内にはガイドブック、予定表、洗面道具一式、アイマスク、バスタオル、フェースタオルが置かれており、小さいながらもロッカーもある。荷物を片づけるうちに発車時刻になり、ホームを後にする。

停車駅で(1746 byte) ブロークンヒル(1746 byte) ブロークンヒルの駅(1746 byte) 1人用寝台車の廊下(1746 byte) 車窓の景色(1746 byte) アデレード大学(1746 byte)


 

鉄道

2:55pm、しばらくして、車内探検に出かける。Barがオープンしたとのことで、ラウンジカーに行ってみると客で一杯。ビールを買って客室に持ち帰り、飲む。ようやくたどり着いた、と一安心。いよいよ3泊4日の大陸横断の旅の始まり。食事は2回に分かれ、前がいいか後ろがいいか聞かれ、前をと答える。 食事時間になったので、食堂車に行ってみると係の女性が座る席を指示している。メニューを見ると、前菜、メイン、デザートを選ぶようになっている。スープと鮭とチーズを頼む。給仕の女性が、日本語のメニューもあると言うので、次から持ってきてもらうことにした。料理の名前はなかなか覚えられない。前の席には親子連れ、隣には年配の男性が座り、おしゃべりが始まる。早くてとても聞き取れない。客の大半は年配のリタイアしたであろう人たち、そうか、1等車は高くて、若者は乗れないのだ。時間がない若者は飛行機で、金のない若者は2等車かバスで移動する。1等車は、金も時間もある人間の乗り物なのだ。昨夜は飛行機の中だったので眠かったが、延々2時間に渡った食事が8時に終わると食堂車は第2回の準備にかかった。
夕食を終え戻るとベッドが作られていた。シャワーを浴び、寝る。くたびれていたので、9時には寝てしまった。
 

2日目

 朝は6時にアナウンスがありコーヒータイム。ラウンジカーにコーヒーがある。 7時にブロークンヒルに到着。朝のいなか街は静かで人通りもない。散歩しているうちに、おみやげ屋が開店しているのを見つけ、絵はがきを購入。ここは、銀鉱山として栄えた街らしい。そうでなければ、ポツンと街が出来るところではない。バスのツアーも出発したようだが、乗らなかった。8:20出発。
9時から朝食。朝食は2つから選択。コンチネンタルを選ぶとクロワッサン、チョコレートパン、菓子パン、フルーツが出てきた。もう一つの方は、スクランブルエッグ、ベーコン、焼きトマトなどとパンだった。こちらの方がよかった。1時間半で終了。 朝食が終わったと思ったら、11:30に昼食。ターキーとアボガドのサンドイッチ。イチゴケーキ。見ていると、とにかくみんなよく食べる。
食後、アデレードのツアーに申し込む。

アデレードのツアー(1746 byte) 寝台車の洗面所(1746 byte) 窓からの景色(1746 byte) 地平線が見える(1746 byte) クックの停車場(1746 byte) 青い看板がカルガリ862km(1746 byte)


3時10分、アデレード着、駅は、2つ郊外の駅で、アデレード駅には車両が長すぎて入れないらしい。そういえば、終点パースでも同じ事情のようだ。シドニーだけ、中央駅に乗り入れができるとか、鉄道開発の歴史を感じる。町の中心から2km離れたケブウェク駅に着く。周りは何もないところ。バスツアーが出発。バスで1時間少しのドライブ。1箇所(展望台)で下車以外は、バスの中からの見物ガイドブックの地図がないと、どこをどう回ったのかわからないところであった。駅に戻ってからも2時間もあった。停車時間は3時間40分もあったので、歩いて町に行くこともできたし、タクシーを使えばより時間があり、もったいなかった。
6時40分、出発。クルーが全部入れ替わっている。7時夕食。ドイツ人の若い女性と同席。前のニュージーランドの女性2人組との「通訳」をしてくれる。東京に行ったことがあるという話だ。メニューは、スープ、牛フィレ肉(大きい)、タルト。そしてグラスワイン6$を注文。食後、シャワーを浴び、ねる。こういう日課で1日のうち、食事に5時間(1.5+1.5+2)位をかけた生活をしている。
 

3日目

 朝、目を覚ます。列車はナラボー平原に入っている。直線の線路が400km以上も続く大平原。木もなくなり、小さな丈の草があるだけの台地。左右には地平線が広がる。かなたに数本の木が見えるが、あとはただただ大草原の景色が何時間も変わらない。動物の姿は、一度鳥(ダチョウか?)の姿を見ただけで、まったくない。地面はすっかり乾燥している。初めてここを通った人は水を持ち、食料を持って、馬で、いつ終わるともわからない、見渡す限り続く平原を進んでいたのだろう。時々、線路の両側にアンテナのようなものや、太陽熱発電パネルのついた小さな小屋を見る以外は、人工的なものはない。7時に朝食。話し好きな陽気なニュージーランドの2人組とドイツ人女性のテーブル。今日は、スクランブルエッグ、ベーコン、ベークドトマト、マッシュルームの朝食。
 食後しばらくして、クック駅に着く。この駅はナラボー平原の真ん中にあり、補給のための駅。廃墟のような町だが週に4便が停車する。お土産屋があり、絵葉書を買う。線路に立つと、まさに一点透視図法。次の町まで荒地が広がる。何もない。
 看板に次のように書いてある。"NO FOOD OR FUEL FOR NEXT 862km KALGOORLIE"! なんと次の町まで800km以上あるのだ!  

クックの停車場(1746 byte) 一点透視図法(1746 byte) カンガルーのステーキ(1746 byte) 一人用寝台列車の平面図(1746 byte) 南十字星(1746 byte) カンガルーの群れ(1746 byte)


 2時から昼食。カンガルーのソーセージが出る。カンガルー肉は、初めてとチャレンジだ。前に座ったのは品のよいオーストラリア人夫婦。列車は平原の中の変わらぬ景色の中を進んでいる。夕食は6時。カンガルーのステーキが出る。朝のニュージーランドの2人組、ドイツ人女性と同席。どちらもキャノンのデジカメを持っている。
 食後、カルガリーに到着。夜になっている。ドイツ人女性はここで下車。夜のツアーのバスに乗り込む。小さな町をドライブ。あっという間に町を抜け、金鉱山の採掘所を見下ろす展望台に。とにかく山を削って金を掘っている。空にはオリオン座、シリウスを始め星が見えている。南にあり日本から見えないカノープス、そして南十字星、アルファケンタウリが見える!そういえば、町を昼間歩いていても、太陽は、北にある!ここは南半球なのだ、と改めて認識。田舎町で街の灯がないので、こんなに星が見えるのだ。バスは駅に戻る時間になり、明かりの消えた街中を通り、駅に向かう。運転手が、説明しているが、ゆっくり話しているのでオーストラリアの英語がよくわかる。アイティーアイトト、エイがアイなのだ。何もない駅前で1時間ほどすごす。その間に、ミニ3脚を使って、南十字星を写す。30秒の露出で何とか写った。10時に列車は出発。シャワーを浴びてなる。いよいよ明日朝には終点パースに着く。
 

4日目

 朝食が少し早くなって6時45分。オーストラリアのフルブレックファーストとは、卵(スクランブルエッグか目玉焼き)+ベーコンかソーセージ+焼トマト+焼マッシュルームらしい。食後、片付けと荷造り。3日間過ごした狭いコンパートメントともお別れ。9:00東パース駅到着。大陸横断鉄道インデアンパシフィック号の4300kmの旅の終点である。東パース駅は、これまた何もない小さな駅で、ここから列車やバスでパースに向かう。本当はここでとまって、ゆっくりしたいところだが、航空券が今日の夜中発になっている。列車でパース駅に出て、コインロッカーを探し荷物を預ける。インド洋の港町フリーマントルに行く。
 

パースに着いた(1746 byte) パース駅(1746 byte) フリーマントルの刑務所(1746 byte) インド洋(1746 byte) 海岸の砲台(1746 byte)


  フリーマントルは、こじんまりとした港町である。植民地時代の雰囲気が残った建物が多く見られる。港の旧要塞から見る海の青さは、圧巻である。はるばるインド洋まできたのだ、と実感できるひと時。
午後にパースに戻り、市内見物。パースは、人口150万人の大都会である。駅を降りるとにぎやかな商店街。さらに進むと、広大な公園と水辺(スワン川)にでる。日が暮れるころ、空港へ向かう。

シドニーに戻る

 シドニーへの直通便ではなく、ブリスベーン乗り換え。実にあわただしいが、しかたがない。夜行便でぐっすり寝ているうちにブリスベーン着。シドニー行きに乗り換えて、 時間、シドニー空港に着く。明日またここから帰国に便に乗るのだが、市内に宿を取っているので、列車で向かう。ようやくホテルを探し当て、チェックイン。あてがわれた部屋は「広大」といってもいいような部屋。風呂に入り、リフレッシュ。しばし休養の後、バスで市街地に向かう。ブルーマウンテンへ行きたかったのだが、時間的に半端で断念。この前来ているので、町の様子はわかっている。中華料理屋で、麺を食べる。しばらくぶりの味がする。歩いて町を抜け、港まで行く。有名なオペラハウスがある。ここには実にたくさんの観光客が来ており、日本からの修学旅行生と思しき女子生徒の一団もいる。夕方、ホテルに戻り、休養。今回の旅は、車中泊ばかりで、ホテル泊はこの1泊のみ。広すぎる部屋で、ゆっくり寝る。
 

スワンのベル(1746 byte) パースの町(1746 byte) 空からシドニー港(1746 byte) シドニー(1746 byte) シドニーの高層ビル街(1746 byte)


   翌朝、朝食を取り、チェックアウト。朝食込みのはずが、代金を請求されており、交渉して直してもらう。ホテルを巡回する空港行きのバスに乗り、楽々と空港へ。搭乗手続きも終わり、機中へ。後は、数時間の旅だ。ビデオオンデマンドのシステムが途中で動かなくなり、サーバーをリセットするというトラブルもあったが、日本で上映前の映画を見たりしているうちに、成田空港へ。あわただしかったオーストラリア大陸横断鉄道の旅は終わった。オーストラリアには、大陸縦断鉄道もあり、機会があればそれも楽しそうである。

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